第8話:コカトリス、「平和の歌」が凶器に
①魔王城会議
魔王城の大広間は、相変わらず香水の匂いとガオガオの体臭と、アザゼルの胃液が混じり合ったような、形容しがたい空気に満ちていた。
ゴブリン部隊による「森の立体投擲競技」が、勇者たちにただの「凶器攻撃」と誤解され、結果としてまたレベルアップを許してしまったという報告を受け、アザゼルの精神状態は限界に達しつつあった。
胃はズキズキと痛み、頭痛は慢性化し、もはや寝ても覚めても勇者のレベルアップの悪夢にうなされている。
「うむ!
我々の『友好の精神』が、まだ勇者どもに届いていないとは、残念至極!」
魔王ゼルガディスは、腕を組み、深く嘆息した。その顔は、まるで運動会のチーム分けで仲間外れにされた子供のような、純粋な悲しみに満ちている。
「魔王様、それは『友好の精神』ではなく、ただの『奇行』と『攻撃』と誤解されただけです!
彼らは私たちを滅ぼしに来ているんですよ!?
なぜそうも能天気にいられるんですか!?」
アザゼルは、テーブルに拳を叩きつけんばかりの勢いで叫んだ。
しかし、彼の情熱的な訴えも、他の幹部には響かない。
「アザゼル殿。
今回のデータから、勇者は『物理的な接触』や『物体によるアプローチ』を『攻撃』と認識する傾向が顕著であると判断できます。そこで、次の作戦は『非接触型精神干渉理論』を導入することを推奨します」
ゴルグが、いつもの無機質な声で、しかしどこか自信ありげに発言した。
彼の「普遍的娯楽理論」がアップグレードされたとでも言うのだろうか。
アザゼルは既に嫌な予感しかしないが、それでも一縷の望みをかけてゴルグに視線を向けた。
「『非接触型精神干渉理論』……?
それはまた、ずいぶん大層な名前ですね……
一体、何をどうするんですか?」
アザゼルは、疲労困憊の声で尋ねた。
「はい。
人間は、視覚情報だけでなく、聴覚情報にも大きく影響されるというデータがあります。
物理的な接触を避けつつ、彼らの精神に直接働きかけるには、『音』によるアプローチが最も効率的であると判断しました。
そこで、美しく、そして『声』を重視するコカトリス部隊に指令を出します」
ゴルグは、さらに別の巻物を広げた。
そこには、羽を広げたコカトリスが、音符のようなものをまき散らしている奇妙な絵が描かれている。
アザゼルは、既に胃がねじれるような感覚に襲われていた。
「コカトリスたちは、その美しい羽を広げ、平和を願う『癒しのハーモニー』を奏でます。
この歌声は、勇者たちの戦意を喪失させ、彼らの心に平和をもたらすでしょう。
この『非接触型精神干渉』により、勇者たちが完全に無力化した隙に、和平交渉を完遂するのです!」
ゴルグが淡々と説明する。
アザゼルの脳内では、もはやツッコミが追いつかない。
(『癒しのハーモニー』!?
コカトリスの歌声って、たしか耳をつんざくような金切り声だったはずだぞ!?
それが『平和の歌』だと!? 誰がそんなデータを持ってきたんだ!?)
アザゼルは、自身の記憶とゴルグの理論のギャップに眩暈を覚えた。
コカトリスの歌は、本来、相手を混乱させる効果があるはずだ。
それを「平和の歌」と言い張るゴルグの「理論」は、もはや狂気の沙汰である。
「ほう、『平和の歌』とな!
それは素晴らしい!
我らが魔族の真心が、歌声に乗せて勇者どもに届くというわけか!
よし、アザゼル!
この『非接触型精神干渉理論』、ぜひとも試してみるべきだ!」
魔王ゼルガディスは、感動に打ち震えるかのように、拳を握りしめた。
彼の脳内では、コカトリスの美声が、勇者たちの心を癒し、感動の涙を流させているのだろう。
「そうですわ!
わたくしの『魅惑の香水』をコカトリスの羽に振りかけて、歌声に乗せれば、さらに効果は倍増ですわ!」
リリスが、香水瓶をキラキラと輝かせながら提案する。
「ぐおおお!
歌もいいが、踊りも加えるべきではないか!
俺がコカトリスたちと『平和の舞』を披露してやる!」
ガオガオが、早速その場で奇妙なステップを踏み始めた。
アザゼルは、もう何も言えなかった。
「……コカトリス部隊よ!
『始まりの森』へと向かえ!
勇者と遭遇したら、その美しい羽を広げ、魂を込めて『平和の歌』を歌い上げるのだ!
決して物理的な攻撃はするな!
我が魔族の未来は、お前たちの『歌声』にかかっている!」
アザゼルの指令は、魔王城に響き渡った。
②勇者との遭遇
その日の午後。
『始まりの森』のさらに奥深くへと進んだ勇者パーティーは、今まで見たことのない魔物と遭遇した。
それは、鮮やかな羽根を持つ、ニワトリのような姿をした魔物、コカトリスだった。
その鋭いクチバシと、威嚇するように逆立つ羽は、警戒心を抱かせるには十分だった。
「今度はコカトリスか!
石化の能力とか持ってねえだろうな!?」
レオが剣を構えながら警戒する。
「図鑑によれば、コカトリスは視線で相手を石化させる魔物ですわ!
目を合わせないように!」
セリアが慌てて顔を背けた。
「レオ様、目を合わせなくとも、彼らの鳴き声には混乱の効果があるそうです。
耳を塞ぎましょう!」
ライアスが聖書を広げながら叫んだ。
コカトリスたちは、アザゼルの指令とゴルグの「普遍的娯楽理論」そして「非接触型精神干渉理論」を懸命に解釈していた。
彼らにとっての「平和の歌」とは、自分たちの本能的な鳴き声、すなわち縄張りを主張する際の、最も響き渡る高音域の鳴き声であると結論付けたのだ。
勇者たちが現れた。どうする?
▶たたかう
ぼうぎょ
ようすをみる
にげる
コカトリスたちは、最上部の「たたかう」にカーソルを合わせようとしたが、リーダー格のコカトリスが首を傾げた。
「ピギィ!(いや、アザゼル様の指令は物理攻撃禁止だ!)」
「クエックエッ!(ゴルグ様は『歌』で精神干渉だと言っていた!)」
議論の末、彼らは「ようすをみる」を選んだ。
だが、その「様子見」もまた、彼らなりの解釈で行われることになる。
コカトリスは、勇者に『平和の歌』を歌い始めた!
コカトリスたちは、一斉に胸を張り、喉を震わせた。彼らの美しい羽根が、虹色に輝き始める。
そして、渾身の力を込めて、その「平和の歌」を歌い始めた。
「キィィィィィィィィィィッ!! ピギャアアアアアアアアアアアア!!
クエエエエエエエエエエエエッ!!!」
その歌声は、まさしく耳をつんざくような、想像を絶する金切り声だった。
それは、高音域が脳を直接揺さぶるような、そして魂を削り取られるかのような、とてつもない不協和音の嵐だった。
森の木々が震え、小動物たちが耳を塞いで逃げ出す。
勇者たちは、その音波攻撃のような歌声に、文字通り耳を塞いだ。
「うわあああああああ!?
なんて声だ!
耳が、耳がぁぁぁぁ!!」
レオが両手で耳を覆い、地面にしゃがみ込む。
「きゃあああああ!
頭が割れるようです!
これは精神攻撃ですわ!!」
セリアが魔法陣を展開しようとするが、あまりの不快音に集中できない。
「くっ……
これは……
まともに戦えん!
耐え難い苦痛だ!」
ライアスが顔を歪め、聖書を落としてしまう。
「ひいいいいい! 変な音がするううう!
やめてえええええ!!」
ミラは、既に涙目でその場にうずくまっていた。
コカトリスたちは、勇者たちの反応を見て、満足げにクチバシを震わせた。
彼らにとっては、勇者たちが苦しみ悶えているのは、歌声が心に響き渡り、「平和」を受け入れている証拠だと解釈したのだ。
彼らはさらに高らかに、その「平和の歌」を歌い続ける。
「キギギギギギギギィィィッ!
ピギャアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
その歌声は、もはや物理的な振動を伴っているかのようだった。
③戦闘と結果
勇者たちは、耳を塞ぎながらも、朦朧とする意識の中で、本能的にコカトリスを『敵』と認識し、攻撃を開始した!
レオは、頭痛に耐えながら、コカトリスに剣を突き刺した!
コカトリスは倒れた!
セリアは、耳を押さえながら、渾身のファイアを放った!
コカトリスは燃え尽きた!
ライアスは、耐えきれずに吐き気を催しながら、聖なる光を放った!
コカトリスは消滅した!
ミラは、半狂乱になりながら、短剣を投げつけた!
コカトリスは倒れた!
「ゲホッ……ゲホッ……
やっと、終わった……」
レオが、息も絶え絶えに呟く。
耳鳴りが止まらない。
「あんなの……
拷問ですわ……」
セリアが青い顔で顔を覆う。
「悪魔の、いや、魔物の歌声……
あれは、精神を蝕む毒だ……」
ライアスが、ぐったりと地面に座り込んだ。
「もう……森、嫌だ……」
ミラは、完全に心が折れたように、虚ろな目で宙を見つめていた。
勇者たちは、コカトリスを撃破したものの、心身ともに深いダメージを負っていた。
彼らのレベルは確かに上がったが、その代償はあまりにも大きかった。
勇者たちはコカトリスをなんとか撃破した!
レオは経験値【50】を手に入れた!
セリアは経験値【50】を手に入れた!
ライアスは経験値【50】を手に入れた!
ミラは経験値【50】を手に入れた!
全員の経験値が一定値に達した!
レオはレベルが2上がった!
セリアはレベルが2上がった!
ライアスはレベルが2上がった!
ミラはレベルが2上がった!
全員の最大HPが2上がった!
全員の最大MPが2上がった!
全員の攻撃力が2上がった!
全員の防御力が2上がった!
セリアは新たに『中級火炎魔法:フレア』を覚えた!
ライアスは新たに『中級回復魔法:グレーターヒール』を覚えた!
「レベルは……
上がったけど……」
レオは、上がったステータスを見ても、全く喜べなかった。心に深い傷を負ったような表情で、彼は森のさらに奥へと歩き始めた。
その足取りは、先ほどよりも重く、疲労困憊しているように見えた。
④結果報告
魔王城。
コカトリス部隊からの報告を受けたアザゼルは、床に突っ伏したまま、呻き声を上げた。
「『平和の歌』のつもりが、勇者たちの精神を破壊して、さらにレベルを上げてしまっただとぉぉぉぉお!!
なんで毎回毎回、逆効果なんだぁぁぁあ!!」
アザゼルの絶叫が、広間に響き渡る。
「うむ……今回のデータから、『普遍的娯楽理論』における人間側の『聴覚受容体の特異性』が原因と分析します。
我々の『平和の歌』は、彼らにとって『耳障りな金切り声』として認識されたようです。
次なる作戦では、より『五感全体』に訴えかける形でのアプローチが必要不可欠ですな」
ゴルグが、眉間に深いシワを寄せ、真剣な顔で分析している。
彼の言葉は、一見すると論理的だが、その根底にあるのは相変わらず「普遍的娯楽理論」という、人間には理解不能な「遊び」の概念と、「魔族独自の感覚」が横たわっていた。
「なるほど、やはり我々の『おもてなし』が足りなかったのだな!
よし、アザゼル!
次はもっと盛大で、誰もが理解できるような『競技』を用意するのだ!
我らが魔王軍の『友好の精神』を、勇者どもに見せつけてやるぞ!」
魔王ゼルガディスは、ゴルグの言葉に深く納得したように頷き、アザゼルに新たな指令を出す。
その顔は、まるで次のフェスティバルを楽しみにしている子供のようだった。
「そうですわ!
わたくしの『魅惑の香水』を使えば、勇者たちの嗅覚を刺激し、どんな不快な音も『美しいメロディ』として感じさせたはずですのに!
美しさは世界共通の言語ですもの!」
リリスが、手のひらの上で香水瓶をくるくると回しながら、新たな提案を始める。
「ぐおおお!
歌もいいが、踊りも加えるべきではないか!
俺がコカトリスたちと『平和の舞』を披露してやったのに!
そしたら、きっと仲良くなれるはずだ!」
ガオガオは、コカトリスの歌声に合わせて、一人で奇妙な踊りを踊り続けていたらしい。
アザゼルは、最早、何もかもがどうでもよくなっていた。
(頼む……
誰か、まともな人間の常識と、まともな聴覚の概念を教えてやってくれ……!)
アザゼルは、最早、頭を抱える気力すら残っていなかった。
彼の胃は、確実に穴が開いている。
この魔王軍で生き残る道は、果てしなく遠い。