専属医の往診
数日後、リリアンが初めの定期の往診として屋敷に訪れた。
「テオルド久しぶりだな。何だか面構えが変わった」
肩までのアッシュブロンドの髪を一つに結って、上下グレーの細身のパンツスーツに白衣姿で現れたリリアンが微笑む。
「本当に帰って来たのか。すぐに異国に行くんじゃないのか」
「いや、一通り成果は出したからな。暫くはのんびりしながらユフィちゃんの主治医として尽力するさ」
ユフィちゃん、の言葉に眉を僅かに上げたテオルドだが、事前にユフィーラからフィーではない呼び方で呼んでもらうことになったと報告済みだ。それはテオルドだけが呼べるものなのだと言うと「それなら良い。消さなくて済むからな」と明らかに物騒な言葉が混ざっていたが、それだけ大事にしてもらっているのだとポジティブに全てを変換することを最近覚えた。
そしてユフィーラの行動が常にテオルド一番であれば彼が不穏な空気を纏うこともないし、圧倒的独走状態なので何ら問題はない。
「リリィさん、往診というのは私の部屋で行う形で良いのですか?」
「ああ。それと今回に限ってだが女性陣お二方にも付き添ってもらって良いだろうか」
リリアンがお茶を運びに来たアビーとちょうど洗濯物を干し終えたパミラに声をかける。
「ん?私達も?」
「ああ。この屋敷に居る女性は貴女達二人だと聞いている。今後のことも含めてお二方には、ユフィちゃんに関しての話を色々しておきたいんだ。良いだろうか」
「ユフィーラの為なのね。わかったわ」
アビーが気さくに対応し、パミラも「じゃあお茶飲み終わる頃までに他の仕事終わらせておく」といって去っていった。
「リリィさん、私に何か問題でもあるのですか?」
アビーとパミラに伴ってもらいたいということは、ユフィーラ自身何か良くないものでもあるのかという不安が沸き起こるが、「そういうことではないよ。言葉が足りなかったね」とリリアンが首を横に振る。
「ユフィちゃんが現状の生活に何の問題もないのはわかっているんだけど、女性特有の知らないことや不安な出来事が発生した時に、話を聞いてくれる彼女達がいて理解を示してくれる状態の方が助かるだろう?それも踏まえて彼女達にも今後の為に医師としての私の話も聞いて欲しいんだ」
そういう意味なのかとユフィーラは安心した。ユフィーラは特にだが、確かにアビー達も医療や心身に関しての詳しい内容を知ることはあまりない。それを専門のリリアンから教えてもらえるなら、とても有り難いことだ。
リリアンの目的をある程度察知したテオルドは「じゃあ、行ってくる」と言い、ユフィーラに向かっておいでの両手を広げる仕草をしたので、ユフィーラはぱっと顔を輝かせてぽすんと飛び込んだ。
1.2.3………と、もう数えなくなった。
もう5秒でなくても良いのだ。
自分だけでなくテオルドも今は手を広げてくれる。
ぎゅっとするとぎゅっと返してくれる。
それはなんて幸せなことなのだろう。
テオルドがユフィーラの頭部、額と順に口を落としてからジェスと共に応接室から出て行った。
それを終始見ていたリリアンが「噂以上だ…」と呆然とし、「私達も初めは驚愕でしたが慣れって怖いですねー」とアビーから多分フォローが入っていたようだが、ユフィーラは最愛の旦那様の出勤にしゅばっとお見送りに小走り出していた。
その後お茶をしながら女性四人で少し談笑をする。
ユフィーラが予想していた通りであった。
貴族女性らしからぬ言葉遣いだが、とても気さくに会話をするリリアン。
誰に対しても対応が変わらず同じ様に接するアビー。
基本何事にも動じないパミラ。
ユフィーラは絶対にこの三人は馬が合うと思っていたのだ。
「この会話の空間良いな。差別的なものもないし侮られない。恐縮されることもなければ変に敬われることもない。とても楽だ」
「リリアンさんこそ、所作全体は洗練されているのに、喋り方も貴族独特の威圧感が無いし、とても話しやすいわ」
「私ら元々忖度しない主義だから、このままな感じになっちゃうかな」
「ああ。是非そのままで。それが私には心地良い」
リリアンの表情はとても柔らかい。その表情に安堵したユフィーラは、同時にうちの女性陣は最高なのだという誇らしい気持ちで胸を反り返したくなる。
「それでリリアンさんもユフィーラの虜に陥った感じ?」
「そうだな。異性で言うなら一目惚れみたいなものだと思う」
「あはは。ユフィーラキラーは外に出ても健在ね!ビビアンさんもお気に入りだって言っていたから」
「そうらしいな。この前公爵家に遊びに来ていて本人から聞いたよ」
あれからリリアンは一度公爵家に顔を出して、すぐに部屋を探そうと思ったらしいのだが、両親に泣きつかれて仕方なく公爵家のそのままの状態になっている自分の部屋に戻ったらしい。
既にある程度医師として国に貢献しているリリアンを、ご両親も貴女の好きにしなさいと言っているらしく、それなら居づらいこともあまりないだろうと思い直したとのことだ。
「姉妹揃ってユフィーラにめろめろだ」
「そんな感じだ。私もビビアンも可愛い子が大好きでね。その中でも媚びずに自身をしっかり持っている子が特に好きだ」
「あーそれはユフィーラに凄く当て嵌まるわ。もっと頼って良いのよって言っても、十分過ぎるほど甘えてますからって言うんだもの」
「何だかちょっとした悪女のように聞こえますが、皆さんの楽しい会話に成り立つのならばなりきってみせましょう!そして甘えているのは純然たる事実です、また頭撫でてください!」
「ほら。これが甘えているって豪語している本人談だよ」
「良いね。進んで守りたくなる」
「でしょ?」
女性陣三人はとても話が合いそうだ。ユフィーラもおまけ的な感じに入れてもらってお姉様方の話を色々聞けて嬉しい限りである。
実際はユフィーラを中心に囲む女性三人なのだが、そんなことある訳が無いと思っているユフィーラには何を言っても無駄なのだとアビーとパミラ、そしてその空気を読んだリリアンも特に何も言うことなく微笑みながら、頭を突き出すユフィーラを存分に撫でてくれた。
「じゃあ、一通りの検診をするよ」
一度ユフィーラの部屋に移動して椅子を対面にして座ったユフィーラにリリアンが言った。
「服はこのままで良いのですか?」
「ああ。魔術で大体事足りるからな」
「へえ。魔術だけである程度の検診ができるなんて流石だね」
「貴女達には及ばないけど、自分を守れるくらいにはね」
そう言いながらユフィーラの片手を取り、手首の脈の部分に触れながらリリアンが目を閉じる。少し経ってから「首に触れるよ」といって首部分の頸動脈付近に触れる。
次に額に手を当て、最後に背中に、そして胸元下から腹にかけて触れ、両膝に触れてから手を離した。
「終わり」
「え。早いですね」
「本来は聴診器とか器具を使うけどね。魔術でそれを応用させて直接触れた方が私個人的には確実性が上がる」
そう言って微笑むリリアンだが、異国からの医療の情報を国に報告しているという貢献があるくらいだから、かなり医師としても優秀なようだ。
「じゃあ、問診するよ。どうしても言いづらいことがあった場合はテオルドの許可を得てからでも良い」
「はい。わかりました」
ユフィーラの返答に一つ頷き、カルテのような書類を開いたリリアンが質問し始める。
「まず…以前に大きな病に罹ったことがあるね?」
「…!」
「胸元のすぐ下のあたりに微かな残像片の違和感があった。だけど安心して。それは身体でいう傷の残りのようなもので、今後のユフィちゃんを脅かすものではないよ」
その言葉にユフィーラは知らずのうちに気張っていた肩の力を抜いて心底安堵した。
テオルドが命を削って天使と悪魔の天秤という不治の病を解呪してくれたのだ。
その後体調共に以前の苦しい状態など一切無かったし、ハウザーが頭撫でと称してユフィーラの状態を診てくれている中、何も言われなかったことから完治していると思っていたからこそ、一瞬心臓が飛び上がってしまった。
「…良かったです。以前天使と悪魔の天秤という病に罹りまして。その痕のようなものが残っているものなのですね」
「ああ。微かにだけどな。その辺の医師なら余裕で見逃す。でも私はほら、ビビアンがそうだったから」
その言葉にユフィーラは目を見開く。
「あの時ほどリカルドがビビアンの夫であることに感謝したことはなかった。なあなあに続けずにハウザーと婚約解消したことをこれでもかと喜んだものだ。それから戻る度にビビアンの診察は続けているんだ」
リリアンとしては、この病は彼女自身もハウザー同様色々研究していた時期があったらしい。だが幾ら時間を費やしても先が見えず、ハウザーはその後も続けていたが、リリアンは異国に渡り違う方法で突破口がないかと動いたとのことだった。
「何の因果かね。自分の大事な人が二人も。とはいえ、そこにリカルドとテオルドが共にいたことも何の神の悪戯なんだか。良いような悪いような何とも言えない気持ちだよ、医師としては」
以前ハウザーも医師としての限界を憂いていたことがあった。
人間には出来ることの限界があるが、それを少しでも払拭しようと奮闘しているのが彼らだ。それでも人知を超えられないような壁が阻む時の絶望感のようなものはあるのだろう。
「リリアンさんは色々な異国に行っていたの?」
「ああ。発展的にはここの国が一番医療も魔術も技術も発展しているな。だが部分的なところだけ飛び抜けている技術を持っている国があったりするんだ。そういうのはなかなか表に出ずに埋もれている場合が多い。それを見つけに数年異国を周った」
隣国から島国、部族のような集落など様々だったらしい。それに伴って危険なこともそれなりにあったので、魔術体術共に日々精進していたのだという。
「さて…他には特に異常はないよ」
「本当ですか、ありがとうございます!」
「定期的に診ることは、今後に何某かの異常が出た時でも早急に対応することができるんだ。それとユフィちゃんはここに来てどのくらい?」
「二年を過ぎました」
「うん。ハウザーがそれなりに常識を教えてくれただろうけど、それでも空白の一六年は大きい。特に女性特有のものは今後アビーさんパミラさんがサポートしてくれるだろう。お二方も小さなことでも意外にユフィちゃんが知らなかったりすることもあると思うから、ちょっとしたことでも都度教えてあげて欲しい」
リリアンに主治医をしてもらうにあたって、ざっとだがユフィーラの過去を話していることはアビー達には伝えてある。
「了解。元よりそうしているつもりだけど、それでも見逃している箇所はあるかもしれない。改めて認識しておくことにするよ」
「そうね。知っているだろうと思い込んでしまっていることが実はってこともあるかもしれないわよね。ユフィーラは元々何でも聞いてくれるけど、女性特有の話しづらいものだとしても、なるべく少しでも疑問に思ったことは聞いてもらえると嬉しいわ」
ユフィーラは微笑んで頷く。
こんなに自分を見てくれる人がいることはなんて恵まれているのだろう。
初めの一年は気にかけてくれることが申し訳ないと思っていた。…思うしかなかったのだが、嬉しくて有り難いと享受できるようになった今はなんて心が満たされることだろう。
それでも慮ってくれることを当たり前と思わず驕ることなく、皆の心遣いをできるだけ同じもので返せるようにユフィーラも日々努力していく。一方的でなく、お互いに。調子に乗ることなく常に邁進していこうとユフィーラは改めて思った。
穏やかで賑やかな楽しい日々が続くことを願って。
診察が終わった後は応接室に戻り、四人でアビーの美味しい紅茶とガダン特製の一口マフィンをお供にしながら話に華が咲いていた。すると扉がノックされ外からネミルの声が聞こえた。
「あれ。もしかしてさっき言っていたやつかな」
パミラがそう言いながら扉に向かう。アビーとリリアンは化粧っ気の無い派と有り派に分かれてあれこれと色々話が盛り上がっている。
扉が開きネミルが少し恐縮した様子でパミラに声をかけながら、紙を渡して何か話している。パミラはそれに対してネミルが差し出した紙に目を通しながら、箇所を指して何か伝えているのを、ネミルが微笑みながらうんうんと頷いてパミラを見つめている。
パミラの言葉に幾つか質問を重ねお互い納得したのか、ネミルが去って行った。
パミラが戻ってきて、「先日頼んでいたリネン室の保管魔術箇所の確認だね」と言いながらソファに座り直してマフィンに手を伸ばす。
「洗ったシーツやリネンの香りを継続する話ですか?」
「そう。洗ったシーツは順に使い回すから、前に洗った物の香りが段々消えてしまうのが勿体なくて。かといって同じリネンばかり使う訳にもいかないから、ネミルにリネン場所の一部に保管魔術をかけられないか聞いてみたんだ」
「ネミルさんの保管魔術は応用すると、様々な用途に使えてしまうのですねぇ」
「うん。あれ本当に役立つ。ネミルにあれこれ聞くと色々な応用を聞かせてくれるから為にもなるし。きっと昔物凄く学んだんだろうね」
パミラの表情がふと陰る。ネミルの過去を思い出したのだろう。
父親という相手に認められたくて、でもずっと苦しい辛い思いをしていることに疑問を持ちながらも、洗脳状態も抜けずに、全てが理解し切れていない状態で何年も何年も研究漬けになっていた日々。
「私もそうですが、ネミルさんも過去は変えられません。ですがその過去があったから、今ここに居ます。今までの過程を踏んできたからこその居場所になったのならば、頑張った甲斐があったと私は思ってますし、彼もそうだと思います!」
ユフィーラが胸を張ってそう言うと、パミラが優しい笑みを溢して頭を撫でてくれる。
「そうだね。その過去があるから、今ここに皆居るんだよね」
「そうですよ。ネミルさんにもたまにこうやって撫で…男性なので、これよりも言葉の方が良いですかねぇ。でも私はこれが良いのです…」
「ふはっ。ユフィーラはこれで良いよ。私達の楽しみを取らないでよね」
「…良いのですね?本気にします、遠慮なく頭を突き出します!」
「うん、それが良いな。ネミルは撫でたら逃げそうだねぇ」
パミラが頭を優しく撫で続けてくれるのをしっかりと享受しながら、心にある少しだけ身勝手で余計なお節介な気持ちが、ちょっと良い方にいけば良いのにと思いながらユフィーラは目を閉じた。
不定期更新です。