『共鳴』
森は、静かだった。
夜の空気が重く、肌にまとわりつく。
僕は、理由もなく足を止めた。
「……リア」
隣を歩いていたリアも、同時に顔を上げる。
その表情に、同じ違和感が浮かんでいた。
「うん……いるね。しかも、普通じゃない」
その瞬間だった。
――ぞくっ。
胸の奥が、勝手に震えた。
〈……なに、これ……〉
怖さとは違う。
怒りでもない。
なのに、内側から引き寄せられる感覚。
【あは……】
頭の奥で、弾むような声が響いた。
【なにこれ。すっごく、楽しい】
「……ノクシア?」
僕が小さく呼びかけると、
内側の存在は、はっきりとした楽しさを滲ませる。
【ねえ、ノク。これ、初めての感覚だよ】
【向こうから――“呼んでる”】
森の奥から、少女が現れた。
フードを深く被り、顔を伏せている。
小さな体。
けれど、足元には黒い影が絡みつき、
生き物のように蠢いていた。
「……来ないで……!」
少女の声は、震えていた。
その瞬間、胸の奥が、どくんと跳ねる。
【ほら】
ノクシアが、愉しげに笑う。
【あっちにも、いる。悪魔。
しかも、必死に押さえ込んでる】
僕の腕に、じわりと熱が広がる。
制御していたはずの力が、勝手に反応し始めた。
「……やめろ、ノク……!」
【無理無理】
【だって、ワクワクしすぎて……
止まらないんだもん】
その時、リアが一歩前に出た。
「あなた、大丈夫?
私たちは――」
言葉の途中で、少女の影が跳ね上がる。
「……っ!!」
地面が揺れ、闇が広がった。
少女は必死に胸を押さえ、叫ぶように口を開く。
「……っ、だめ……だめ……!」
そして――
彼女は、歌い始めた。
震える声。
音程も不安定。
それでも、それは必死に思い出した歌だった。
子どもの頃。
誰かと一緒にいた記憶の中の歌。
影が、ほんの少しだけ縮む。
「……一人で、抑えてる……」
思わず、僕の口から言葉が零れた。
【健気だねぇ】
ノクシアが、くすくすと笑う。
【でもさ……それ、壊れる寸前だよ】
次の瞬間、
視界が、赤く染まった。
【あはは!これ、最高……!】
力が、溢れ出す。
「……っ、ノクシア!!」
【初めてなんだもん。
こんな共鳴。楽しまなきゃ損でしょ】
身体が、言うことを聞かない。
リアが、歯を食いしばる。
「……仕方ない」
彼女は、一歩だけ前に出た。
その視線が、ほんの一瞬だけ僕に向けられる。
励ましじゃない。
――これから起きることを、共有するための目だった。
リアは、静かに目を閉じる。
胸の前で、両手を重ねる。
指先が、わずかに震えた。
〈……今だけ〉
自分の内側を、静かに“開く”。
空気が、変わった。
森の音が遠のき、
澄んだ流れのような感覚が、場を満たしていく。
淡い光が、リアの背後に滲み出す。
形はない。
それでも、背中に確かな重さが宿った。
まるで、見えない翼を預けられたような感触。
「ノクシア」
リアの声は、強くない。
命令でも、叱責でもない。
「……休みなさい」
【えー?】
ノクシアが、不満そうに声を上げる。
【やだよ。今いちばん楽しいのに】
内側で、力が跳ねる。
胸の奥が熱を帯び、視界が揺れた。
【ねぇねぇ、これさ……
初めてなんだよ?こんな共鳴】
光が、さらに強まる。
【……ちょ、まっ――】
最初は、効かなかった。
ワクワクが、勝っていた。
リアは、動かない。
押さえつけない。
止めようともしない。
ただ、静かに――
流れを保つ。
光が、脈を打つ。
でも――
少しずつ。
【……ん……?】
ノクシアの声が、鈍くなった。
【……あれ……身体……重い……】
リアの詠唱が、静かに続く。
力で縛る魔法じゃない。
溢れすぎた衝動を、眠りへ導く光。
【……次……また……】
その声は、波に溶けるように遠のいていった。
同時に、僕の足から力が抜ける。
「……はぁ……っ」
膝をつき、荒く息を吐いた。
世界が、ようやく元に戻る。
リアは、目を閉じたまま、
最後まで立っていた。
背中の“重さ”が、ゆっくりと消えていく。
――借りていた力を、返すように。
視界が、完全に戻る。
少女は、まだ歌っていた。
声は枯れ、涙が頬を伝っている。
それでも――
影は、完全には消えない。
顔を上げた瞬間、
彼女と、目が合った。
怯えきった瞳。
「……来ないで……」
僕は、首を振った。
「……行かない」
それだけ言った。
一瞬、迷うような沈黙。
そして――
少女は、歌を止めた。
「……ごめんなさい」
そう呟き、
影を引きずるようにして、森の奥へ走り出した。
「待っ――」
声をかける前に、
彼女の姿は、闇に溶けた。
静寂。
リアが、そっと息を吐く。
「……逃げたね」
僕は、俯いた。
「……うん」
胸の奥が、ざわついている。
眠りについたノクシアが、微かに笑った気がした。
【……次は……もっと……】
その声が、嫌に残った。
僕は、分かってしまった。
――また、会う。
今度は、
もっと深く、引き合う。
森の夜は、何も答えなかった。




