第10話:オーク、畑仕事で「奇襲」アピール
①魔王城会議
魔王城の大広間は、もはやアザゼルの胃の痛みを示すかのような、重苦しい沈黙に包まれていた。
彼の胃は、すでに複数の穴が開いているというレベルではなく、もはや「胃の形を保てていない」という表現が適切だろう。
ミノタウロス部隊による「道案内」が、勇者たちに「強制連行」と誤解され、結果としてさらにレベルアップを許してしまったという報告を受け、アザゼルは完全に「燃え尽き症候群」に陥っていた。
瞳の奥には、もはや光は宿っていない。
「うむ!
我らがミノタウロス部隊の『真心からの誘い』が、勇者どもに伝わらなかったとは、誠に遺憾である!
彼らの『身体的接触における認識の歪み』を鑑みれば、これもまた、深き学びであるな!」
魔王ゼルガディスは、腕を組み、深く納得したように頷いた。
ゴルグの専門用語を、まるで自らの言葉のように使いこなしている。
彼の脳内では、ミノタウロスが勇者を優雅にエスコートし、手を取り合ってダンスでも踊っているのだろう。
アザゼルは、その平和ボケぶりに、もはや「ツッコミ」という概念すら放棄していた。
「魔王様、それは『認識の歪み』ではなく、ただの『拉致行為』です!
彼らは恐怖に怯え、そしてレベルを上げただけです!
このままでは、魔王軍は『勇者育成機関』になってしまいます!」
アザゼルは、床に伏したまま、蚊の鳴くような声で呟いた。
彼の声には、もはや力がない。
「フン!
愚かなミノタウロスどもですわね。
わたくしの『魅惑の香水』を全身に浴びていれば、勇者たちはミノタウロスの魅力に抗えず、自ら手を取って魔王城までついてきたはずですのに!
美しさは、どんな抵抗も無意味にする、絶対的な力ですわ!」
リリスが、扇で口元を隠しながら、相変わらず的外れな「美」の論理を語る。
彼女の香水瓶は、もはや武器の一種と化している。
「ぐおおお!
腕相撲が駄目なら、次は『友好の綱引き』だ!
俺が勇者と全力で綱を引き合ってやる!
そしたら、きっと信頼関係が生まれるはずだ!」
ガオガオが、早くも次の「おもてなし」の準備に取り掛かろうと、大広間で仮想の綱を引き始めた。
彼の筋肉は、すでに限界を迎えようとしているアザゼルの精神とは対照的に、ますます漲っている。
「……アザゼル殿。
これまでのデータ分析により、『直接的な身体接触』および『直接的な聴覚刺激』によるアプローチの限界が明確になりました。
勇者は我々の『友好の意図』を、一貫して『攻撃』と解釈する傾向にあります。
そこで、次の作戦は『生産活動を通じた間接的友好形成理論』を推奨します」
ゴルグが、いつもの冷静な声で、しかしどこか確信に満ちた響きで発言した。
アザゼルは、その「理論」という言葉を聞いただけで、胃から謎の液体が逆流してくるのを感じた。
「『生産活動を通じた間接的友好形成理論』……?
ゴルグ殿、どうか、どうかこれ以上、私の胃を試すような真似は……」
アザゼルは、顔面蒼白で懇願する。
「ご安心ください、アザゼル殿。
今回の作戦は、非常に平和的です。
人間は『労働』を通じて達成感や喜びを感じ、共同作業を通じて『信頼関係』を構築するというデータがあります。
彼らの警戒心を解き、レベル上げ効率を低下させるには、彼らに『共同作業の喜び』を体験させることが最も効率的であると判断しました。
そこで、農作業に長けたオーク部隊に指令を出します」
ゴルグは、無機質な視線でアザゼルを見つめながら、新たに広げた巻物を見せた。
そこには、オークたちが楽しそうに畑を耕し、豊かな作物を収穫している牧歌的な絵が描かれている。
アザゼルは、もはや現実と幻想の区別がつかなくなりそうだった。
「オークたちは、森の開けた場所で、『共同畑仕事』を行います。彼らの持つ鍬は、決して武器としてではなく、『農具』として使用されます。
勇者たちが通りかかったら、彼らの目の前で『豊作の喜び』を表現し、収穫したての『新鮮な野菜』を『おもてなし』として献上します。
そして、可能であれば、勇者たちにも『共同作業』への参加を促すのです。
この『生産活動を通じた間接的友好形成』により、勇者たちは我々の真意を理解し、その場で『畑仕事の楽しさ』を体験することで、戦闘への意識を逸らすことが可能です!」
ゴルグが淡々と説明する。
アザゼルは、その説明に脳の血管がブチ切れそうになった。
(『共同畑仕事』!?
オークが鍬を振り回して畑を耕すって、それは『乱暴な奇襲』にしか見えねえだろ!
『新鮮な野菜』を献上しようと投げつけたら、そりゃあ『投擲攻撃』と誤解されるに決まってる!
そして『鍬』を貸そうと刃を向けたら、それはもう『武器を突き付けてる』のと一緒だろ!
何が『生産活動を通じた間接的友好形成』だよ!?
完全に『武装した農民の暴動』じゃねえか!!)
アザゼルの脳内は、悲鳴とツッコミの嵐だった。
ゴルグの理論は、常に「魔族の視点」と「人間側の常識の乖離」を極限まで突き詰めてくる今回は特に、その「善意」が「悪意」にしか見えないという、最悪のパターンだ。
「ほう、『畑仕事』とな!
それは素晴らしい!
食は全ての生命の源! 共に汗を流し、土に触れることで、勇者どももきっと我らが魔族の『実直な心』を理解するであろう!
よし、アザゼル!
この『生産活動を通じた間接的友好形成理論』、ぜひとも試してみるべきだ!」
魔王ゼルガディスは、目を輝かせながら頷いた。
彼の脳内では、オークと勇者が肩を並べて仲良く農作業に勤しみ、収穫の喜びを分かち合っている、牧歌的な光景が広がっているのだろう。
「そうですわ!
わたくしの『魅惑の香水』を収穫した野菜に吹き付ければ、勇者たちはその香りに誘われて、さらに畑仕事に精を出すはずですわ!
美しい香りは、労働の疲れも癒しますもの!」
リリスが、香水瓶をキラキラと輝かせながら提案する。
「ぐおおお!
畑仕事か!
よし、俺が最強の『芋掘りパフォーマンス』を見せてやる!
勇者もきっと、俺の力強さに魅了されるはずだ!」
ガオガオは、早速その場で、まるで大地をえぐるかのように腕を振り回し始めた。
その勢いで、大広間の床が軋む。アザゼルは、もはや自分の魂が、肉体から分離してしまいそうだった。
それでも会議で決定したことは絶対だ。
アザゼルはしぶしぶ命令を下す。
「……オーク部隊よ!
『始まりの森』の開けた場所で、勇者たちを待ち構えよ! 決して武器を構えるな!
その鍬は『農具』としてのみ使用せよ!
勇者と遭遇したら、その場で『畑仕事の楽しさ』を全力でアピールし、収穫したばかりの野菜を『おもてなし』として献上するのだ!
そして、必ず『鍬の刃ではない方』を向けて、共同作業を促せ!
我が魔族の未来は、お前たちの『農業技術』にかかっている!」
アザゼルの指令は、もはや断末魔の叫びのようだった。
②勇者との遭遇
その翌日、『始まりの森』をさらに進んだ勇者パーティーは、開けた場所に差し掛かった。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
複数のオークが、泥だらけになりながら、一心不乱に畑を耕しているのだ。
彼らは、本来なら戦斧を持つはずの手に、巨大な鍬を握りしめ、まるでプロの農夫のように、土を掘り返していた。
「な、なんだあれは……?
オークが……畑仕事?」
レオが目を疑った。
剣を構えるのも忘れ、呆然と立ち尽くす。
「まさか、これも魔王軍の新たな策略ですの?
畑仕事で油断させようとでも?」
セリアが警戒しながら魔法杖を構える。
「くっ……これは……『農耕型戦闘民族』か!?
畑仕事に見せかけて、油断したところを一網打尽にするつもりか!?」
ライアスが聖書を構え、額に汗を浮かべる。
彼の分析は、常に斜め上にいく。
「畑……お野菜……?」
ミラは、少しだけ目を輝かせた。
空腹が限界に達していたのだ。
オークたちは、アザゼルの指令とゴルグの「普遍的娯楽理論」、そして「生産活動を通じた間接的友好形成理論」を懸命に解釈していた。
彼らにとっての「畑仕事の楽しさ」とは、土を耕し、作物を収穫する際の「力強さ」と「躍動感」を表現することであると結論付けたのだ。
そして、「おもてなし」とは、とれたての野菜を「最高の状態」で提供することだと解釈した。
勇者たちが現れた。どうする?
▶たたかう
ぼうぎょ
ようすをみる
にげる
オークたちは、一斉に鍬をぴたりと止め、勇者たちの方を振り向いた。
彼らは、最上部の「たたかう」にカーソルが向くことは決してない。
彼らは「ようすをみる」を選び、そしてすぐに「生産活動を通じた友好形成」に移った。
オークたちは、雄叫びを上げながら、鍬を力強く振り回して畑を掘り始めた!
オークのリーダー格が、両手を天に突き上げ、雄叫びを上げた。
「ウォーグルルルル!(ようこそ! 我らが畑へ!)」
そして、他のオークたちもそれに続き、一斉に鍬を豪快に振り回し始めた!
その動作は、まるで戦場で戦斧を振り回すかのように荒々しく、大地を深くえぐっていく。
土が盛大に舞い上がり、石礫のように勇者たちに降り注ぐ!
「うわっ! 土が来るぞ!」
レオが剣で舞い上がる土を弾く。
「きゃっ! 目に砂がっ!」
セリアが顔を覆う。
「ぐふっ! 右目が……右目がぁぁぁぁ!!」
ライアスが叫んだ。
その右目には、特大の土の塊が直撃したようだ。彼は右手で目を押さえ、激痛に顔を歪める。
ライアスは右目を押さえ、左手を上げた!
ライアスは、土と痛みに悶絶しながらも、本能的に「これ以上、土を浴びたくない」という思いから、左手を上げて顔を守ろうとした。
その仕草は、オークたちにとっては、全く別の意味に映った。
「ウォーグ!(おお、我らが野菜を求めているのか!)」
オークたちは、ライアスの仕草を「もっと野菜をくれ」という要求だと解釈した。
彼らは、ライアスが畑仕事の楽しさに共感し、野菜を求めるようになったと勘違いしたのだ。
オークたちは、収穫したばかりの野菜をライアスめがけて投げつけた!
オークたちは、畑から掘り出したばかりの、泥まみれの巨大なカブやジャガイモ、硬そうなニンジンなどを、まるでボールを投げるかのように、ライアスの左手めがけて投げつけた!
その勢いは、先の木の実の投擲を彷彿とさせる。
「ぬおおおおおおおおっ!?」
ライアスの頭に、硬いカブが直撃する。
鈍い音が響き渡り、ライアスはそのまま意識を失って倒れた。
「ライアス!?」
レオが驚愕する。
「オークは、さらに共同作業を促そうと、レオに鍬を突き出した!」
オークのリーダー格は、ライアスが喜びのあまり倒れたと勘違いし、次にレオに「共同作業の喜び」を伝えようと、満面の笑みで近づいてきた。
そして、手にした鍬を、「刃がある方」を向けて、レオの顔の前に差し出した!
「ウォー!(さあ、君も一緒に!)」
オークは、まるで「さあ、これを使って!」とでも言うかのように、レオに鍬を突き出したのだ。
「ぐっ!?
今度は武器を突きつけてきやがったか!」
レオは、鍬の鋭利な刃が自分の顔の目の前にあることに気づき、咄嗟に剣を構え直した。
③戦闘と結果
勇者たちは、半ば混乱しながらも、本能的にオークを『敵』と認識し、攻撃を開始した!
レオは、突き出された鍬を剣で弾き、そのままオークを斬りつけた! オークは倒れた!
セリアは、怒りに震えながら、オークたちに渾身のフレアを放った! オークたちは燃え尽きた!
ミラは、倒れたライアスを見て、激昂しながらオークたちに短剣を投げつけた!
オークたちは倒れた!
「ライアス! 大丈夫か!?」
レオは、倒れたライアスに駆け寄る。
ライアスの頭には、カブの形に腫れ上がったコブができていた。
「もう……なんだってんだ……」
「オーク怖い……」
ミラは、半泣きになりながら、ライアスの頭をそっと撫でていた。
勇者たちは、オークを撃破したものの、誰もが疲弊しきっていた。
特にライアスは、物理的ダメージだけでなく、精神的ダメージも相当なものだろう。
勇者たちはオークを撃破した!
レオは経験値【100】を手に入れた!
セリアは経験値【100】を手に入れた!
ライアスは経験値【100】を手に入れた!
ミラは経験値【100】を手に入れた!
「チクショー……経験値だけかよ……」
レオは、レベルアップしなかったことに不満げな声を上げた。
「あんなの、レベルアップじゃなくて、ただの精神修行ですわ……」
セリアは、深くため息をついた。
④結果報告
魔王城。
オーク部隊からの報告を受けたアザゼルは、もはや言葉にならないうめき声を上げながら、胃の残骸を抱きしめていた。
彼の目は、完全に虚空を捉えている。
「オークが『畑仕事の楽しさ』を伝えようと鍬を振り回したら、土が飛んでライアスの目を直撃し、さらに野菜を投げつけたら頭に当たって気絶させた挙げ句、共同作業を促そうと鍬の刃を向けたら『攻撃』と誤解されて、全滅させられただとぉぉぉぉお!! しかも、レベルは上がってないものの、着実に経験値を稼がせてるじゃないですかぁぁぁあ!!」
アザゼルの声は、もはや絶叫を通り越して、魂の叫びと化していた。
「うむ……
今回のデータから、『普遍的娯楽理論』における人間側の『農具と武器の区別不能』および『身体的飛来物への過剰反応』が原因と分析します。
我々の『生産活動』は、彼らにとって『危険な奇襲』と認識されたようです。
次なる作戦では、より『静的かつ無害』な形で『魔族の美徳』を伝える必要がありそうですな」
ゴルグが、眉間に深いシワを寄せ、真剣な顔で分析している。
彼の言葉は、一見すると論理的だが、その根底にあるのは相変わらず「普遍的娯楽理論」という、人間には理解不能な「遊び」の概念と、「魔族独自の常識」が複雑に絡み合っていた。
彼は、オークたちが全力で「畑仕事の楽しさ」を表現したにも関わらず、勇者が「労働の喜び」を理解しなかったことを、深く憂いているようだった。
「なるほど、やはり我らの『おもてなし』が、まだ粗野であったのだな!
よし、アザゼル!
次はもっと洗練され、しかし確実に『平和の意図』が伝わるような『展示』を用意するのだ! 我らが魔王軍の『高貴なる文化』を、勇者どもに見せつけてやるぞ!」
魔王ゼルガディスは、ゴルグの言葉に深く納得したように頷き、アザゼルに新たな指令を出す。
その顔は、まるで美術館の館長のように、荘厳で誇らしげだった。
「そうですわ!
わたくしの『魅惑の香水』を空間に満たし、勇者たちの嗅覚を完全に支配すれば、どんな展示も美しく感じられたはずですわ!
美しさは、真実をも変える力がありますもの!」
リリスが、香水瓶をキラキラと輝かせながら、新たな提案を始める。
彼女の提案は、もはや物理法則を超越し始めている。
「ぐおおお!
次は『収穫の舞』だ!
俺が採れたての野菜を抱きかかえ、勇者の前で感謝の舞を踊ってやる!
そしたら、きっと感動して涙を流してくれるはずだ!」
ガオガオは、既に次の「おもてなし」に胸を躍らせ、その場で野菜を抱きかかえる想像をして、うっとりと目を閉じている。
アザゼルは、もはや自分の意識を閉ざすことが、この魔王軍の狂気から逃れる唯一の方法だと悟り、ゆっくりと目を閉じ始めた。
(ああ……
もうダメだ……
この魔王軍に、まともな和平は存在しない……
おれは、いつまでこのコントに付き合わされるんだ……)
アザゼルの意識は遠のいていく。
彼の胃は、もはや存在しているのかどうかも定かではなかった。
この魔王軍で生き残る道は、無限に続く、シュールな悪夢のようだった。