後日談:一日24時間を私にください 2
そして翌日。
意識が浮上し目を開けると目の前には黒のシャツから少し見える胸元。そして顔を上げると顔面国宝級のテオルドのご尊顔が、しかも蕩けるような穏やかな表情でユフィーラの寝顔を見ていたらしい。
ユフィーラはぽぽんっと朝一から顔が赤くなり、更にテオルドの口付けが顔中に落ちてきて、はふはふと朝から呼吸過多の手前になるところであった。
「フィー。朝食はここで食べよう」
テオルドはそう言うと、連絡魔術を飛ばした。
「食堂に降りないのですか?」
「ああ。今日はな。特別な日になるから」
「特別?」
傾げていた首を逆方向に傾げたユフィーラにテオルド優しい表情で頬を撫でる。
「取り敢えずお腹を満たそうか。可愛い音が寝ている時にも鳴っていた」
可愛いと言うがそれがお腹の音と知れば、ユフィーラはまたもやぽんっと頬を染めることとなった。アビーが食事の乗ったワゴンを運んでくれ、何故かそのまま浴室に向かって行った。
ちょっとお行儀は悪いが、寝台の端に座りながらワゴンのトレーに乗ったホットサンドとコーンスープ、サラダと飲み物を食べ終え、一息着いていると、ノックが再び鳴りアビーとパミラが入ってきた。
「旦那様、もう大丈夫です?」
「ああ。準備を始めてくれ」
「はーい。さあ、ユフィーラ。おめかしする前に湯に入るわよ!」
「え?」
「私達が洗うのよ。ユフィーラの全部を」
「え!?」
アビーとパミラがじわじわと近づいてくるので、ユフィーラは慌てながら返す。
「あ、あの。自分で入れます、何故今から湯に入るかはわかりませんが…」
「いやいや、当日は頭の先からつま先までしっかり磨くのよ。夜もだけど」
「朝は爽やか、夜は艷やかに磨くのよねー」
「当日…?」
アビーもパミラも何を言っているのかユフィーラには良くわからないが、何やら催しものでもあるのだろうか?
「旦那様。まだユフィーラに説明していないんですか?」
「ほら、テオルド様。ユフィーラの表情が疑問だらけになっています」
「ああ。…フィー。着てもらいたい服がある」
「着る…何をでしょうか」
「うふふ。これでーす!お願いしまーす」
アビーがそう言うと扉が開き、そこには大きなリボンの付いた箱を二人がかりで持ったアリアナとモニカが入ってきた。
「…え?アリアナさんとモニカさん…?おはよう、ございます…?何故ここに、というか朝からどうしたのですか…というかまだ着替えもしてなくて夜着のままで…」
何が何だかわからずにあわあわし始めると、アリアナが箱を持ったまま肩を諌める。
「おはよう、ユフィ。着替えはしなくていいのよ。この箱の中にあるものを着て欲しいの」
「ユフィーラさん、おはようございます。お手伝いさせてもらいにお邪魔致しました」
「お手伝い…」
ユフィーラは終始首を傾げ続けるばかりである。
そしてアビーとパミラが大きな箱を両端から支え、アリアナが白い箱にかかったリボンを丁寧に解きモニカに渡してから、箱を開けて中身を見せてくれた。
「…!!」
「これをフィーに着て欲しい」
テオルドが耳元で囁く。
ユフィーラは目の前にある、今まで見たことがない程の素晴らしい衣装に目と心が釘付けで返事ができない。
箱の中には純白のドレス。
ハイネックの部分と肩から腕にかけて細やかなアイボリーのレースに彩られ、レースの部分とシースルーのような薄く肌が見える部分がなんとも美しい。
腰から下は少しだけ色の濃い白でふわりと覆われた軽く柔らかい生地が元の艷やかな純白のドレスを軽やかに見せている。そして何よりユフィーラが目を奪われたのが、胸元の下から腰にかけて少し横にずらして付けられている大きな艷やかな純白のリボンだった。
全体は派手ではなくシンプルな作りなのにリボンの存在がとても華やかでユフィーラは一目見て、このドレスの虜になる。
「…大きな、リボンが可愛らしくて一目惚れです…なんて素敵なのでしょう…これは世界一のドレスです」
ユフィーラが呆けた状態で感想を言うと、アビーがやれやれと苦笑しながら言う。
「その世界一のドレスをユフィーラが着るのよ」
「え」
「そうよ。私の店の一流職人の渾身の作品だわ」
「え」
「我が家の最高級のシルク生地をこれでもかと使っております!」
「え」
「これは旦那様からユフィーラへの贈り物」
「…え?」
パミラの言葉にユフィーラは呆然としながらテオルドを見ると、テオルドが僅かに微笑み「贈らせてくれ。フィーに間違いなく似合うと思った」と言いながら頬を撫でる。
「旦那様が何枚ものドレスの作品の中からこれを見た瞬間に決めたそうよ」
「ええ。これだって断言していましたわね」
「そして、その作品の紙を私達に見せてくれてね。大きなリボンが着いていれば尚良いって話でこのドレスになったのよねー」
ユフィーラはドレスを見て、またテオルドを見る。
「テオ様が選んでくれたのですか?」
「ああ」
「…私の、為に…?」
「ああ。初めてドレスのカタログというものを見た。フィーが着てくれると考えると選ぶのが楽しかった」
テオルドとしては今までも過去は勿論カタログという存在すら知らなかったのだという。それほど微塵の興味もなかったのに、ユフィーラの為にカタログを見てこのドレスを選んでくれたのだ。
アリアナがドレスを持ち上げて前後ろを見せてくれる。
だが背中と腕のレースが掛かっていない透けた生地の部分を見た時。
ユフィーラは絶望的な気分に陥った。
「…テオ様。とても…とてもこの世界一素敵なドレスを、是非、着てみたいの…ですが、あの…ちゃんとお見せしたことがないのですが、実は私の背中とう――――」
最後まで言う前にテオルドの人差し指がユフィーラの口に添えられる。そしてふわりとユフィーラはテオルドの片腕に抱き上げられた。
「テオ様?」
「皆準備を始めておいてくれ」
「はーい」
ユフィーラはテオルドに洗面台の方に連れて行かれた。
大きな洗面台の鏡にユフィーラの背中を向けて「ちょっと捲るぞ」とテオルドが夜着を捲くろうとするので、ユフィーラは慌てて説明をする。
「あ、あの!見せるのは、か、…構わないのですが…汚いというか、――――」
「それはフィーが頑張って耐えてきた証。そして汚いのは傷跡ではなくそれを付けた糞な奴らだ」
そう言って再度背中に手をかけて夜着を捲った。
ユフィーラは思わず体が強張り目を瞑ってしまう。
「フィー、目を開けて」
テオルドに声をかけられるが、あんな酷い傷の跡をこんな明るい場所でテオルドに見せたくはなかった。それでも再度目を開けてと言われ、ユフィーラは意を決して恐る恐る瞼を上げ鏡に照準を合わせる。そして愕然となった。
「……!…え?な、んで」
そこには斜めに奔る蚯蚓腫れのような悍ましく醜い傷跡や、彼方此方に乱舞した細かい傷が一切跡形もなく、消え失せていたのだ。
そして物心ついた時から暴力を受けていたユフィーラは、只の一度も綺麗な自分の背中というものを見たことがない。
「心と一緒でこんなに肌が細やかで美しく綺麗だ。これがフィーの本来の背中だ」
「これ、は…テオ様が……――――あ。…背中や腕が温かかったのは…」
ユフィーラは自分で夜着の袖を捲る。
腕にも茶色く黒ずんだような消えない傷の跡はどこにもなかった。
ユフィーラは目を見開いたまま、テオルドに視線を向けた。
「テオ様が、治して、くださった…?」
「ああ。ハウザーが闇の魔術を反転させて更に改良し俺の光の魔術でも治癒が可能にできるように駆使してくれた」
「…先生が」
「過去の記憶が消えることはないが、せめて見る度に思い出す傷など消してやりたいと、俺もあいつもずっと思っていた」
テオルドが再度ユフィーラを抱き上げて向かい合う形になる。
「フィーは治さなくて良いと思っていても、体に傷があることが俺に多少なりとも引け目を感じてしまうかもしれないだろう?」
「…はい。汚くてご迷惑を、と」
「汚いのはそれをつけた奴らの性根だけだ。それに俺はフィーに傷があろうが爛れがあろうが、それらが消えようと消えまいと、正直なところどちらでも良い。傷如きで俺のフィーへの想いは微塵たりとも変わらないからな。有り体に言うならば俺だけが見られて、俺だけの傷だった。この想いは絶対だ、忘れるなよ」
テオルドの言葉に心が痺れる。
「でもフィーにとってそれが今後の重石になり続けるくらいなら消してやりたいと思った。これでこの先服を気にして選ぶ必要もないし好きな服を着られる。…普通のことをさせてやりたい。これが俺とハウザーの願いだった」
テオルドとハウザーの心遣いにユフィーラは目が潤む。
「あ、りがとう、ございます、テオ、様。あの素敵なドレス…テオ様が選んでくれたドレ、スを、私が堂々と着ても、良いのですか?」
「フィー以外に着られる者はいない。アビーとパミラを始め、アリアナ嬢にモニカ嬢、他の皆も色々協力してくれた。フィー、着てくれるか?―――婚姻式のドレスを」
その言葉に。
全身が震えた。
もしかしたらと思った。
でも勘違いしてがっかりしたくない弱い気持ちと。
でもテオルドがそんな意地悪をする訳がないと。
でも期待して裏切られるのが怖いと。
「婚姻…式」
「ああ。紙一枚だけで俺達は以前契約婚をしたが、ちゃんと落ち着いた時にフィーの花嫁姿を俺が見たいとずっと思っていた。準備も何もかもが初めてで手間取ったが、皆の協力の元に実現できた。今まで何もできずに婚姻式までこんなに遅くなってすまなかった」
ユフィーラは首を横に振ることしかできない。元々そんなだいそれた願いを望んでいなかった。一緒に居られるだけで十分だったのだ。
口元は両手で覆って今は放せない。放したら大声で叫びだしたくなるような心が爆発しそうなほどの歓喜と幸福感に満たされ過ぎているからだ。
「本当はフィーにも事前に伝えて共に準備をしようかとも考えたんだが、やらなくて良いと言いそうだと思って言わなかった。それは使用人全員も同意見だったんだ」
「…」
そんなことは…ないとはユフィーラは言えなかった。
始まりが契約からの婚姻のこともあったが、テオルドがその辺りのことの疎いことも好きではないことも、そしてユフィーラ自身も知識は書庫で読んだ物語のことくらいしか知らない。そしてそれを無意識に自分に置き換えることをしなかった。
今が、現状がとても幸せだったから。
それ以上の特別なものは無くて良いのだとさえ思っていた。
それでも。
「テオ様、が私の為に…動いてくださったのです…?」
「フィーの為…でもあるが、どちらかと言うと俺の為だな」
「テオ様の?」
「ああ。俺がフィーと婚姻式を挙げることで周りに俺の唯一だと見せつけたかったしな…何より改めて皆に祝福してもらいたかったのもある」
もうユフィーラは胸がいっぱいで言葉が出て来ない。涙が溢れ目からぽろりと一雫落ちる。
「さあ、準備をしよう」
テオルドが目元に口を近づけてユフィーラの流した涙を吸い取る。それすら震える程に嬉しくて、テオルドがこんなにも心を寄せてくれていることが幸せで。
扉がノックされ、アビーとパミラが入ってくる。
「テオルド様、そろそろ―――ああ、ほら。ユフィーラ、今から泣いちゃったら瞼腫れ上がっちゃうわよー」
「泣き止め泣き止め」
アビーがよしよしと頭を撫でてくれ、パミラが目の下の涙を止めるように押さえる真似にユフィーラは思わず吹き出してしまう。
「…はい!アビーさんパミラさんよろしくお願いします」
「じゃあ、アビー達に綺麗にしてもらえ」
テオルドがユフィーラを下ろして頬を撫でながらそう言ってくれるのを満面の笑みで返す。
「はい!元が元なので程々にしかなれませんが、その中でも今日が一等綺麗になれるように頑張ります!」
「……テオルド様、普段化粧しなくても街でそこそこ見られたりするほどにはユフィーラは可愛いのに、私を護衛代わりにして野郎共から守ることで、こんなにも世間知らずに育ってしまいました」
「ああ。時間がある限り今後も続けてくれ。一生近寄る男共は要らないし、化粧も俺の居ない所では一切必要ないからな」
「…怖」
パミラが腕を擦って震える仕草をしながらテオルドを部屋から追い出し、いざそのままユフィーラは二人に浴室へ連行された。
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