国民の権利と義務/そして言論の自由
士農田小春の魔界学校プロジェクトは暗礁に乗り上げていた。対立する魔界二代巨頭を前にして、いくら魔王の後ろ盾を配しながらも、小春ではこの二人を抑えることは不可能だったのだ⋯⋯というのが、数カ月前の話。
この間に魔界全土を巻き込んだ『魔界統一トーナメント』あるいは魔界の深層を目指す『深淵探検』⋯とにかく色々あって、そのいずれのイベントでも小春は八面六臂の大活躍をし、魔界におけるその地位を確固たるものにするのだが、それはまた別の話ということで。
ひとまず。
暗礁に乗り上げた学校プロジェクトは、
「ならば俺と共に学べば良い」
という魔王の鶴の一声で解決へと向かった。
ここに魔王の、ある種の心境の変化があったのだが、語るには紙面に余りがない。
またいずれ時を見て語るとしよう。
かくして、魔王城の、かつては魔王と小春2人だけの教室には、受講を希望する魔族が押しかけていた。
ここからは多分新章。
★
教室には、まだ薄明かりの朝の光が差し込んでいた。
小春は、今日も教壇に立ち、静かに口を開いた。
「皆さん。今日はちょっと難しいテーマです。でも、すごく大事なことを話しますよ」
そう言って、彼女は黒板に大きく書いた。
【国民の権利と義務/そして言論の自由】
魔族の国はまだ発展の途上にあり、政治制度も民主化の途中だ。だが、小春はあえて、この国が将来必ず向き合うであろう課題を、ひと足先に生徒たちに伝えておきたかった。
「まず、国民にはたくさんの“権利”があります。たとえば──」
チョークが軽快な音を立てて、黒板に列をなす。
・選挙権
・表現の自由
・信教の自由
・居住・移転の自由
・財産権
・裁判を受ける権利
・知る権利
・教育を受ける権利
「これらは、民主主義国家が保障すべき“基本的人権”です。人は国の都合のために生きているんじゃなくて、“人間として生きる”ことが目的なんです」
魔王インディゴが、興味深そうに顎に手を添える。
「ふむ……だが、それだけの権利を国が与えるのは、容易ではなかろう」
「そうですね。だから、“義務”もセットなんです」
小春は次に、黒板の反対側に三つだけを書いた。
・納税の義務
・勤労の義務
・子に教育を受けさせる義務
「権利を主張するには、義務も果たさなきゃいけません。でも、問題はここからです」
小春は一呼吸おいて、ぐっと視線を強めた。
「皆さん、制度って、なんでこんなにややこしいと思います?」
しん……と教室が静まる。
「それは、ある程度“賢くないと損をする”ように設計されているからです。たとえば税制。優遇措置とか控除とか、知らなきゃ損することばかり。逆に言えば、知ってる人だけが得をする。制度は公平に見えて、“知ってる人”と“知らない人”を自然に分けるんです」
「それは……わざと、か?」インディゴが眉を寄せた。
「そうです。わざと、です」
生徒たちがどよめいた。
「例えば、生活保護。困っている人を助ける制度ですが、“申請主義”という原則があるんです。つまり、困っていても、自分で『ください』と言わなきゃもらえません。声を上げなきゃ、制度に気づかなきゃ、無いのと同じなんです」
「声を上げる……それが“言論の自由”か」
「そう! ここで、ようやく“言論の自由”が生きてくるんです。制度の複雑さや不平等を暴くのも、政府の不正を告発するのも、“自由にものを言える社会”じゃないとできません」
小春は、裁判の例を挙げて補足する。
「たとえば、政府の公文書改ざんを内部告発した職員がいたとします。もしその国に“言論の自由”や“報道の自由”がなかったら、彼はすぐに処罰され、情報は隠されます。でも、自由な社会なら、マスコミが報じ、国会で議論され、裁判所で争える」
インディゴがうなずく。
「だが……逆に言えば、民が“ものを言わぬ羊”であれば、為政者にとっては都合がよいのではないか?」
「そうですね」
小春は、はっきりと答えた。
「民衆が何も考えず、何も疑問を抱かなければ、政府は勝手に制度を変え、情報を隠し、自分たちに都合よく政治を進められます。だから──」
彼女は黒板に、もう一つの言葉を書いた。
【無知は、支配される側の義務である(ジョージ・オーウェル)】
「賢くなることは、義務ではありません。でも、賢くならなかった代償は、“支配されること”です」
「……教育の意味が、少し分かった気がするな」
インディゴが静かに言った。
「そうです。だから、教育を受ける権利はとても大事です。無知であることが罪なのではなく、“知ろうとしないこと”が危険なんです」
教室が、しんと静まり返った。
「言論の自由も、選挙権も、裁判を受ける権利も、“何もせず与えられるもの”ではありません。自分で使いこなして、初めて意味を持つんです」
最後に、小春は黒板の端にこう書き足した。
【黙ることは、時に罪になる】
「さて、次は実際に“言論の自由が抑圧された歴史”を振り返りましょうか」
「……小春、そなたが教師であることが、この国にとって幸運であった」
「お世辞なんて、珍しいですね魔王様」
「世辞ではない」
魔王が、吐き捨てるようにいった。
ありがとう、魔王様。……でも、あなたが聞いてくれるからこそ、私は話せるんですよ?