番外編:それぞれの光と影
王宮内の殆どが寝静まる夜中、王宮地下にある滅多に人が入らない要人専用の牢獄。そして頑丈な防衛騎士の門番。
だがイーゾにとっては特に何の問題もなく入れるので、現在門番は夢の中。そして目の前の牢獄柵を通してすっかり窶れて老けた男が、明日の死刑を前に最後の夜をこの牢獄で過ごしている。
フードを被った黒一色の装いに口元を隠し立っていたイーゾに、男がようやく気づいた。
「―――――なんだ…刑の執行は明日だろう」
「……」
「…見回りではない……?何しに来た…私は全て話したし、全てに後悔は微塵たりともない――――何も変わらなかった」
そう言っていたが、ふと視線を上げ真っ暗な薄汚れた天井を見上げながら独り言のように男は呟く。
「―――だがな、昨夜の夢にな…出てきたんだ。―――ユリアが」
その男から発せられた女性の名前は、イーゾとネミルの母親の名前。
「私の愛しい愛しい番…私がいつも無茶をしても、執着して彼女を家から出さなくても…仕方ないわね、と苦笑しながらも受け入れてくれた。……なのに…昨日夢に出てきた彼女は……何故か私を蔑んでいた。―――――腹を擦りながら」
「…」
「何度呼んでも叫んでも、ユリアは傍に来ていつものように抱きしめてくれなかった…―――ずっと恨むように、睨んで…あんな表情…一度も見たことがない…―――私は、彼女を誰よりも…この上なく愛していて、…私は彼女の為に―――あの魔せ―――」
「ユリアの故郷で知人から話を聞いた」
イーゾは死刑を明日に控えたこの糞人間にとどめを刺す為に訪れたのだが、自分らの母親が後押ししてくれているようだ。
ユリアのという言葉を出すと、男―――カールは目を剥いて柵まで飛び掛かってきた。
「ユリアの名前を呼んで良いのは私だけだ!誰かも分からんお前風情が口に出すな!!!」
瞳孔を開き吼えるように叫ぶ哀れな元魔術師団長。
俺から言わせれば、ユリアの本当の願いを知ろうともしなかった、父親にもなれなかったこの男こそ名前を言う資格などないだろうに。
「ユリアの子ども好きは有名なほどで、村に居る時はいつも周りの子供の世話を自ら進んで見てあげていたそうだ。いつか誰かと婚姻した時に可愛い子供が沢山欲しいのだと。その子供達には色々な花を教えてあげるのだと」
「ユリアと呼ぶな!!!」
「俺は呼んで良いんだ。その権利がある。お前こそ呼ぶな」
「なっ…!」
イーゾはフードと口元の布を外す。カールの瞳がこれでもかと見開かれる。
「お、前…生きていたのか…」
「名前なんか忘れちまったなぁ?俺と片割れは呼んで良いんだよ。俺らの母親だからな」
「…母、親などではない!!ユリアは私の最愛の―――!」
「お前が殺した」
その言葉にカールの動きが止まり、首をゆっくりと傾げる。
「戯言を言うな。私が何よりも大事なユリアを何故殺さなければ…―――」
「ユリアは産後の肥立ちが悪くて死んだ。それを救えなかった女…知られたらお前に殺されると思って逃亡した助産師から聞いた。お前がユリアを家から一歩も出さず、どこにも連れ出さず、お前の部屋からすらお前が居ないと出さなかったことで、彼女は日に日に体力が無くなった。何度も言っていたんじゃないか?適度な運動をしないと体力がって」
「あ…―――」
「それでもお前は最後まで許さなかった。ユリアに体力があれば、十分に出産を耐えられただろうと、我が子をたっぷり抱けただろうと助産師は言っていた。それを、お前が、殺した」
カールの瞳の奥が生気が消える。何かが崩壊する。
「良く見ろ。くすんだ深緑色に茶色の瞳のユリアと灰緑色に茶色の瞳の俺。俺も片割れも母親似だ。お前の色は全く無い―――お前が捕まる前に隠したユリアの亡骸は俺が見つけてある」
「……な、んだ、と…」
「俺と片割れがいつかユリアの故郷に墓を立てる。お前は自分の刑執行後のことを頼んでいたらしいが、そいつはもうこの世に居ない。ユリアと共に同じ墓には入れん。彼女も望んでいないだろうしな。自分の最愛の子供を見捨てた男なんぞ当然見捨てるだろうよ」
実際ユリアがどう思っていたのかは分からないが、知人や周辺の人間から聞く限り子供を蔑ろにする男よりも子供を選ぶ確率は大いに高い。あながち間違いでもないだろう。
「俺と片割れが母親を弔う。お前はせいぜい残りの時間をユリアのことでも考えて絶望しろ。夢の中のユリアの態度が全てだろうよ。あの世でも来世でも間違いなく一緒にはなれない」
カールが脱力して座り込んだのを一瞥し、イーゾは出口に向かった。
ふと瞼が開く。天井を見据え、記憶を辿りここがハウザーの診療所の上にある部屋だということを思い出す。
「…寝覚め悪い夢だったな…でもあいつの絶望した顔を再度見たから悪くもないか…」
数年前のカールの死刑前日。
イーゾが彼をどん底に陥れる為に王宮内の牢獄に侵入した時のことが夢となって繰り返された。
いつもより少し早く目覚めたが、もう起きるかとイーゾは体を起こしぐっと上に伸ばす。
イーゾはギルの下で働くことにはなったが、ギルから「専用の場所とかないから寝床は自分でねー」と言われた。元々の住まいがパリモの森付近だったので、転移できなくはないが都度仕事に行く時やネミルに会う度に使うのは効率が悪いと思い、この周辺で探そうと思っていたらハウザーからこの部屋が空いていると言われたのだ。
「ユフィーラが元々使っていた場所だ。もう戻って来ることはないだろうから使えば良い。しっかり家賃は払えよ」
鍵を投げながらハウザーがいうだけ言って去っていった。
「良かったじゃん。ハウザーは少しでも気に食わない奴は絶対にしない行動だからー」
そう言われたので一応そこはクリアしているらしい。イーゾは有り難く部屋を借りることにした。
一人で暮らすには十分な広さと使い勝手の良さで、料理もできなくはないが、そこそこ稼ぎがあるので殆どが外食となっている。
湯を浴びてから、軽く携帯食だけを腹に入れ、イーゾは下に降りて診療所に向かった。
「…おい。ここはお前らの事務所じゃないんだぞ」
早速診療所内に来た二人にハウザーが苦情を出す。
「まあまあ、今日に限ってはお嬢ちゃんが納品に来るでしょ?僕の保湿剤を持ってきてくれるはずなんだよねー」
ギルが診療所奥のキッチンから好き勝手にマグカップに珈琲を入れてやってくる。
「来るのは昼だろうが」
「そうだけどーどこぞの商会とかみたいに事務所構えてる訳じゃないし。まだ開院前だから良いじゃん」
「準備があるんだが」
「準備は前日にやるもんでしょ」
「当日にやる準備の方だが」
この二人は相変わらずだ。イーゾもどちらかと言うと弁が立つ方だと思っていたが、この二人には勝てる気がしない。
「いつも連絡魔術でここに集合ってくるんでてっきり…」
「そんなわけないだろうが」
ハウザーは呆れながらも出て行けとは言わず、自分の診療所の準備を始める。
「まあイーゾ以外の子飼いは呼ばないから安心してよ」
「当たり前だ。やったら全員出禁だな」
「それは困るー保湿剤が手に入らないし、お嬢ちゃんが天井に居ないですねぇって寂しがるからねー」
ギルはユフィーラがここに居た時からお気に入りのようだった。稀に気分が良い時に昔話をしてくれることがある。
「もう天井に居る必要ないだろ」
羽織っただけの白衣姿に無精髭のハウザーが診療道具等を並べながらぼやく。
元王族で、変わり者で研究気質の国王の兄を父にもつハウザー。
彼も変わり者の部類に入るのだろうか。イーゾが彼らと出会う前は、ハウザーは患者以外に人を寄り付かせることがなく、それが数年前から僅かに緩和したという情報は入ってきていた。恐らくユフィーラと出逢った頃なのだろう。
今の表情もそうだが、過去一度だけ遠目で見かけたことがあったが、テオルド同様もっと鋭い切れ味のある近寄り難い顔をしていたのに、今はむすっとしつつも多少緩く見えるのはユフィーラの影響が大きいのかもしれない。
「さてさて、じゃあ今日は診療所の昼休憩時間にお嬢ちゃんが来る予定だから、それまでにちゃちゃっとやっちゃおうか」
珈琲を飲み終えたギルがシンクでマグカップを洗いながらイーゾに声をかける。ギルはこの診療所でも好き勝手やっているのだが、基本使ったものは自分で全部ちゃんと片付けている。ハウザーも文句は言ってもある程度好きにやらせているのが、二人の長年の絆の深さをイーゾは感じている。
イーゾもようやくネミルと和解し、これから徐々に深めていけたらと思わずにはいられない。
「わかった…が、件数が多い。二件くらいそっち持ちでもいいだろ」
「えー今日お嬢ちゃんがくるから二件減らしてあげたんだよ?」
「は?これで!?」
どう見ても通常よりも数件多い。
「僕は王家から急遽頼まれ仕事が入っちゃったからさー。国王個人だから法外な金額ふっ掛けられるし、恩も売れるからやっておかないとねー」
「…今からぎりぎりいけるか…これ」
「大丈夫大丈夫。イーゾならできるって」
「これ明らかにギル兄の仕事が足されてるだろ!」
「他の子飼いに振れないやつなんだよーイーゾなら大丈夫かなって」
「っ…」
普段は散々こき使うのに、たまにこういう風に頼る言葉を溢すのだから質が悪い。
「ぐっ…昼食奢れよ!昼には絶対に戻ってやる」
「はいはーい。頼んだよー」
イーゾは頭の中で仕事の順序と配分を頭で計算しながら瞬速魔術を駆使しながら移動した。
「ああ言うと頑張っちゃうんだから簡単なもんだよねー」
「お前な…」
ギルは自分の準備の確認をしながら連絡魔術を幾つか飛ばす。
「出来が良いのは本当。元は暗殺用に育成されていたらしいけど、ネミルのことを調べていくうちに諜報や隠密も出来るようになっててさ。正確で仕事が早い。暗殺業もそれなりだけど、下手したら諜報系統の方が向いていると思うよ。それにネミルっていう守る者ができたからそっちの方が良いよ。あれ一人で他の子飼い要らないくらいだもん」
「お前な…」
連絡魔術を飛ばし終えたギルが微笑み三日月のような瞳になる。
「だからこそイーゾが敵側に居ると相当厄介。何だか僕に心酔しているみたいでお兄ちゃんって呼んでくれているうちにしっかり洗脳させておかないとね」
「お前なぁ…」
ハウザーからすれば、目の前にいる王家すら一目置き、留め置くことすらできないくらいの能力と力を持つギルが、何故自分に懐いたのかは分からないが、こちらも出来るだけ長く居させようと思っている。
イーゾ同様、この年齢不詳…恐らくハウザーが若い頃から見た目がほぼ変わらないから上だろう。
こんな類まれを見ない能力の持ち主が世に放たれたら大惨事だ。
診療所を事務所代わりに使うのを許可はしてやるかと妥協することにした…ただし二回に一回だ。
「ありがとー。仕事中は無香料なんだけど、何もない日はこのシトラスの香りを付けていたいんだよねぇ」
「先生もですが、男性はフローラル系より柑橘系の爽やかな香りの方を好まれる方が多いですね」
そう言って休憩時間を少し過ぎた頃に訪れたユフィーラが、ギルに二種類の手用の保湿剤を渡していた。
「うん。手に塗る度に香りがふんわりすると何故かほっとするし。でもハウザーのとはちょっと違うんだよね?」
「ええ。ギルさんが以前から先生と同じ物と言っていたので、一番類似した調合にさせてもらってはいるのですよ?」
「これも勿論良いんだけど、ハウザーの物だけって何とかならないのー?特許じゃあるまいし」
「あれは俺だけの香りだな。色気消しという効果はお前には要らんだろ」
「まあ…本当に色気が消えるという訳ではなく、色気を爽やかな香りで緩和させて少しでも騙される女性が減ればと…」
「おい、いつ騙した」
「いえいえ、言葉の綾というもので」
「おい」
「ちょっと僕をみないでくれる?何も言っていないからー」
ユフィーラがふふと思わず吹き出すように笑う。
「騙される、というよりは先生はとても素敵で、着崩した白衣姿…も一周周って格好良いのですが、粗雑な物言いやぶっきらぼうな対応から見た目との差異に驚いて嘆く女性を減らせればなーと」
「それを聞いて俺が嘆くとは思わんのか」
「「全然」」
ユフィーラとギルの声が綺麗に重なり、二人がハイタッチをしているのをハウザーが憮然として椅子に凭れかかる。
「ふふ、先生不貞腐れないでくださいな。今回の先生への保湿剤はいつものを二本と、最近お顔用の保湿剤が試作を得て完成したので、先生専用の香りを付けて仕上げました」
そう言って、手用とは違うユフィーラの手の平の長さくらいの瓶を取り出して渡す。
「俺は女じゃないんだぞ」
「まあ、女じゃなくても人間でしょうに。若いうちはそれで良いかもしれませんが、歳を重ねるごとに乾燥に負けてしまいますよ!できれば湯を浴びた後の、肌が水分を吸ってもちもちしている時が一番吸収しやすいと思います。お試しあれ!」
胡乱げな表情をしながらも手を伸ばして受け取るハウザー。要らないとは言わないのが何だか可愛いと思ってしまったイーゾは、そんな自分にぞっとした。
「使うとは限らないぞ」
「その時は同じ香りですし、手用に全然使えるのでそちらで使ってくださいな。ただ、手用よりもさらさらしているので溢さないで下さいね。でもすべすべの先生の肌を触って堪能したかったですねぇ…今は無精髭によるざりざりですが」
「男前の渋味はでるけど、清潔感がねー」
「あらあら。褒めて落とすギルさんは相変わらず絶好調ですねぇ」
「ありがとー」
「お前達な…」
イーゾはこの会話の応酬を流れるように聞いているが、初めは元王族のハウザーにこんな口の聞き方をするのかと驚いたが、身分そっちのけの二人だからこそハウザーが受け入れているのだと今では分かる。
かくいうイーゾも初めこそ恐縮したが、「王族様!なんて感じ出したら速攻で無関心対象になるよー」と言われ、元々身分云々の生活とは無縁だったので、いつも通りにすることにした。
「でもこの前の歓迎会に来られた時は髭も剃って凛々しくすっきりされていたので、あの時に肌をすりすりむにっとやっておけば良かったとちょっと残念ですねぇ」
「最後に何で摘む。肌はともかく頭は散々撫でていたぞ」
「まあ…私としたことが、眠りながらも本能で手を伸ばした…?ふ、不覚です」
「そんなわけないだろうが。普通に撫でていたぞ」
「まさかまさか。記憶を無くした訳ではないのに、そんな楽しいことを覚えていないはずがありませんねぇ」
ハウザーは真実を述べているが、ユフィーラの表情は何一つ偽りを言っていない表情だ。
イーゾは酔ったユフィーラはやはりしっかり記憶が無くなっている状態なのだと目の前で再確認することになった。ギルを見ると厳かに頷いている。
自分たちだけが、あの羞恥の時間をずっと覚えているということだ。
思わず恨みがましい視線をしていたからか、ユフィーラがこちらを向いたのですぐに瞬きでしれっと表情を戻す。するとユフィーラがにこりと微笑みイーゾの元に歩いてくるので何故か冷や汗をかきそうになる。
(なんだ…!こんなことで!)
前回の羞恥経験で勝手に緊張感が増す。今までの自分からは考えられない。
目の前から歩いてくるのは、ちょっと周りにとんでもない人物が集結しているだけの薬師で…ちょっと酒癖があれなだけだ!
イーゾの心情を知ってか知らずか、ユフィーラは微笑みながら首を傾げて、手を差し出した。
その手には手の平サイズの丸い入れ物。
「これはイーゾさんの分です」
「…え、俺?」
「はい。ネミルさんがきっとこの香りは好きだと」
ネミルが?
俺の好きな香りを知ってる?
そもそも俺に好きな香りなんてあったか?
頭の中が疑問ばかりになるのをユフィーラがずずいっと更に手を前に差し出すので、思わず反射的に受け取ってしまう。
「皆さんと同じ効能ですが、香りは違うものです。ネミルさんが言っていたことなので問題ないと思いますが、一応確認していただけますか?」
緊張感から解放されたイーゾはこくんと頷き入れ物を開けて鼻先にもっていく。
すっと嗅いでみると、さらっとした木の香りと僅かにスパイスのような香りが混ざった、香った瞬間に好みだと本能が反応した。
「…これ良いな」
「良かった!ネミルさんも色々な種類を試して最終的にこの香りに辿り着いたんです。シダーウッドという針葉樹で、ウッディ的なちょっとすすーっとした濃い木の香りなんですよ」
ユフィーラが安堵したように微笑み、両手を合わせる。
「これはうちの庭師が知り合いの植物博士のような知人から仕入れてくれたのです。他にも数種類仕入れたので今度お試し品でお持ちしますね」
「ん…僕もこれ良いかも。なんか香水につけたい感じ」
「それうちの使用人も言ってましたねぇ。いつか香水も作れるくらい上達すればいいのですが、調香師のようには難しいかもしれませんね」
ギルがイーゾの後ろから嗅ぎながら気に入ったようだが、これはイーゾの物である。すぐに隠すと「何やってんのー取らないよ。僕にはこの特製のものがあるからねー」と自分の保湿剤を手に塗りながらキッチンに移動していく。
「…感謝する。今度は購入させてくれ」
「はい、お気に召しましたら是非。肌と合うか数日試してくださいね」
ユフィーラは微笑んで、ハウザーの側にある持参の袋の場所に戻っていった。
イーゾは少しだけ掬い、手に付けてみる。すっと馴染んでべたつかない。何でも男性専用として騎士や職人達が武器や仕事道具が滑らないようにさらっと感を重視して精製したものらしい。
ウッディな清々しい木の香りが、良く訪れていたパリモの森を彷彿とさせて、イーゾは何だか嬉しくなる。いつかネミルが少しでも外出できるようになったら、あの森へ連れて行ってやりたい。
選ぶ森と言われている森は間違いなくネミルを受け入れるだろう。イーゾの片割れなのだから。
「はいはーい。飲み物持ってきたよー昼食にしよー」
ギルが人数分の珈琲と紅茶を持ってくる。
実はユフィーラから何とあのガダン作のサンドイッチを差し入れに持ってきてくれたのだ。それを知ったギルが「やった!美味しいものにありつけるし奢らなくて済むー」と大層喜んでいたが、間違いなくイーゾの何倍もの稼ぎがある人物のはずである。
ユフィーラがバスケットから取り出したサンドイッチは小さなデニッシュパンに数種類の具材がふんだんに盛り込まれている。
「具材の中身は王道のたっぷり卵と玉ねぎ多め、あの加工肉店のソフトサラミとガダンさんが厳選した美味しいチーズ、そしてぷりっぷりの海老とアボカドという神の組み合わせの三種類となります!」
「やったー」
「…美味そう」
「相変わらず凝っているな」
イーゾは考えもなく口から称賛の言葉が出る。以前ガダンなる料理人から持たされたランチボックスは、本当に衝撃的であった。
ちょっと強面に見えて人懐こそうな、顔に傷のある珍しい髪色の男が、こんなにも作る料理の数々に手間暇かけて、多彩な彩りと繊細な味付けを施すのだから、人を見た目で判断してはいけない見本のような男だと思う。
それは当然美味さにも比例する。
イーゾも多少なりとも稼いで金は持っていたので、程々に美味いものを食べてはきたが、別格というレベルだ。ユフィーラ曰く、食べて欲しい人への思いと心を込めて作っているからなのだと、まあ恥ずかしい言葉を並べていたが、食べた後はなるほどと納得がいったくらいだった。
ガダンからもテオルドからは、どさっと食料用の大金をもらっていはいるが、拘りがある食材以外は高級な物はそこまで購入していないと言われれば、ユフィーラの言葉も頷くしかない。
「ふふ。イーゾさんも、もうガダンさんの料理の虜なのです。ネミルさんもガダンさんの作るシーフード増し増しグラタンが大好物なのですよ」
「シーフード…グラタン?」
「あら、お好きですか?」
「ああ」
言葉を被せるように答えてしまったのをユフィーラが思わずといった風に笑っている。
「そうか…ネミルも好きなのか」
「はい。お初グラタンでガダンさん作なので、もう他でグラタンは食べられないと言っていましたよ。お二人は好きな食べ物も似ているのですねぇ」
この前の歓迎会でのネミルと飲む酒も同じ物を飲むことが多かったし、つまむ料理も似たりよったりだったからきっとそうなのだろう。
「あと、あの…コンソメスープも美味かった」
「まあ、お目が高い!あれは手間暇をかなりかけた至極の逸品なのだとランドルンさんが豪語していたくらいのものなのです」
「ああ、細かく長く語られた」
「あらまあ、やっぱりですか」
ふふっと笑うユフィーラにイーゾも思わず片方の口角が緩んでしまった。
「ネミルさんの前ではいつか両側ががっつりにんまりいけると良いですねぇ」
「ん、なんだ?」
「いえ、何でもないです。それではいただきましょう!」
初めにどれを食べるか悩んでいて、つい聞き逃してしまったが、ユフィーラは既にギルやハウザーとどれから食べるかを話していたのでイーゾは厳選に一つ目を選ぶことに集中した。
食後のお茶を飲んでいる時にふとギルがユフィーラに禁断の質問を投げかけた。
「そう言えばリボンの件で何も言われなかった?」
「リボン、ですか?」
「うんうん。あれハウザーがこれでもかと魔術を練り込んだ贈り物みたいなものでしょ。お嬢ちゃんの旦那様が何も言わなかったのかなーと」
「ハウザージャガー略してハウジャガーの首元から外せとは言われていませんでしたが―――」
「おい」
「ぶはっ」
「ぷっ」
新たに名前が進化したことにイーゾは我慢できず噴き出し、ギルも間に合わず口から漏れてしまっていた。
ハウザーが結局何度訴えてもユフィーラが絶対に首を縦に振らなかったハウザーに似ている猛獣ジャガーのミニぬいぐるみは未だに首に可愛くリボンが結ばれているらしい。
「後日テオ様から黒と紺色のグラデーションのように綺麗に色が重なり合った素敵なリボンをいただいたのです!」
三人とも同時に思った。
強く言えない分、存分に対抗心を燃やしていると。
「そんなに先生のリボンとお揃いにしたかったなんて、何だか可愛らしい旦那様ですねぇ。テオヒョウにも同じ首元に巻いてあげたら目元を覆って照れて喜ばれてました!お揃い結びで、今は上と下に重なってるんですよ!」
三人とも同時に思った
違うそうじゃない。
きっと喜んでいない。
そこに結ぶんじゃない。
重ねるんじゃない。
と。
それよりも気になったのか、ハウザーが変な質問をする。
「どっちが上に乗っている」
「上?ああ、テオヒョウにリボンを付けてあげた後に乗っけましたので、ハウジャガーが下ですね」
「ふざけるな、上にしろ」
「あらまあ。そんなところで競り合うなんて」
再度思う。
違う怒るとこそこじゃない。
イーゾとギルは同時に思う。
「まるで連れ合っているようで見てるととても和むのです。今度新しい小さめのクッションをパミラさんが作ってくれることになっていてお家代わりになるんですよ!」
「やめろ」
今後のハウジャガーとテオヒョウの行く末が楽しみになってしまったではないかと、イーゾは口元を必死に覆う。間違いなくギルも一定期間ごとにユフィーラに確認するのだろう。ネミルに会いに行く楽しみの中に運良くガダンの食事にありつけるかもしれないことと、二人…二匹の行く末が楽しみも増えてしまった。
ユフィーラが帰ってからそれぞれ午後の仕事をこなし、夕方になってからイーゾがギルに報告がてら本日の診療を終えたハウザーの診療所内で話していた時、診療所外から覚えのある魔力の転移軌跡を感じて、イーゾは顔を玄関方面に向ける。
「あれ?珍しいね」
「…ああ」
扉が叩かれる音。ハウザーが答えると扉が開き、そこには外仕様…ユフィーラ以外仕様の表情のテオルドが立っていた。
昼にテオヒョウとハウジャガーの話を聞いてしまっていたイーゾは何でか気恥ずかしくなって顔を背けてしまう。
「何だ?ユフィーラは昼過ぎに帰ったぞ」
「知ってる」
「…ぬいぐるみの件は俺としても心外なんだからな」
「…何の話だ?」
思わずギルと同時に口元を押さえて噴くのを何とか抑える。テオルドは特に気にしていないようだった。
「傷の件」
テオルドからのその言葉で憮然としていたハウザーの表情がすっと真面目になる。
「それは以前連絡魔術で詳細を送っただろう」
「ユフィーラに承諾を得てか?」
「いや。増減解除薬の精製手前であいつが夜中に寝落ちして仮眠室へ連れて行った時だな。本人に体中の傷を治せるかもしれないと言えとでも?抱き上げれば嫌でも触れるだろ。だからついでに試しただけだ」
「…」
じわりと禍々しい魔力が滲み、ギルが反射的に身構える手前でその魔力の織は鎮まる。
ネミルからユフィーラとは不遇の環境が似ている話を何となく聞いていたが、ユフィーラはどうやら虐待の跡が残っているらしい。
「あのなぁ、お前が依頼したんだろうが」
「分かってる。だから抑えた」
それでも一瞬抑えきれなかったということでもある。
ハウザーが溜息を吐きながらテオルドを見る。
「改良した漸減魔術で僅かに腕の傷は薄くなった。本人が気づかない程だろう。あとはお前があいつに施していけば良い。言う言わないは任せる」
「光魔術でも可能なように改良できたのか」
「ああ。俺の闇を上手く転換させて施したから、光にも反応するようにしてある。直接触れて徐々に浸透させるようにやれ。並大抵の魔術技術では無理だろうしお前くらいにしかこなせないだろう。俺は知らんが国王に言いたきゃ言え」
「…」
「だからそんな目をするな。直接振れたのは腕だけだ」
ハウザーは再度溜息を吐きながらも、腕の肘あたりを指す。ハウザーは何でもないように言っているが、闇魔術自体扱いが難しい上に改良も相当の技術を要するものだ。ハウザーにしかできないことなのだろう。そしてそれを模倣できるのもテオルドだけなのかもしれない。
「肘だけだ」
「分かってる」
言葉は肯定しているが、無の表情からはどうしても納得できない部分があるのだろう、じわりと魔力が溢れ出るのをギルが反射的に構えるという流れがまたもや起きる。
イーゾは普段適当にハウザーをからかいながらも、こういう時には本能でハウザーを守るという癖がついているギルにちょっと感動していた。
「俺はあいつが望まない限り影の存在で良い。お前があいつの光である限り俺が出張ることはない」
ハウザーがテオルドを見据える。
「精進しろ」
「言われなくても」
テオルドが少し視線を下に向けながら顎を引く。
まるでハウザーに対して一礼でもするかのように。
「ああ、それと一つだけ気になったことがある」
ハウザーが少し首を傾げながら言う。
「俺も束の間だったから定かではないんだが、お前がネミルとの件で倒れていた時のことだ」
その言葉にイーゾはネミルが命を賭けて魔石の暴走を抑えたことを思い出し胸がぎゅっとなる。
「お前は一瞬意識が飛んでいたかもしれないから気づかなかったかもしれんが、あの時ユフィーラの内にある魔力が不可解な動きを見せた」
テオルドの眉間が僅かに寄る。
「俺が止めるのを聞こえてはいたが、聞く耳を持たないといった様子だった。再度お前が無事だということを大声で伝えてようやく留まったくらいだ。あれの魔力の動きが僅かに暴走の気配をみせた」
「暴走…?」
「ああ。暴走というか、なんだろうな。底から噴出する手前のような。それが普通の暴走よりも妙な動きで不可解に頭に残った。あいつの魔力は多い方だが、そこまでではないんだろ?」
「ああ。魔術師になれるくらいの魔力持ちだが、魔術師になったら埋もれるくらい」
ユフィーラは魔力量を重視するというより、操作が人より細やかに丁寧なのだと聞いた。だから薬師のような職業が合っているのだと。そして良くも悪くも過去の経験上、ある程度精神が強く魔力が暴走する可能性は高くないのだろう。
「俺に対してもそこそこ感情が動くこともあるのかもしれんが、お前は別格だろう。自分の身を守れ。それがあいつを守ることに繋がる」
「ああ」
膨大な魔力量がないのなら、そこまで心配することでもないかもしれないが、魔力暴走は本人にとって相当きついものだ。
テオルドは少し思案する風に口元に指先をあてていたが、ふと思い出したようにハウザーに視線を合わせる。
「リボンのことだが」
三人とも同時に思った。
忘れてなかった!
存外根に持つ性格だ!
「歓迎会では空気を読んで言わなかった」
空気が読めるようになったのかと三人は密かに感動する。
「リボンに普通あそこまで防御魔術を組み込むか?あれならその辺の一個隊の攻撃全て防げる内容だろう」
「お前の耳飾りはそれ以上だろうが」
「紺色と金の縁。同じ髪色」
「お前は紺と黒がこれでもかと混ざっているんだから良いだろうが」
もうただのずるいずるいの争いになり始めた会話に、イーゾは最近自分のマグカップを置かせてもらっているキッチンへ出向き珈琲を淹れる。
自分とネミルも似たようなものだ。
ネミルが光でイーゾは影だ。
光あっての影だが、影あっての光でもある。
共にあるからこそ、それぞれが引き立ち支え合えるのだ。
イーゾは元々裏の人間であるが、ここ最近は暗殺の仕事はほとんどなくなった。
ギル曰く、諜報系の方が使えると言われているからだ。
仕事柄もそうだし元々小さい頃からそう教えられてきたからか、殺めることに対しての罪悪感は皆無だ。それこそ食肉に対する業者とそう変わらない。
でも守る者ができた。それを守る為には何でもするが、普段はこうやって隠密中心に動き血飛沫や相手の命が潰える瞬間を見なくて済む方が良いのかもしれない。
それから数日後にネミルに会いに行った際、昼食にシーフード増し増しのグラタンとコンソメスープが出た時には思わず目元が潤みそうになったが湯気のせいだということにして、はふはふしながら沢山お代わりをした。
そしてネミルは微笑みながらこうやって共に美味しいものを食べているからか、口角が両方上がっているのが僕も嬉しいよと言われ、思わずコンソメスープの湯気に顔を突っ込んだ。
その夜に見た夢は、顔も覚えてないがくすんだ深緑色のさらっと伸びた髪の茶色の瞳の女性が、何故か小さくなっているイーゾとネミルの手を取りパリモの森をのんびり散策している夢を見た。
もしかしたらネミルも見ているのかもしれない。
いつか外出の許可が出た時に二人で母親の墓参りに行きたいと思う。
不定期更新です。




