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(逃がさない)無自覚ガチ恋S級冒険者が、バレたらおわりな天使の正体にじわじわ迫ってくる(たすけて)  作者:
第1章

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⑫侵食

 鼓動が激しく鳴り、か細い息を吐き出す。


 熱を孕んだこちらを射抜く瞳。

 明確に存在を認識して伸ばされた手を、どこか他人事のように呆然と見つめていた。


(……こ、んなの……逃げられない……)


 でも、どうにか逃れなくては。


 奮い立ち、隠密を最大値まで張りなおして一瞬の隙に影から飛び出す。

 しかし、音も気配も限界まで削ったはずなのに、背後の足音が追いかけてくる。ゆったりとしたそれは、しかし獣が獲物を逃すのを許さないような、逃げれば逃げるほど距離を詰めてくる足音。


(やっぱり居場所がばれてる…。どうして……っ)


 息が苦しい。

 走れば走るほど肺が焼けるみたいに熱いのに、心臓は逆にふわっと浮くような甘い痛みをかすかに混ぜてくる。

 そして心の奥がじん、と熱くなることに陶酔を感じてしまったことが、何より怖かった。


 その時、通路の先を見て息が止まる。

 行き止まり。

 逃げ切れない。


 振り返る間もなく、背後から……柔らかく包み込むように空間を囲われた。

 触れられていないのに、背中越しに感じる体温。壁についた両腕に逃げ場を失う包囲。

 周りの空間すべてが彼の存在で満たされていく。


(…っ…このままじゃ、もう……)


 背中に落ちる影が深くなる。

 ぎゅっと目を瞑る。


「……どうする。まだ逃げる?」


 囁く耳にかすめるほど近い、低く甘い声。

 その響きが全身を震わせ、膝から力が抜ける。


(やだ…いや…崩れちゃう……)


 カインの腕がゆっくりと上がる気配が背後から伝わる。

 いやいや、と首を振り逃げようとしても、赦さないというように包囲する気配は解けない。

 呼吸がつっかえて、声にならない。


「そんなに怖がんなよ。」


 その苦笑混じりの声に、全身が熱くなる。

 指先が髪に触れた。

 ひとすじをすくう、ゆっくりした動き。


 全身にしびれが走る。

 隠密の力がひび割れるように揺らぐ。

 髪から耳へ。

 耳から輪郭へ。

 頬へ。


 熱い指が、そっと包むように“触れた”。


 その瞬間、何かがひび割れた。


「……っ……!」

 鼓動が痛いほど一気に跳ね上がる。

 触れられた場所からこぼれる熱に、身体の奥がふわりと溶けていく。

 逃げなければ、と頭の奥で警告が鳴る。なのに逃げるより、ただこのまま触れてほしいという願いが胸の底からじんわり広がる。


 その矛盾に自分自身が気づいた瞬間、

 影は大きく震えた。

 信じられない思いで、頬へ添えられた手の温度を感じつつ、ゆっくりと振り返る。


 そして。


 低く、甘く、熱を帯びた声が、深層の静寂に落ちてきた。



「──マリア」






 影を包む力の膜が、熱を受けたように震えた。

 繊細なガラスが砕けるみたいに、光の粒がふわりと散る。

 パリン、と空間がひび割れ、視界の前に“彼女”の姿が静かに現れた。


 大きな瞳を呆然と見開き、

 頬は熱を宿したように赤く染まり、

 息が乱れた唇をかすかに開いたまま──


 そこに、マリアがいた。


「……っ……あ……」


 マリアは喘ぐように息を吐き出し、見られた…『看破』された事実に、頭が真っ白になり、その瞳に涙があふれる。


 睫毛が震え、息が浅くなり、カインの胸の中に崩れ落ちた。


 大切に抱きとめたカインは、ただゆっくりと口角を上げる。

 余裕と危険を同時に孕んだ、低い男の笑み。


「……ああ。これだ。この気配」


 アイスブルーの瞳が細められる。

 獲物を見つけた猛獣のような光。

 その奥では、隠しきれない喜びと独占欲が静かに沸き立っていた。


「……やっぱり、お前だよな」


 マリア、ともう一度囁かれる。

 喉の奥に甘い熱を含んだ声。

 影の中を、何度も何度も追い続けてきた光に、ようやく触れた者だけが持つ確信をゆっくり噛みしめるような響きだった。


 マリアは息を呑む。

 胸が痛いほど跳ねる。

 運命に飲み込まれる音が聞こえた気がした。


 背中には岩壁。

 前には、逞しい腕と熱を帯びた視線。

 逃げ道は完全に塞がれている。


 息が触れ合う距離。

 こんな状況で、こんなふうに見つめられて、冷静な思考を取り戻せるはずがない。


 マリアの瞳が揺れる。

 絶望の奥に、甘さと苦しさがせめぎ合い、

 やがて混ざりあって、容赦なく胸を支配していく。


 その揺らぎを──

 カインは一つ残らず見逃さなかった。

 むしろ、その様子をじっくりと確かめるように、嬉しげに目を細める。


 そして、低く甘い囁きで告げた。


「──捕まえた」


 静かで優しいのに、

 逃げることなど最初から許さない、獰猛な宣告だった。


 絶望と、歓喜に似た多幸感。

 その両方に押し流されて、

 マリアの瞳から涙が、静かに零れ落ちた。


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