③視線
翌朝。
冒険者ギルドは、いつも以上にざわめいていた。
「最近ダンジョンの魔物、数増えてるらしいぞ」
「天使さん、大丈夫かな……」
「俺はあの人がいるだけでがんばれるんだよなぁ」
天使という名が、今日も当たり前のように飛び交う。
マリアはそのたび胸がチクリと痛んだ。昨夜の出来事が、頭の奥で何度も蘇る。
(本当に危なかった。あの距離は、もう……無理)
指先が少し震え、受付台の下でぎゅっと握りしめる。
(バレてないよね?あの留め具だけじゃきっと大丈夫……)
そう自分に言い聞かせても、早まった鼓動は落ち着かなかった。
けれど深層支援士としての疲れを悟られないよう、マリアはいつも通りの穏やかな微笑みで作業を続けた。
そのとき──ふと、マリアに影が落ちた。
光が遮られ、マリアは反射的に上目遣いで顔を上げる。
そこに立っていたのは、A級冒険者にして、王都ヴィルネア冒険者ギルド・戦術部門所属のギルド職員である、レオン。
今日も冒険帰りらしく、柔らかな金髪が朝の光を帯びて肩にかかり、彫刻のように整った横顔を照らしていた。
すらりとした高身長。
洗練された気品ある佇まい。
派手ではないが、静かに光を纏う美丈夫。
軽装鎧についた砂埃でさえ、一枚の絵画の一部のように美しく見えた。
ギルドがざわつく。
「レオンさん今日もかっこよ……」
「ほんと王子様みたいだよなぁ」
「新人助けたって聞いた!人柄まで完璧って反則だろ」
「マリアさんと並ぶと、綺麗すぎて眩しい……!」
だがレオン本人は、そんな視線にまるで気づかないまま、マリアの前でふわりと微笑んだ。
「マリア。おはよう。ちょっといい?」
マリアは慌てて姿勢を整え、首を傾げてみつめ返した。
「レオンさん、おはようございます。どうかしましたか?」
その仕草にレオンは一瞬だけ、言葉を忘れたように沈黙。
(……かわいい)
(さっきの上目遣いも反則だろ)
(落ち着け、表に出すな)
微笑みを保ったまま尋ねた。
「さっき、少し顔色が悪く見えたんだ。無理してない?」
マリアはぱち、と瞬きをする。
「え……そ、そうですか?大丈夫ですよ。本当に」
レオンの瞳が、ごくわずかに細められた。
優しさと気づきの鋭さを併せ持つ目。
「そっか。君がそう言うなら信じるよ。でも、何かあったらすぐ言って。マリアが困るのは嫌だからね」
「ありがとうございます」
胸がほんのり温まり、マリアはふわりと微笑んだ。
レオンの想いに気付く様子はない。
レオンは静かに微笑み返し、背を向ける。
「じゃあ、また後で」
朝の光の中を、すらりとした背中が歩き去っていく。
──そのすれ違いに。
ギルドの扉が、空気を切り替えるように静かに開いた。
黒い長衣。
長身。
歩くたび、周囲の空気が変わる。
昨日より、わずかに鋭い雰囲気をまとったカインが歩みを進める。
周りの冒険者がひそひそと声を潜めた。
「なんか今日のカインさん……怖くね?」
「いつももっと余裕ある感じなのに」
「深層で何かあったのか……?」
マリアの心臓が跳ねる。
カウンターの下で、ぎゅっと手を握りしめた。
カインは迷いなく、情報窓口へ向かう。
「昨日の……あれ。あの留め具、誰のか分かった?」
落ち着いた声。
けれど、微かな焦りが滲む。
職員は首を振る。
「分かりません。ダンジョンで落としたのでしたら、落とし主ももう諦めたのかと……」
「そっか」
短く返す声。沈む目元。
窓口に手を置き、低く訊ねる。
「……天使、無事なんだよな?」
「はい。他の職員も確認を──」
そのとき。
カインの視線がふっと泳ぎ、ゆっくりとギルド内を探るように動いた。
(……!)
マリアは咄嗟に書類に顔を落とし、気配を極限まで小さくする。
カインの視線が、彼女の窓口の近くをかすめ──
止まるかと思わせて、また離れた。
ほっと息を吐く。
だが安心する間もなく。
職員との会話を終えたカインは、出口へ行かずに方向を変え、ゆっくりと受付へ向かってきた。
マリアの喉がきゅっと詰まる。
(……うそ。なんでこっち……)
マリアが必死に平静を装う中、カインが窓口に立った。
「悪い。手続き、頼んでいい?」
落ち着いた声。
しかし昨日より、ほんの少しだけ硬い。
「はい、少々お待ちください」
震えを抑えながら手元を動かすマリア。
カインはじっと彼女の腕──制服の袖から覗く、包帯に目を向けていた。
その視線の熱さに、ピクリと反応してしまう。
書類を受け取りながら、カインがふっと低く言った。
「……ここ最近、怪我人多いよな。深層の。……そういう無理するの、見てられないんだよな。
あんまり無茶されるとさ、気が気じゃなくて」
(…冒険者たちのことよね……?そのはず…)
顔が上げられない。
カインは少し身を屈めた。
「……大丈夫か?さっきから顔色悪いけど」
近い。低い声。
「だ、大丈夫です。問題ありません」
その様子を暫く見たあと、カインは視線を逸らし、軽く息を吐く。
「……そ。あんたも無理すんなよ」
そう言って出口へと歩いて行った。
マリアはそっと椅子に手をつき、息を吐く。
(……なんで。なんで……あんな……)
胸が落ち着かないまま、鼓動だけが速くなっていった。




