第3話:レベル上げという理解不能な概念
魔王と幹部たちの動揺を目の当たりにし、アザゼルはこれこそがチャンスだと直感した。
畳み掛けるように、アザゼルは言葉を続ける。
「そして魔王様! 勇者は今、あの森でレベル上げをしてます!
このままだと勇者のレベルが魔王様を上回ってしまいます!
和平交渉を有利に進めるには、勇者のレベルが低い今のうちに魔王城に来てもらう必要があるんです!」
(そう、何を隠そう、さっきまで俺がパソコンの画面越しに、あんたらを倒すべく勇者たちを操作して、あの森でひたすらスライムとか倒してたんだけどね!)
心の中で舌を出す。
自分の手で魔王を滅ぼすための準備をしていたのだから、皮肉な話だ。
だが、今はそれどころではない。自分の命がかかっている。
「レベル……? が、上回る……?」
ゼルガディスは玉座に沈み込んだまま、呆然と首を傾げた。
彼の脳内には、「強さ」という概念はあっても、「数値化された成長」という概念は存在しないのだろう。
アザゼルは、この魔王の理解力のなさに軽く眩暈を覚えつつも、必死に説明を試みる。
「はい、魔王様! レベルというのはですね……
例えるなら、そう、武道でいうところの修行の段階のようなものです!
最初はか弱いひよっこでも、ひたすら鍛錬を積めば、やがて強大な武人になるでしょう?
それを、この世界では『レベルが上がる』と呼ぶんです!」
「しゅ、修行の段階……?
だが、人間は生まれ持った器以上の強さは得られぬはず……」
ゼルガディスが困惑したように呟く。
魔族にとって「強さ」とは、血筋や生まれ持った魔力、あるいは種族固有の特性で決まるものなのだろう。
努力による成長という概念が、彼らには理解できないのだ。
「フン!
愚かな。
修行で強くなるなど、そんな効率の悪いこと、わたくしには考えられませんわ。
生まれ持った美しさこそが全て。
それと同じで、魔力も生まれつきのものですわ」
リリスが冷たく言い放つ。
彼女の美的感覚が、レベルアップという概念を完全に拒絶しているようだ。
「ぐおおお!
たくさん食って、たくさん寝たら、体がデカくなるのは知ってるぞ!
それがレベルってやつか!?
じゃあ、勇者どもは森で何か美味いもの食ってるのか!?」
ガオガオは完全に独自の解釈を始めていた。
彼にとっては、成長=肉体的な肥大化なのだろう。
(だから違うって!
お前らの常識、ホントに非常識だからな!?)
アザゼルは心の中で叫びながら、さらに具体的な例を挙げる。
「違います、魔王様! ガオガオ様! リリス様も!
これは、たとえば……
そうですね。貴族の子供が、最初に剣術を習う時、剣を振るのがやっとでしょう?
でも、毎日毎日、素振りをしていけば、やがて強敵を倒せるようになる。
あれが、レベルアップなんです!」
「むむむ……」
ゼルガディスが唸る。
彼の脳裏には、どこか遠い過去の記憶が蘇っているのだろうか。
「それに、この世界には『経験値』というものが存在します。
モンスターを倒すと、そのモンスターが持っていた『成長の糧』を勇者が手に入れるんです。
その糧を溜めることで、勇者の力が飛躍的に向上する。
それがレベルアップの原理なんです!」
「成長の糧……?
我ら魔族は、死んだらただの屍肉になるだけではないのか……?」
ゼルガディスが、今度は恐怖に震えながら呟く。
彼の認識では、魔族の死はただの消滅でしかない。
「フン。
わたくしどもが倒されて、成長の糧になるなど、とんでもない屈辱ですわ!
考えただけで虫唾が走る!」
リリスが顔をしかめる。
確かに、彼女たちにとっては受け入れがたい真実だろう。
「ぐおおお!
わしらが食い物になるだと!?
絶対に嫌だぞ!」
ガオガオが怒って床をドンドン叩く。
そんな中、ゴルグが静かに口を開いた。
「……つまり、我々が勇者に討たれると、彼らの栄養になってしまうと?」
ゴルグの言葉は、まるで鋼鉄がぶつかり合うような無機質な響きがあったが、その中には、確かに微かな動揺が見て取れた。
「その通りです、ゴルグ様!
そして、この世界には、勇者が必ず魔王を倒すという『最終目標』が設定されています!
魔王様がどんなに強くても、勇者が一定のレベルに達すれば、必ず魔王様を打倒できる。
そういう『設定』なんです!」
アザゼルは、強調するように「設定」という言葉を繰り返した。
この世界が「ゲーム」であるという核心部分を、彼らに理解させるには、これしかないと思ったからだ。
「な、なんだと……!?
設定……?
私が……私は、ただ、この玉座に座れと言われて座っているだけだが……
そのために滅びるのか……!?」
ゼルガディスの顔が、さらに蒼白になる。
彼の口から漏れる言葉は、どこか遠い目をした、まるで人形のような空虚さを含んでいた。
(なるほど、この魔王、自分の役割に疑問を抱いてたのか。
そりゃあ、いきなり「お前は魔王だから、世界を支配しろ」って言われても、意味不明だよな。
しかも、それが最終的に自分が滅ぼされるための「設定」だったなんて、そりゃパニックになるわ)
アザゼルは、魔王の意外な一面に、少しばかり同情の念を抱いた。
だが、ここで同情している場合ではない。
「はい、魔王様。
だからこそ、今なんです!
勇者がまだ弱い今のうちに、何とかして魔王城に招き入れ、和平交渉を始める必要があるんです!
彼らが強くなりすぎたら、もう交渉の余地すらありません!
問答無用で攻め込んできますから!」
「こ、交渉……?
勇者と……?
我らが、人間どもと……?」
ゼルガディスは、まるで初めて聞く言葉であるかのように、交渉という単語を繰り返す。
彼の頭の中には、魔族と人間は「戦うもの」という固定観念しかないのだろう。
「ふん。
勇者どもなど、踏み潰してしまえばよろしいものを……
交渉など、時間の無駄ですわ!」
リリスが苛立たしげに腕を組み、アザゼルを睨む。
彼女のプライドが、人間との対等を許さないのだろう。
「ぐおおお!
交渉ってなんだ!?
殴り合いじゃないのか!?」
ガオガオは、やはり交渉=武力行使と勘違いしている。
「……戦略的撤退。
あるいは、別のフェーズへの移行」
ゴルグが静かに呟く。その言葉に、アザゼルは驚きを隠せない。
(お、ゴルグは話が分かるのか!?
こいつ、意外と理詰めタイプ?)
「その通りです、ゴルグ様!
これは、戦略的撤退でもあり、新たな局面への移行でもあります!
生き残るためには、これしか道はないんです!」
アザゼルはゴルグに力強く頷き、再び魔王へと視線を戻す。
「魔王様!
ご決断を!
このままでは、本当に滅びてしまいます!
我々魔族の未来は、魔王様の御手にかかっているのです!」
アザゼルの切羽詰まった訴えに、ゼルガディスは大きく目を見開いた。
彼の脳裏には、「滅び」という言葉が深く刻み込まれたのだろう。
玉座からゆっくりと立ち上がったゼルガディスは、広間の中央に歩み出ると、深いため息をついた。
その表情には、魔王としての威厳と、一抹の諦めが入り混じっていた。
「……分かった。アザゼル。
貴様がそこまで言うのなら、一度、貴様の言う『和平交渉』とやらを試みてみるか。
だが、もしこれが戯言であったなら……
その時は、貴様を『経験値』にしてくれるわ!」
魔王の言葉に、アザゼルはゴクリと唾を飲み込んだ。
生きた心地がしなかったが、それでも、一縷の望みが開けたことに安堵した。
(やった! なんとか説得できた!
しかし、『経験値』にされるのは勘弁してくれ……)
アザゼルは内心でツッコミつつも、この奇妙な魔王軍で生き残るための、文字通り命がけの奮闘が幕を開けたことを悟った。
魔王と幹部たちは、依然として「レベル上げ」という概念を完全に理解しているわけではないようだが、少なくとも「滅びる」という危機感だけは共有できたようだ。
広間には、依然として混乱と困惑が渦巻いている。魔王は玉座に戻り、額に手を当てて深く考え込んでいる。
リリスはため息をつき、ガオガオはまだ地面を叩いている。
そして、ゴルグだけが、どこか納得したように静かに立っていた。
アザゼルは、この難航するであろう和平への道に、早くも胃がキリキリと痛み出すのを感じていた。