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(逃がさない)無自覚ガチ恋S級冒険者が、バレたらおわりな天使の正体にじわじわ迫ってくる(たすけて)  作者:
第2章

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⑨光に堕ちる

「嘘?」

 訝しげに首を傾げられる。


 涙に濡れた瞳は、怒りとも悲しみともつかない色で、どこか虚ろに揺れていた。


「そんなふうに言っても……あの時みたいに、私を探してくれないじゃないですか……」


 深層で、命を賭けて自分を追いかけてきた、あの熱。

 あれが胸に蘇るたび、焼けるように痛むのに。


「……あの目も……あの声も……もう私には向けてくれないか…ら…」


 唇が震え、言葉が止められない。

 胸の底に溜め込んでいた黒い塊が、ドロドロと溢れ出てきてしまう。


「なのに……街では女の人に囲まれて……あんなふうに笑って……困ってるふうでもなく、余裕で、ちゃんとは断らなくて……」


 カインの睫毛が、瞬きにそっと揺れる。

 その瞳はじっとマリアを見つめていた。


「あなたは……私を暴いたんです。……“見つけた”って……言ったじゃないですか……」


 言いながら胸元を掴む指に、ぎゅっと力がこもる。


「……私は……あなたに……捕らわれたんです……。あなたが結んだんです、私の身も心も……っ」


 一度息を吸うが、空気が肺に入らない。


「なのにいまは、淡々としていて……。前みたいに追いかけてもくれなくて……。まるで……もう私には、用がないみたいで……」


 黒く重い感情が溢れて止まらない。そしてついに、それは形を成して口から零れた。


「カインさんは……もう私と結ばれたのに……っ。あなたのせいなんです!なのに……どうして……っ!」


 言ってしまった。


 その瞬間、マリアは自分の口を手で押さえた。

 これではまるで、関係を迫っておきながら責任を取れと迫る毒婦だ。


 顔色がさっと失われ、大きく後ずさるようによろめく。


「ごめ、……や……やだ……違……っ」


 腰が崩れ落ちる前に、カインの腕がマリアの体を引き寄せた。


 その時、マリアの胸元から――コトリ、と小さな音をたてて何かが転がり落ちた。


 ――琥珀色のブローチ。

 カインは目を丸くし、手を伸ばしてそれを拾い上げた。


 その瞬間マリアが腕の中から逃げ出そうともがいた。

 しかし逃がさないというように、でも痛くないように、確実に抱きとめられる。


「マリア」


 カインはそっとマリアの頬の涙を親指で拭い、屈み込み視線を合わせた。

 いやいやと首を振り逃げようとするマリアに、「聞けよ」と耳元で低く優しく囁きかける。


「お前がしてきたことは、ひとつ残らずちゃんと本物だ。そのおかげで無事に帰還して明日を迎えられたやつや、心が救われたやつも大勢いる。」


 あたたかくて、胸の奥まで溶かすたいに。


「ずっとひとりで頑張ってきたんだろ。誰にも言わず、怖いのを押し込めて。その勇気が、多くの人間を救った。それだけは揺るがないし……間違いだったなんて、絶対に言わせない。」


 カインは揺れ動くマリアの瞳を真剣に見つめた。


「……お前からスキルを奪ったことは、悪いと思ってるよ。だけどな、それ以上に、そんな小さな身体で、これ以上危険なことをして欲しくなかったんだ。」


 マリアは目を見開き、カインの目を見つめ返す。


「もう、一人で背負わなくていい。この街には俺がいるから、深層のことなら任せとけ。

 だからこれからは、ありのままのお前でいいんだ。危ない所に行かなくても、ちゃんと皆を支えてる。その力は罪なんかじゃない。……誰かを救ってきた証だよ。」


 その言葉が胸に染み渡った瞬間——張り詰めていた糸がふっと切れた。


 マリアは両手で顔を覆い、耐えようとしても耐えきれず、喉の奥から嗚咽がこぼれ落ちた。


「ごめ……、なさい……っ……本当にごめんなさい……っ」


 カインはその震えを胸に受け止め、離さないでいてくれる。

 背をさする手の強さは、宥めるように、甘やかすように一定で。


 その抱擁の中で、マリアの絶望だけが静かに深まっていった。




 ――




 ほんとうは──分かっていた。


 どうしようもなく惹かれていたことも。


 どれだけ胸がざわついても届くはずがないと、勝手に諦めていたことも。


 どんなに真剣な眼差しで探されても、いくら心から案じられても、それは「深層の天使」であって“私”ではないと思い込み、そんな幼い抵抗で、必死に心を固く閉じていた。


 ずっと独りだった。


 母のようにはならないと、運命に逆らい続けるうちに家族の中でも浮いて


 この仕事に誇りはあっても、誰にも知られず命の危険に晒されるたび、気づけば心はすり減っていた。


 ……それなのに。

 名前で呼んでくれた。

 影の奥に隠した、本当の“私”を。

 追いかけてきてくれた。

 逃げても逃げても、絶対に手放さないというように。

 私をみつけて、存在ごと抱きしめてくれた。

 姿ではなく、震える心そのものを捉えるように。


 今もあなたは、私の罪をまるで大したことではないと言うみたいに、その逞しさで軽々と押し返して、なかったことにしてくれた。

 私ひとりでは到底抱えられなかった重さまで、当然のように肩を並べて持ってくれる。


 あなたは、ずっと暗い場所に立ち尽くしていた私に射してきた、ただ一つの光だ。

 眩しくて、触れれば温かいのに、寄り添ってくれるようでいて——どうしようもなく遠い。

 伸ばした手が届きそうで届かない、その距離が、胸の奥をいっそう軋ませる。


 本当は、最初から捕らわれていた。

 天使ではなく──私を捕まえたと告げられたときに全て。

 そして、いままでの孤独や不安に押しつぶされそうになりながら立っていた私の存在ごと、包み込むように認めてくれて、感謝をくれたとき。


 胸の奥に押し込めてきたすべてが、一気に決壊した。


 その隙間を埋めるように広がったのは、深い安堵と、震え上がるほどの喜びだった。


 もう抗えなかった。

 抵抗なんて、今思えば、本当に愚かなことだ。


 ずっと、私に微笑んでくれていたのに。

 その暖かく、情熱を秘めた瞳が、最初から私だけを捉えていたのに。

 手遅れなその事実に今さら気づいて、余りの愚かさに後悔が胸を締めつける。


 そして同時に、心の均衡を侵食するような黒い感情が、静かに湧き上がって、傾いていくのを感じた。


 それでも、もう拒む気にはなれなかった。

 視界が赤く染まり、心が汚泥に沈んでいく。


「カインさん……」


 あの時、手を伸ばせば届いたかもしれない。あれ程近い距離にいたのに、貴方にもうこの手が届かないのだとしたら。


 もしも、誰かに、あなたを──奪われるのだとしたら。


「……カイン」


 ……私は。


 どんな手を使っても。


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