第9話:ミノタウロス、道案内のはずが迷宮入り
①魔王城会議
魔王城の大広間は、相変わらず混乱と絶望の香りに包まれていた。
アザゼルの胃の痛みは、もはや胃潰瘍どころか、内臓がえぐり取られるような痛みにまで発展している。
前回のコカトリス部隊による「平和の歌」が、勇者たちに「精神破壊音波攻撃」と誤解され、結果としてさらにレベルアップを許してしまったという報告を受け、アザゼルは完全に魂の抜けたような状態だった。
その表情は、もはや生気を感じさせない。
「うむ!
我々の『平和の歌』が、まだ勇者どもに響いていないとは、誠に残念だ!
だが、彼らの『聴覚受容体の特異性』を鑑みれば、これは致し方ないこと!」
魔王ゼルガディスは、腕を組み、深く頷いた。
ゴルグの専門用語をそのまま受け入れ、勝手に納得している。
彼の脳内では、コカトリスの歌声が、勇者の精神を清め、魂を浄化する慈愛に満ちた調べとして再生されているのだろう。
アザゼルは、その平和ボケぶりに、もはや何も言えない。
「魔王様、それは『聴覚受容体の特異性』ではなく、ただの『耳をつんざく金切り声』です!
彼らは苦しんで、そしてレベルを上げただけです!
いつになったら理解してくれるんですか!?」
アザゼルは、床に伏したまま、か細い声で叫んだ。叫ぶ気力すら残っていない。
「フン!
愚かなコカトリスどもですわね。
わたくしの『魅惑の香水』を全身に浴びていれば、勇者たちは歌声に魅了され、陶酔のあまり自らレベルを下げることさえ厭わなかったはずですのに!」
リリスが、扇で口元を隠しながら、相変わらず的外れな「美」の論理を展開する。
「ぐおおお!
歌が駄目なら、次は『魂を揺さぶるダンス』だ!
俺が勇者の前で全力で踊り狂ってやる!
そしたら、きっと感動して仲良くなれるはずだ!」
ガオガオが、早くも新しい「おもてなし」の準備に取り掛かろうと、大広間で奇妙なステップを踏み始めた。
「……アザゼル様。
これまでのデータ分析により、『間接的な非接触アプローチ』の限界が明確になりました。
勇者は我々の『友好の意図』を理解せず、全てを『戦闘行為』と解釈する傾向にあるようです。
そこで、次の作戦は『直接的誘導による平和的接触理論』を推奨します」
ゴルグが、いつもの冷静な声で、しかしどこか確信に満ちた響きで発言した。
アザゼルは、その「理論」という言葉を聞いただけで、胃が限界を超えて破裂しそうになるのを感じた。
「『直接的誘導による平和的接触理論』……?
ゴルグ様、どうか、どうかこれ以上、奇抜な作戦は……」
アザゼルは、かすれ声で懇願する。
「ご安心ください、アザゼル様。
今回の作戦は、非常にシンプルかつ効果的です。
人間は『目的地』への最短経路を常に求めています。
彼らの警戒心を解き、レベル上げ効率を低下させるには、彼らの『進路』を平和的な形でコントロールするのが最も効率的であると判断しました。
そこで、広大な迷宮の知識を持つミノタウロス部隊に指令を出します」
ゴルグは、無機質な視線でアザゼルを見つめながら、巨大な地図を広げた。
そこには、複雑に絡み合った迷宮の通路が描かれており、特定のルートに鮮やかな赤線が引かれている。
「ミノタウロスたちは、その豊富な迷宮の知識を活かし、勇者たちを『魔王城への最短ルート』へと『手を取り導きます』。彼らの巨体と力は、勇者たちの抵抗を最小限に抑えつつ、確実に誘導するための最適なツールとなるでしょう。
この『直接的誘導』により、勇者たちが『目的地への到達』という目的を達成することで、和平交渉を円滑に進めることが可能です!」
ゴルグが淡々と説明する。
アザゼルは、その説明に脳が完全にフリーズした。
(『手を取り導く』!?
ミノタウロスの『手』って、あれ、丸太みたいな腕と、鉄骨みたいな手だろ!?
それで勇者の腕掴んだら、確実に『捕縛』と誤解されるだろ! というか、最短ルートって、魔王城に着かせたら、それこそ全滅するじゃないか!
何が『平和的接触』だよ!? 完全に『強制連行』だろこれ!!)
アザゼルの脳内は、悲鳴とツッコミの嵐だった。
ゴルグの理論は、常に「魔族の視点」と「人間側の常識の乖離」を極限まで突き詰めてくる。
「ほう、『手を取り導く』とな!
それは素晴らしい!
我らが魔族の『おもてなしの精神』が、ついに物理的な形で勇者どもに伝わるのだな!
よし、アザゼル! この『直接的誘導による平和的接触理論』、ぜひとも試してみるべきだ!」
魔王ゼルガディスは、感動に打ち震えるかのように、拳を握りしめた。
彼の脳内では、ミノタウロスが勇者を優しくエスコートし、手を取り合って魔王城までピクニックをしているのだろう。
「そうですわ!
わたくしの『魅惑の香水』をミノタウロスの巨体にたっぷり振りかけて、勇者たちを魅了すれば、さらに抵抗は弱まるはずですわ!
美しさは、どんな拘束よりも強い力となりますもの!」
リリスが、香水瓶をキラキラと輝かせながら提案する。
「ぐおおお!
勇者の腕を掴んだら、そのまま『友好の腕相撲』を仕掛けるのだ!
勝てば、きっと俺の強さを認めてくれるはずだ!」
ガオガオは、早速その場でミノタウロスの腕相撲の練習をしているかのように、自分の腕を組んで唸り始めた。アザゼルは、もはや自分の命運を諦めかけていた。
「……ミノタウロス部隊よ!
『迷いの森』の奥深く、迷宮へと続く道で勇者たちと遭遇したら、その巨体と迷宮の知識を最大限に活かせ!
勇者たちを捕縛することなく、優しく、しかし確実に『最短ルート』へと誘導するのだ!
決して攻撃はするな!
我が魔族の未来は、お前たちの『道案内』にかかっている!」
アザゼルの指令は、もはや空虚に響くばかりだった。
②勇者との遭遇
その日の夕刻。
『始まりの森』のさらに奥、深い霧に包まれた『迷いの森』へと足を踏み入れた勇者パーティーは、そこで異様な気配を察知した。
周囲の木々は複雑に入り組み、道はまるで意志を持っているかのように曲がりくねっている。
「うわぁ……なんか、この森、迷路みたいになってるぞ……」
レオが困惑した表情で周囲を見渡す。
「レオ様、地図とコンパスが全く役に立ちません。
森自体が、私たちの方向感覚を狂わせているようですわ……」
セリアが魔法の地図を取り出すが、くるくると回転するだけで正確な方向を示さない。
「くっ……この森には、強力な『幻惑』の魔法がかかっているようです。気を付けてください、不意の遭遇戦があるかもしれません!」
ライアスが聖書を構え、警戒を強める。
「うう……迷うの嫌だ……
お腹も空いてきた……」
ミラは、既に泣きそうになっていた。
その時、深い霧の中から、巨体を揺らしながら、全身筋肉の塊のような人影が現れた。
「ミノタウロスだ!
まさか、こんなところに迷宮の番人がいるなんて!」
レオが剣を構えた。
その巨体は、見る者を圧倒する威圧感を放っている。
そして、その牛のような頭部と、鍛え上げられた両腕は、まさに強敵の風格だった。
しかし、ミノタウロスは、戦う素振りを見せない。
むしろ、何かを訴えかけるように、勇者たちに近づいてくる。
勇者たちが現れた。どうする?
▶たたかう
ぼうぎょ
ようすをみる
にげる
ミノタウロスたちは、アザゼルの指令とゴルグの「普遍的娯楽理論」、そして「直接的誘導による平和的接触理論」を懸命に解釈していた。
彼らにとっての「道案内」とは、迷宮の知識が豊富な自分たちが、最も効率的な方法で勇者を目的地へ「導く」ことであると結論付けたのだ。
そして、「手を取り導く」という指令を文字通り受け止めた。
そこで、ミノタウロスたちは「ようすをみる」を選択した。
しかし、彼らの「様子見」は、すぐに「積極的な誘導」へと移行する。
ミノタウロスは、勇者レオの腕を掴み、最短ルートへと導こうとしている!
ミノタウロスは、一歩ずつレオに近づくと、その巨大な、まるで樹の幹のような腕を伸ばし、レオの右腕をがっしりと掴んだ!
その瞬間、レオの身体は、ミノタウロスの強大な力によって、一気に引きずられる。
「うわあああああ!?
な、なんだ!?
掴まれた!?」
レオが驚愕の声を上げた。
ミノタウロスは、レオの腕を掴んだまま、まるで「こっちだ!」とでも言うかのように、迷宮の奥へと歩き始める。
その巨体と力は、レオの抵抗をものともしない。
「レオ様!
離してください!
捕縛ですわ! 完全に拘束されていますわ!」
セリアが悲鳴を上げた。彼女の魔法杖からは、焦りからか、微弱な火花が散る。
「くっ……ミノタウロスの得意技、捕縛からの迷宮への引きずり込み!
まさに、我々を迷宮に閉じ込めるつもりか!」
ライアスが聖書を構えながら、顔を歪める。
彼はミノタウロスの行動を、古典的な迷宮の番人の戦術だと解釈した。
「や、やめてえええええ!
どこに連れて行かれるの!?」
ミラは、恐怖でその場に座り込んでしまった。
ミノタウロスは、勇者たちの困惑と恐怖を意に介さない。
彼らにとっては、勇者が抵抗しているのは「早く目的地に着きたいが故の焦り」であり、自分たちは「親切に最短ルートへと誘導している」に過ぎないのだ。
彼らは、レオの腕を掴んだまま、迷宮の奥へと進んでいく。
そして、他のミノタウロスたちも、他の勇者たちの腕を掴もうと、次々と迫りくる。
「おい! やめろ!
どこに連れて行くつもりだ!
離せって言ってんだろぉぉぉ!!」
レオは必死に抵抗するが、ミノタウロスの力は圧倒的だった。
彼の腕は、まるで万力で締め付けられているかのように、ミシミシと音を立てる。
③戦闘と結果
勇者たちは、半ば強制的に引きずられながらも、本能的にミノタウロスを『敵』と認識し、攻撃を開始した!
レオは、掴まれた腕を振りほどこうともがきながら、剣でミノタウロスを斬りつけた!
ミノタウロスは倒れた!
セリアは、憤怒の表情で、渾身のフレアを放った!
ミノタウロスは燃え尽きた!
ライアスは、怒りに震えながら、聖なる裁きの光を放った!
ミノタウロスは消滅した!
ミラは、恐怖で半泣きになりながら、隠し持っていた短剣をミノタウロスの足に突き刺した!
ミノタウロスは倒れた!
「はぁ……はぁ……離せ……
やっと、自由になった……」
レオは、解放された腕をさすりながら、地面にへたり込んだ。腕には、ミノタウロスの巨大な指の跡がくっきりと残っている。
「信じられませんわ……まるで拉致です!」
セリアが荒い息を吐きながら憤慨する。
「まさか、これがミノタウロスの新たな戦術か……。
警戒心を解かせ、迷宮に引きずり込むとは……
恐ろしい……」
ライアスは、今もミノタウロスの意図を「巧妙な戦術」と誤解している。
「もう……森、嫌だ……」
ミラは、完全に精神的に参ってしまい、ぐったりとライアスの肩に寄りかかった。
勇者たちは、ミノタウロスを撃破したものの、身体的にも精神的にも深い疲労を負っていた。
特にレオの腕は、しばらく痺れが残るだろう。しかし、彼らのレベルは着実に上がっていた。
勇者たちはミノタウロスを撃破した!
レオは経験値【75】を手に入れた!
セリアは経験値【75】を手に入れた!
ライアスは経験値【75】を手に入れた!
ミラは経験値【75】を手に入れた!
全員の経験値が一定値に達した!
レオはレベルが3上がった!
セリアはレベルが3上がった!
ライアスはレベルが3上がった!
ミラはレベルが3上がった!
全員の最大HPが3上がった!
全員の最大MPが3上がった!
全員の攻撃力が3上がった!
全員の防御力が3上がった!
レオは新たに『中級剣技:ブレードダンス』を覚えた!
セリアは新たに『中級回復魔法:リカバー』を覚えた!
「ふぅ……
また強くなったな……
でも、なんか、達成感がねえな……」
レオは、上がったステータスを見ても、喜びよりも疲労の色が濃い。
彼の心には、魔物に対する新たな警戒心が芽生えていた。
④結果報告
魔王城。
ミノタウロス部隊からの報告を受けたアザゼルは、最早、胃の痛みで言葉を発することもできず、ただ虚ろな目で宙を見つめていた。
彼の表情は、人生の全てを悟ったかのように穏やかだが、それは完全に壊れてしまった人間の顔だった。
「ミノタウロスが勇者を『目的地』へと『手を取り誘導』しようとしたら、勇者たちが『捕縛』と誤解して、半狂乱になって暴れだし、ミノタウロスを全滅させただとぉぉぉぉお!?
しかも、さらにレベルアップさせて、新たな技まで覚えさせてるじゃないですかぁぁぁあ!!」
アザゼルは、もはや喉から血が出そうな勢いで絶叫した。彼の声は、もはや人間のそれではない。
「うむ……今回のデータから、『普遍的娯楽理論』における人間側の『身体的接触における認識の歪み』が原因と分析します。
我々の『道案内』は、彼らにとって『強制連行』と認識されたようです。次なる作戦では、より『間接的かつ視覚的』な形で『目的地への誘導』を行う必要がありそうですな」
ゴルグが、眉間に深いシワを寄せ、真剣な顔で分析している。
彼の言葉は、一見すると論理的だが、その根底にあるのは相変わらず「普遍的娯楽理論」という、人間には理解不能な「遊び」の概念と、「魔族独自の常識」が複雑に絡み合っていた。
彼は、ミノタウロスが全力で「手を取り導いた」にも関わらず、勇者が「目的地」に到達しなかったことを、深く憂いているようだった。
「なるほど、やはり我々の『おもてなし』が、まだ力強すぎたのだな!
よし、アザゼル!
次はもっと繊細で、しかし確実に『目的地』へと誘うような『競技』を用意するのだ!
我らが魔王軍の『真心からの誘い』を、勇者どもに見せつけてやるぞ!」
魔王ゼルガディスは、ゴルグの言葉に深く納得したように頷き、アザゼルに新たな指令を出す。
その顔は、まるで迷子になった小鳥を優しく導こうとする、慈愛に満ちた表情だった。
「そうですわ!
わたくしの『魅惑の香水』を、ミノタウロスの毛並みにたっぷり染み込ませておけば、勇者たちはその香りに誘われ、自ら喜んで魔王城へと進んだはずですわ!
美しさは、最強の案内人ですもの!」
リリスが、手のひらの上で香水瓶をくるくると回しながら、新たな提案を始める。
「ぐおおお!
腕相撲ができなかったのは残念だが、次こそは『追いかけっこ』で勇者と仲良くなるのだ!
俺が全力で追いかけたら、きっと勇者も喜んで逃げてくれるはずだ!」
ガオガオは、既に次の「おもてなし」に胸を躍らせ、その場で走り込みのジェスチャーを繰り返していた。
アザゼルは、もはや自分の胃袋が、この魔王軍の狂気に耐えきれるのかどうか、真剣に疑問に思い始めていた。
(頼む……
誰か、まともな人間の常識と、まともな道案内の概念を教えてやってくれ……!
このままでは、本当に魔王軍が『エンターテイメント集団』になってしまう!)
アザゼルは、最後の気力を振り絞って、心の中で叫んだ。
彼の胃は、確実に複数の穴が開いている。
この魔王軍で生き残る道は、果てしなく、そして迷宮のように複雑なのだ。