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(逃がさない)無自覚ガチ恋S級冒険者が、バレたらおわりな天使の正体にじわじわ迫ってくる(たすけて)  作者:
第1章

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8/25

⑦芽

 深層エリア特有のひんやりした空気が、肌の上をざらりと掠めていく。


 いつもより深い階層まで足を運んだマリアは物資を置き終え、静かに呼吸を整えた。


(……早く戻らなきゃ。このエリアの魔物は凶暴だし、今日は動きもなんだか活発……)


 慎重に岩壁に背を寄せた瞬間、遠くで轟音が響いた。

 魔物の唸りと、剣が弾く鋭い音。そして複数の声。


(誰か……戦ってる……?)


 マリアは反射的に隠密を強め、岩陰からそっと覗いた。

 まず視界に飛び込んできたのは、深層とは思えないほど軽やかに戦う一人の男。


 カイン。


 鋭い刃が空を裂き、彼の動きはひと振りごとに魔物の体勢を崩し、圧倒的な力でねじ伏せていく。

 その背中には迷いが一切なかった。深層の闇を切り裂くようなその姿に、無意識に目を奪われる。


「カイン、そっち行ったわよ!」


 その後ろから魔法師のミレーユが声を上げ、魔力で爆ぜるように光を放つ。

 その横で、弓使いのレンと双刃のサイラスが軽口を叩きながら戦線を支えていた。


「やっぱカインさんバケモンだよな〜!」

「はいはい、惚れるのは後にしろ」


 軽い調子なのに、全員の動きは息ぴったりだ。熟練のチームだと一目で分かる。


(すごい。こんな深くで、あんな余裕……)


 そしてその先には。


「ほ、ほんとに来てくれた……っ!!」


 救援を求めていたらしい別の若いパーティが、全身ボロボロで魔物と戦っていた。

 前衛が崩れた瞬間、カインが青年の腕を引っ張り上げる。


「無茶すんな。生き残るのが一番だろ」


 たったそれだけで、青年は泣きそうな顔で頷いた。

 魔物をすべて殲滅すると、深層に静けさが戻る。

 カインが肩の砂埃を軽く払って言った。


「よし全員生きてるな。怪我はしてるけど、まぁ無事。よくやったよ。帰りは気ぃ抜くな」


 若い冒険者の顔が一斉にほころぶ。


(よ、よかった……)


 その時――


「カインさんっ」


 ふわっと頬を赤くした少女が、勢いよくカインに近づいてきた。身体中に擦り傷があるが、その顔は熱に浮かされたような笑顔だ。


「回復魔法、ちゃんと維持してたな。仲間守って偉かったよ。よく頑張った」


 少女の目が一瞬で花開いたように輝く。


「っカインさん……っ!わ、わたし……っ」


 その溢れる思いを言葉にしようとした瞬間、そこにミレーユがストンと降り立つ。

 笑顔。でもその瞳は鋭かった。


「ふぅん?褒めてもらえてよかったわね。でもこの深さ……あなた達のレベルじゃ無理だったのよ。魔法の制御も、立ち回りも。」


 少女が袖を握ったまま、頬を赤くしてミレーユを睨み返した。


「カ、カインさんは私の回復をよくやったって、褒めてくれたんです!!」


 その言い方は明らかにカインへの好意と期待が滲んでいた。ほんの少し胸を張る。

 憧れの相手に自分の実力を認められた、そんな嬉しさが混ざっている。


 ミレーユの瞳が細くなる。その一瞬にバチッと火花が散った気がした。

 ミレーユはゆっくりと少女に近づき、柔らかい笑みを浮かべたまま――言葉の刃を落とす。


「それはね、カインが優しいから。手が届くなんて、勘違いしちゃダメよ?」


 少女が息を呑む。ミレーユは微笑み続けながら、まるで事実を淡々と告げるように言葉を続ける。


「あなたの回復、悪くなかったわ。でもね、今のあなたの実力で入っていい階層じゃないの。ここは、命を落とす場所よ?」


 少女は唇を噛む。ミレーユはふわりと金の髪を揺らし、勝ち誇るように視線を落とした。


「回復が通ったのは偶然。あなたが褒められたのも偶然。本気でカインに選ばれたいなら、もっとレベルを上げてからにしなさい」


 そして、ふっと冷たい息を吐きながら、止めの一言。


「身の丈に合わない階層に来るから、身の丈に合わない勘違いをするのよ。……女のレベルも含めてね?」


 少女の顔が真っ赤になり、肩を震わせる。


「な、何ですかそれ……っ!!わ、私のどこが……!」


 ミレーユの笑みは優雅なまま。


「全部?」


 その瞬間、少女がぎゅっと拳を握り、悔し涙を滲ませる。

 周囲の冒険者たちが小声でざわつく。


「うわ……ミレーユさん強ぇ……完全に勝負ついちゃったじゃん……」

「あの子、可哀想だけどミレーユの方が正論……」


 ミレーユは勝ち誇るように肩をすくめ、視線をカインへ向ける。

 その表情は、この男の隣に立つ座を獲得したような、勝者のそれだった。


 その横で、カインは苦笑しつつ少女の頭をぽんと撫でた。


「ケンカすんなって。ほら、来い。歩ける?」


 少女が真っ赤になって震える。胸を焦がす想いが、ますます膨れ上がった瞬間だった。



 ――



 一方、岩陰からその光景をひっそりと見ていたマリアの胸が、きゅうっと強く縮んだ。


(あ…え……?なにこれ。胸が、苦しい……)


 ミレーユの腕がカインの肩に触れただけで、息が浅くなる。

 少女が頬を赤らめて近づくたび、やめてと叫びたい気持ちになる。


(なんで……なんで……こんな……)


 喉が震え、指先が冷たくなり、胸の奥がひどく落ち着かない。

 理由なんて分からない。

 ただ――

 カインの目に映ることのない自分と彼女たちを比べると、どうしようもなく、痛かった。


 頭がぐらつき、足の力が一瞬抜ける。


 その瞬間だった。



 かちり。


 マリアの足元で、小さな石が転がった。


 音は本当に、ほんのわずか。


 けれど――


 カインの肩がぴくりと揺れ、その目が鋭い光を宿して振り返った。


「……は……?」


 声は低く落ちたのに、その声音には焦りを含んでいる。

 先ほどまでの余裕と、どこか気だるげだった気配は、跡形もない。


 そんな男の様子に、ミレーユが眉をひそめた。


「カイン?どうしたの?」


 しかし彼は答えない。

 ゆっくりと、その一点に歩き出していた。


 その様子に少女が追い縋ろうとして、手で制される。


「な、なんですか?」


 カインは振り返りもせず、深層の闇へ向けて、静かに言った。


「……なあ、ちょっと待てって。なんでこんな深くまで潜ってんだよ。危ないだろ」


 優しい声なのに、問い詰めるような焦りがにじんでいる。


 それに慌てる影がひとり。


(な、なんでわかるの……!やだ…だめ……来ないで……)


 マリアはピッタリと岩壁に背中を押しつけた。

 これ以上うしろには、もう下がれない。


 足音が近い。

 すぐ、そこ。


 また一歩。

 また一歩。


(……来る……!)


「……出ておいで。

 怪我してんなら、放っとけねぇよ」


 低く掠れたその声に、マリアの心臓がまた跳ね上がる。


 次の瞬間――


 マリアは、深層の闇へ跳ねるように走り出した。


 ひゅ、と空気を切る音。


「っ……!」


 カインも即座に追う。


「待てって……!そんな逃げ方すんなよ、危ねぇだろ!!」


 声は苦く、必死。

 だが隠密の残りの力が働き、マリアの気配は完全に闇に溶けて消えた。


 カインは立ち尽くし、拳を強く握る。

 はあっと重い息を吐き出し、声は低く落ちた。


「……無茶すんなよ……ほんと……」


 深層の静寂の中で、

 誰にも聴こえない祈りのようにその声が、微かに震えていた。


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