言論の自由と「黙る自由」
静かな教室に、パチン、とチョークの音が響く。
「じゃあ、今日は“言論の自由”と“黙る自由”についてやっていきます」
チョークを片手に、小春は黒板に「言論の自由」と大きく書いた。
「言論の自由。これはね、国家権力によって、考えたことや言いたいことを妨げられない自由です」
「つまり、何を言ってもよいのか?」
そう尋ねるのは、今日も最前列に座る魔王インディゴ。勉強熱心である。
「うーん、そこがちょっとややこしいんです。言論の自由は大切です。でも、他人の名誉を傷つけたり、虚偽の事実で人を追い詰めたりすれば、それは“濫用”です」
「ふむ。自由と無制限は違う、ということか」
「正解です!」
黒板にもう一つ、「黙る自由」と書き足す。
「あと、あまり知られていないけど、“黙る自由”というのも大事なんです。特に刑事裁判においてはね」
「黙ってもいい? それでは真実が見えなくなるのでは?」
「それがですね……刑事裁判では、“黙っているからと言って不利に扱ってはいけない”って決まってるんです。無罪の推定というやつですね」
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◆ 小春の豆知識コーナー:黙秘権と最高裁判例
「たとえば、1975年の“松川事件再審判決”では、黙秘を続けた被告に対し、有罪とするための“積極的な証拠”が必要だとされました」
「なるほど、黙っていても、それだけでは罪とならぬ……か」
「そうです。警察や検察に“言わされた”ことが真実とは限らないでしょ? だから、無理やり言わせないためにも、“黙る自由”があるんです」
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◆ 黙っているのはズルい? それとも賢い?
インディゴは少し腕を組んでうなった。
「……だが、小春。民が何も言わなくなったら、政治も腐るのでは?」
「うん、それも正解!だから、“黙る自由”はあくまで“選択肢”です。意見を言うのも、黙っているのも、どちらも『自分で選ぶ』ことが大事」
「黙っている人が多すぎると、権力を監視する目が減る──それが危険というわけだな」
「その通りです! たとえば、ある制度がわざとややこしく作られていて、詳しく調べなきゃ損をするようになっている場合、“なぜ?”と声を上げる人がいなければ、ずっと搾取され続けるでしょ?」
「まるで……複雑な税制や補助金制度のようだな」
「そうそう。『知らないと損する』って仕組みが放置されるのは、“言う自由”があるのに“誰も言わない”からです。逆に、“言う人”をバカにする社会だと、みんな黙ってしまう」
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◆ 言論の自由の裏には、責任がある
「でも言論の自由って、時には他人とぶつかるでしょ? “言う自由”があるってことは、聞きたくないことを聞く自由もあるってことなんですよ」
「うむ。ときに、耳の痛い言葉ほど真実に近い……」
「だから、自由には責任がつきものなんです」
小春は黒板に大きく書く。
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【言論の自由=好き勝手に言っていい自由 ×
+自分の言葉に責任を持つ自由】
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◆ 裁判で問われた「表現の自由」
「たとえばね、2003年の『君が代・日の丸訴訟』では、教師が式典で起立しなかったことについて、思想・良心の自由が争点になりました」
「うむ、日本ではそのようなことも問題になるのだな」
「教師が“強制された”と感じた場合、それは国家による『内心の自由』への介入になりかねない。でも一方で、学校には秩序も必要……ということで、裁判所も悩みに悩みました」
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◆ 小春のまとめ
「つまりね、“言いたいことが言える”というのは、すごく尊いこと。けど、それは他人にも同じ自由があることを理解しないと、自由じゃなくてただの“わがまま”になっちゃう」
「では、“黙る”ことはどうか?」
「それも尊いです。“何も言わない自由”があるからこそ、“言う自由”が際立つ。両方そろって、初めて真の自由になります」
小春はチョークを置いて、黒板の前に立つ。
「だから、皆さん。言いたいことがあれば言っていい。黙りたいなら黙っていい。でも、ちゃんと考えて選んでください。“自由”ってのは、楽じゃないけど、すごくカッコいいものなんです」
魔王インディゴは頷きながら、呟いた。
「……この国も、そうあれるようにしよう」
「はい、王様も民も、成長しましょう!」
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【本日の黒板メモ】
・言論の自由は、言いたいことを言う権利
・黙る自由(黙秘権)は、無理に自分を不利にしないための権利
・自由には責任と判断が伴う
・言わないことも、言うことも、どちらも“考えた結果”ならば尊重される
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次回予告:
「“教育を受ける権利”と“教育する義務”って、どこまでが国の責任?」
ご期待ください!
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