化け物と怪物
声をかけたのはブルーグレーの瞳しか見えないギルだ。
「あの使用人達も相当な手練れだけど、相手が僕だと手加減しなくちゃならなくなる。テオルドなら無しでいけるしね」
「面倒だ」
「ギルさんはとても強いのですねぇ」
「イーゾよりは強いかなーあれもそこそこはできるけど」
「イーゾさんが聞いたら照れ臭く目を背けながらも内心喜んでいそうですね」
「そ。調子乗るから言わないんだ。テオルドも普段から手加減しっぱなしでしょ。たまにはしなくて良い相手と体動かしたくない?」
ギルが再度誘うと、本当に興味がないなら歯牙にもかけないテオルドだが、一理あると考え直したのか、少し沈黙の後にユフィーラを見る。
「て、テオ様。もしかして…」
「フィーが嫌がるならやらない。俺のそういう姿を見るこ―――」
「まさかのとんだサプライズではないですか!」
「ん?」
「ぷっ」
テオルドが首を傾げ、ギルは噴き出す。
「テオ様が人前で何かすることを好きではないことは知っているので、今日は見られないだろうと内心ちょっとだけ残念な気持ちだったのです。テオ様と同等で競えるギルさんと手合わせすると考えた瞬間、テオ様の綺麗な漆黒の瞳がきらっと輝いたので、もしかしたらと…!こんな予期せぬご褒美があるでしょうか!」
ユフィーラの明らかに喜ぶ様子を見て、テオルドはぱちりと瞬きをする。
「それに私が見たテオ様の特大魔力を使った魔術の織は、初めて出逢ったトリュスの森で見たのが最後だったので、あの幻想的で煌く美しい様がまた見られるのかと思うと…もしかしたら今夜は興奮して眠れないかもしれません!」
興奮冷めやらぬ様子で伝えたいことをここぞと捲し立てるように語るユフィーラに、テオルドが眉を下げ僅かに微笑む。
「フィーが怖がらないなら良い。俺のは魔力が巨大な分禍々しい織もあるからな。特に戦闘系は」
「でもテオ様がそれを私に向けることはありません。それなのに私が何に怖がるというのでしょう。これから観られると知って、嬉し興奮し過ぎて息切れしてきました」
ユフィーラがはーふーと深呼吸を始める姿に、テオルドが微笑しながらさらりと頭を撫でてくれる。
「それなら良い」
「おっけー、決まりだね。久々にちょっと楽しめそー」
そう言ってギルがにんまりとブルーグレーの瞳を三日月型に細める。今度の笑みは本当に嬉しそうだ。
「ギルさんは魔術師ではないですが、素早い動きでテオ様とドンパチなさるのです?」
「あは。ドンパチって何か良いなー僕は元々影という任務上何でもやったけど、魔力はそこそこあるんだ。んで魔術師にも余裕でなれる。体内魔術も駆使できるからテオルドと良い勝負すると思うよ」
「こいつの見た目はこんなひょろっこいが化け物だぞ」
「こんなって何ーその辺のムキムキと一緒にしないでよ。必要な箇所だけ筋肉つけてるんだよ」
ギルのテオルドへのある意味最大の賛辞にユフィーラは本当にこの人は強いのだと改めて実感する。トリュスの森でイーゾと対峙した時にも、彼は裏世界で有名なイーゾを前にしても全く動じていなかったのだから。
筋肉と言えばイーゾもネミルと並べば筋肉質に見えるが、他の面々と並ぶと幾分か細く見える。きっと彼もギルと同じなのだろう。テオルドもどちらかと言うとギル達側だ。
王家の懐刀の異名を持ち、ハウザーが化け物と評するくらいなので、ギルの強さは想像以上なのかもしれない。それにあれだけとてつもない魔術を放っていた特殊魔術班の皆に対しても、手加減と言っていたのだ。
テオルドが強いことは、リカルド始め皆が口を揃えて言っているので信じるが、ギルがそれ以上だったとしたら怪我などしないだろうか。
ユフィーラが急に不安になったのが顔に出たのだろう。テオルドが片頬を指の背でさらりと撫でるのを観客達はまたもやどよめくが、ユフィーラは懸念が勝ってそれどころではない。
「問題ない。ギルよりは多少上回るくらいだ」
「テオ様…信じます!」
「ちょっとー何でテオルドが上なのさ。まあやり合えばわかるでしょ」
口元を隠していてもギルが頬を膨らましたのがわかる。可愛いか。
そしてくるりとハウザーの方に振り返る。
「あんたもたまには体動かしたら?そこに丁度良い相手がいるじゃない」
そう言ってリカルドの方を顎で示す。
「馬鹿言うな。相手は常に前線に出てる奴だ」
「どうかなぁ。ハウザーの戦うところって見たことないから。あれだけの魔力と器用さなら余裕で私と同等になるんじゃないかな」
「良い線いくと思うんだけどなー」
「まあ…先生のローブ姿…」
「なんで格好が魔術師限定になる」
そう言って手を伸ばしてきたのでサッと避けた、と思ったら先を見透かされて避けた方向に手が瞬時に伸びてきて結局ぐりぐりと頭を押し付けら…撫でられた。
「ぐ、…うぐぐ…」
「詰めが甘い」
「っ…これしきのことで私の身長は縮みません…まだきっと多分発展途上…!」
「諦めろ」
定型の掛け合いが始まり、テオルドがユフィーラの腕を取り引き寄せた。
「故意に縮ますな」
「本気でそこを疑うな」
そんなやり取りをしているとリカルドからそろそろ準備をと言われ、ギルは口元の布を確認しながら定位置に向かって行った。テオルドはユフィーラ頬を撫でながら「ここから動くなよ。会場全体が常に震えるだろうから」と些か不穏な言葉を残してギルと対称の位置に向かって行った。
「お前はあいつの魔術を見てないのか」
「そうでしたねぇ。トリュスの森で見た時以外には生活においてのちょっとしたものや特殊魔術班の皆さんと施した防壁魔術です。特大の魔術、特に戦いという魔術を見たことがありません」
「それなら一度見ておいた方が良い。テオルドが前線でどんな風に魔術の織を編み出し、どのように相手と向き合うのか。普段は見られるものではないからね。まあ本来は見ない方が平和という証拠なんだけど」
「ふふ、はい。こうやって私がのんびりとこんな話ができるのも団長様やテオ様が早期に前線に赴いて行動してくれるからこそなのですから。感謝しつつ、滅多に見られないテオ様の勇姿をこの目でしっかりと焼き付けてふと思い出しながらにやにやするのです!」
定位置に立つテオルドが特に準備する動きを見せずにいる姿を見ながら、最後の方は己の願望がダダ漏れになってしまったユフィーラの願望的言葉に、リカルドはふわりと微笑む。
「ありがとう。そう言ってくれる人達がいるから私達は進み続けることができる」
「そろそろ始めろ」
「ああ。ユフィーラさん、しっかりと最愛の旦那様の勇姿を見ていてくれ」
「はい!瞬きせずに!」
今のうちに高速瞬きをする準備万端のユフィーラに、リカルドがくすっと笑い会場に向く。
「では始め!」
刹那だった。
ギルの周りに黒と紫が混じったような蠢く魔術の織が顕現した瞬間その場から消え、直後にテオルドの直ぐ側でギィィィィィンという斬撃音が鳴りユフィーラは瞠目した。
それなりの距離があった筈なのに、ギルがテオルドに突撃し手に持っていた細く撓った小刀に魔力を纏わせて、目にも見えない速さで連撃していた。
対しテオルドは黒と淡い金色が細やかに混ざった魔術の織を守りのように即座に周囲に張り巡らせ、それらがギルの猛撃によって霧散していくのだが、同時にテオルドの周囲には防御魔術が次々に編み出されていく。
それらを更に物凄い速さで粉砕していくギル。
するとテオルドがすっと右手を横に出した。
はっと気づいたギルとテオルドの右手からぐわんと夥しい織が繰り出されたのが同時だった。
漆黒の光りとその中に微かに混ざる様々な色が悍ましさもあるのに、魅入られてしまうような不思議な魔術の織。
それが恐ろしい速度で上空に昇ったと思った瞬間。
まるで黒虹色の光が舞い降りるかの如く、突き刺さるかのようにギルに目掛けて次々に襲来していったのだ。
ビリビリィィィィンン、ドォォォォォンンと凄まじい轟音と爆発音が鳴り響き会場全体が揺れた。
先ほどリカルドが防壁魔術が心配だと言っていたが大丈夫なのだろうか。
そう思ってリカルドを見ると、視線に気づいた彼がふっと微笑みながら再度テオルド達の戦いに目を向ける。
「大丈夫。防壁魔術専門にやっている魔術師達数名を呼び寄せて保たせるように言ってあるから。彼らは遠征に出る時は基本後方支援だから、テオルドの魔術を間近に見る機会が滅多にないんだよ。会場外から施しながら透視魔術も併用して喜々として観ていると思うよ」
その言葉を聞いてユフィーラは安堵し、再び二人に集中する。
テオルドは殆どその場から動いていない。ギルはテオルドの周辺で瞬間的に魔術の織と同じ光が舞っているので、その時はそこ居るのだろうが、ユフィーラの目では視認できない。
それでもユフィーラは凄まじい轟音と共に煌く二人の魔術の織から目が離せない。
トリュスの森と見た時のような穏やかで神秘的な織ではなく、力強さと激烈の中にもテオルドの秀逸な能力と類まれなる魔術の多用さにユフィーラは魅入られてしまう。
ギルの黒紫の魔術の織はまるで繊細な筆で彩られたような曲線、そして時にシュッと切れ味のある直線のようにそこかしこに散りばめられているようで、動きも戦っているのに何かの演舞でも見ているかのような滑らかな動作だ。
そこでギルが突然、魔術を使って高く飛び上がったと思ったら、両手から幾つもの小型ナイフを取り出し、それらに魔術を乗せてテオルドに放つ。構えた所までは見られたのだが、そこから先のギルの瞬く速さは追えずにユフィーラは目を見張る。
少し姿を確認したかと思うと、もうそこから既に居なくなっているのだ。
ギルの攻撃に殆ど動かなかったテオルドが俊敏に宙返りをしながら後方に退いた、瞬間に両手からは数多の漆黒と煌く数々の色の小さな塊が溢れ出し、それをギルに向けて放つ。
着地したギルは即座にそれらを避けるが、なんとその塊は方向を変えてギルを目掛けていく。それを見たギルはにんまりと目を細め、更に避けながらその塊を魔術で削っていった。
「曲者同士が」
ハウザーが呟く。
「曲者、ですか?」
「ああ。序盤は様子見的な流れだったのが、徐々に互いの性悪さを滲ませながら相手の僅かな苛つきの火に大量の油を注いでいく感じだな」
ドゴォォォンン、バキバキバキっと凄まじい音が鳴っている中でもハウザーの低音は良く耳に届く。
「流石懐刀と最高峰の魔術師だなぁ。あのタイミングで彼が魔術を切り替えし、それを見越したテオルドが追撃をすると分かっていてわざとそう動いてみた、のをテオルドは理解して左手からどでかいのをお見舞いしているとか見ているだけで身震いしてしまうよ」
ハウザーとリカルドには悪辣で、且つ至難な戦いをしているように見えているようだ。
ユフィーラにはそこまで把握することは難しいが、曲者で互いに一筋縄ではいかない相手であるが、それが何より楽しいのだと魔術の織に混ざりながら見える二人の表情が物語っているのだ。
ギルは目元を三日月のようににんまりと細め、テオルドは無表情ではあるが、目が爛々と煌めいているのがわかる。漆黒の瞳に映る数多の色。あのトリュスの森とは少し違う攻める力強い煌き。
そして飛び交う斬撃音と轟音と併せて舞い散る魔術の織が、まるできらきらと輝き、時にはどす黒く禍々しく、それすらも美しいと感じてしまう。
瞬きするのも勿体ないくらいにユフィーラは魅入っていた。
ギルがテオルドを動かそうと鋭敏な動きで攻撃し続けるのに対し、テオルドは動かされつつも都度魔術を打ち込み、ギルに主導権を握らせないように対処している。
防壁魔術専門の人達が頑張って張ってくれているようだが、それでも二人の驚異的な斬撃の連続と特大魔術の連発に会場が段々と振れるように揺れてきた。
「そろそろ終わらせろ。壊れるぞ」
「専門達を十人集っても十分持たなかったか…――――止め!!!」
リカルドの朗々とした大声が響く。
ギルはちらっとこちらを確認し、瞬間に消えた直後、テオルドの直ぐ側で激音が鳴り響いた。
テオルドが細身の剣でギルの小刀を押さえている。
そして左手は煌々と漆黒と七色に輝いた塊がすぐギルの顔の目の前に突きつけている。
ユフィーラは思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「やるね。口元の布がちょっと焦げちゃったじゃん」
「この受け止めで筋肉痛になったらどうしてくれる」
先程の轟音を出していたとは思えない二人の抑揚のない会話に唖然としていた周りだが、一呼吸おいて凄まじい歓声に包まれた。場所によってはとてつもなく黄色い声も轟いていたので、今後屋敷の方にできればお出でにならないでもらいたいとユフィーラは切に願う。
大歓声の中、二人が構えを解除してこちらに戻ってきた。
「お疲れ様です!お二方とも凄かったですねぇ。最高に綺麗でした!」
「「は?」」
ユフィーラの感想にテオルドとギルは目を丸くしながら同時に声が重なり、リカルドは唖然とし、ハウザーは肩を諌めている。
「お嬢ちゃんは面白いね。あれを見て綺麗って言葉が出るの?」
「はい!勿論戦いも凄まじかったのですが、それ以上にテオ様の漆黒と七色の輝き、ギルさんの黒と紫の煌く魔術の織が本当に美しくて…!あ、どちらも押しも押されもせぬ強さでしたね!」
ユフィーラの感動と興奮した発言にテオルドはホッとしたようにユフィーラの頭を撫でる。
「恐ろしくなかったなら良かった」
「そんな訳ありません。綺麗だと言っているではないですか」
「そういう感想が出るのはお前だけだろうな」
「まあ、そんなこと言って、先生だってギルさんの勇姿をじっと見つめていたではないですか」
「へぇーそうなんだ。僕が負けたらどうしようって心配した?」
「そんな訳あるか」
二人がやいのやいの言い合い、リカルドが進行している魔術師達に解散の意を伝えている。
テオルドは無表情だがユフィーラが本当に怖がっていないのだとわかって安堵したように見える。そんなことでユフィーラがテオルドを恐れるわけがないのにと思いながらもにこにこしていると、観客席の方からドルニドが近づいてきた。
「いやーお疲れ様。こんな怪物レベルの二人がここに居るということが我が国にとって誠に僥倖だよ。ギル達も来ていたんだね。ユフィちゃん、聞いてよーさっき妻から連絡魔術がきてさ。もう――――」
「あんたさ。僕達を呼び出したこと忘れたの?」
さっきの楽しそうだった目元をすっと冷淡にしたギルがドルニドに話しかける。
「忘れてないよ。でも間違いなくこっちに来ると思っていたから、大丈夫かなーと」
「一言連絡入れろ」
「ハウザーもそんな凍える声音で言わないでよ。こんな楽しい催事を見ないわけにはいかないでしょ?」
「次回からは応答するのやめようかなー」
「え、それは困る!ただでさえ最近じゃ三回に二回は放置されているのに…!」
「なら連絡一つよこせば良いだろうが。相変わらずその辺適当だな」
どうやらドルニドは報連相の連絡が苦手なようだ。
「まあ…癖なのですねぇ」
「つい他のことに気が向いちゃうと、何故か連絡だけは忘れちゃうんだよね…そうそう!それでさ、妻が僕からの連絡にご立腹でさぁ…他の物は良いけど保湿剤は即座に全てを寄越せって」
「あらまあ」
「ユフィちゃんの保湿剤が妻には合っているようなんだ。…何だっけ、ローズ?」
「はい。庭師が昔から育てていて、とても香りの良い自慢の薔薇を譲ってもらっているのです。それがお好きとは審美眼が素晴らしい王妃様ですね!」
ブラインが一番丹精込めて管理している一つの薔薇は赤と桃色が混ざったようなとても魅惑的な色と、濃厚なのにくどくない甘い香りなのだ。
それを褒められたのだから、ユフィーラは一国の国王に対しても庭師の凄さにどうだと胸を張りたくなってしまう。思わずふふんと反り返る体な感じのユフィーラに、ドルニドが目尻の皺を増やして魅力的に微笑む。
「そうか。庭師の渾身の出来の自慢の薔薇なんだね。それも妻にしっかりと伝えて、これから全部上納してくるとしよう」
ユフィーラは先ほどから思っていたのだが、ドルニドは王妃と呼ばずに妻と呼んでいる。
保湿剤絡みの話だから敢えてこの場ではそう言っているのかもしれないが、個人的に国の固有名詞でなく、自分の奥さんという言い方が良いなとほっこりした。
「ちょっと。時間押してるんだから、こっちが先だよ」
「すぐ済ますからこっちが先だ。これを逃すと今後王妃不在とかいう事態になりかねないからね!」
「そこまでか」
「そこまでだよ!女性を怒らすと凄まじく怖いんだから…」
「まあ、それに関してはかねがね同意しますが…」
ハウザーが突っ込むのを、思わずリカルドもビビアンを思い出したのだろう。
国王と魔術師団団長共に震える仕草がそっくりである。兄弟である。
「じゃあ、秘蔵の蒸留酒一本で手を打ってあげる。無理ならハウザーとこのまま帰るよ」
「くっ…致し方ない、それで手を打とう」
「そこまでか」
じゃあ、お先に失礼するよとドルニドが微笑みながら些か早足で宰相始め重鎮らしき人物達と近衛騎士を伴って去っていった。
不定期更新です。