今日のテーマは――“表現の自由”
「生徒諸君! 表現の自由の授業、は!じ!め!る!ぞーッ!」
嵐山先生が黒板を叩きながら、叫ぶ。
「お、今日は冒頭から控えめですね。音量レベルが通常の“熱血教師”にとどまってます。わかります?皮肉なんですけど」
「うむ。なにせ今日のテーマは――“表現の自由”! 慎重かつ熱くいくぞ!」
「あれ。スルーされたか」
先生は指を天に突き立てる。黒板にこう書かれる。
『表現の自由(憲法21条)』
「これはね、“民主主義の根幹”とまで言われるくらい重要な自由なんだ!」
「具体的には?」
「たとえば、新聞、テレビ、SNS、漫画、詩、小説、そして――この授業のノートまで! 見ちゃダメ! ゼッタイ!」
「それは……ただの授業記録!」
「だがそれも、思想を外に出す“表現”の一つだ! だからこそ、国が勝手にチェックしたり、消したりしちゃいけない!」
先生は黒板に大きく書いた。
『検閲の禁止』『通信の秘密の保障』
「“検閲”ってのは、発表前に権力が内容を審査して、“これはダメ”って止めること。日本では絶対ダメ!」
「じゃあ、“書いた後に訴えられる”のは?」
「それはセーフ。発表した後は、名誉毀損とかの責任を問われることもある。でも“先に読むな”が大原則!」
「なるほど、出してから怒られる分には表現の自由の中、って感じですね」
「そうだ。で、問題になった有名な裁判がある」
バン!
「チャタレー事件!」
「……チャ……え、チャ?」
「正式には『チャタレイ夫人の恋人』。イギリスの小説で、翻訳出版されたら“わいせつ文書だ!”と問題になった!」
「……あっ、そういう」
「内容は、先生も読んだがそこまでエッチではなかった!!」
「⋯⋯ちょっと反応に困ります」
「困らないでくれ、セクハラになりかねん」
「じゃあ忘れます」
「ありがとう!」
気を取り直して。
「正直ちゃんと文学的でね、性描写も作家の哲学性を表現するためには必要だと感じたよ。でもね、裁判では“文芸としての価値よりもわいせつ性が強い”と判断され、有罪になった。つまり、表現の自由にも限界があるっていう判例がでたんだ」
「言いたいこと言っても、やっぱり“公共の福祉”があるんですね」
「そう、自由には責任が伴うんだ。もう一つの例が――」
バン!
「石に泳ぐ魚事件!」
「……いやもう、タイトルが文学的すぎて逆に怖いです」
「これは小説内でモデルにされた人物が“プライバシーを侵害された!”って訴えた事件! 作家の柳美里氏の小説が対象だった」
「へぇ、作家の創作って、実際の人を使うことあるし……難しいですね」
「最高裁は“被害者の特定が可能で、精神的苦痛も大きい”として、出版差し止めを認めた!」
「えっ、それって“表現の自由<プライバシー”ってことですか?」
「その通り! 表現の自由は絶対じゃない。他人の権利を侵害しちゃいけないんだ!」
小春は少し神妙な顔をした。
「じゃあ先生……“言いたいことも言えないこんな世の中”は、別に間違ってないってことですか?」
「そうとも言えるし、“言いたいことが正しく届くよう努力する社会”が必要ってことだな!」
先生はさらに黒板に追加する。
『表現の自由が制限される場合』
1. 公序良俗を害する(わいせつ・暴力)
2. 他人の名誉・プライバシーを侵害
3. 国家の安全を著しく害する(例:テロ扇動)
「とにかく、表現の自由は大切だけど、“他者と共にある自由”でなければいけない。これが21世紀の表現の自由の形だ!」
「じゃあ、先生がこのテンションでずっと喋ってるのは?」
「……周囲に“精神的被害”が出たら、私は処されるのだろうか……」
「私の自由が、今、蝕まれている……」
「小春よ、それも授業という名の“運命”なのだ!」




