⑥波紋
街中の至る所で鳴っていた緊急招集のベルがようやく静まる頃、冒険者たちが次々とギルドへ駆け込み、怒号と足音でロビーが満たされていった。空気は一気に張りつめ、誰もが息を呑む中——唯一、そこにいるはずの最高ランクの姿は見当たらない。
「……カインはどこだ?」
ざわつきを割るようにロガルドの低い声が落ちる。
「それが……さっき俺らの焦った様子見て、『ただならない空気だな』って声かけてきて……!状況を慌てて説明したら、聞き終わる前にダンジョンの方へ走っていったんだ。もうとっくに現場に突っ込んでるかもしれねぇ!」
その報告にロガルドの表情が一瞬だけ揺れ、すぐに決断へと変わる。
「……ならA級以上、揃った者から即座に突入!B級は入り口周辺で待機して、負傷者の救護を最優先だ!急げ!」
床板を震わせるほどの駆け出す音が連続し、冒険者たちが一斉に出口へ向かっていく。熱気と緊張が渦巻くロビーの空気が、ざわりと揺れたその瞬間——その喧騒と入れ違うように、一人の男がギルドに入ってきた。
「ロガルドさん。呼び出しと聞きましたが、状況は?」
静かな声。魔物生態研究室の責任者にして、マリアの父——ゼクト。
「……ああ、来たか。」
ロガルドが短く答える。
「ダンジョンの浅層で、深層に棲むはずの竜が確認された。魔物生態の専門家として、お前の意見が欲しい。……執務室へ来てくれ、ゼクト」
名を呼んだ途端、マリアの肩がかすかに跳ねた。
ゼクトの瞳が、静かに娘へ向く。その目はただ状況を測り、何かを確信したような静けさを湛えていた。
「……なるほど、竜が。」
淡々と呟き、ロガルドへ向き直る。
「でしたら、マリアも同席させても?」
「……何か関係があるのか?」
「仮説ですが。おそらくは」
ロガルドは短く頷き、マリアを促した。
マリアは不安に揺れる息を押し殺しながら父を見上げる。
三人はそのまま、ギルド長室の奥へと消えていった。
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「原因は——魔素濃度の低下に伴う“縄張り争い”だと考えます。深層の魔物は濃度の高い魔素域を好む。そこが揺らげば、より力の弱い個体から追い出される」
淡々とした声。だがその説明は、まるで既に答えを知っている者の落ち着き方だった。
「争いに敗れた若い竜が、安定した場所を求めて浅層まで逃げてきた……その線が最も濃厚でしょう」
そこで、ゼクトの視線がゆっくりマリアへ向けられた。冷たさでも優しさでもなく、ただ事実を告げる者の眼差し。
「——マリア。お前の隠密スキルは、発動時に周囲の魔素を取り込む性質があるのは知っているな。普段の環境なら問題にはならない程度だ。
だが、深層のような危険地帯では……強度が上がり、緊張で無意識に何度も貼り直した結果、通常より多くの魔素を消費することになる」
マリアは、時が止まったように固まった。
「そして例の手紙を書く時に、祈っていただろう。祈りは魔力を消費する行為だ。人間一人の祈りでは微々たるものだと知られているが……深層の濃い魔素地帯で行った場合、魔素の均衡を乱す可能性が絶対にないとは言えない。危険な場所で連続してスキルを使い、さらに祈りを重ねれば……局所的に魔素が薄くなるほどの力になる、という仮説は成り立つ」
その瞬間――マリアの長く張りつめていた心の支柱が、音もなくぽきりと折れた気がした。
(私のスキルで…?何度も祈った、みんなが無事でありますようにって。それが魔素を、薄くした……?)
呼吸が浅くなる。
(じゃあ……竜の、縄張り争いの原因、は……)
ひくりと喉が鳴り、思考が冷たい硬さを持って沈んでいく。
ロガルドが低い声でマリアの名を呼んだが、それは届かなかった。




