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異世界生活でまるっと分かる中学社会〜公民編〜  作者: 紅茶


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魔界の王と教師、ダンジョンへ旅立つ(第一章)

考えるの疲れたので冒険活劇書きました。



魔界は今日も晴れ。燃えるような赤い空の下、魔王城の塔に、乾いたチョークの音が響いていた。


「それじゃあ今日は『租税回避と脱税の違い』について──」


「小春。申し訳ないが、その話は後にしてくれぬか」


黒板に向かっていた少女、小春が振り返ると、教室の入り口に魔王インディゴが立っていた。黒き甲冑を身にまとい、その背には巨大な剣を背負っている。


「……え? 今日は授業のあとに焼き芋会って約束したじゃないですか。先生にキャンセルされると、生徒のやる気がそがれるんですよ?」


「急を要することだ。……ダンジョンが、現れた」


「……え、まさか人間界に?」


インディゴは小さく頷いた。


魔界と人間界を隔てる次元の壁。その壁がひずむと、魔界に属する存在が漏れ出す“ダンジョン”が現れる。そこには魔物が巣食い、空間は歪み、そして何より、人間の心を惑わす“幻”が広がる。


「だが、今回は様子が違う。……小春、お前の名前が、入口の石碑に刻まれていた」


「……は?」


「“小春、ここへ還れ”──そう書かれていた」


教室が、しんと静まり返る。


小春の頬がわずかにこわばる。その瞳に、過去の影がよぎった。


「……わかりました。行きましょう」


インディゴは静かに頷くと、マントを翻した。


「ただし、焼き芋会は後日延期な」


「そこは守ってくれるんですね」



魔王城の前に、転移陣が展開されていた。魔法陣の中心には、小さな浮遊石がぐるぐると回っている。


「……小春、これは危険な旅になるやもしれん。お前一人で行かせるわけにはいかぬ」


「私、ただの先生なんですけど?」


「“ただの”ではない。お前は……私に知をくれた者だ。だから、これは“王”としてではなく、“お前の友”としての同行だ」


その言葉に、小春はしばし言葉を失った。だがすぐに、いつもの調子で答えた。


「じゃあ、ちゃんと責任とってくださいね、友よ」


「もちろんだ、“同志”よ」


転移陣が激しく光を放つ。


二人の姿がその光に呑まれ、やがて消えた。



転移の感覚は、まるで夢の中を落ちていくようだった。


──そして、次に小春が目を開けた時。


そこには、見慣れた光景が広がっていた。


「……え? え?」


アスファルトの舗道。コンビニの看板。駐輪場。自転車。見覚えのある交差点。


「ここ……わたしの、地元じゃん……?」


その時、背後で重たい着地音が響いた。振り返ると、魔王インディゴが、周囲の電柱を警戒するように睨んでいた。


「ここが……“ダンジョン”? 魔の気配は……感じぬ」


「だってこれ、どう見ても普通の……あ、あそこに牛丼屋ある!」


「……牛?」


小春は半ば走るようにして、チェーン店の暖簾をくぐった。


「いらっしゃいませー」


「……ほんとに、普通の店員さんだ……なにこれ、どゆこと?」


インディゴも後に続き、首を傾げる。


「小春、ここに人間がいる。だが、彼らから“生”の波動が感じられぬ……」


「つまり?」


「まるで、絵本の中の登場人物のようだ。……命が、ない」


小春は一瞬、笑顔のまま固まった。


その笑顔の奥で、何かが冷たく凍っていく。


「……ここは、本当に“わたしの知ってる場所”なの?」



---




牛丼屋の中には、いつもの昼時のようなざわつきがあった。学生風の若者たち、作業服の中年男性、スマホをいじりながら独り言をつぶやく女性。だが、その全員が──小春の目には妙に“人間らしく”見えなかった。


「……動いてるのに、呼吸してない?」


小春は店員の動作に目を凝らした。お盆を取る手は流れるようだが、胸の上下運動がない。肌も、妙にワックスがかかったような質感だ。


「インディゴ様、外にいた人たちも……?」


「ああ。目を合わせても、我らの存在を認識しない。まるで“ここ”が、我々のいない世界として閉じているようだ」


小春はお盆に並んだ牛丼を見つめる。湯気が立っている。匂いもある。けれど、何かが違う。


「……このお肉。脂の感じも、ごはんの艶もリアルなのに……“温度”が、記憶と違う。うすいっていうか、ぬるい……“嘘の温もり”だ」


まるで、思い出の味を再現しようとして失敗した、古びた夢の中にいるようだった。


「そもそも、私の名前が刻まれた石碑が、ダンジョンの入口にあったんですよね?」


「うむ。“小春、ここへ還れ”と、確かにあった」


「でも、私、生きてますよね。死んでませんよね?」


「うむ」


「ということは──これは、“帰る場所”じゃなくて、“帰らされる場所”かも」


インディゴの瞳が鋭く細められる。


「つまり、これは“幻”ではなく……記憶の罠だと?」


「そう。“わたしの過去”を模して作られた空間。たぶん、このダンジョン自体が、わたしを閉じ込めようとしてる」


「それほどまでに、お前を……」


インディゴは言葉を濁した。だが小春は、それ以上を聞こうとしなかった。牛丼屋のドアを静かに開け、外へ出る。


「私、この街が大好きだったんです。近所のおばちゃんも優しかったし、神社の猫はなぜか毎日私の靴の上で昼寝してたし。──でも、今ここにいる人たちには、“名前”がない」


インディゴも外に出て、空を見上げた。


「──空も、静かすぎる。風が止まっている。音が、足りない。“命のある世界”なら、本来もっと雑音があるはずだ」


「うん……たぶん、これは“完璧すぎる世界”なんだよ。矛盾が起きないように、すべてが整理されすぎてる」


小春の手が、胸元にそっと置かれる。


「……この世界、怖い。けど、懐かしくて、安心する。だから、ここにずっといたくなっちゃう。たぶん、そういう罠なんです」


インディゴは無言で、小春の肩に手を置いた。


「ならば我らは、罠を破る者だ。“夢”に生きるのではなく、“現実”を歩く者だ。そうであろう、小春」


小春はゆっくりと笑った。


「さすが、うちの生徒」


そのときだった。


世界の色が、一瞬だけ“にじんだ”。


舗道の端に立っていた電柱が、微かに揺れた。ビルのガラス窓に映る空が、ちらりと“別の空”に差し変わる。そして──牛丼屋の看板が、音もなく消えた。


「……今の、見た?」


「ああ。“幻”が崩れ始めている。“お前の自我”が、この世界を拒否している証拠だ」


小春は小さく息を吸った。


「ねえ、インディゴ様。ダンジョンって、魔物が潜んでる場所、ですよね?」


「その通りだ」


「じゃあさ。このダンジョンの中にいる魔物って、もしかして──」


その時だった。


彼女たちの背後で、“何か”が這うような音がした。


ぬるり──ぐしゃり。


小春が振り返ると、かつて見慣れた雑居ビルの壁が、ぬめるように“呼吸”していた。人の顔のような“膨らみ”が、壁の内側から浮かび上がってくる。


「この街……生きてる……?」


インディゴが剣を構えた。


「いや。“この街の形をした何か”が、我らを喰らおうとしている。これはもう、ダンジョンというより──“胃袋”だ」


「……え、つまり」


「我らは今、生き物の中にいる。胃の中で、偽りの街を見せられている。“喰われるまで、気づかせない”ようにな」


小春の背筋が凍りついた。


「……なるほど、“完全な世界”だと思ったら、まさかの消化器官……」


「小春、ここからが本当のダンジョンだ。気を抜くな」


小春は、小さく頷いた。


だがその時──


遠くの空が、ふたたび“裂けた”。


そこから覗いたものは、空でも星でもなく──ぬめりをもった巨大な眼球だった。




---




「──あの目、完全にこっちを見てましたよね?」


小春は乾いた声でそう言いながら、スカートの裾を握った。先ほど空が裂け、その奥に現れた巨大な眼球。それは人間のものとも、動物のものとも違っていた。虹彩はぐにゃぐにゃと形を変え、瞳孔は縦にも横にも引き伸びていた。


「うむ。あれは“観察する目”だ。我々の位置、動き、心の動揺すら見透かそうとしている。──まるで、消化の準備を進めるためにな」


「胃袋に目がついてるとか、どんな生き物なんですか……」


小春は震える膝を押さえつけながら、街の端へと歩き出す。


牛丼屋はもう影も形もなかった。隣のカフェも、アイス屋も、次々と“沈んで”いくように地面へ呑まれていく。その跡には、灰のような砂が残るだけだった。


「……“消化”が始まってる」


「時がない。我らはこの幻を突き破り、本体に辿り着かねばならぬ」


「でも、どうやって……?」


インディゴは剣を抜いた。漆黒の刃身に刻まれたルーンが、鈍く脈打っている。


「空間を切り裂く。幻の街に“裂け目”があるはずだ。そこから本体の組織に侵入し、中心核を断ち切る」


「胃袋の“中心核”って何ですか。心臓?」


「……たぶん、“脳”だ」


「胃の中に脳……なるほど、意味が分からん。完璧にホラー」


二人は廃れた住宅街を抜け、いつしか雑木林に似たエリアへと出ていた。しかしその木々すら、近づいてよく見ると──


「……これ、木じゃない。“腸絨毛”だ。栄養を吸収するヒダ。見たことある、保健の教科書で……」


木の皮のように見えていたのは、粘液質のヒダが幾重にも重なった“吸収壁”。風に揺れているのではなく、蠕動運動でわずかに脈打っている。


「完全に、我々は生物の“中”にいる。しかもその体内には、精密に再現された“記憶”が仕組まれていた。“小春の精神”を餌にして、捕食を完了するつもりだったのだろう」


「私が気づかなかったら、たぶんそのまま溶けてたんですね……。うわあ……さっき食べようとした牛丼の脂身、いま思い出したら“胃液の泡”みたいだった……」


「もう二度と牛丼が食べられなくなる呪いかもしれんな」


「その呪いはイヤだなあ」


そう冗談を交わしながらも、二人の顔は冗談のそれではなかった。


前方に、確かに“空間の裂け目”が見えた。


森の中にぽっかりと浮かぶような、黒いひだの間。そこは、まるで臍の緒のように繋がれた器官同士の隙間。現実空間との“縫い目”のようにも見えた。


「──ここを、抜けるのですね」


「ああ。ここから先は“脳”に近づく。幻も誤魔化しも効かない。“本性”が露になる場所だ」


「……正直、怖い。でも……」


小春は、ふっと笑った。


「魔王様が一緒なら、だいぶマシです」


インディゴは小さく頷くと、その裂け目に足を踏み入れた。


──その瞬間、世界が反転した。


地面がなくなり、視界が溶け、重力が横に走ったような感覚。


そして、二人は“本体”の中枢へと辿り着いた。


そこは──脳のようでもあり、神殿のようでもあった。


柔らかな肉の柱が幾重にも連なり、その奥には巨大な“核”が浮かんでいた。まるで水晶球のような、しかし内側には無数の顔が歪んで映り込んでいる。


「小春。見よ、あれがこのダンジョンの心臓だ。幻を生み出す“記憶装置”。……そして、その顔はすべて“お前”だ」


小春は、茫然とその核を見上げた。


少女時代の自分、泣いている自分、怒っている自分。街角で笑っている自分。すべてがそこに映っていた。まるで、自分という存在が、核に“記録”され、利用されているようだった。


「──私の、記憶が、喰われてる?」


「あるいは、記憶が呼び寄せたのかもしれん。お前の過去の想いが、魔界に歪みを起こし、この怪物を“呼んだ”のだとしたら……」


そのとき、核が震え、中央から巨大な触手が伸びてきた。


「……ッ!」


小春の足元から粘液が噴き上がり、彼女の脚を絡めとった。


「インディゴ──!」


「小春!」


触手が彼女を引き裂こうとしたその刹那──


魔王インディゴの瞳が、紅く燃え上がった。


「──我が名は、インディゴ。“七界の王”にして、“理の刃”を操る者!」


彼の背後に、黒炎が広がる。剣に刻まれたルーンが閃光を放ち、空間そのものが震えた。


「我が“友”に触れし罪──貴様、我が怒りの裁きを受けよ」


その一撃は、世界を裂いた。


闇を纏う斬撃が、核の中央をまっすぐ貫く。


次の瞬間、脳のような構造体が破裂し、無数の記憶の欠片が虚空に溶けていった。


「──終わった、のか……?」


崩れ落ちる世界。光が差し込む。粘液の壁が剥がれ、偽りの空間が砕ける音が響く。


「インディゴ様……助けてくれて、ありがとうございます」


小春は、かすれた声でそう言った。


インディゴは、剣を収めながら微笑んだ。


「“生徒”を守るのは、教師の務めであろう?」


「それ、逆ですけどね……でも、今回は特別に、許します」


そして二人は、崩れゆく空間の中を──光へと歩み出した。


……


次の瞬間。


魔王城の教室。チョークの音。窓の外に広がる赤い空。


「それじゃあ今日は、『租税回避と脱税の違い』について──」


小春が微笑みながら板書を再開すると、インディゴが静かに呟いた。


「……焼き芋会は、今晩でよいか?」


「ふふっ、もちろんです、魔王様」


そして再び、いつもの授業が始まる。


だが二人は、もう知っていた。


その“日常”が、いかに儚く、いかに尊いものであるかを。


続く?


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