人へ向けるそれぞれの想い
その後ギルも蒸留酒もらわなきゃーと言いながらハウザーと共に王宮に向かっていった。
途中で数名の女性が演舞のような戦いを魅せたギルに話しかけようと試みたが、口元を隠したギルのブルーグレーの冷えた眼差しに怖気づいて二の足を踏んでいる間に彼らは会場から去っていった。
会場内の観客の中にもテオルド始め特殊魔術班の皆に何とかお近づきになりたい男女で溢れかえっていたが、テオルドは言わずもがな皆もとんと興味がないらしく進行係の誘導の元、外へ押し出されていった。
しかしこれだけ人々に知られたとなると、今後住処を調べられて屋敷を訪れる可能性は大いにありそうだ。
「テオ様、屋敷に来る方がいたら…テオ様目当ての人は私が勇んで迎撃するのですが、使用人の皆さんの場合はどうすれば…」
ユフィーラの懸念に対し、テオルドが口元を少し緩めて「まだ迎撃してくれるんだな」と言う。
当たり前ではないか。昔のように譲る選択肢など微塵も無いのだ。
「邪な思いがある者はあの屋敷が見えないように施してある」
「え…前に皆さんと一緒にかけた特大の防壁魔術ですか?」
「ああ。今後のことも考えて皆で決めた」
それならユフィーラが出張らなくても大丈夫そうだと安堵する。
「テオルドも彼との手合わせは久々に加減無くできたんじゃないか?」
リカルドが全体の様子を見ながらテオルドに話しかける。
「まあ相手があいつだからな」
「観ていて勿論思いましたが、テオ様にそう言わせるギルさんは凄いのですねぇ。そう言えば団長様とテオ様は普段練習などで手合わせしたりしないのですか?」
強いと言うならリカルドもだろう。以前自分ではもうテオルドに勝てないと言っていたが、それでも相当強いはずだ。ふと素朴な疑問を投げかけてみると、リカルドがふっと微笑んだ。
「前は良くやっていたんだが、お互い気兼ねなくできるものだから途中から双方熱くなってきてな。数回ここの訓練場の防壁魔術を壊したことがある。他の魔術師に示しがつかなくなってしまうから最近はやらなくなったんだ」
「リカルドが俺相手だからとあれこれ試そうとするから、こっちもそれに対処せざるを得なくてそうなるんだろう」
「何言っているんだ。それはこっちのセリフだろう」
「まあ。仲良しさんですねぇ」
テオルド本人は照れ隠しで未だにはっきりと認めることはないが、リカルドへの接し方は常に率直で、それは彼を信用していることに他ならないからだと思っている。
「それよりも、私はユフィーラさんに名前を呼ばせていたことに驚いているよ」
「名前…ギルさんのことでしょうか?」
「ああ。彼は国王にさえ一度も呼ばせたことがない。国王には『影』と呼ばせていたな」
「影…そのまんまですね。確かに国王様からもそんなことを聞いたような。では他の影の方は…影其の二、とか…」
その言葉にリカルドは噴き出した。
「いや、彼だけが名前で呼ばせなかったから他の影達はそれなりに名称があったんじゃないかな」
「そうなんですね。ちょっとだけギルさんが特殊なだけでした」
推理物語などを読んでコードネーム的なものを連想してしまったが、流石にベタすぎるなとユフィーラは自分の想像力の無さにちょっと恥ずかしくなった。
「先生と暮らしていたことで、何時か感謝されたことがありました。意味がいまいちだったのですが、先生が人間になれたと。それでおまけのようなもので呼ばせてくれているのだと思っていました」
「あー…そういう意味もあるのかな。ハウザーが人間になったというのは私は同意するが」
「うーん…先生は会った時から人間だったような」
「ははっ。そういう意味ではなくて人らしく相手を思い遣ることができるようになったんだと彼は言いたかったんじゃないかな」
「あいつの何かに響いたんだろう。有事に役に立ちそうだから近くにいるのを許してやっているが」
テオルドのすげない態度は相変わらずだが、ギルを認めている部分もあるのだろう。
そしてユフィーラからしたらハウザーは出逢った時から人間味があったのだが、リカルドとテオルド曰く、元来人に興味がなく関わりすら自ら持つことは殆どなかったそうだ。
ハウザーはトリュスの森で痩せ細った哀れな姿をしていたユフィーラをそのまま置いておくことが憚られたのだろう。寝覚めが云々言っていた記憶がある。
だがユフィーラが今の状態に落ち着けたのは、ひとえにあの時ハウザーが人間の対応をしてくれたからだ。それを伝えると二人同時に「逆だろう」と綺麗に重なったのでユフィーラはこてんと首を傾げるばかりである。
テオルドは特殊魔術班の方を見て一つ頷いてから「そろそろ帰ろう」とユフィーラの手を取る。ユフィーラも頷いて特殊魔術班の皆に今日の出来事の感想を嬉々と話しながら帰路に着いた。
その日の夕食は皆始めガダンも久々の魔術師としての活動で疲れているだろうから何か買って帰るか食べに行こうかという話になった。しかしガダンから事前にネミルに頼んで保管魔術をかけてもらっているので、すぐに食べられる状態だということだ。
ガダンご飯が大好きなユフィーラとしては拳を掲げるしかない。
ガダンによしよしと頭を撫でられながら「わかってはいたけど俺らの戦いを見てもユフィーラは何も変わらないねぇ」と言われ、パミラからは「その辺の忖度がないのがユフィーラだね」と言われ、ユフィーラとしては、はてと首を傾げるのみだ。
前に街中に破落戸が現れた時に、制裁の為魔術を放ったガダンの瞳の色が変わった時にも言われたが、ユフィーラとしてはパミラもランドルンもあんなに輝く綺麗な色を見られて良かったという感想しかない。
それでも思うのならばと、ユフィーラは夕食時にネミルへのお土産話と併せて、ここぞとばかりに如何に見事な魔術師としての腕前と素晴らしさを披露させていただいた。
これでもう不思議なことは言わなくなるだろう。何故か皆もじもじ状態になってお酒の量が増えていったが、きっと場面を思い出して美味しいお酒が進んだに違いない。これで今夜はぐっすりと寝られる筈だ。
ユフィーラのこれでもかと披露した話を、瞳をきらきらさせて聞いていたのがネミルだ。
ユフィーラはその場の雰囲気と特殊魔術班の皆がどのように競い合ったかをわかりやすく説明し、ネミルが時折質問形式で尋ねながら参加した皆も話に入り、更に話が広がっていった。
そしてとても気になったことがあり、ネミルがある人物の名前と話題が出ると、より熱心に聞き入り瞳がぱっと煌くのだ。
ネミルの瞳はもう濁ったり歪んだりしない。本来の彼自身を取り戻した彼の薄茶色の瞳は澄んでいてとても綺麗だ。
その瞳が明らかにその人物を特別視しているかのように輝くのが何だか素敵だ。目は口ほどに物を言うとは正にこのことだろう。
だがそれに関しては彼が無意識の可能性もあるので、本人から話さない限りは何も言うまいと心に誓う。
しかしユフィーラは何だかちょっとだけにまにましてしまった。
今夜は興奮して眠れないかもしれないと豪語していたユフィーラだが、一日感動しっぱなしだったからか、精神力も使ったからなのか見学だけだったのにストンと眠りについてしまった。
「皆さんの勇姿をこの目で観てみたかったわ」
紅茶を一口飲んだアリアナが残念な表情をした。
数日後、ユフィーラはアリアナとモニカと共にエドワードの弟子が営む菓子店兼喫茶店に来ていた。
本日頼んだのは焦がしバター香る焼き立てのワッフルにベリー数種類とバニラアイスクリームが添えられた今人気の一品だ。
ワッフルに乗せた少し溶け始めた冷たいアイスクリームと共に、もぐもぐと満面の笑みで食べているユフィーラの毎度の様子にアリアナとモニカは微笑んでいる。
「その日はアリアナさんは元々予定が入っていたのですよね?」
「ええ。エドワード…料理長がそろそろ料理長の枠を弟子の一人に譲って自分はデザート専門になりたいって言っていてね。その話と今後の予定を色々と話し合っていたのよ」
「…え。ハインド家から出家ですか!?」
ユフィーラは思わずナイフとフォークをぐぐっと握りしめた。
「いえ、デザート専門も一応ハインド家の内でということなのよ。でも修行と称して時折各国に色々と新しい菓子や食材を見つけには行きたいみたい。だから離れた時のことを考えて菓子専門の弟子も数人いる状態なの」
「そうなのですね…ハインド伯爵も了承の元ということですか?」
「ええ。元々父と初めに契約した際に、菓子のことでどうしても我慢できなくなったら修行に出るか、駄目なら辞めさせてくれと約束していたそうよ。それだけ菓子やデザートへの思いは強い人なのよ。結局辞めることはせずに、短期間…かはわからないけど屋敷を離れることは今後あるわ」
「なるほど…それは寂しいですねぇ」
「ええ、とても。―――――っ!いえ、…そうね。エドワードの菓子はとても好きな物が多いから…ちょっと困ってしまうかもしれないわ」
思わずするっと本音が飛び出したアリアナがすぐに軌道修正するのをユフィーラとモニカはにまにましたいのを我慢して同意することに全力を注ぐ。
以前のアリアナはテオルドに想いを寄せていた頃がある。
それが何時から風化されたのか、敵視していたユフィーラとも今ではこうしてお茶をする仲にまでなっているのだから、人生とは何があるかわからないものである。
そして現在はエドワードに対して何某かの想いがあるようだ。
「エドワードさんは何時頃アリアナさんのお屋敷に来たのですか?」
「今から五年くらい前かしら。私がまだ社交界デビューもしてなかった頃よ」
「アリアナ様は今では美しさが際立ちますが、五年前はさぞ可愛らしかったのでしょうね」
「可愛いから美しいに変わる瞬間を見たかったですねぇ」
「ど、どうかしら。でもエドワードは屋敷に来た当初から、二言目には私のことをはねっかえり娘っていつもからかっていたわ」
「あら。そんなにお転婆だったのですか?」
「そんな訳…ない筈、だと思うけど。確かに気は強いから言いたいことは言うし、動く時はすぐ行動していたわ」
アリアナは博識で立ち振舞いも凛としていて美しく、どこをどうとっても才色兼備である。
当然貴族の社交界での表裏マナーというものも網羅はしているが、時と場合を判断して物を申す時はあるし、引く所は引く。その境界線を見極めるのがとても上手いのだと前にモニカから聞いたことがあった。
それが今はエドワードのことで一挙一動しているアリアナが年相応の女性として、とても可愛らしく見えてしまうのだ。
「社交界では貴族としての立ち振舞いを心掛けているのでしょうが、エドワードさんの前では素のアリアナさんとして居られるのですね」
「そうね。エドワードに気を遣ったことも忖度したこともないわね。…それは向こうも一緒だけど」
少しもごもご口調になりながらも、こちらのエドワード質問にアリアナは無意識に嬉々として答えてくれる。
「ガダンさんがエドワードさんは自分と年が近いって言っていましたけど、彼の方が年下に見えてしまうのですよねぇ」
「私もそう思ってましたわ。お菓子と同じく甘めのお顔で優しそうに微笑みますよね」
「あれは外用なのよ。私と二人の時は片方の口角だけにやっと上げて意地悪な笑いをすることが多いんだから」
「まあ。ではエドワードさんもアリアナさんの前では素のままを見せるのですね!」
それを聞いたアリアナがさっと顔を赤らめる。それを払拭するかのように咳払いをして紅茶を一口飲み、ワッフルを綺麗な所作で切って食べ始めた。そして食べ終えた後にぽつりと呟く。
「彼は私の一回りも年上なの。まるで子供のように扱われるのよ。最近なんか私が服飾を始め色々な事業に精力的に活動しているのを、最近頑張ってるじゃんって言って頭をぽんぽんとしたり撫でられるの。レディなのに失礼よ」
そう言いながらも頬の赤みはそのままだ。
「それは嫌なのですか?」
「嫌、ではないけど…子供扱いされている気がするのよ」
「まあ…私は未だにテオ様始め皆さんから頭を撫でられると嬉しくて仕方なくて、ついつい手に頭を押し付けちゃいます…」
妻であるのに自分こそ子供なんじゃないかとちょっと悲しくなるが、それでも撫でてくれるのを我慢して大人の女性になる気は一切ない。毛頭ない。
ユフィーラの譲れない意気込んだ表情を見たモニカが口元に手を添えて微笑む。
「ふふ、可愛い。ユフィーラさんは何だか愛でたくなってしまうのです。屋敷の皆さんの気持ちがわかりますわ」
「私もよ。ユフィは我慢しないで欲しいわ」
「承知しました!私はレディという概念を地の底に埋めてこのまま撫でられることを享受していきたいと思います!」
「ユフィはそれで良いのよ。可愛らしくてついつい撫でたくなる皆さんの気持ちがわかるわ。喜んでいるユフィを見ると何だか私も嬉しくなるもの」
「もしかしたらエドワードさんもそういう気持ちなのかもしれないですね」
「…ぇ」
アリアナが考えもしなかったと言う風に目を丸くする。
「子供扱いではないの?」
「えーとですね、あくまで私の主観になるのですが、屋敷の皆さんはよしよしと頭を撫でてくれます。先生はわしわしぐりぐりと私の背を縮まそうと撫でてきますが、時たま優しく撫でてくれる時もあります。テオ様は頭だけでなく髪も一緒に、時には頬も心を込めて優しく撫でてくれているような気がします」
「…リューセン様が優しく撫でる…」
「…想像がつきませんわ」
アリアナとモニカが瞠目したように呟く。確かに外用のテオルドからは予想できないのかもしれない。蕩けるような微笑みと色々な表情がユフィーラだけに向けられることが、こんなにも嬉しくて幸せだ。
「必ずしも誰にでも当て嵌まるわけではありませんが、私の経験上ではそう思いました」
そう言うとアリアナは思い出すかのように目を伏せ、その後ふわっと顔全体が赤くなった。
「……稀に…だけど、頬を撫でられることがあるわ」
「あら」
「まあ」
「…!ま、まあそれでも私のことは……伯爵家の主の娘だとしか思っていないのでしょうけど」
アリアナの表情が今度はすっと沈み俯く。ユフィーラは首を傾げながら尋ねた。
「それはエドワードさん本人から聞いたのですか?」
「え?…いいえ。でもいつもからかってきても、頭を撫でてくれた時も一線を引いているように感じるわ」
「アリアナ様。彼は確か平民出身ですわね?」
「ええ。菓子店で働いていたところを父が引き抜いたの。今でこそある程度ちゃんと話せるけど、来た当初は物凄く口が悪かったのよ」
苦笑しながら答えるアリアナだが、エドワードの口調そのものが嫌だった風には感じられない。
「彼からしたらアリアナ様は雇い主の娘。一線を引いてしまうのは当然ですわ。それでもついつい触れたくなってしまうのが、その行動の表れなのかもしれませんわね。といっても私も直接目の前で見たわけではないので、あくまでも私個人の考えではありますが」
「…」
アリアナは生粋の貴族だ。
料理長とはいえ平民出身のエドワードからしたら高嶺の花と思っているのかもしれない。ユフィーラは少しだけ立ち入った質問を投げかけた。
「ハインド伯爵はアリアナさんに貴族との婚約や婚姻をという考えを今までお話されたことはあるのですか?」
「それはあったわよ。でも私が頑として首を縦に振らないことは理解していたし、最近では服飾関係に力を入れて女伯爵を目標にしてからは、もう言わなくなったわ。前はリューセン様一筋だったから、魔術爵だから辛うじて良いだろうと言っていたわ」
それを聞いてユフィーラは本能的にふるふると首を横に振り両手を交差させ…たかったが、次の一口を待っている己の口に、ワッフルを切り分けて運ぶカトラリーを置くわけにはいかなかった。
「ふふ。今はもうそういう気持ちは本当にないのよ。父もリューセン様の場合は実はあまり良い顔はしなかったの。職業柄、屋敷にいることが少ないだろうからって。でも当時の私は話を聞く耳も持たなかったから不承不承って感じだったのよ」
ナフキンで口元を拭いたアリアナがユフィーラを見て微笑む。
とても美人でちょっと強そうな瞳が印象的だったが、最近ではそれに穏やかさも含まれているような気がしている。それは自分の歩む道を進んでいる自信や生き様もあるのだろうが、エドワードの影響も大きいのではないだろうか。
「今では私が自由に動けて好きにさせてくれる男性ならって言われたわ。だから犯罪者とかでなければ、身分云々は、多分、何でも良い…のかもしれない」
もしかして伯爵はアリアナの気持ちをわかっているのではないだろうか。それはあくまでもユフィーラの想像なので適当に言ってしまうことはできない。
だからユフィーラに出来ることはアリアナがどの方向へ何を希望してどうしていきたいかを、少しだけ参考程度に手助けすることしかできないのだ。
「アリアナさんがどのような気持ちでいて、今後どうしていきたいのか。最後に決断するのは自分自身です。ただ相手に直接何も聞かずに、こうに違いないと決めてしまうのではなく聞きたいこと聞いてさっぱりいくべきです!」
当たって砕けろではないが、しない後悔よりもする後悔をユフィーラなら選ぶ。後からやれば良かったとうじうじするのだけは嫌なのだ。
アリアナはユフィーラをじっと見つめながら一つ瞬きしてふわっと微笑む。その瞳には強い意志が宿っていて、とても綺麗だ。
「…そうね。私らしくないわね。解明するならとことん、ね。不安な気落ちが溢れて知らぬ間に後ろ向きになっていたようね。ユフィ、ありがとう」
「ふふ、その意気です。それでこそアリアナさん、素敵です!」
「表情が輝いていますわ。切り替えが早く行動できるところが素晴らしいです」
「うふふ。モニカ嬢もありがとう」
そう言って微笑むアリアナの表情にもう憂いはなかった。その後は三人で談笑しながら、絶品のワッフルに舌鼓を打った。
不定期更新です。
誤字報告ありがとうございます。
とても助かります。