徴兵制の補足①
教室に再び重めの空気が漂っていた。
しかし、慣れてきたのか、生徒たちの顔にはどこか覚悟のようなものが浮かんでいた。
「はい、では続きをやります。今日は“徴兵制のある国”と“実際に戦争が起きたときに何が起こるのか”を深堀りします。いよいよ核心です」
小春はそう言うと、教室の黒板に大きく見出しを書いた。
【世界の徴兵制──国によってこんなに違う】
「兵役って、一言で言っても国によってまるで違います。ざっくり分けるとこんな感じです」
● 義務的徴兵制のある国
韓国:18〜21か月。徴兵逃れは重大な社会問題になる。アイドルも行きます。
イスラエル:男女共に徴兵。パイロットも女性が多い。緊張の絶えない国境事情。
スイス:“永世中立国”だが、国民皆兵に近い。民間防衛のマニュアルは有名。
フィンランド:ロシアとの国境を警戒しており、徴兵制度が根強い。
● 志願制・職業軍人が中心の国
日本:志願制の自衛隊。人数不足が深刻化。
アメリカ:徴兵制は廃止済み。ただし有事には“再開可能な登録制度”あり。
イギリス・ドイツ:徴兵制は廃止。志願兵制度。
「徴兵制は、国家の地理・歴史・安全保障環境によって大きく異なります。国境が危ない国ほど徴兵制が残る傾向があります」
【旧ユーゴスラビアの内戦──民族と憎しみの連鎖】
「じゃあここからは、実際の戦争の事例に入ります。一つ目は“旧ユーゴスラビアの内戦”です」
黒板に地図が描かれる。バルカン半島、小さな国々がひしめく地域だ。
「ユーゴスラビアは、多民族国家でした。セルビア人、クロアチア人、ボスニア人、スロベニア人……宗教も言語も違う。でも、チトー大統領というカリスマが一つにまとめていた」
「だが、冷戦の終結とともに……」
「チトーの死後、国家の中心が消え、各民族が独立を目指します。そして、セルビアが“自分たちの領土だ”と主張して戦争に。1990年代、ボスニア紛争では民族浄化まで行われました」
「“隣人が敵になった”という戦争。徴兵された青年たちは、かつての友人に銃を向けました
」
「……」
教室が静まり返る。
「戦争って、どこか遠くの国の話に聞こえるけど、“同じ国の中で起きる”こともあるんです」
【第一次世界大戦──連鎖の悲劇】
「次に、“第一次世界大戦”です」
小春は机の上におもちゃのドミノを並べて、一つを倒す。
「たった一発の銃声で、世界が戦争に突入します」
【発端】
1914年、オーストリア皇太子がセルビアの青年に暗殺される。
オーストリアがセルビアに宣戦布告。
同盟国が次々に参戦(ドイツ、ロシア、フランス、イギリス…)。
「“国を守るための同盟”が、逆に戦争を広げたんです」
「戦争は4年に及び、徴兵された若者たちが次々と西部戦線の塹壕に送られました。戦死者約1700万人。徴兵された一般市民が、その多くを占めました」
「国を守るため、誰かのため──そう思って戦った人たちが、実は“大きな戦略ミス”の犠牲になっていた。そんな戦争です」
【ロシアとウクライナ──現代の戦争】
「最後に、今現在進行中の戦争、“ロシアとウクライナ”です」
黒板に2022年の日付が書かれる。
「2022年、ロシアがウクライナに侵攻しました。理由は、“NATOの拡大”への警戒、“歴史的な領土意識”……色々言われてますが、本質は“権威主義と民主主義の対立”だとも言われています」
「ロシアは当初、短期決戦を想定していましたが、予想以上にウクライナが抵抗。結果、部分的な動員=徴兵が行われ、反発した国民が国外に逃げる動きも加速しました」
「一方、ウクライナも全国民を挙げて抵抗。18歳から60歳の男性の出国は原則禁止、女性の動員も検討されています」
「つまり、これは“国民総動員戦争”です。命をかけて、国の存在を守ろうとしている。現代でも、です」
【兵役が問うもの】
「これらの戦争を見ればわかるとおり、徴兵制度がどう使われるかは、政府と国民の関係によります。正義のための兵役もあれば、侵略の道具になる兵役もある」
「でも、それは“兵役が悪”という話ではないんです。“どう使うか”“どこまで許すか”は、国民一人ひとりの判断です」
「だからこそ、兵役制度のあるなしに関係なく、“自分がどう向き合うか”を考える必要がある」
インディゴがうなずいた。
「戦うことを強いられる前に、戦うかどうかを考える力が必要というわけだな」
「はい。でなければ、いつかまた“隣人に銃を向ける日”が来てしまいます」
【終わりに】
小春は、教室の後ろの地図を指差して言った。
「この中に、“戦争と無縁の国”は、ひとつもありません。過去に、今に、未来に。どこかで争いは起きているし、これからも起きるでしょう」
「だからこそ、知るんです」
「自分がどんな国に生まれて、どんな責任があって、何を大切にしたいかを」
黒板には、最後の一文が残された。
『徴兵とは、国家があなたを戦争に使う“正当な権利”を得ること。それを与えるかどうかは、あなたが判断する』
「では、今日の講義はここまでです」




