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(逃がさない)無自覚ガチ恋S級冒険者が、バレたらおわりな天使の正体にじわじわ迫ってくる(たすけて)  作者:
第2章

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プロローグ

 秋の風がくすぐるように流れる街の通り。

 商店街のざわめきは明るいのに、マリアの胸の奥だけはどこか沈んでいた。


(昨日のこと、思い出しただけで……自分が分からなくなって変になりそう)


 足を進めながらも、心はずっと深層に置き去りのまま。

 人の多い通りなのに、世界の音がずっと遠く聞こえる。


 あの瞬間――

 影に隠れていた自分を補足し、手首を掴むでも腕を引くでもなく、

 ただ逃がさない距離で壁際に閉じ込めたカイン。


 耳に吐息が触れそうな距離の、低くて甘い声。

 額から頬へ触れた、熱い指。


 視界の端で、自分を包んでいた薄膜が、ひらりと光の粒になって解けていくあの感覚。

 そして――スキルが崩れ落ち、露わになった自分を見つめていたあの目。


 獣じみて鋭いのに、抑え込んだ激情が奥で静かに燃えていて、

 なのに、傷ひとつない自分を確認して、ほんの少しだけ緊張が溶けたように見えた。

 そんな安堵と、やわらかな優しさが混ざった強い眼差し。


 あのとき、低く絞り出すみたいに落とされた声が脳裏に蘇る。


 ──「捕まえた」


 そして、そのあとに感じた、熱い体温。


(……っ)


 思い出しただけで、マリアの肩がびくりと震えた。

 その小さな仕草が、通りすがりの男たちの視線を自然と引き寄せる。

 けれどマリアは気づかない。


 足を止めた瞬間、胸の奥に重たい波紋が落ちる。


 あのとき、混乱に呑まれた自分が何か言おうとした時――

 ほんの一瞬、彼の腕が強く自分を抱き寄せて。


「……から」


 小さすぎて意味すら分からない声。

 マリアが聞き返そうと、小さく顔を上げる。


 しかし次の瞬間には、カインはいつもどおりの落ち着いた様子に戻っていた。


 上から落ちる苦笑。


「なんてな。とって食うわけじゃないから、そんなに泣くなよ」


 指の腹でそっと涙を拭われる。

 その動きはとても優しくて。


 その時にはもう、彼はいつもの穏やかな眼差しだった。

 …まるで、何事もなかったかのように。


(あれは、なんだったんだろう。あんなふうに追ってきたのに……)


 それまで感じていた身を焦がすような熱は、気のせいだったのだろうか。


 そんな疑問だけが胸の中で渦になり、重く沈む。


 その時。


「マリア」


 名前を呼ばれて、ハッと顔を上げる。




「レオン……?」


 軽快な足取りで駆け寄ってきたレオンは、街の雑踏の中でもどこか華があって、すぐ周囲の視線を引き寄せる。

 それでも真っ直ぐマリアを見つめ、柔らかく微笑んだ。


「今からギルド?ちょうど俺も行くところ。一緒に行こう」


「……ええ」


 返事はできたけれど、声は少し沈んでしまう。


「どうしたの?そんな顔して。無防備すぎるよ、マリアは」


 レオンがちらりと横目で街の人々を牽制する。

 男たちの視線がすっと逸れた。


 けれど彼女にはその言葉の意味が分からず、

「……?」と小さく首をかしげるだけだった。


 秋風が吹き抜ける。

 二人の影が並んで伸びていく。


(……本当は、誰に声をかけられたかったんだろう)


 胸の奥が、きゅう、と痛んだ。

 まだ言葉にならないその正体から目をそらすように、マリアはまた前を向いた。


 そして、ふたりの背中は、夕日へ向かうように静かに街の中へ消えていく。


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