第5話:最初の「勇者対策会議」は文化交流会議へ
魔王ゼルガディスから「人類対策兼文化顧問兼平和交渉担当」という、やたらと長い肩書を拝命して一夜明けた。
アザゼルは、魔王城の一室で、今後の戦略を練っていた。
(まずい……このままじゃ、本当に勇者に滅ぼされる。
この魔王軍、戦意がないのはいいんだけど、全員が平和ボケしすぎてる。
しかも、その発想が斜め上を行きすぎてるんだよな……)
頭を抱えていると、部屋の扉がノックされた。
「アザゼル様、魔王様が皆さまをお集めです」
入ってきたのは、昨日の案内役と同じ小柄な魔族だ。
(え、もう会議?
早すぎだろ! 一夜漬けにも程がある!)
アザゼルは慌てて立ち上がり、魔族の後を追って大広間へ向かった。
大広間には、すでに魔王ゼルガディスを始め、ゴルグ、リリス、ガオガオが揃っていた。
彼らの顔は、どこか浮かない。
やはり、「滅亡」という言葉が相当に重くのしかかっているのだろう。
「皆、揃ったな。
アザゼルも来たことだし、早速だが、本日の『勇者対策会議』を始める」
ゼルガディスが威厳を取り繕った声で宣言した。
しかし、その声はどこか頼りなく、覇気が感じられない。
(勇者対策会議ねえ……
どうせまた、ろくでもない提案が飛び出すんだろうな)
アザゼルは内心で辟易しながら、幹部たちに視線を向けた。
すると、ゴルグがゆっくりと鎧の籠手を持ち上げ、アザゼルに向かって頭を下げた。
「アザゼル殿」
その真面目な声に、アザゼルは嫌な予感がした。
「勇者が攻め入る前に、この『吟遊詩人の新作物語』を我らに聞かせてはくれぬか?」
ゴルグの手には、なぜか分厚い古びた本が握られている。
表紙には、見慣れない奇妙な文字で「英雄譚:勇者と魔王の絆」と書かれているようだった。
「……はあぁぁぁあ!?」
アザゼルの脳内で、キレッキレのツッコミが炸裂する。
「ゴルグ様!?
今、何ておっしゃいました!?
『勇者対策会議』ですよ!?
なんでそこで『吟遊詩人の新作物語』が出てくるんですか!?
しかも、よりによって『勇者と魔王の絆』って、どこのパラレルワールドの話ですかそれ!?」
アザゼルは、目の前の光景が理解できず、自分の耳を疑った。
ここは魔王城だ。
世界を滅ぼそうとする魔王軍の拠点だ。
なのに、幹部が「勇者と魔王の絆」の物語を聞かせろと言い出すとは、一体どういう神経をしているのか。
「何を興奮している、アザゼル。
ゴルグは至極まっとうなことを言っているではないか」
ゼルガディスが、まるで常識を語るかのように頷いた。
「この本は、先日、人間界に潜入した我が諜報部隊が命がけで持ち帰ったものだ。
なんでも、人間の間で最も流行っている物語だという。
それを知ることで、勇者の心理を読み解き、和平交渉を有利に進めることができるとゴルグが申しておった」
(いやいやいやいや!
諜報部隊にそんなもの持ち帰らせてんじゃねーよ!
しかも命がけって、どんなリスク負わせたんだよ!
そして、それを知ったところで、勇者の心理なんかわかるかぁぁぁあ!!)
アザゼルは頭を抱えた。
この魔王軍、根本的に何かがおかしい。
戦闘能力以前に、思考回路が根本からズレている。
「そうですわ、アザゼル様。
人間どもがどんな物語に感動し、どんな感情を抱くのかを知ることは、彼らの文化を理解し、心を掌握する上で非常に重要なことですわ」
リリスが優雅に扇を広げながら、もっともらしいことを言う。
彼女の顔は、なぜかワクワクしているように見えた。
「ぐおおお!
物語か!
わしは人間界の『桃太郎』という話が好きだぞ!
犬、猿、雉と仲良くなる話だ! 勇者とも仲良くなれるはずだ!」
ガオガオが、目を輝かせながら立ち上がった。
彼の純粋な目が、アザゼルにはまぶしかった。
(桃太郎は、鬼を退治する話であって、鬼と仲良くなる話じゃねえんだよ!
お前ら鬼側だろ! ていうか、もうすでに人間界の物語とか知ってんのかよ!
なんでだよ!?)
アザゼルのツッコミは、もはや心の中で怒号と化していた。
「この物語には、人間どもの『友情』や『努力』、『勝利』といった、彼らが崇拝する概念が詰まっている。
それを分析することで、我々が勇者に対してどのような態度を取れば、彼らが最も喜んで魔王城に来てくれるか、分かるはずだ」
ゴルグは、まるで高度な軍事戦略を語るかのように、真剣な顔で解説する。
(いや、分析する方向が根本的に間違ってるんだよ!
その知識はゲーム攻略には役立つかもしれないけど、リアルな和平交渉には全く関係ないからな!?
むしろ、勘違いして墓穴掘るだけだから!)
アザゼルは、もはや諦めの境地だった。
この会議は、もはや「勇者対策会議」ではなく、「滅亡回避とイメージ改善、そして人間界との平和交渉戦略会議」と名を改めるべきだろう。
いや、もっと正確に言うならば、「魔族の異文化交流勉強会(ただし、方向性が完全にズレている)」といったところか。
「……分かりました。
では、その『吟遊詩人の新作物語』とやらを、ゴルグ様、読み上げていただけますか?
ただし、余計な解説は抜きでお願いします」
アザゼルは、疲労困憊の声で言った。
もはや、ここで反発しても無駄だと悟ったのだ。
むしろ、彼らの異様な発想の源泉を理解するためには、一度彼らのペースに乗ってみるのも悪くないかもしれない。
「おお!
承知した、アザゼル殿!」
ゴルグは嬉しそうに頷くと、分厚い本を開いた。
そして、その鎧越しとは思えないほどの朗々とした声で、物語を読み始めた。
「――遥か昔、世界が闇に包まれし頃、一人の勇者が現れた。
彼の名はアールズ。
光の剣を携え、仲間たちと共に魔王城を目指す、若き戦士であった――」
ゴルグの声が広間に響き渡る。
その物語は、まさに王道のファンタジーRPGのような展開だった。
勇者が仲間と出会い、様々な困難を乗り越え、力をつけていく。
「ふむ……この勇者アールズ、なかなかの美形ですわね。
わたくし好みの顔立ちですわ。
これは和平交渉の際に、彼に贈る化粧品のリストを作成せねば……」
リリスが物語に聞き入っていたかと思えば、突然真剣な顔でメモを取り始めた。
「リリス様!
勇者に化粧品贈ってどうするんですか!?
っていうか、なんで彼が美形だと知ってるんですか!?
イラストでも載ってるんですか!?」
アザゼルの叫びに、リリスはチラリと本に目をやった。
どうやら挿絵があったらしい。
「ぐおおお!
この物語の勇者は、魔物と戦っているぞ!
我々も、勇者と『平和的な戦い』とやらをすべきなのか!?」
ガオガオが、物語の展開に感化されたのか、腕を振り回して興奮している。
(だから、平和的な戦いってなんだよ!
それ、もう戦いじゃねーし!
ていうか、お前らは敵側なんだぞ!)
アザゼルのツッコミは、もはや誰も聞いていないかのようだった。
魔王ゼルガディスも、腕を組み、真剣な表情でゴルグの物語に聞き入っている。
彼の脳内では、もはや「滅亡回避」という大義名分のもと、「勇者との文化交流」という奇妙な方向に舵が切られているようだった。
「――そして、勇者アールズはついに魔王城へと辿り着いた。
魔王は、恐ろしい姿で彼を待ち受けていたが、アールズは臆することなく剣を構えた。
しかし、魔王は告げた。
『勇者よ、我は戦いを望まぬ。真の平和とは、互いを理解することにこそあるのだ』と……」
ゴルグが読み進めるにつれて、アザゼルの胃は、さらにキリキリと痛み出した。
(おいおいおい!
その魔王、完全に出来上がってるじゃねえか!
平和主義も甚だしいだろ!
こんな物語を読んで、うちの魔王が感化されたらどうするんだよ!?
リアルでやらかすぞ!)
アザゼルは、この先の和平交渉が、とんでもない方向へ進んでいく予感しかしない。
魔王軍の最初の「勇者対策会議」は、こうして、完全に魔族たちの文化交流会議へと変貌を遂げていた。
そして、その中心で、アザゼルはただ一人、このシュールな状況にツッコミを入れ続けるのだった。