【ショート小説|セルロラ視点】
天界には、
ひとつの禁忌があった。
それは――
“重さ”を持つ天使。
天界は空に浮かぶ世界。
そこではすべてが軽く、
すべてが秩序の中にある。
だが、まれに生まれる。
地に引かれる力。
感情に引かれる力。
――重力。
重力を持つ天使は
世界を沈める存在と呼ばれた。
なぜなら、
その力は
大地を呼び
感情を呼び
秩序を壊すから。
天界の宗派は決めた。
重力を持つ者は、堕とす。
それが
世界を守るための秩序だった。
しかし――
一人の女は
その秩序を否定した。
彼女の名は
セルロラ。
これは
重さを持つ少女と
その罪を背負った女の
静かな戦いの記録である。
――重さを抱く子に、居場所を与えた罪
天界で起きた争い。
重力を持つ天使の粛清。
“秩序を沈める存在”を許さない宗派の狂気。
落とされたその子は、
涙さえ奪われていた。
泣くことは、感情がある証。
天界は、それすら否定した。
ただ、生きるために――堕とされた。
•
地面に血の跡が続いていた。
指一本動かすだけでも激痛が走るほど、
その身体は限界を超えていた。
私はその姿を見下ろし、思った。
(……なんて、馬鹿げた話)
力があるという理由だけで、
命を踏みにじる世界など、私の知る「秩序」ではない。
彼女の胸の奥では、
まだ重力が震えていた。
生きたいと訴えるように。
私はその震えに手を添えた。
「あなたには、力があるのね」
憐れみでも同情でもない。
選択を与えるための言葉。
「なら、生きなさい。
居場所は、私があげる」
その一言で、
私は 一つの戦いを始めた。
天界と、世界と、そして――
彼女の未来と。
•
奇跡的に目覚めた彼女は、まず私に尋ねた。
「私は……なぜ、生きていますか」
か細い声だった。
存在そのものを否定され続けた子の声。
私は即答できなかった。
救った理由を言えば、彼女をまた傷つける。
だから私は、
“解釈できる未来”を与えた。
「あなたは私の剣。
この国の影として働きなさい」
暗殺、潜入、諜報。
泥と血の中で、感情を殺して生きる術。
私の元にいる限り、
天界は彼女を見つけられない。
彼女は理解していた。
いや、理解した「フリ」をした。
「私は道具です」
そう言い切ることでしか、
自分を保てないことを、分かっていながら。
私は彼女を守るために、
壊す道を選んだ。
•
地下はいつも冷たかった。
湿気と血の匂いに満ちた暗い迷路。
チカはそこを、
誰にも触れさせない影として歩いた。
足音は、命令に従うだけの音。
心は――どこにもなかった。
そして私は、
その音を 必要だと信じ込むしかなかった。
(あなたの心を捨てさせてしまっているのは……私)
それが唯一の生存方法だとしても、
私は――彼女を道具にしていた。
•
そんなある日、
彼女の隣に「狼」が現れた。
レレヤヒ。
雑用をし、騒がしく、
それでいて人一倍まっすぐな少年。
彼は、チカに“日常”を押し付けた。
乾パンを、薬を、
何でもない会話を。
それらはすべて、
命令ではなく――優しさだった。
私は、遠くから眺めていた。
重力天使が感情を取り戻すことが
どれほど危険か理解しながら。
ただ、それでも胸の奥が痛んだ。
(……生きてほしい)
暗闇ではなく、
光の中で。
•
チカの瞳に、微かな熱が宿り始めた頃。
私は恐れた。
感情は重力を強くする。
強くなれば――また狙われる。
でも、生きてほしいと願ってしまった。
矛盾に引き裂かれる毎日。
自分が一番弱いと知る日々。
•
その夜。
チカが屋上で誰かに心を差し出した夜。
私は気づいていた。
その相手が誰かも。
その言葉がどんな意味を持つかも。
(やっと、あなたは自分を取り戻した)
けれど――同時に私は怯えた。
(私は、あなたの何を……守ってきたの?)
彼女の「命」だけ。
心を犠牲にして。
その罪が、
ずっと喉に刺さっていた。
•
後日、二人は私の前に立った。
「辞めたい?」
私は問うた。
怖くて、息もできないほどに。
その子は迷わず頷いた。
自分自身のために。
「……生き方を、変えたいです」
その言葉が胸を刺した。
私は、彼女の心の悲鳴に
ずっと気づいていたはずなのに。
気づいていないフリをしていたのは――私。
「……ごめんね」
その一言に、
何年分もの後悔を込めた。
だけど彼女は、
少しだけ笑って言った。
「今、気づいてくれました」
それだけで十分だと言うように。
その強さに、
私は救われた。
•
「あなたたち、自由になりなさい」
拘束ではなく――解放。
影ではなく――光へ。
「重力も、狼も、
鎖じゃなくて、翼にしなさい」
二人は手を取り合って、
夜へと歩き出した。
もう重さは、
罰ではない。
引きずるための力ではなく、
支え合うための力になった。
その背中が小さくなるまで、
私は見送った。
涙は堕天した子に似合わない。
でも今だけは――零れそうだった。
(どうか、あなたの重さが、
これからは“幸福の重力”になりますように)
それが、
私の最後の願い。
私が犯した罪を、
あの子自身が赦してくれたのだから。




