④包容
深層の闇を裂くように、三ツ目の狼型魔物が三方向から同時に飛びかかった。
唸り声が混じり合い、石床が爪の軌跡で削れる。
カインがそちらにチラリと視線を向ける。
次の瞬間——彼の足元で空気が跳ねた。
一歩踏み込むごとに、刃が風と一緒に滑り出す。
一閃。
左から飛び込んだ魔物の首筋が、正確な角度で断たれる。血飛沫すら散らせない切れ味。
二閃。
右の影へ逆手で斜めに返すと、魔物の体が崩れ落ちた。
三閃。
正面の牙が触れるより先に、喉元が岩壁に縫い止められていた。
それでも、彼の呼吸が乱れた様子は無い。
体さばきは獣のようにしなやかで、動作のすべてが必要最小限で、無駄がなかった。
——その刹那。
背後の闇が、赤い光を孕んだ。
別の魔物が、口腔の奥で火炎を爆ぜさせ、炎の奔流を放つ。
轟ッ、と深層が焼ける音。
カインの踵が、音もなく返った。
振り向きざま、剣が軌跡を描く。
風が唸るほどの斬撃——。
炎が、切り裂かれた。
火炎は二つに割れ、カインの両脇を抜けて石壁へと焼け落ちていく。
怯んだ魔物が足をすくませた、その一拍。
カインの姿がふっと溶けて消える。
視界から消えるほど速く。
次に現れたのは、魔物の背後。
静かに、迷いなく、刃が急所を貫いた。
魔物は呻き声も上げられずに崩れ落ちた。
剣についた熱をひと振りで払い落とすと、カインはふっと動きを止めた。
ついさっきまで魔物を斬り伏せていた、静かな殺気に満ちた気配が、綺麗に霧散する。
動かなくなった魔物たちに目を向けることはなく、代わりにその視線は、無事を確かめるようにマリアの潜む影へと向けられた。
「……終わり。怪我はないな?」
柔らかく包む音色。
その目は、影越しでもまるで、こちらの瞳をまっすぐ捉えているかのような確かさで見つめていて。
「…はい」
影からそっと姿を現した瞬間、カインの眼差しがふわりと柔らいだ。
——
2人の道中は、驚くほど順調だった。
カインが魔物の気配に即座に反応し、
危険な通路では自然とマリアを庇う位置に立ち、
歩幅はいつの間にかマリアのペースに調整されている。
マリアが足をもつれさせれば、ふわりと支えられ、
叱るでもなく、笑いながらも心配する。
ぬかるみでは手首をそっと導かれ、
息が乱れたのに気づけば優しい声で休憩を提案してくる。
質問すれば、いつも通り穏やかに答え、時々わざと冗談めかして笑わせてくる。
声は軽いのに、動きのすべてが、守るためだけに研ぎ澄まされていた。
その優しさに触れるたび、カインに守られているという安心が、気づけば当たり前のように胸に根づいていく。
心を塗りつぶされそうな暗闇の中を、ひたすら歩くようだったいつもの慣れたはずの道のりも、彼と進むと全く別のもののように思えた。
(……こんなふうに守られるなんて)
初めての感覚に戸惑いながらも、どうしようもなく心がふわりと温かく満たされていく。
彼の何気ない仕草ひとつで、胸の奥に固く沈んでいたものが、ゆっくりとほどけていった。




