第14話 脱走者の夢の前途を照らす闇
梅雨が明けてきて色々と完全復活したので初投稿です。
篠原朔人視点です。
彼も一応第1章の主人公の一人なのでたくさん登場します。良かったね。
部屋の空気は、相変わらず埃っぽかった。
生ぬるい夜風がカーテンを揺らし、どこか遠くの匂いを運んでくる。
俺はジャケットと、食料を詰め込んだリュックをリビングの床に放り投げると、靴も脱がずにソファへ倒れ込んだ。
何もかもが止まったような時間のなかで、天井をぼんやりと見上げる。
ここにはテレビもなければ、電波も通らない。
聞こえるのは自分の呼吸と、古い換気扇の低いうなり声だけ。
馴染みきった孤独だった。もはや他人の気配のない空間に、不安はなかった。
ふと、視界の端に何かが映る。
棚の上に、いくつかの写真立てが置かれていた。写っているのは三人の家族。誰も彼もが、まぶしいほどの笑顔をしている。
上品そうな男女――夫婦と思しき二人に挟まれた、整った顔立ちの子ども。どちらかというと、母親に似ていた。
家族旅行か何かの一幕だろう。背景には見覚えのない遊園地のアトラクションや、古びた旅館の和室が写っている。
クラスターで世界が崩壊する前の、幸せな家族の姿がそこにあった。
写真の中の三人は、これから何が起こるのかなど知る由もない。
何もかもが壊れるだなんて、夢にも思わなかったはずだ。
だが現実には――
この部屋の主も、他の検体たちも、みんな例外なく、家族と引き離されて幽閉されている。
名前を変えられ、番号で管理され、海の孤島にある研究施設で暮らすことを強いられた。
『―――仮にゾンビへの特効薬の開発に成功したとしても、一生君をここからは出すことができないだろう――』
かつて白衣の誰かがそう言った言葉が、耳の奥で鈍く反響する。
どれだけ科学的根拠や倫理的言い訳を並べようと、それは「檻」だった。家畜を囲うための、鉄格子の檻。
人間に戻る可能性を、最初から奪われたまま――俺たちは、あそこにいた。
誰もがそれを口にしないだけで、分かっているのだ。
研究の成功が「救済」には繋がらないことを。
抗体を持つ者は、ただの「実験素材」として価値があるだけだということを。
写真立てのガラスに映った自分の顔は、驚くほど無表情だった。
それが、今の俺――いや、「人間をやめかけている俺」の姿だったのかもしれない。
どこかで、この状況をただ受け入れていた。
怒りを抱えていても、それを行動に変える術もなく、ただ薄暗い部屋で日々をすり減らしていく。
「仕方ない」と何度も自分に言い聞かせて、あらゆる希望に、見て見ぬふりをしていた。
思い出すのは、今日出会った少女のことだ。異国の血を引いた、妖しい少女。
そして、彼女が持ちかけてきた取引。
あの目には、確かに「目的」があった。
この、とっくに終わった世界に、まだ何かを起こそうとしている目だった。
俺はその言葉をすぐには信じなかった。いや、信じたくなかった。
期待して裏切られるほうが、何倍も堪えるからだ。
だが、もし、あれが本当だったとしたら。
ほんのわずかでも希望があるのなら。
――たとえ罠だったとしても、ただ待つよりはマシだ。
行動しなければ、何も変わらない。この終わった世界で、腐っていくだけだ。
それに、このままでは家族に会いに行けない。俺が接触する事で、家族に迷惑をかけたくなかった。
だから、動くしかない。
堂々と再会できるような、そんな世界に変えていかなければならない。
俺はソファから立ち上がる。
放り投げたままだったジャケットを拾い、埃を払って羽織った。
床に転がるリュックには、最低限の装備と食料だけが詰まっている。部屋の備蓄を追加すれば、十分だ。
部屋の空気は相変わらず埃臭かったが、不思議と今は、それすらも背中を押してくれるように感じた。
今の世界に、俺の居場所なんてない。
だから、また――ここを出ていく。
今までも、そしてこれからも、紛れもなく「俺自身の意志」で。
キリが良いところだったので、短めですが一旦区切ります。
次回も篠原朔人視点です。グヘヘお兄さん頑張ってや⋯
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