診療所への訪問者
この日ユフィーラはハウザーの診療所へ休憩時間の昼過ぎに定期の薬の納品に訪れていた。
「では、いつもの痛み止めと総合的な風邪薬、あと今回は痒み止めですね。それと…こちらが先生へのいつもの色気を押さえられれば良いなーの手用保湿剤…全身に塗らないと駄目ですかねぇ。それとその色気部分を削除したギルさんの保湿剤、そしてネミルさんから頼まれたイーゾさん用の全身の保湿剤ですね」
「お前は俺の色気というものが発揮するところを見たことがあるのか」
「あら。月影亭の女将さんや肉屋の若奥さん達の女性特有の情報網を甘くみてはいけません。早い段階で入ってくるそうですよ。近所の女性方はまるで皆先生の動向を逐一見張っているかのように聞こえました」
「恐ろしいことを言うな」
ハウザーが眉を顰めながらユフィーラの分の紅茶を入れて持ってきてくれた。
「何でも買い物中にふっと髪を掻き分ける仕草が色っぽいのだとか、月影亭などで食事している時の指の動きが艶めかしいだとか…」
「そんな事細かな情報を聞かすな。外出し辛くなるだろうが」
うんざりしたような表情を見せるハウザーであるが、実際には外出しても一切気にも留めなさそうに思う。
「先生の男性独特の色気が醸し出されているのなら、きっと塵ほどに色気を抑えている保湿剤によって、私は世の女性達がめろめろになるのを助けているのですね!」
「俺の存在は何なんだ」
ユフィーラはハウザーが淹れてくれた紅茶を一口飲んでほっと息をつく。
「ミルクたっぷりの紅茶が今日もとても美味しいです」
「そりゃ良かったな」
「めろめろと言えば、この前催された魔術師団での模擬戦に、もし先生も参加されていたら更に女性ファンが増えていたかもしれませんね」
「さあな。相手にここぞと打ちのめされて逆に減るかもしれんぞ」
「それはないですねぇ」
即答するユフィーラにハウザーが片眉を上げる。
「先生の攻撃に関しての魔術は見たことはありませんが、普段使いしている魔術や円滑に移動できる転移の魔術の織を見る限り、とてもそうは思えません」
ハウザーの魔術の織は頭撫でやハグの時と一緒で、とても心地が良い織だ。テオルドのように魅入ってしまうようなものではなく、このミルクティーのようにほっとするふわふわっとした感じみたいなものだろうか。
転移時には人によって魔術の織にあてられて酔ってしまう時があるそうだが、ハウザーの転移はテオルドと一緒で安定しており、不快な思いをしたことは一度もない。
「そういやお前は模擬戦の時にやけに織を熱心に見ていたな」
「はい。人それぞれ多種多様であり色々な形と色、煌きと動きがまるでその人を物語るかのように感じます」
「そんな風に考えたことなんざ一度もなかったな」
「私にはその辺りはわかりませんが、先生始め皆さん幼い頃から魔術を習っていたのならば慣れてしまって、そう考えることはなかったのかもしれませんね。普段の皆さんから想像するような素敵な織であったり、場合によって雰囲気が違ったりすることもあったり。それに何より純粋に綺麗だなと思うんです」
ユフィーラは皆が織り成す魔術の織を見るのが大好きだ。
個々の特性がそれぞれあって、ついずっと眺めていたくなってしまう。
「団長様も先生は自分と同じくらいの力量かもと言っていたので、いつか見てみたいですね!」
「本職とやって勝てる訳ないだろうが」
ハウザーが肩を諌めて言うが、ユフィーラ的にはそこそこ良い勝負をするのではないかと予想している。リカルドが正統派で攻めるならば、ハウザーは異端派まではいかないが、魔術師の想像を少し捻った方法で対峙し競い合うような気がする。
他にも最近の薬草情勢などを話していると、診療所の扉がどんどんと少し雑に叩かれた。
「あら…急患さんでしょうか」
「…ほっとけ。今は休憩時間だ」
扉を見据えてふっと目を細めたハウザーが首を横に振った。
相手が患者ならば、こう言うことはまず言わないのに珍しい。
「でも本当に具合が悪い方だったなら…」
「あれはそんなんじゃない」
「あれ?」
扉の叩き方でそういうのがわかるのかなと首を傾げると、突然扉がバンっと開いて女性が入ってきた。
「透視魔術を使ったのは分かっているぞ、ハウザー!それで敢えて開けなかっただろうこともお見通しだ!」
大きめの鞄をどさっと玄関付近に置いてずんずんとハウザーの元まで歩いてきたのは、肩より少し下のさらさらのアッシュブロンドと真っ青な瞳がとても印象的なそれはとても美しい女性だった。
その女性は旅にでも出ていたような上下動きやすい服装で、細身の黒いパンツが長い足をより長く綺麗に見せている。
どうやら知り合いらしく、しかもハウザーが透視魔術なるものを使ったことも何故かわかっているようだった。
「相変わらずだな。わかっているならもう少し静かに入ってきたらどうなんだ」
「静かにしようが煩くしようがお前の対応は変わらないだろう。よって私の対応も変わらないぞ」
服装もそうだが、話し方もさっぱりとしていて女性よりではないが、立ち振舞いや仕草から滲み出るような高貴さが伺える。もしかしたら貴族なのかもしれないが、特有の女性らしさのない快活な口調はユフィーラ的にはとても好感を持った。
二人の応酬中ミルクティーを静かに飲みながら頭の中で勝手に予想していたユフィーラだが、ハウザーの前に仁王立ちしていた女性がふっとこちらに目を向けて固まった。ユフィーラも持っていたカップをぴたっと止めて固まった。
「…ハウザー、これは犯罪だぞ」
「変な想像するな」
「変人だとは理解していたが、お前というやつは…!こんな幼気な少女を…!」
どうやら女性は何某かの盛大な勘違いをしているらしい。
「見損なったぞ!」
「見直された記憶なんぞないが、勘違いだぞ」
「お前はいつからそんな奴に――――」
「あの」
ユフィーラはカップを置いて挙手をした。いつものように嬉しさで拳を掲げるのではなく、そっとだ。流石にこのままハウザーを犯罪者にする訳にはいかない。
ユフィーラの行動に女性ははっとしたように見た。
「私はここの診療所に薬を納品に来ている薬師なのですが、以前先生にはとてもお世話になり、ここの上に住まわせていただいた過去がありまして。その流れからいつも訪問の際にはお茶を淹れてくれるのです」
ユフィーラの説明に女性は目を見開く。
「それと小柄ではありますが、これでも成人しており婚姻もしてます。先生とだいたい薬の納品時と休憩時間を合わせてこうしてお話するのが習慣化しているのです」
「先生…」
診療所を営んでいるのだから先生と呼ばれて不思議ではないハウザーなのだが、女性は怪訝そうな表情でハウザーを見てから、またユフィーラの方に向き直る。
ここまで言えばハウザーの幼女趣味疑惑…確かにユフィーラは小さいがこれでも人妻なのだ。
なけなしの面持ちで、ちょっとでも背を高く見ようと胸を張って見せる。
女性は瞠目したまま、口元を片手で押さえ首を横に振っている。
これでもまだ説明が足りないかなと、こてんと首を傾げると今度は両手で口を押さえた女性はユフィーラの目の前にゆっくりと来た。
と思ったら。
「…か、…かか可愛い…!!!」
突如女性ががばっとユフィーラに抱きついた。
急なことだったので、ユフィーラは一瞬体が強張ってしまったが、直ぐにこれが抱擁だと分かり体の力を抜いた。
「おい。こいつに急に近づいて触れるな」
「何故だ。お前は口煩い父親か」
「何でだよ」
女性はそれでもユフィーラが一瞬強張ったのがわかったのか、抱擁を緩めるが離すことは何故かしない。背中をゆっくりととんとんと叩く仕草が何だかあやされている感じがするが、ユフィーラはこれが実は大好きだ。だが人妻なので口に出すことはしないのだ。
ふんわりと女性が使っている香水か何かの香りが鼻腔を掠める。思わずくんくん嗅ぎたくなる良い匂いだ。
「こんな可愛い子がいると知っていれば、すぐにでも帰ってきたのに」
「そんなわけあるか。お前はこうと決めたら最後までやり通すまで帰ってこないからな」
「まあな。でもこの子が居たら数日は早く帰ってきたな」
そう言いながら抱擁をゆっくりと解除して、これまたゆっくりと手を伸ばして頭を撫でた女性がじっと見つめるユフィーラにふっと微笑む。その笑みに誰かの顔が一瞬過ったが、霧散してしまった。
「誰かに似ているか?」
「え?」
それが顔に出てしまったのか、女性がそんなことを言った。
「ハウザー。この子がビビアンに会ったことは?」
「ある。そいつはテオルドの妻だぞ」
それを聞いた女性はゆっくりと瞬きを一つしてユフィーラを見る。
そしてハウザーに視線を戻す。
「あの人間嫌いな不遜な男に?」
「そいつの前では微笑むぞ」
「まさか。嘘を言うな」
「嘘は言わん」
そうは言ったが、ハウザーが嘘を吐かないということは理解しているようで、女性がかちんと固まってしまった一拍あと。
「――――え!?あのテオルドが?こんな可愛い子と?しかも婚姻!?」
そう言って女性はユフィーラとハウザーとの間に視線を忙しなく行き来している。
「良い加減落ち着け。お前が誰かもわかっていないぞ、リリアン」
ハウザーがやれやれと言う風に椅子に寄りかかりながら女性の名を呼んだ。
不定期更新です。