第6話 どうか俺がもう一度青い広い空を見られるように
物資回収班に回れと命令されたので初投稿です。
篠原朔人視点です。
都市部でゾンビが静かに増殖していた頃、俺の大学生活は、何も変わらず続いていた。
俺は、これからもずっと退屈で平凡で、けれど穏やかな日常が続いていくと信じていた。少なくとも、あの日までは。
でも、俺の視界の隅では、確かに何かがおかしくなっているのを感じていた。それを感じたのは、大学のキャンパスでも、街中でも、ささいな変化のようなものだった。
初めは、どこか遠くの町で起きた「暴動」のニュースだった。
報道は不自然に短かった。いつもなら、何日も続くニュースのはずなのに、数分間の特集が放送されたかと思えばすぐに次の話題に切り替わった。けれど、その「暴動」を示す映像には、異常なものが映っていた。人々が何かに取り囲まれ、恐慌状態に陥っている様子。それを映したニュース番組は、あっという間に終わった。
それから、次第に話題になりだしたのが「謎の感染症」のことだ。
街中で原因不明の暴力行為が増えたとか、通行人が突如として攻撃的になっただとか、そんな不安を煽る噂が流れていた。
でも、誰も信じなかった。というか、信じたくなかった。
俺の周りでは、まるで何も起きていないような顔をして、日常を送っているヤツらばかりだった。講義が終わった後に飲み会があったり、昼食をとったりしている間に、そんな情報がどんどん増えていく。でも、それらはどこかで「陰謀論」にすぎないと思われていた。だって、誰もリアルに感じていなかったから。
だが、そんな時、突然事態は急変した。
「ゾンビ」――
そう、あの「ゾンビ」の話が流れ始めた。
テレビのニュースでも、ちらりとその言葉が漏れた。誰かが街中で人を噛みついているという報道があったんだ。実際にその映像を見て、俺も疑問を抱かざるを得なかった。政府はもちろん、その事実を隠し通そうと必死だった。
でも、あの映像を見た以上、嘘であるはずがない。
それでも、誰も本気にしなかった。少なくとも、表向きは。
俺の大学でも、ほとんどの人は「政府がなんとかするだろう」と楽観視していた。そもそも、あんなことが起こるなんて、誰も本気で考えなかった。テレビでは「暴動」「集団感染」とだけ報じられ、ゾンビという言葉が大々的に出ることはなかった。
だが、そのうち、周囲の様子が明らかにおかしくなった。暴動が激化し、都市封鎖が始まり、どこかから逃げてきた人たちが、急に人が変わったかの様に暴れだす。噛まれた人が、まるでゾンビのように変わり果てるのを目の当たりにした時、俺もようやく気づいたんだ。
あの状況が、どこか遠い話ではなく、俺の目の前で現実のものになっていることに。
あの日、講義中にそれが起きた。
教室にゾンビが乱入してきた。俺たちはすぐに避難しようとしたが、あの化け物たちの猛スピードには誰も太刀打ちできなかった。動きが不規則なゾンビたちを避けるため、必死に逃げ惑った俺は、出口に向かって走る途中、何者かに腕を掴まれた。気づいた時には、右腕に鋭い痛みが走っていた。
「噛まれた…」
その一言だけが頭に浮かんだ。
恐怖と絶望の中で、俺の意識はゆっくりと遠のいていった。あれからの記憶はほとんどない。
目が覚めたとき、最初に感じたのは強烈な頭痛だった。自分の体が重く、手足が自由に動かせないような感覚があった。それと同時に、異様に冷たい空気が肌に触れていた。頭がぼんやりとして、どうしてこんな場所にいるのか、どうしてこんな状態になっているのか、全く分からなかった。
視界がゆっくりと開け、白い天井が目に入った。どこか病院のような、無機質で清潔な空間だと感じた。自分がいるのは病室のような場所だろう。とにかく、外界とは切り離された場所であることは明らかだった。
次に、目の前に立っている人物の姿が目に入った。白衣を着た中年の男性だった。彼は、俺が目を覚ましたことに驚いた様子で、一瞬だけ立ちすくんだ。
「目が覚めたか…」
彼はそう言って、僕に少し慎重に近づいてきた。
俺はその人物の顔をぼんやりと見つめながら、状況を理解しようとした。でも、何も思い出せない。ただ、右腕に痛みが残っていることだけは確かだった。その痛みが、あの時のことを鮮明に思い出させた。
「…え?」と、俺は声を出す。
「篠原朔人君、君はゾンビ化しなかったんだ。」
その言葉が、彼の口から静かに出た。
俺は驚いてその言葉を反芻した。ゾンビ化しなかった? それってどういうことだ?
俺は、あの日、確かにゾンビに噛まれたはずだ。あの時の痛み、恐怖、そして絶望感。それを、どこか遠い記憶として感じていた。
でも、今ここで目を覚ましたということは、何かが違う。俺はゾンビにならなかった。
その男性は、俺の反応を見ながら、続けた。
「君は、特殊な免疫を持っている。君の体は、ゾンビウイルスに耐性があるんだ。」
彼は言葉を選ぶように話し、俺の反応を慎重に見守っている。俺はその言葉を咀嚼しながら、やっと自分がいる場所、そして自分の状況を理解しようとした。
「…耐性?」
俺はその言葉を繰り返し、頭の中で整理しようとした。自分がどうしてここにいるのか、どうしてゾンビにならなかったのか、全てが不明瞭だった。
男性は頷きながら、さらに詳しく説明を始めた。
「君は、あの日ゾンビに噛まれたんだよ。だが、君は何らかの要因で体内のDNAとゾンビウイルスを融合させて、ゾンビ化せずに済んだんだ。」
彼はそこで一度黙り込んで、俺をじっと見つめた。
「君がここにいるのは、我々が君の体内の免疫反応等を研究するためだ。」
俺はその説明を聞きながら、少しずつ理解していった。ゾンビに噛まれたにもかかわらず、ゾンビ化しなかった。そんなことが現実にあるのか、信じがたい話だったが、目の前の白衣の研究員の言葉が、それを裏付けているように感じられた。
「ここは…どこなんだ?」
俺は、声を震わせながらその質問を投げかけた。
研究員は少し考えた後、答えた。
「君が今いるのは、我が国の研究機関だ。残念ながら、詳しくは話してはいけないことになっているんだよ。君のような特異な体質を持つ人間を、我々は『研究対象』として扱っている。」
彼は続けて言う。
「君の体には、ゾンビウイルスの抗体があるはずだ。そのことを解明し、もし可能ならば、それを治療薬やワクチンとして利用できるかもしれない。君の役目は、まさにそれを証明することだ。」
「……他にも、俺みたいなやつがいるのか?」
ようやく、それだけ絞り出すように尋ねると、研究員はほんのわずかに表情を曇らせた。
「…そうだね、10人程度は集めたよ。」
その言葉を聞いた時、俺は思わず息を呑んだ。何かが間違っている、そう感じた。
「…俺も含めて全員、ただの実験台だって言うのか?」
その言葉が、口をついて出た。自分でも驚いた。だが、それが俺が感じたままの言葉だった。
研究員は、目を少し細めて、静かに肯定した。
「君には選択肢がないわけではない。しかし、君の体は我々にとって非常に貴重だ。この研究が進めば、ゾンビウイルスに対する治療法が見つかるかもしれない。君の協力が、その道を切り開くんだ。人類の為と思って、協力して貰えるね?」
その言葉には、冷徹な響きがあった。そして、何よりもその言葉の裏にある「命令」のような強さが、俺をさらに不安にさせた。
「…俺には、選択肢がないのか。」
もう一度、呟くようにそう言った。
研究員は少しだけ間をおいて、答える。
「君の体が示している可能性を、無駄にはできない。もし断るならば、君をゾンビとして処分する事になっている。」
その瞬間、俺はようやく全てを理解した。
目の前の研究員は、俺を実験体として利用しようとしている。そして、それに従わなければ、俺の命すら保証されないのだ。
だが、そのことにどうしても納得できなかった。俺は、もう一度深く息を吸い込み、目の前の白衣の男を見つめ返した。恐らく、俺の命を握っているのはこの男だけではないだろう。
「わかったよ。」
俺は少しだけ笑みを浮かべ、冷静に言った。
「研究に協力する。だけど、ひとまず家族に連絡をさせてくれないか」
白衣の男は手にしていたタブレットを閉じ、ほんのわずかに眉を寄せて言った。
「ふむ......。機密情報管理の為に、君を外部と接触させるわけには行かない。......恐らくだが、仮にゾンビへの特効薬の開発に成功したとしても、一生君をここからは出す事は出来ないだろう」
その言葉は、胸の奥に重く沈殿していった。
まるで、そう、囚人だ。違うか。もっと無力な、もっと都合のいい器。それが、今の俺の立場だった。
「……つまり、殺さないだけマシってことか?」
皮肉を込めて返した俺に、研究員はあくまで穏やかな表情を崩さなかった。だが、その目だけは冷たく、まるで実験サンプルの状態を観察するかのようだった。
「君の命は、君個人のものではない。我々にとって、君の体は『資源』だ。無限ではないが、極めて価値の高い資源だよ。無駄にはしない」
「……安心したよ。死ぬほど丁寧に扱ってくれるらしいな」
「勿論だよ」
即答だった。
整えられたこの部屋、密閉されたような沈黙。ここは病室じゃない。生かされたまま、死を先送りにされる場所だった。
俺はベッドの上で、痛む右腕をそっと見る。この傷跡が、今の俺のすべてを決めてしまった。
俺の心にはある決意が芽生えていた。
この研究所にいる限り、俺の人生は支配される。
人類の為だか知らないが、人柱にされるのは御免だ。
いつか必ず、この場所から抜け出してやる。
そして、俺の体に宿る何かが、何の意味を持つのかを見極めるつもりだった。
◆◆◆◆◆
……俺はようやく目が覚めて、視界がゆっくりと現実に戻ってくる。
白い天井。だが、あの研究所の無機質なそれとは違う。ここは、もっと荒んでいる。
ヒビの入った壁、黄ばんだ照明。埃とカビと錆の匂いが、鼻をつく。
「……またあの夢、か」
呟いた声はかすれて、自分でも年齢を感じるほどだった。
東京都心の廃墟。かつて高級住宅だったタワーマンションの一室に、篠原は一人、身を横たえていた。
研究施設にいた頃の夢を、また見ていた。
薄く濁った空が、窓の割れ目から覗いている。カーテンは無く、風の通り道になった室内は、夜でも昼でも温度が同じ。風が吹き抜けるたび、部屋の隅で何かが揺れる。割れた写真立て。かつての誰かの、生活の痕跡。
篠原は、ベッドの上で深く息をつき、目を閉じた。今、目の前に広がる高層マンションの一室も、外の世界も、何もかもが希薄で、まるで現実感がない。だが、三日前のことは、鮮明に思い出せる。
あの時、警備員の一人が話しかけてきたことを覚えている。口調は酷く楽しげで、不快だと思った。
「知ってるか?お前の家族はコロニーに避難できているんだ。まあ、政府の監視下にあるなんて大嘘さ。とっくにお前が死んだと思っているだろうなぁ」
その言葉に、篠原の胸は締め付けられる。無意識のうちに拳が震え、心の中で怒りが芽生えた。
逃げ出すしかない――そう強く思った。
その瞬間、意識の中で何かが弾け、体中が再び目を覚ました。意識が鋭くなり、体の中に溢れんばかりの力が満ちていた。
拘束具はもう、篠原の障害ではなかった。
拘束具を破壊したその瞬間、篠原は動き出す。
目の前の警備員が「やばい、応援要請だ!」と叫ぶのを耳にした。篠原は、全身の筋肉を使って一気に動いた。ギロリと鋭い目で警備員を見据える。立ちすくむ警備員たちは、まだ状況を把握できていない。だが、それも束の間だった。篠原の手から溢れ出す力は、もはや恐ろしいほどのものだった。
一気に跳躍して壁を駆け、銃を握っていた警備員の手を払いのける。さらに反対側の警備員に向かって一気に動いた。その動きは、目で追うのがやっとなほど速かった。
弾丸が飛び交う中、篠原はまるで人々がスローモーションで動いているかのように感じられた。
そして体は勝手に動き、拳が警備員の顔面に届いた瞬間、あっという間にその男は地面に伸びた。
篠原は、今でもその時の感覚を忘れることはできない。
あの時、完全に自分が「人間」を超えていた感覚がした。それに恐怖を感じる余裕もなく、ただひたすらに体を動かし続けた。
そして、最終的に研究機関のエントランスのドアが壊れた瞬間、外の冷たい空気が一気に流れ込んできた。
篠原は、ただひたすらにその出口を目指して走り出した。
研究所の外――広がる世界に足を踏み出した瞬間、少し前までの何もかもが遠く感じられ、ただ自由が待っていた。
でも、すべては遅過ぎた。家族は2年前に俺が死んだと思っているだろう。
俺は、独りになったんだ。
「篠原朔人 さんが なりたいのは
どの職業でありますか?」
「篠原朔人 さんは
ぼっち になりたいと
申すのですね?」
「では 篠原朔人 よ。
ぼっち の
気持ちになって 祈りなさい。
おお この世の すべての命を
つかさどる神よ! 篠原朔人 に
新たな人生を 歩ませたまえ!」
「これで 篠原朔人 さんは
ぼっち として
生きてゆくことになりました。
生まれ変わったつもりで
修行に はげんでください。」
読んで下さりありがとうございます。
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