②不安
あれから数日。
人もまばらになり、静けさが戻ったギルド窓口で、マリアはそっと息を吐いた。
あれほど“天使”の情報に敏感だったカインが、ここ数日まったく姿を見せなくなった。
情報窓口にも、受付にも。
まるで、あの日までの熱は――気のせいだったかのように。
……もう、心配ではないのかもしれない。
正体を知ってしまったから。
――その正体が、ただの『マリア』だったから。
胸の奥に、冷たいものが落ちていく。
そんなとき、ふと頭上から影が落ちた。
つづけて――
「最近、無理してない?」
優しい声が、耳に触れた。
心臓が跳ねる。息が止まる。
…カインさん。
(……久しぶりに、声をかけられた)
「はい…、大丈夫です」
答えながらも、喉の奥で別の言葉がひっかかる。
本当は、頼みたいことがある。
だけど断られたらと思うと、口が塞がる。
(最近……私のことなんて気にもしてないのかもしれないし……)
そんな小さな変化を、カインは見逃さなかった。
「……ここじゃ言いにくそうだな?」
少しだけ首をかしげ、思案する仕草。
低く抑えた声が、耳の奥に落ちる。
「場所、変えるか」
押しつけるようでもなく、そっと背中を押してくれる。
そんな気遣いが胸に沁みて、マリアは小さく頷いた。
――
店の扉をくぐった瞬間、心地よいざわめきがふわりと耳に広がった。
静かすぎず、騒がしすぎず。食器が触れ合う軽い音、遠くのテーブルから弾む笑い声──
上質な空気を保ちながらも、温かさのある店だった。
「カイン様、いらっしゃいませ」
店員たちの声に、親しげな色が混じる。
この店が彼の常連の場所だとすぐわかる。
カインは軽く手をあげ、ひと言、ふた言、店員と交わす。
その横顔を、なんとはなしに見つめた。
「ご案内します」と進み出た女性店員に導かれ、
ランプが優しく揺れる半個室のテーブル席へと向かう。
席につくと、カインが横顔のまま問いかけた。
「ここなら言えそう?」
密室ではないが、外のざわめきがちょうど会話を隠してくれる。
——言いづらい相談事にも配慮した席。
その心遣いが胸に沁みて、マリアは小さく微笑む。
「ありがとうございます」
「苦手なもの、ないか?」
ふるふると首を振ると、カインは数点注文を告げた。
その途中で、ふとマリアを見てニッと笑う。
「奢りだから遠慮なく食べな?」
悪戯めいた光を宿して、目を細める。
少しの子どもっぽさを含んだその笑顔に、マリアの心がまたざわつきながら、感謝の言葉を告げた。
そのとき、不意に視線を感じてマリアはそちらを向いた。
女性店員と目が合う。
不躾なものではなく、すぐに視線を伏せ、丁寧に一礼して去っていく。
けどほんの一瞬だけ、マリアは感じてしまった。
──誰何の疑問。
──そして、かすかな嫉妬の色。
(……こんなに気遣いができて、かっこよくて。それに、ほんのひと握りしかいないS級なんて、きっと積み重ねた努力の結果で……人気があるのなんて、当然なのに)
胸の奥のざわめきがまた広がる。
なぜ…?と落ち着かないこの感情の名前を探そうとした瞬間、
「やめておいた方がいい」と本能が止める。
やがて料理が運ばれ、温かな香りが席を満たした。




