「普通」とは何か
あなたは『普通』という言葉をどれくらい使っていますか?普通という表現について考えたことはありますか?
『普通』とは、この言葉を発した人が認識している世界の一般常識を指していると私は思います。
「世界」という場所(土地)は一つですが、人の数だけ世界の見方はあり、人それぞれ認識している世界が違います。ですから、「普通」という言葉を使ったコミュニケーションにはズレが生まれやすいのです。
もう少し詳しく言うと、日本に暮らす私たちが思う「世界」とアメリカに暮らす人たちが思う「世界」では、「普通」という一般常識に違いがあります。そのため、違う国の人に「普通にして」と伝えても意図は伝わりません。
なぜなら、お互いの認識している世界に違いがあるため、「普通」という抽象的な言葉を言われた相手は、その意図を独自に解釈するしかありません。このようにして生まれた認識のズレは対人関係に致命的な問題を起こします。
このズレは同じ国に住む人同士ですら起こります。「普通にして」という言葉を相手に投げかけると、相手は独自に解釈するしかありません。なぜなら、「普通」という言葉は、何らかの基準に基づいた常識的で絶対的な言葉のように聞こえますが、解釈が相手に委ねられているという点を踏まえると、実際は非現実的で空虚な言葉だからです。
特に悩んでいる子どもに「普通」と言ってはいけません。子どもは経験が足りず、独自の「世界」がまだ構築されていない上に、脳も未成熟なため、抽象的な言葉を解釈できるほどの力を持っていません。悩んでいる子どもからすると、「普通」という言葉は、悩みを突き放し、否定する残酷な言葉に聞こえてしまいます。決して使ってはいけません。
結局のところ、「普通」という言葉を多用する大人も、「普通」というものがわかっていない上に、思っていることを伝える表現力が足りていないと私は思うのです。
私たちは日常的に言葉を巧みに使います。しかし、言葉を使ったコミュニケーションは、「相手が意図を汲み取ってくれる」というサポートがあってこそ、円滑に成り立つものです。
そう言った事を踏まえると「普通」という言葉は、私たちが誰かの力を借りて生きているという事実を白日の下に晒すための言葉なのかもしれません。
もし、白日の下、やり直しの機会が生まれたのなら、具体的な言葉で相手に自分の考えを伝えられるといいですよね。