ハウザーの元婚約者 1
リリアンと呼ばれた女性がハウザーに「お茶」と命令するのに対し、ハウザーは「自分でやれ」と返す。帰ってきたばかりなのにとぶつぶつ文句を言いながらもリリアンはすたすたとキッチンの方へ歩いていった。
迷いない足取りは過去にここへ訪れてキッチンに入ったことがあるということだ。ユフィーラはその様子を見ながら、これはもしや…!とハウザーの方に勢いよくぐりんと振り向いた。
「先生」
「何が言いたいか顔に出過ぎだな、お前は」
「白状するなら今です」
「犯罪者か」
「あんなの綺麗な人が…!先生も隅に置けませんねぇ。私としたことが女性の影を微塵も感じ取れなかったなんて…」
ユフィーラはわざとらしくぐっと眉を顰め口を押さえながら顔を背けた。
自分事に精一杯過ぎて周囲の色恋の把握を怠っていた己の迂闊さを悔やむところだ。
「あの見た目の服装の通り、あいつは外国へ行っていて帰ってきたのは多分ついさっきだぞ」
「…それは遠距離恋あ――」
「元婚約者だ。政略で恋愛感情はお互いに無かったしな」
珈琲の香りを漂わせながらキッチンから戻ってきたリリアンがハウザーの代わりに答える。
…手に持っているカップはギルの持ち込みだが問題ないのだろうか。
リリアンが患者用の椅子をずりずりと引き寄せて「よーいしょっ」と元気な掛け声を掛けながら腰掛ける。…何故かユフィーラの隣に。
「先生の隣でなくて良いのです?」
「ん?何で医者の癖に無精髭状態のむさい男の隣に座らなきゃならない。それよりも愛でたい可愛い子の隣の方が断然良い」
にこりと微笑むリリアンはとても美しく所作も大雑把に見えて洗練されている。まるで男装麗人のようだ。
愛でたいというのは、普通はとてもお人形のように可愛らしい風貌なのではとユフィーラは思うのだが、趣味は人それぞれ違うのかもしれないと思い直す。
先程のやり取りを見ている限り、確かに二人には恋人特有の甘そうな雰囲気は皆無に見える。
しかしユフィーラは恋愛初心者もいいところなのだ。
もしかしたら大人の恋愛とはこういう掛け合いも有りなのかもしれない、だが二人共揃って元婚約者だと言い切っている、だがしかしそれは愛情の裏返し…等と慣れない思考の迷路に陥りそうになっていたユフィーラに、珈琲を一口飲んだリリアンが話しかけた。
「挨拶が遅れてすまない。私はリリアン・スカリオーレ。男性のような格好をしているが、一応スカリオーレ公爵家の長女だ」
「…スカリオーレ公爵」
確かに洗練された所作から恐らく貴族ではあるだろうと見当はつけていたが、まさかの公爵である。
そしてスカリオーレと聞いてユフィーラはふと首を傾げた。どこかで聞いたことがある家名だ。自分が魔術爵とは言え、心根がしっかりと平民なので貴族の名前は殆ど知らない…調べてもいない。
しかしスカリオーレという家名はどこかでちらっと誰かから聞いたことがあるような気がしていたが、その答えはハウザーが教えてくれた。
「ビビアンの生家だ、彼女はビビアンの姉だ」
「…あ。だからさっき誰かに――」
「凄く似ているわけではないのに、笑った表情はとても似ていると言われるな」
リリアンが珈琲を飲みながら淡く微笑んだ。
それを見て改めて先ほど過った微かな記憶がビビアンの微笑ととても似ているからだということがわかり、長さは違うが髪も同じ色である。瞳は碧眼のビビアンよりも、明るめの真っ青な瞳だ。
そして以前ビビアンから姉が居るが外国に渡っていると聞いたことがあった。
リリアンから自己紹介されたユフィーラも、まだきちんと名乗っていないことを思い出し姿勢を正す。
「ユフィーラ・リューセンと申します」
「…本当にテオルドの嫁さんなんだな」
「そういったろ」
「ふふ。はい、テオルド様は私の旦那様になります」
「旦那様…あいつが旦那様…」
リリアンはテオルドが妻帯者だという事実を受け入れることに難航しているようだ。
確かに出逢った当初の能面無表情なテオルドの様子からだと、今のようにあれだけ表情が豊かになり微笑むことだってあるのだと、昔のユフィーラだったら想像つかないからだ。
そこからはユフィーラはハウザーとの馴れ初めをざっと話させてもらった。
元々ユフィーラがこの国の出身でないことと、先程抱きつかれた時に強張った理由もリリアンが気を遣わない程度にさらっとだけ説明しておいた。
「そうか。私は可愛いものがとても好きで、後先考えずに貴女に抱きついてしまった。申し訳なかった」
「いえ。すぐにそういうものではないと解りましたから。こちらこそ反射的とはいえ、不快な気持ちにさせていませんでしょうか」
「全然問題ない。こちらの配慮が足りなかったことが原因だからな」
「本当だな」
「お前はいつも私に配慮が足りない」
「お前もな」
お互いがお前お前と言いながらもリズムの良い会話はとても聴き心地が良く、お互いに負の感情はないように感じる。恋愛感情はなかったとしても上手くやっていけたのではないかとちょっと思ってしまった。
貴族間では家名や組織などの繋がりから、政略婚姻が主体となっている。
近年では恋愛関係からの発展も有ると聞いてはいるが、高位の貴族であればあるほど、どうしても政治関係から外れることは難しいらしい。
ユフィーラ個人としては心を寄せない知らない相手との家名や政を繋ぐ為の婚姻は到底無理だろう。
そう思うと昔は多少色々あったが、今の自分で本当に良かったと思ってしまった。
それにしても二人の会話はとてもテンポが軽快で、相性も良さそうにユフィーラには見える。
「何だか気は合いそうにとても感じますが」
「気は合うぞ。でもお互いが常に自分のことしか考えていないんだ」
「まあ」
「それでハウザーが変わり者だという話なんだが…」
「お前が言うな」
「すぐに話の腰を折るな。まあ、話し方も見た目もそうだが私も多少変わっているところはあってな」
「随分変わってるだろうが」
「話を遮るなよ、全く」
二人のぽんぽんと交わす会話のやり取りが何だか聞いていてとても小気味が良い。
「ちょっとお前は黙っててくれ。もう十年以上前なんだが、元々は私とハウザーは王族と高位の貴族の秩序を整える体で婚約していたんだ。でも私は医療や魔術による治療などに昔からずっと興味があって、三大公爵の一つと言われているのに、私は好き勝手やっていて…まあ両親を困らせていたな」
リリアンが苦笑しながらも、どうしても医療関係の道を諦めきれずに、両親の話を聞く耳を持たずに出家するとまで言っていたのだという。
「それはハウザーも同じでな。遊びはするが本気が無い。でも王族だから危険な境界線はまず外さない。当初からお互い好きなことをする為に、丁度良いかって話で取り敢えず周りから煩く言われないように婚約を続行していた。そもそも私は元々あまり男性という存在に興味が無いんだ」
「それはもしかして同性に興味があるという…?」
リリアンは同性を恋愛対象とする人物なのだろうか。物語で読んだことはあるが、実際に会うのは初めてである。未知の感情に個人的には色々聞いてみたい内容だ。だがリリアンはそうではないと首を横に振る。
「確かに可愛い女の子は大好きだし、これでもかと愛でたくなる。でもそれは恋愛とかではないよ。私自身男性への恋慕というものをしたことがないんだ。一度も男性に惚れたことがない。だから顔だけは良くて、私の行動に何も言わないハウザーは都合が良かったんだ。ハウザーも私を女避けとして使えるしな。まあ今は何だかむさい無精髭だけど」
「お前も女らしからぬ格好だな」
お互いが本当に気負う必要のない相手なのだからこそ半分偽装のような婚約を続けていられたのだろう。
「こればかりはな。ドレスというひらひらしたものがこの上なく動きづらい。女性特有の話し方もそうだが、体中が痒くなる感じがして仕方ないんだ。社交界も大の苦手だ。ビビアンは女の戦いにおける場所と戦闘服と話術だと日々努力して網羅していっていたけどな」
確かにビビアンも周囲や空気もしっかり読むが、本来物事をはっきりさせたい性格で貴族至上主義嫌いと言っていた。リリアンは貴族女性そのものの在り方を苦手としているのだが、それぞれ分野は違えど突き詰めて邁進していくところは姉妹共々似ているのもしれないとユフィーラは思った。
「リリアンは俺より医療やそれにおける魔術の使い道に魅入られていてな。異国の最先端医療魔術の技術を調べたいと、婚約解消をすることになった。何時戻るかわからないしな」
「国が決定した婚約ならば覆すことは難しいのではないですか?」
「そこでビビアンとリカルドの婚姻に関係するんだ」
リリアンの言葉にユフィーラはこてんと首を傾げる。リリアン達が婚約解消したからビビアン夫妻が婚姻できたということだろうか。
「政治絡みの婚姻ならば、私とハウザー、ビビアンとリカルド。双方王族と、同じ公爵家出身となる」
「…あ」
その言葉に貴族社会に疎いユフィーラでも理解できた。リリアンが一つ頷く。
「王族と私達姉妹が繋がると国とスカリオーレ公爵家の繋がりが強固になり過ぎて貴族社会の均衡が崩れかねない。ビビアンとリカルドは私達の婚約が成された後にお互いに好意があるということに気づいたが、現状態から諦めるしかないと思っていたようだ」
ビビアン夫妻の馴れ初めは詳しく聞いたわけではないが、貴族の政略婚姻でもこんなに仲睦まじい様子の二人がとても素敵だとユフィーラは思っていた。だが恋愛関係から始まって、今こうして共に人生を歩めるようになったのは、リリアンとハウザーの婚約が解消されたからこそできたことなのだ。
「だが当時の私達にはちょうど都合が良かった。二人に恋愛感情があるならば、それが成就することが一番だからな」
「物凄く良いように纏めているが、要は自分の欲望の為に俺と婚約解消してリカルド達を婚約させ、意気揚々として異国に渡って行ったということだな」
「まあ…先生が置いていかれた的な…」
「良く言う。嬉々として速攻で診療所を開業したお前に言われたくはない」
ハウザーが言い返すのをリリアンが苦笑しながら迎撃する。
「それはお前もだろう。これでようやく肩の荷が下りたとか俺は荷物か」
「身分も顔も魔力すら最高峰なのに、中身の人間性が誠に残念だと散々言われてきた私の身と苦労を思い知れ」
「女傑どころかその辺の男よりも豪傑だと言われてきた俺もだな」
纏めるとどっちもどっちと言うことなのだろうが、ここは何も言わないのが一番なのであるとユフィーラはにこにこ微笑むに留めた。
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