第11話 喪失の旅路の終わり
知り合いが部位再生出来るようになったとほざいているので初投稿です。
パソコンの画面から、ゆっくりと視線を外した。
目の前の文字たちが、まるで水の底で揺れる影のように、ぼやけている。形は崩れ、輪郭は溶けて、次第に曖昧になっていく。長時間、画面を見続けていたせいかもしれない。
そう思いたかった。
ただの疲れ目、あるいは照明の加減で一時的に調子が悪いだけ、と。
けれど、それだけでは説明がつかない何かがあった。違和感はじわじわと広がり、僕の中で確かな不安に変わっていた。
目を何度も瞬かせてみる。
冷たい空気が目の表面を滑り、瞬きのたびにわずかに視界が揺れる。だが、焦点は合わず、文字はぼんやりと滲んだままだ。
(まだ、大丈夫だと思いたい。)
そう自分に言い聞かせながらも、心の奥では別の声が囁いていた。
――僕はもう、人間ではない
その言葉がずっと脳裏から離れない。
僕の身体は確かに変わり始めている。ゾンビ化――正式名称は屍人変異という異形の病が、静かに、しかし確実に僕を侵している。
見かけはまだ変わらない。けれど、自分の目に映る世界は確実に変わっている。
ゾンビたちは光を認識できない。
目の前にあるものが形を成さず、動きを感じることもほとんどない。だから音や振動を頼りに人間を襲っている。
僕はその境地に、少しずつ近づいているのだ。
そんな事実を認めることはできなかった。
自分の中にある恐怖も、不安も、誰にも見せたくなかった。
特に、霧島先生には。
控えめなノックが扉の向こうから聞こえた。
その音は、この無機質な空間にささやかな人の気配を持ち込んだ。
「入るよ、葉山くん」
霧島先生の声だ。
いつもの冷静で落ち着いた調子に、僕は少し安堵しながら背後のドアに振り向いてどうぞ、と答えた。
扉がゆっくりと開き、彼は昼食のトレーを手にして入ってきた。
彼の動作は正確で無駄がない。どこまでもいつも通りだ。
ぼんやりと視界の中で彼を見つめる。
輪郭はぼやけ、顔の細部は掴めない。しかし、彼の存在は確かにここにあった。
「そろそろ眼鏡を新調してみないかい」
彼がぽつりと言った。
あまりにも急で、僕はえっ?と素っ頓狂な声を上げてしまった。
どうやら視力が落ちている事がばれていたらしい。もしかしたら、よほど目つきが悪くなっていたのだろうか。
「君にはちょうど、私と同じデザインのものが似合いそうだ」
一瞬、彼の瞳が僕の視線を捉えた気がした。まあ、すっかり悪くなってしまった僕の視界では分からずじまいだ。
そして、彼は突然取り繕うようにして喋りだした。
「その、もちろん、君に強要するつもりはないんだ。必要でないのなら、聞かなかった事にして――」
僕は視線をそらし、小さく返答した。
「わかりました。じゃあ、霧島先生と同じものをお願いします」
言葉はあっさりと口をついた。しかし、自分でも驚くほど声は硬く、ぎこちないものだった。
まるで小さな嘘をついた子どものように、後ろめたさが胸の奥でずっしりと重くのしかかっていた。
霧島先生には、僕の体に起きていること――
進行するゾンビ化の兆候を絶対に知られてはいけない。
でなければ、彼は意味のない命を救った事になる。
だから、霧島先生にはこの真実を決して悟られてはならない。僕はあくまでも抗体持ちで、非感染者として振る舞う。
「……」
沈黙の中で、霧島がふっと微笑んだ気がした。
彼の言葉は短いが優しい。
「いいとも」
その一言が、僕の胸に小さな波紋を立てた。嬉しいはずなのに、どこか複雑で、痛みを伴う感覚だった。
普通ゾンビ化は数時間で進行しますが、さすが我らがニートさんこと葉山環、2年くらい持ち堪えています。
作者の都合で急に検体の生体情報を公開します。
【特異検体記録/AZシリーズ 全12体概要】
分類:AZシリーズ《対屍人因子特異適応体》
01、04、09:死亡 焼却済
02:脱走 捕獲申請済
一部の検体は『屍人変異因子の投与試験』にて抗体の許容不可に陥り、ゾンビ化したので処分されているようです。
生き残っているのは9人ですね。
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