番外編:テオルドの最愛の妻への秘め事 1
胸元でぷはっという可愛らしい息遣いが耳朶に響き、テオルドはふと目を覚ます。
自分の胸元には唯一心を許し想いを寄せるユフィーラが、どうやらくっつき過ぎていて息苦しかったようだ。上を向いてはふはふと空気を確保しているが、意識は浮上していないらしい。
はふぅと頑張って空気を取り込むユフィーラに、テオルドの顔は蕩けるように崩れる。
ぎゅっと抱き締めたくなるが、また苦しくなるのは可哀想だからとテオルドは我慢して、その代わりはふはふしている口唇にちゅっと口付けを落とす。
するとユフィーラは口に触れたものが食べ物だと勘違いしたのか、今度は口を高速でもぐもぐと動かし始めたので、思わず噴き出しそうになるのをぐっと堪える。
そんな可愛い姿を見ていると悪戯心が芽生え、もう一度口唇を落とし今度はそのままの状態にしていると、ユフィーラはテオルドの口唇をはむはむとし始めた。甘噛みなので痛くはなく擽ったいくらいだ。
眠っている状態でもなかなか食べられないのを不思議に思ったのか、テオルドの頬に手を添えて口唇周辺を動き回る仕草が可愛くて堪らず、テオルドも参加して共にはむはむと口唇を動かしてみる。そのまま深くしたい気持ちを再度堪え、心が満たされる時間を享受する。
ユフィーラとの口遊びに興じながら、テオルドはユフィーラの手の指の根元に触れる。小さくて細い指だ。この指が流れるように器用に動き、どうか効果がありますようにと願いを込めながら薬を精製するユフィーラの姿はとても凛としていて美しい。
指を弄りながら口遊びを続けていると、どうやら食べ物ではないと気づいたユフィーラが「にゃぜ食べれないのだ」と言い捨てて、ぷいっとテオルドの口から離し、またテオルドの胸元へいそいそと潜り込む。
良い位置を定めたのかユフィーラのふぅっと満足気な溜息を聞き、テオルドは得も言われない幸福感に浸る。
ユフィーラとあの時、あの森でたまたま出逢わなければ、今こうして傍に居ることもなかったのかもしれない。そして、ユフィーラはそのまま不治の病によって―――――。
「っ…」
想像すると、ぞくっと戦慄が奔り思わずぎゅっとユフィーラを抱き締めてしまった。それでも眠りが深くなっているのか起きないことに安堵する。頭を撫でながらテオルドはふと自分が負傷した時のユフィーラの言葉を思い出す。
『テオ様が、私を助けてくれた時の気持ちを身を以て知ることが出来た』
そうだ。
トリュスの森で眠るユフィーラを見た時のテオルドが、激情に駆られそうになり頭の中と心が引き千切られそうになった思いをユフィーラにさせてしまったのだ。
あの時は目の前でユフィーラの命が潰える目前の状態だったからこそテオルドは何とか留まれたが、あのままユフィーラが助からず魔力暴走を起こしていたとしたら。
下手したら国に大ダメージを与えていた可能性もあったのだと考えると冷や汗が出る。でもその状態になったテオルドならばそれすらどうでも良くなっていたかもしれない。
ネミルの件であの時の咄嗟の判断が間違っていたとは思わないが、ユフィーラにとってはテオルドの倒れている姿は想像以上に衝撃を与えたらしい。
ハウザーの言っていたユフィーラの中の魔力暴走のような異常な魔力の織の動きも、今こうやって抱き締めながら確かめてみても何も分からない。
だがハウザー程の人物が魔力の織の動作を見誤るとも思えない。
ということは潜在的な普段は感じ取れないものなのか。ランドルンも常日頃から魔術や魔力の全てを知ることは不可能に近いと言っていた。色々研究されてきてはいるが、容易に推し量れるものではないのかもしれない。
人の魔力を奪い、それを解放できる魔石を今作れる者はネミルだけとなっている。ネミル曰く、カール以外にも心酔していた魔術師が何人か試していたのだが、魔術の織の緻密な扱いに長けていて、且つ膨大な魔力と手先が異常に器用でないと、魔力を吸収させることはできても、あれだけの魔力量を蓄え放出できる魔石には程遠いそうだ。
そう思うとカールはその点においては天才的だったのだろう。そして奇しくも血の繋がったネミルも。彼は国宝により、もう魔石は作り出せなくなっている。本人は僅かだけ荷が降りたような気がしますと、逆に安堵していた。
カールが何の意図で作られたのかは最後までわからなかった濃密な魔力の籠もった魔石。国を獲るような動きは元々興味を示してもいなかったし、一体あれだけの膨大な魔力を何に使おうとしていたのだろうか。
テオルドは魔術師団の副団長だ。
いつか戦に直接赴くことも可能性としてはある。それでも日々お互いに言葉を交わし、心を伝え寄り添うことで、ユフィーラに少しでも不安や恐怖を植え付けさせないよう、更に努めていくことを決意する。
そして今。
テオルドはあることを成功させる為に、ユフィーラには内緒で日々水面下で動いている。
テオルドに人を想うこと、共にずっと居たい程心を寄せ合うこと、愛しいと言うことがどういうことなのかを教えてくれたユフィーラにサプライズなるものを企てているのだ。
生まれて初めてテオルド自らが思って行動をする一世一代の試みだ。
これに関しては内容が内容だけに流石に一人だけでは難しく、知識も無ければまともな経験すら無いので、使用人の一人にこれとなく聞いてみたら、その数時間後には全員に知れ渡っていた。
主と使用人間の守秘義務とは。
テオルドと違い使用人全員はそんなことはどうでも良いらしく、諸手を上げて賛成を示してくれた。
その後に遅すぎるとねちねち小言を数名に言われた。そして満場一致でユフィーラは恐縮したり、何もなくて良いと間違いなく言いそうとのことで、内緒で動き当日驚かそうということになった。
テオルドもユフィーラの過去の環境の影響もあるだろうが、欲に謙虚過ぎる態度を思うと頷くしかなかった。ユフィーラに喜んで欲しい気持ちもあるが、何よりテオルド自身がそれを最愛の妻と共に行いたい欲求が大きいのだ。要は自己満足だ。
(誰よりも俺がそれを望む…ユフィーラが少しでも望んでくれていたならそれで良い)
こんなに人を思い遣る感情が自分の中にあったことに今更ながら驚く。
だがどれもがユフィーラ在っての感情なのだ。
これからもずっとユフィーラと共に居たい。
幸せですねぇと言葉を紡いでもらいたい。
テオルドは指に触れていた手でゆっくりと小さな輪っかを作る。
(リカルドとビビアンに会いに行かないとな)
リカルドが涙目になりながら、ばんばんと背中と肩を叩き歓喜する姿が目に浮かぶ。
「…にゃ……」
「?」
まだ日が昇る前だ。もう少し寝ようかと目を閉じようとした時、胸元からユフィーラの声が漏れ聞こえた。
「にゃめ…にゃか良くしなしゃぃ…」
「…ふっ」
思わず声が漏れ出てしまう。きっとルードとレノンの夢でも見ているのだろう。テオルドは人肌の温かさに酔いしれながら再度微睡みに沈もうとしていた。
「…こりゃ………リボ…引っ張り、合わにゃ…いの。チェオ、ヒョウと…ハウジャ、ギャ…」
テオルドは虚無の眼差しを宙に向けた。
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「お前も変わったなぁ…こんな日が来るなんて…ずっと見守ってきた甲斐があるってものだよ…」
「何回も聞いた。まだ続くならこの件は他に―――」
「駄目だ!そしたら俺がビビアンに往復ビンタされてしまうだろう!?ようやく出張ることができて凄く喜んでいるんだ!」
「往復じゃ済まされないわ。ようやく私の出番なの。リッキーはちょっと黙ってて!」
リカルドに叱咤するのは彼の妻ビビアンだ。アッシュブロンドの長い髪を編み込んで後ろで丸く纏めてあり、碧眼の瞳は眩いくらい真っ青だ。
「わかったわかった、ビビ。俺は静かにしてるよ」
「是非そうしてちょうだい。今回貴方は役に立たないんだから」
「そうか?仲介したんだから少しは役に立っただろう?」
「んもう!それだけでふんぞり返っちゃって!…うふふ。リッキーありがとう」
「うん」
なんだかんだ言って相変わらずこの二人は仲が良い。ビビアンは元公爵令嬢だったが、公衆では誰もが振り向く才色兼備であるのに、本質は物言いがずばっとはっきりしていて気持ち良いくらいだ。リカルドは惚れた弱味もあるが、言葉の応酬でも勝てた試しが無い。
「俺達の前では相変わらずだな」
「あら、当然よ。社交界は女の戦場。舐められたらおしまい。容姿と流行り物。最高峰のマナーに知識全てが私達の武器と鎧。今は装備する必要なんてないんだから」
ふふんとしたり顔をするビビアン。テオルドを唯一色眼鏡で見ないビビアンとは普通に会話ができる数少ない相手だ。
「さあさあ、そんな話はどうでも良いのよ。連絡はもう入れてあるわ。何時でも訪れて大丈夫。難題ふっかけても、対処できるように言い聞かせてあるからね!」
「助かる。俺にはそういう類の伝手は何もないからな」
「こういう時ぐらい頼りなさい。テオルドから、しかも最愛の妻絡みでの依頼なんてお姉様は嬉しくて仕方ないの」
「ビビはいつもテオルドのお姉さんになりたがるなぁ」
「リカルドだっていつも兄風吹かせているでしょ?ずるいのよ!私も姉になってみたいのよねぇ…」
ビビアンは頬に手を当てながらふうと溜息を吐く。ビビアンには姉がいるが、彼女以上に自由奔放らしく貴族女性とは思えないほど、常に外国周辺を飛び回っているという変わり者だ。
「医師になってからは今だってあちこち行っては年に一度帰れば良い方だわ、全く。テオルド、素材の方は用意できているの?」
「ああ、もう有る。この後行ってくる」
「あらぁ、私も是非一緒に伴いたいけれど、これからお茶会に誘われているのよねぇ。茶会論争も本当に面倒だわ…」
同行は是非止めて欲しいので、お茶会で思う存分戦ってきて欲しいと願う。
「まぁ、ビビに勝てる相手は居ないだろう?憂さ晴らしでもしてきたらどうだい?」
「そうねぇ。私と同等に戦えるのは姉くらいね。テオルド、最高の物を作ってきなさい」
「ああ、そのつもりだ」
「テオルド…立派になって…」
リカルドがまたもや目頭を押さえながら感動し、ビビアンがさっさと行きなさいと手を振るので、有り難くその場を辞させてもらう。
ローブ内側にある素材をローブ上から触れながら、ユフィーラが瞳をきらきらさせて喜んでくれる顔を想像する。つい口元を僅かに緩ませながらテオルドはとある場所に向かっていった。
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「本気で言っているのか」
「冗談で言うと思うのか」
テオルドがそう返すと、ハウザーは溜息を吐きながら顎髭を撫でる。
「俺はまだ三十代なんだがな」
「なになに?もしかしてテオルド側になりたいとか」
「…」
「ギル、お前責任取れ」
「おっとっと。冗談だよ、魔力籠もった殺気を抑えてー」
「ギル兄分かってやってるだろ」
ギルは冗談が好きなようだが、他はどうでも良いがユフィーラに関しての冗談は塵一つもテオルドには聞かない。今後の参考にしてもらおう。
「あいつがそれを望むのか?」
「逆にあんたしかいない」
「俺だけ、ねぇ」
ハウザーが照れ臭いと思っているのか、心情的なものが混じっているのか。しかし彼からはテオルドと同類の感情は垣間見えない。年の功で隠しているなら見事という他ないが。
前にも言われたが、テオルドがユフィーラに対しておざなりな行動をし、彼女が苦しむことがあれば彼は間違いなくテオルドに牙を向き、ユフィーラに同類の感情を向けるのかもしれない。
だからこそテオルドはいつも良い意味で緊張感を持ち、己を律することができる。
「それでも難しいなら、あんたの父親に頼もうと思っている」
「は?」
「ぷっ。それ面白そー」
「ああ、この国をここまで潤した研究一筋の王の兄か」
ユフィーラから研究所でハウザーの父ゼルザと会い、孫扱いされて嬉し照れくさい話を聞いていた。
「ユフィーラをとても可愛がってくれているらしいな。そんな彼ならば快諾してもらえるかも知れ――」
「俺がやる。あいつには絶対連絡するなよ」
凄い勢いで承諾を得られた。父親にだけは代わって欲しくないらしい。
「それと場所の件はいけそうか?」
「ああ、この前行ってみたが状態も悪くないし幾らか足しておいたからな。問題ない」
「助かる」
「え…テオルドがお礼言った…」
「礼くらい言う。今までそういう機会がなかっただけだ」
「え…どれだけ上から…」
ギルが目を丸くしているが心外極まりない。そんな彼が思い出したように話し続ける。
「あ、ねーねー。ちょっと贈り物したいんだけど良い?」
「ユフィーラが喜ぶものであれば」
「ぷっ基準がそこなんだね。了解。イーゾ、今日の予定変更」
「俺も?」
「そりゃそうでしょ。ネミルが散々世話になっているんだからさ」
「ああ。わかった」
「ユフィーラが喜ぶものであれば」
「だからわかったってば。そんな念を押さないでよ」
ギルが三日月のように目を細めて微笑む。この男は国王にすら膝を折らなかった特等工作員だ。ハウザーに対しおざなりの対応を見せているが、主と定めた者に対しての忠誠心は絶対的なものらしい。何故かユフィーラにもギルの名前で呼ばせていることに内心驚いたが、保湿剤のことなのかユフィーラ本人なのか。どちらにしろ彼女に対して今後役に立つなら、この逸材は居ても構わないと思っている。
「あいつが困らない物にしろよ」
「はいはい。ったく、二人共過保護過ぎー」
「その日のことだが…ネミルは…」
「心配ない。日々彼は努力し前に進んでいる。一緒だ」
「!…そうか。感謝する」
それを聞きイーゾはほっとした様子で礼を述べた。
このイーゾという人物も、類まれなる才能から裏界隈で秘密裏にどうにか手に入れようとしていた輩が、後を絶たないというほどの孤高の暗殺者だったらしい。それが今ではネミルという片割れと共に居られることになってからは、ギルの采配もあるが裏稼業的な代名詞の仕事は殆どしていないらしい。
ユフィーラが、イーゾは逃げ出したとはいえ、それ以降が楽な道筋だった筈がなく、ネミルと和解できたことで、ようやく年相応の感情で行動することができるようになればいいと言っていた。
「じゃあ、頼んだ」
「ああ」
テオルドは軽く顎を引き、その場から転移を踏んだ。
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「ようこそおいで下さいました。リューセン様、ご無沙汰しておりました」
アリアナの屋敷に訪れると、アリアナが綺麗な所作でカーテシーをする。
以前のように、もうテオルドのことを名前では呼ばなくなっていた。今のアリアナにとってテオルドはユフィーラの夫という認識になっているようだ。
「今回は協力感謝する」
「嫌ですわ。このような楽しい企画にもし何もお声がけいただけなかったら、それこそ突撃しておりましたわ」
うふふと微笑むアリアナは以前と違い、女性らしさはさることながら、強かに靭やかに前を向いて進んでるように見受けられ、とても活き活きしている。彼女もユフィーラに出会い影響を受けた一人だろう。
「俺はその辺に疎いから、使用人から是非アリアナ嬢の助けが必要だと言われてな」
「はい。アビーさんからもご連絡いただいておりましたので、すぐに動けましたわ。そして、こちら今回の布地を担当していただく者です。ユフィから聞いていてご存知かと思いますが、モニカ・クリラント嬢ですわ」
「お初にお目にかかります。クリラント子爵家が娘、モニカと申します」
「テオルド・リューセン。色々と配慮してもらい感謝する」
「とんでもございません。こちらこそアリアナ様と共にご協力できるなんて歓喜の極みです」
儚げな容姿からの微笑みは芯の強さが見える。シモンの元婚約者だったが、アリアナ嬢の采配で上手く解消に漕ぎ着け、今では子爵家を守り立てていこうと日々精力的に活動しているらしい。
「アビーさんから大体の内容は聞いておりますが、こちらのクリラント家では最近まで公表していなかった極上の素材が用意できます。ご希望のものにぴったりの素材ですわ」
「ええ。中でも極上の素材を提供させていただきます。一つはアリアナ様のお店の方に。もう一つはご自宅のパミラ様宛に送らせていただきますね。金額の方で制限などはございますか?」
「ああ。金の心配はしなくて良い。幾らでもかけてくれ」
「はい!」
「ちょっと、モニカ。喜び過ぎ」
「あ…つい。我が家の自慢の素材をこれでもかとふんだんに使用できるなんて、と…。失礼致しました」
「構わない。クリラント嬢のことを知ったらユフィーラも喜ぶからな」
「は、はい!」
「モニカったら…ふふ。それとこれですが、我が家の技術者が描いた作品です。五種類ほどご用意させてもらいましたが、如何でしょう」
アリアナから五枚の紙を渡され、そこに描かれた下絵を見ていく。そして直感的に指を指した。
「これだ」
「まあ、流石ですわね。画家もこれが一押しでしたの」
「使用人の女性陣にも聞いてみるが、間違いなくこれだ」
「了解致しました。この下絵はお渡ししますので確認でき次第ご連絡くださいませ」
「わかった」
「お。終わったか?」
扉をノックする音が聞こえ、同時に顔をひょこっと出した男性が声をかけてきた。
「返事聞いてから開けないと意味ないでしょうに。ええ、もう大丈夫よ。リューセン様、こちら我が家の料理長をしておりますエドワードですの」
「ああ。ガダンが世話になっているな」
「世話はしていますが、してもらってもいるのでとんとんですね。ちょうど連絡魔術で飛ばそうと思っていたのですが、そっちに書き記すのが面倒なんで、これ渡しておいてもらえますかね」
そう言ってエドワードからメモ用紙を渡された。
「ガダンが話していた内容のものか」
「ええ。幾つかチョイスして、最終的にガダンに選んでもらうんで。アリアナお嬢さん、あまり旦那に嫉妬して無茶振りしないでくださいよ」
「失礼ね!そんなことしないわよ。ちょっと…だけユフィーラとずっと居るのが羨ましいくらいだわ」
「ふふ。アリアナ様は素直ですね」
「だろ?前はつんつんしていたのに随分丸くなっちゃって。元々綺麗だったが可愛くもなったよなぁ」
「ちょ…!エドワード!」
「はいはい。では旦那、よろしくお願いしますね」
アリアナは真っ赤になってエドワードに言い返している様を見て、テオルドは首を僅かに傾げる。エドワードは軽く一礼してから部屋から出て行った。
「相変わらずエドワードさんはアリアナ様と話している時はああやってからかって楽しんでますよね」
「…もう、モニカも止めてちょうだい」
テオルドはふと感じたことがなんとなく正解なのかと思った。こうやって他人にも気を向けるようになったのもユフィーラと出逢って周りを見ることを覚えたからだ。
お茶でもというアリアナの誘いを仕事の合間だからと丁重に断り、テオルドは屋敷から魔術師団に戻っていった。
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「ユフィーラはアビーと出掛けているか?」
「あ、旦那。今アビーとサラミを買いがてらアビーの服選びに付き合わされてますよ」
本日のテオルドは昼の休息をいつもより長めに取り、最終確認を使用人達とする予定にしていた。
「アビーからの伝言は、仕上げの方はパミラから聞いてくれと。アビー個人の方は準備は完璧とのことですよ」
テオルドは一つ頷く。
「あーあと、この前のエドワードからもらった内容を選別して全体を決めたんですが、旦那のご希望は何かあります?」
ガダンが諸々の内容を記載した紙を渡してきたので、目を通す。
「俺はユフィーラが良ければ何でも構わない、と言いたいところだが、それだと彼女がちょっと寂しそうな顔をしそうだから…これを何時もより少し豪華にしてみて欲しい」
紙に書いてある一つの品を指差す。
「ははは!了解、任せてくださいよ。…いやぁ良いねぇ。旦那が色々拓けていくことが、とても感慨深いですよ。俺始め皆喜んでます。んじゃ、早速買い出し行ってきますね」
ガダンは手をひらひらさせながら去っていった。テオルドもここまで使用人達と親身になるとは当初は思っても見なかったが、意外に心地が良いものだと日々実感している。
テオルドは続いて書庫に向かう。
「ああ、テオルド。こちらの準備の方法はほぼ終わってます。私の役目はお任せください」
「頼んだ。あれはお前にしかできないからな」
「ふふ。本職よりも見事なお手前を披露しなければなりませんね。…それとこれを」
ランドルンはベルベット生地の銀色の巾着袋をテオルドに渡した。
「出来栄えはかなり良いですよ。皆久々に魔術を駆使して頭と魔力を巧みに動かしたと言っていました」
テオルドは袋の中身を確認しながら、使用人達の能力の高さに改めて感心する。
「これは…それぞれの色になっているのか。しかも濃度があるのに透明感もある。相当頑張ってくれたんだな」
「それはもう。時間があれば皆その作業に没頭していましたからね。楽しかったですよ」
ランドルンが銀縁眼鏡をくいっと上げながら微笑む。
「感謝する」
「テオルドが変わって私達も変わった。前を向けたことの礼にも満たない。俺こそ感謝している」
砕けた話し方にランドルンの本心が垣間見える。テオルドは頷いて書庫を出て行った。
「ああ、旦那様。ランドルンの所にいたんですね」
近づいてきたのは細長い箱を持っているパミラだ。
「そっちの方はどうだ?」
「先日アリアナ嬢から出来上がりの物を見せてもらいました。あれ凄い。きっと店で似たようなものを売り出したら大人気間違い無し。旦那様趣味が良いですねー当然それを後押しした私とアビーも」
「ああ。あれを見た瞬間ユフィーラに似合うと確信した。パミラ達が追加してくれた要望でより良くなったと思う」
「ですよねー描いた画家も創作意欲がなんたらって喜んでいたとアリアナ嬢から聞きましたし。それでこれ。それに合わせてアビーと日がな交代で内職に勤しんで昨夜一旦出来ました」
そう言って箱を開ける。
「これは…素晴らしいな。感謝する」
「いえいえ。旦那様にそう言ってもらえて頑張った甲斐がありましたよ。それランドルンから渡されたものですよね?それで仕上げちゃいます。場所の指定はありますか?」
「そうだな。これを着けるユフィーラからも見える位置にして欲しい。見る度に嬉しくて微笑むだろうからな」
「…はあ。旦那様本当に色々開花してくれて嬉しい限りだわぁ。承知しました。ご希望どおりユフィーラの頬が筋肉痛になるくらいの出来栄えにしてみせましょう」
「ああ、頼んだ」
テオルドからベルベットの巾着袋を渡されたパミラは一礼して去っていった。
外に出るとちょうど倉庫代わりにしている小屋の方からダンとネミルがやってきた。
「あ。主様!」
「おお、丁度良かった。呼びに行こうと思っていたんですよ」
テオルドはそのまま小屋に引き返し手招きする二人について行った。
小屋の中を開けて中を見て瞠目する。
「凄いな、本格的だ」
「ですよね?ダンさんの技術半端ないんですよ!すぐに職人になれそうです」
「はは。これは趣味みたいなものだから楽しいんだよ。仕事は大好きな馬や動物が良い。どうです?問題ないですかね」
「ああ。ここまで精巧にできると予想していなかったな」
「俺も始めは難しいかなぁと思っていたんですが、何度か試すうちに段取りが分かってきて、それならとことんやってみるかってことで、何とか良い物が作れましたよ」
「ああ。文句のつけようがない。感謝する」
「いやぁ、主からそんな言葉が貰えるとはなぁ…ここに居て本当に良かったなぁ。ネミルの保管魔術も完璧でしょ?俺のやガダンのもブラインのも、ここで当日まで完全な保管状態になります」
「ああ。前よりかなり精度が上がったな」
「ですよね?ほら、ネミル。普段から努力したことがこうやって形になることもあるんだよ」
「ありがとうございます!穏やかな環境で日々練習が捗ったので、その成果だと自分を今日だけ褒めてあげたいと思います」
「そうそう。自己肯定感を上げていくのも大事なことのひとつだからな」
「はい!」
「ネミル、感謝する」
「…!はい、主様!今後も精進します」
テオルドは二人と別れて庭の方に向かった。
「ブライン。準備はどうだ」
「テオルドさん。問題ないよ、余裕だから」
植物に促進魔術をかけていたブラインがこちらを向く。
「パミラ達に急遽言われた時にはちょっと困ったけど、実際作ってみると案外楽しい」
「そうか。また才能が一つ増えたな」
「別にたいした事ないよ。あと家全体の方は完璧だから」
「ああ、感謝する。頼んだぞ」
「…別に全然構わないし」
そう言ってそっぽを向いて行ってしまったが、ユフィーラ曰くこれはとても喜んでいるけど、まだまだ表に出せないブラインなりの嬉しい行動なのだそうだ。
「主、屋根裏へ同行してもらって宜しいでしょうか」
屋敷に入るとジェスが話しかけてきたので、頷いて共に屋根裏部屋に向かう。
そしてそこにあるジェスの作品を見てテオルドは目を見張った。
「ジェス、お前にこんな才能があったんだな」
「私も意外で驚きました。アビーとパミラが作っていたのを見様見真似でやっていたら、私の方が断然上手ではないかと押し付けられて…でもこれで少しはお役に立てます」
「いや、いつも俺のスケジュール調整や諸々細かにやってもらっているからな。これらも併せていつも感謝している」
「あ、主…」
ジェスは目を見開き、直ぐ様目元を覆った。
「お前は良く泣くな」
「何をおっしゃいますか…!私の涙腺が弱くなるのは主のことだけで…!」
「…わかったわかった」
ジェスは主絶対だと皆からは思われているが、基本的には自分が対応できる範囲では放置するが、どうしてもの時はちゃんとテオルドに苦言を呈することもある、優秀な家令なのだ。ちょっと涙脆く暑苦しい男ではあるが。
「私の渾身の作品だけでは物足りないと思っていたので丁度良かったです」
「そっちも俺的には驚いたけどな」
「好きこそものの上手なれということですね」
ジェスが用意してくれるものはユフィーラは間違いなく喜ぶだろう。
そして屋敷内での確認が済み、テオルドは魔術師団へと戻る。まだ少し時間があったので、先ほど取りに行った小さな箱をローブから取り出した。
テオルド一人だけでは何も思いつかなかったことを、周りの助言や協力のおかげで思った以上に素晴らしい日をユフィーラに贈ることができそうだ。
そして手元にある箱の中身はテオルドが誠心誠意を込めて仕上げねばならない大切なもの。
これはテオルドにとって生まれて初めての、時間と手間暇をかけた贈り物となる。その小さな箱を見ながら、数年前の自分では想像もつかない未来であることを、そして如何に今まで面白くない人生だったのかを痛感し、今の幸せを噛み締め今後も精進していかなければと新たに決意した。
全ての準備は整った。
不定期更新です。