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一日5秒を私にください  作者: あおひ れい
一日24時間を私にください
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番外編:古今酒に十の徳あり 1

ep.38『理不尽詰め合わせ』後と、その後のお話






酔い方には色々ある。


酔って楽しくなる者

酔って本音がぽろりの者

酔って寝てしまう者

酔いながら酒そのものの味を楽しんで飲む者


そして


酔っている時間はちゃっかり記憶を失くす癖に嬉しかった過去の記憶はしっかりとその場で表現し、結果相手を全力で褒めちぎり、相手にとってはとてつもない羞恥ダメージを与える者。



様々である。







シモンに街での絡まれた件の後、ユフィーラは絡まれたことは話したが、突き飛ばされたことは言っていなかった。言ってテオルドや皆が触れ合ってくれないのは寂しくて、手が伸びてくるのを怯える状態に気づかれる前にどうにか治せられればと奮闘していたのだが。


あの後ハウザーが直ぐ様テオルドに連絡魔術で知らせていたらしい。突き飛ばされ、人からの接触に怖がる様子が少し再発しているとのことも。



テオルドはシモンへの報復を目論んだが、現時点では自らの感情だけで行うことができず、それよりもユフィーラへのケアの方が最優先だと思い直し、使用人にそれらを伝えた。


使用人達からは、いつも以上に優しく接し、そして可愛がることで少しずつ緩和されていくのではということで、屋敷全体でのユフィーラへの緩和作戦が決行されたのだ。



ある日は朝の見送る時の抱擁を長めに、ジェスからの突っ込みがあるまで続け。


ある日は淹れてくれた紅茶が美味しいと目をきらつかせるユフィーラをこれでもかと頭を撫でて愛で。


ある日は馬と戯れているユフィーラに対し、馬に混ざってユフィーラを弄り回し。


ある日はユフィーラの最近ハマっていると言っていたパンケーキを作り、嬉しそうに頬張るユフィーラの頭を優しく撫でてあげ。


ある日は干したてのシーツに思わずダイブしたユフィーラに側に寄って背中を優しく叩いてあげながら寝かしつけをしてしまったり。


ある日は新作のハーブティーを淹れている際、あまりに良い香りにうとうとしてしまったユフィーラの肩にそっとブランケットを掛けてあげたり。


ある日はたまたま安かったからだと、ユフィーラに大量のフルーツボンボンをくれたり。


ある日は書庫で魔術の本でわからないことを聞いてきたユフィーラに良い子良い子と頭を暫く撫でてあげたり。


ある日は寝台の中で、自分の欲求を相手への為だからと変換させ全力で愛でてあげたり。




全てにおいてユフィーラが怖がらないように少しずつゆっくりと時間をかけて。


日々これでもかと屋敷の者達は愛でて可愛がり、昔の記憶を呼び起こさせたシモン如きを掻き消すように近くで接して時には触れてやり、穏やかな状態に戻れるように奮闘していた。



始めはいつも以上のそれこそ過剰といわれるくらいの皆からの優しさの大洪水に、ユフィーラは驚いていたのだが、シモンとの出来事をどこからか知ったのだろうと気づいた。


それからは日を重ねるごとに嬉しさを超えて気恥ずかしく、照れくさいような気持ちが勝ってしまい、両手をもじもじとさせながら俯き加減で、でも絶対に断ったり避けるという選択肢がないユフィーラに屋敷一同は悶えた。



そして手が近くに伸びると反射的に動いたり、その動向を目で追うようなことが減ってきて、もう少しで緩和されてくるだろうと一同は安心した。




だから彼らは予測していなかった。

当然だが、ユフィーラはその記憶を覚えていて。

それは酒の場でも発揮される。

そして翌朝はとんと覚えていないという無慈悲さ。



ユフィーラの無自覚なるとてつもない嬉し恥ずかし大逆襲が幕を開ける。





「これでサラミを半分の種類制覇です!」



じゃじゃん!と音でも出しそうな勢いでユフィーラが両手に掲げたのは、先日街でハウザーから教えてもらった加工肉専門店のサラミだ。


加工肉専門店にはサラミを始め、ハムやベーコンなど加工肉を中心とした様々な品の種類が揃っていて、ユフィーラは街へ赴く度に少しずつ買い足しながら、都度お土産としても買ってきていたのだ。



「これはピリリッとして少しの辛味が癖になると店主が言っていました!豚肉を主体にガーリックやパプリカを合わせて数種類のペッパーを練り込んだものだそうで。そしてこちらのソフトサラミはサラダやサンドイッチに重宝されるもので柔らかい食感だそうです」

「へえ、あれだけ買ってきてもらっても、まだ半数程度なんだなぁ」



厨房から両手に皿を持って出てきたガダンが驚きながらも「今日の料理とつまみはこれらで全部だぞー」と周知させている。



「あそこの店主は加工肉に命賭けてるって聞いたことあるわ。だからこそ厳選された良質の良い加工肉が連なってるって」


アビーがグラスを出しながら、店主情報を交えて教えてくれる。



「店主さん言っていましたね。加工無しの肉に味わえない時間を手間暇をかけた云々、と。最近では私がちょこちょこ買いに行くので顔を覚えたらしくて、新しい試食をすぐに試させてくれたり、ちびサラミをおまけしてくれるので儲かっています!」

「実際儲かっているのは店主だけどな。ユフィーラが目を輝かせながらサラミを見ている場面が想像できるよ」

「この前ユフィーラと一緒に行ったらさ、あまりにユフィーラがサラミをどれはどう美味しくてとか詳しく語るもんだから、そこにいた数人が即座に買っていたからね。客寄せ効果として店主も有難がっていたねぇ」



一口サンドイッチ数種類が乗った大皿を運ぶダンに、酒を並べているパミラが店の様子を話す。



「ユフィーラが訪れた後は行列できるって近くの植物園の人間から聞いた」



ブラインがガダンの持ってきたナッツ類を運ぶ体でつまみ食いしている。



「まあ。それは元々のお店の質と店主の加工肉への熱い思いがお客様に伝わっただけですね。とはいえ、おまけをしてくれるのですから、客寄せの称号は有り難く受け取りましょう!ちびサラミ万歳!」

「そこが重要なんだな。結果得をすることが」



ジェスがドライフルーツの盛り合わせをテーブルに置く。



「さて、こんなものでしょうか。ユフィーラの買ってきてくれたサラミは中央に揃えて置きましょうね」

「はい!」



ランドルンがガダンがカットしてくれたユフィーラ持ち寄りのサラミをテーブル中央に設置する。


テーブルには他にも食事もできるサンドイッチから揚げ物数種類、オードブル数種類と並んでいる。



今夜の夕食は今日加工肉店に訪れる予定だったユフィーラの話から、ガダン始め数人の使用人が今夜は久々に酒を持ち寄って宴会のような食事会にしようかと言ったことから、ユフィーラは急遽の素晴らしい思いつきに物凄い速さでテオルドを引っ張りながら、加工肉店に突撃しに行ったのである。




「テオ様、加工肉と私の好物の卵の串揚げが目の前でも大丈夫ですか?」

「問題ない。フィーが食べたいものを置けば良い」



テオルドがユフィーラの頬を撫でながら返してくれるのを微笑みながら、いそいそと皿を自分の側に寄せる。


以前にガダンが鉄板焼なるイベントを主催した際に、それ以外の食べ物を自由に取っていくスタイルを殊の外気に入ったユフィーラは今夜もガダンにお願いしていた。


ガダンからは「良いねぇ。順番に出す手間も省けるし俺も酒に集中できるからな」と二つ返事で対応してくれたのだ。


そしてテーブルには中央にユフィーラの購入したサラミと揚げ物類、そこから端に向かって他のメニューと酒が並ぶ。



そして宴会的な夕食が始まった。



「おいふぃ!」

「サラミも卵揚げも逃げないから」

「お皿にこんもり盛る前に言ってあげてくださいよ…ってこのサラダとソフトサラミの組み合わせ最高ね!」

「このピリ辛サラミはちょっとやばい。蒸留酒が進むわー」

「酒の進みが早いですね。程々にして食事もしてくださいよ。確かに蒸留酒に合う後味の濃いサラミですね」

「なんで皿奥にやるの。届かないじゃん」

「それはお前が私の皿にサラダを乗せようとするからだな!」

「串揚げとサラミの交互が何でこんなに美味いんだ…!」

「ソフトサラミと甘みの少ない果実酒の組み合わせが思った以上にくるねぇ」



各々が好き好きにサラミを摘み、食事をし、酒を飲む。

いつもの和やかな風景だ。


唯一彼らが失敗したという言葉を使うのなら。

似たような色合いの葡萄酒と濃度が薄い果実酒が有り、ユフィーラから離れたくないテオルドに対し、ジェスが主を思って葡萄酒を注ぎに訪れ、果実酒を飲んでいたユフィーラの酒の隣に似た色の葡萄酒を置いてしまったことが要因だろう。



嵐の前の静けさ。



それぞれが程良く酔い始め、酒に纏わる格言のような話になった頃に始まった。



「酒ってさ、良く飲み過ぎは体に悪いとか酔いが過ぎてオイタするとか言うけど、酒に関する良い意味のうんちくも在るよねぇ」

「あーあるねぇ。どこかに旅する度に色々なその土地の酒に出会えたりなぁ」

「それはあるな!酔って気分良くなって周りの皆と仲良くできたりとか。俺はなくてもできちゃうけど、ははは!」

「何。揚げ物と酒でもう出来上がったわけ?苛ついた時に飲んで寝れる」

「はい!薬の代わりにもなるかと存じ申し上げる所存です!」

「ぷっ。誰へのどんな謙譲語なの。確かに時によって身分関係なく接することができたりするきっかけになることもあるわよね」

「祝い事や贈り物にも喜ばれるな」

「貴方は間違いなく果実酒を贈りそうですね。独り寂しい時などのお供にと言う場合もありますが」



時間が過ぎ、酒も進み、それぞれがほろ酔い気味になりつつあった。


だからこそ。


この時のユフィーラの僅かな会話の変化に誰もが酒やサラミ、ガダンの食事に舌鼓を打ち気づかなかったことが敗因である。この後に起こる彼らの羞恥劇場への。



「それにしてもさー権力しか自慢出来る所が無い男って最悪よねー」

「だよな。己で磨いた能力を堂々と見せれば良いのに、何でそんなしょうもないことでふんぞり返るのか分からないよ。俺はいつでも堂々と生きているけどな!ははは!」

「酒入って楽しいのは良いけど、人の背中ばんばん叩かないでよ。そういう人間は元来器が小さいから遠目から生温かく見守っておけばいいんだよ」

「絶対その目に蔑視が滲んでそう」

「逆に言うのなら、それでしか胸を張れるものが無いというのも哀れなものですね」

「そのお前の視線は侮蔑と愉悦が混ざってそうだけどなぁ」

「…ジェス。俺に注いだ葡萄酒は何回目だ?」

「主、今ので三回目ですが…」

「―――――何だと…」



ここでテオルドが再三ジェスが注ぎに来てくれたことで疑問を持ったようだった。


テオルドは程々に摘みながら時折酒を楽しんでいたのだが、ユフィーラが薄めとはいえ果実酒を結構な勢いで飲んでいくのを見ていて、ふと自分の葡萄酒と色がそっくりだということに気づき、三度注ぎにきたジェスに対し疑問を持った。



「…ちょっと待て。俺はまだ一杯分くらいしか飲んでいない」

「え?でも程良く減っていたので、こうして注ぎに――――っ!」



そこでジェスが何かに気づく。



「あ、主…このグラス」

「…!」



そこにはテオルドと同じ形のグラスに入ったユフィーラのグラス。その量は減っておらず、氷も解け始めていた。


そして氷だけ残るグラス。

そして先程のユフィーラの飲みっぷり。



「あ、主、まさか…―――――」

「ああ、そのまさかだ。俺としたことが、色が似ているからと離しておけば―――っ」



二人で最悪の事態に慄くが、同時に隣に居たはずのユフィーラの席から本人が忽然と姿を消していた。そして少し離れた所から「え…えっどうした?」と焦るパミラの声が。



狂宴の宴が幕を開ける。




テオルドとジェスがそちらを見ると、パミラの席の隣にしゃがみながら上目遣いで見るユフィーラが居た。


「パミラさんはここ最近少しほっそりされましたが、何か悩み事でも…?」

「え、いや…最近寝る前のお酒の量が少しだけ減ったからじゃないかな…」

「それだけで…ここまで慈愛と儚さに磨きがかかるのでしょうか…今ですら魅力が強力濃度の蒸留酒並みなのに」

「……ぇ」

「元々心根は限界値を超える程の透き通った美しさ。これ以上心身ともに…それこそパミラさんの心が込もった綺麗に整えられた服やシーツ、家具同様に磨かれてしまった場合…そんなパミラさんを守るべき壁を結成しなければならなくなるかもしれませんね…?」



そこでついに耐えられなくなったパミラが両手で顔を覆ってしまった。

か細く「わかった、あり、がと…もう、良いから」と息も絶え絶えだ。



そんなパミラに微笑み、しゃがんだ状態から立ち上がったユフィーラは隣にいたランドルンと目を合わ……標準を合わせた。ランドルンが僅かに目を丸くする。



「ランドルンさんはいつも、『私はうんちくばかり余計なことを言ってしまうのですよ』とパミラさんと良く話しています」

「ええ。そう、ですね…?」

「でも、それをいつもご自身で揶揄ってはいますが、実際に話してくれる言葉の多くは、相手への気遣いと心を寄せる想いに溢れている言動が数多くあるのです」

「…まさか…」



ここでランドルンがユフィーラの状態を瞬時に気づくが、相手は目の前だ。

逃げることは不可だった。



「それらを聞き流す体で、皆さんは実はしっかりと把握されていて、個別に重要な言葉やそれに応じた臨機応変に動けるような方法も、ランドルンさんは必ず一緒に添えて話してくれるのです。普段の少しだけツンと済ます中に優しさが滲んでいて、皆さんいつも心に留めているのが私にはわかります」

「…それは…有難き幸せ、なんでしょう、ね……」



ランドルンが珍しく人前で銀縁眼鏡を取り目元を手で覆って背凭れにかかりながら上を向いてしまった。



ここでようやくほろ酔い状態の使用人らはユフィーラが酔っていることを認識する。



「ちょ、旦那。ユフィーラの酒は薄めのやつじゃ…」

「色がそっくりの俺の葡萄酒を間違えて飲んでいた可能性が非常に高いことがわかっている」

「何その捜査の過程報告みたいな言い回し―――」

「そうなんです、言い回し」



いつの間にかブラインのすぐ側にはユフィーラが立っていた。

普段何事にも動じないブラインが珍しく息を呑む。



「いつも少しだけ憎まれ口な言い回しをするブラインさんは、いつも皆さんを本当に良く観察されています」

「ちょ…っと、その辺で、もう」



ブラインらしからぬ切れ味がたがたの返しに、一同思わず胸に手を当てご愁傷さまと祈りたくなる。



「そうやって、ついつい邪険に言い返してしまうのに、いつも皆さんの言葉一語一句をちゃんと聞いて覚えていて、どこかでそれをちゃんと相手にとって最善の場面で役立ててくれるのです」

「…」

「そんなブラインさんでもたまには…極稀には私がいつもしてもらっているように撫でられても良いのではと思ってしまうのです」

「…!」

「もし、ブラインさんが、ご気分を害されないのなら、頭を撫でたいです。……駄目でしょうか」

「……好きにすれば」



少ししゅんと俯き加減の姿で言われて誰が断れるだろうか。

それはブラインにすら当てはまり、耳を赤くしながらぷいっと目を背けても肯定の返事を返すと、ユフィーラが花開くように微笑む。そして優しく優しくブラインの頭を撫でる。



「言葉とは裏腹の温かい心遣いをありがとうございます。皆さんにはいつも伝わっています」

「…あ、そ」



背けたままのブラインにユフィーラはにこりと笑み、くるりと方向転換をするのをまだ攻撃を受けていない数名がびくっと反射的に強張らせてしまうのは仕方あるまい。


ユフィーラは座って串揚げを持ったまま固まっているダンの元へ辿り着き、串揚げを指差す。



「ふふ。ダンさんがいつも爽やかで素敵な笑顔と真っ直ぐな称賛で相手に伝える言葉に、串揚げを作ったガダンさん始め皆さんも素直に受け取れるのですよね。それはダンさんのいつもの態度と行動が物を言うと思うのです」

「あ、うん。ありがとう…?」



しどろもどろのダンにお構いなく、ユフィーラは徐ろにダンの頭をまるで馬を愛でるように撫であげていく。



「わ、ちょっ…」

「こうやってジョニー始め皆さんの愛馬達も大きな手で撫でられることを楽しみにしています。ルードさえ、最近ではダンさんがくれるご飯を待ち侘びている様子が見られて私も嬉しくなりました。本当にいつも心を砕いて下さってありがとうございます」

「あ、ああ、うん、良かった、よ?」



詰まった返事を連打するダンは目を丸くしながら、頬が赤くなっているのは酒のせいだったと後の彼は主張する。



ユフィーラはダンの向かいに居たアビーにターゲットを移す。



「いつも明るく溌剌なアビーさんの表情と華やかさこそがこの屋敷と心の彩りであり、一気に場を照らして賑やかにしてくれます。なのに騒がしくならない絶妙な範囲すら網羅しているのです」

「え」



突如語り手のような言葉の羅列にアビーが構える間もなくぽかんとする。



「誰かが少しでも気落ちや元気がない時など、空気を読んでそっとしておいてあげたり、楽しく過ごす時は誰よりも盛り上げ役を買って出る。これはもう天性の才能です」

「な、何言ってるのよーそれは単に私自身が楽し――」

「そうなんです。楽しんでいる流れで相手までその気持ちを転換させてあげられる天性の極め方を熟知されているのです!」

「……参りました」



何とか反論を試みたアビーが撃沈する。



「お、俺はつまみの追加でも持ってくるわ」



使用人への過度な賛美の数々にこれは不味いぞと、ガダンは先ほどこれで全部だと言ったその口で、適当に理由をつけて厨房に逃げようとした。

しかし相手は人の機微に敏いユフィーラである。すたたたっと厨房手前のカウンターに回り込む素早さにガダンは絶望する。


更にその手には空になったお皿を持って。



「ガダンさんがいつも毎日作ってくれる食事の数々ですが…」

「あ、うん」

「食べ慣れているのに、今日も今日とて、こんなすぐに無くなってしまうほど美味しいのです」

「それはありがとねぇ、それだけで十分…―――」

「それはガダンさんの作るものが美味しいという大前提なのもありますが…毎日誰かしらの好物が必ず出て来る…それはガダンさんの心遣い始め毎日美味しく食べてくれる感謝の念も込め、そして更に美味しくなるように願いながら作っているのだろうと思えるような品々に感じてならないのです」



ガダンがよろりとカウンターに手をつく。手痛い初撃を喰らうが、酔っ払いユフィーラの口が緩められることは一切無い。



「そしてそれを皆さんは何も言いませんが、全て理解し享受しながらも、好物が出てきた時の表情はそれはそれは嬉しそうで。料理から滲み出るガダンさんの寄り添う気持ちに日々感謝していると思います」



ユフィーラの言葉に後方の皆も多少もじもじ状態である。それは全て真実だからであった。


そしてとどめを刺されたガダンはカウンターに肘をついてふにゃんと沈むのを、ユフィーラは「ちょっと失礼を」と言いながら、ガダンの巧みで繊細な動きで美味しい料理を生み出す指をきゅっと握って「真心の籠もった美味しいご飯をいつもありがとうございます」と祈るように目を閉じた。とどめのとどめである。



そしてくるりと振り返ったユフィーラに、既にやられた使用人らは無意識にびくっとなる。てくてくと歩いて行くユフィーラ。


テオルドの側で固まっていたジェスの元だ。



「ジェスさんの普段つれない態度から出る、裏側の温かさは思わず照れてしまうほどにじわりときます。そしてそれ以外での少しだけ厳しいお言葉も私にとっては自分を律するきっかけに常に戻してくれるのです。いつも見守ってくれてありがとうございます」



その言葉を聞いた使用人達はジェスも間違いなくぐしゃりとなると予想していたが、反してジェスは持ち堪えていた。



「いや…私は今までのことからユフィーラに対する態度をどう改めていいか、計り兼ねているところがあった。でもそう言ってくれて、そして何より我が敬愛する主をここまで感情を呼び起こしてくれたことに心より感謝している」



どの使用人も、そしてテオルドさえ思った。



こいつも絶対酔っているし!



ジェスも見た目からは酔っ払いには見えず、立つ姿勢も真っ直ぐなのだが間違いなく酔っている。素の状態なら、恥ずかしくてこれらの言葉が彼の口から出るはずがないのだから。



「まあ、そんな恐れ多いです。私こそテオ様に会えて、幸せになるということを知れたのです。それは今まで、そしてこれからも側で支えて下さったジェスさんが居てくれたからこそ、理由の一つであるのだと思っています」

「そう言ってもらえて感無量だ。だが私だけではなく、ここに住む使用人皆の支え無しには成し得なかったことなのだ」



テオルドと使用人達はこの先を予想し震撼した。


これは二人で自分らの褒め合い合戦に発展し始めたのだと。

このまま好き勝手されたら恥じらいなんて言葉では言い表せない程の小っ恥ずかしい流れに間違いなく進化する…!と。



誰もがそれを想像したその時。

卑怯にも離脱しようとした者が一名。


その人物はまだ辛うじて自分の番になっていないことを良いことにそそくさとゆっくり立ち上がり食堂から消えようと気配を消しながら画策していた。


だがこういう時にこそ、ここの住人の中で誰よりも本能的に反応する人物がいることを忘れてはいけない。



逃亡を図った人物が慎重にテーブルを周って扉に向かおうとしたその時。



転移でもしたのかというユフィーラの軽快で俊敏な動きに逃亡者テオルド始め使用人一同は戦慄いた。



ユフィーラはそのまま勢いをつけて「とうっ!」と掛け声をかけ、テオルドの胸元…よりも上に飛び込ん…より上に飛び上がった。


当然それを避ける選択肢が皆無のテオルドは驚愕したまま受け止め、まるで子供抱っこのように片手でユフィーラを抱き上げた状態となる。



「…どうした?フィ…――」

「私の唯一」



テオルドの顔がピシリと固まる。


使用人はほぼ全員が驚愕の表情からにやつきの表情に変わる。



「私が少しばかり怯えていたのを聞いて皆に言ってくれたのです?」

「…ああ」



その言葉にユフィーラがとても幸せそうな表情をする。



「ここ最近の皆さんの私への甘やかしの大サービスに、私は嬉しさも照れもありながら日々満喫してしまってました。あの時は瞬時の恐怖が蘇りましたが、こうやって皆さんが優しくしてくれるきっかけとなったあの騎士様には感謝をペッパー一粒ほどしたいと思います」

「塵ほどの感謝も要らないな。それなら―――」

「無表情だったテオ様は始めから皆さんへの気遣いに溢れていましたが、それを今では皆さん全員が知ることとなりました」



急遽矛先がぐさっとテオルドに直下する。そしてそれを知られたのは誰であろう、ユフィーラが言葉を大にして伝えたからである。



「でも皆さん以前から感じてはいたはずです。直接テオ様が皆さんへ態度には出さずとも、どこからか滲み出ていたはずなのです」



テオルドは抱えているユフィーラを軽く支えていた手で目元を覆ってしまう。そして使用人一同も口元か目元のどちらかを覆う。ジェスに至っては両方覆っていた。



「…テオ様は今どれほど満たされていますか?私は少しでもお役に立てていますか?もし足りないならどれほど何をすれば私以上に満たされてくれますか?」



羞恥プレイから突如質問形式に転換し、目元を覆っていたテオルドが外してユフィーラを見る。



「もし私で満たされなかったとしても、他の誰かを迎えずに何とか私で留めて欲しいと切に願うのです…」



何故か微妙に雲行きが怪しくなってきたと感じたのはテオルドだけではないはずだ。



「フィー、俺は…――――」

「世間では夫婦には倦怠期というものがあり、その時に大体の男性は他の女性に目移りするそうで―――」

「…は?」



雲行きどころか豪雨並みに怪しさ満載の話題に進化してきている。



「それでも私はずっとお家で帰りを待っていれば、そのうち他に飽きて私の元に―――」

「おい、そんな話誰から聞いた」

「今流行りの物語の本です」



その言葉にテオルドは溜息、使用人達は安堵の声が上がる。



「旦那様。ちょっと落ち着いて部屋で二人で話した方が良さそうですよ?」

「だな。あとは皆で適当にやってくれ」

「はいよー。いくつか食べ物はとっておくんで、酔い覚めたら言っておいてくださいねぇ」

「ああ」

「まあ。テオ様?私は食べ物も勿論大事ですが、今はそれ以上に―――」

「わかったわかった。じゃあ静かな所で二人きりで話そうか」

「望むところ!いざ!」



まるで死地に向かうごとく、ユフィーラの満身創痍の一声に「わかったわかった」とテオルドが子供抱っこのまま連れて行くのを、使用人達は生温かい目で見送った。



その後も使用人達だけでゆっくりと酒と料理を楽しんだ。


ダンとアビーはこの歳になってあそこまで面と向かって褒められることがないから照れくさいがそれはそれで嬉しいよねと楽しんでおり、ブラインは羞恥から酒が進み珍しく突っ伏して寝てしまった。


ジェスも実は結構酒を飲んでいて、ユフィーラに対し普段言わない褒め言葉を使い本音ダダ漏れで話したのを、翌朝にしっかりと覚えていて身悶えていたのはユフィーラとの大いなる違いである。


照れながらもパミラとガダン、ランドルンは酒の美味さに浸りながらのんびり語り合う。褒めちぎられた言葉を肴として。





テオルドは酒は入っていたが危なげない足取りで鼻息荒く何故か戦闘態勢に入っているユフィーラに頬が緩み部屋に向かう。寝台にそっとユフィーラを下ろして、自分も隣に座った。



「それで?俺が何だって?」

「テオ様が目移りするって話です!」



何故かテオルドはする前提になっている。



「じゃあ、もし俺が目移りしたらフィーはどうするんだ?」



ふと心情を聞いてみたくて、テオルドがちょっと意地悪な質問をしてみると、ユフィーラは眉を寄せ唸りながらも、部屋の角を指差した。



「あそこで不貞腐れます!」

「…ん?」

「テオ様が連日浮ついた気持ちで誰かと会っている時はあそこで膝を抱えて何か唱えてやるのです!」



テオルド本人に文句を言うとか怒鳴るとかでなく、またもや斜め方向からのユフィーラの言葉にテオルドは首を傾げる。



「角は寒いぞ?」

「良いのです!それをテオ様が知っているのなら、もしかしたら少しは早く戻られるかもしれないでしょう?私は角で蹲りながら恨みがましい状態で待つと決めたのです!」

「ぶっ」



思った以上に可愛すぎる対応にテオルドは思わず噴き出してしまう。



「まあ…何ですか?私が嘘を申し上げているとでも?」

「いや、……くくっ…いや、そんなことは思っていない。でも自分も同じく目移りしてやるとは言わないんだな」

「私がですか?」



ユフィーラがこてんを首を傾げる。



「そんなこと考えもしませんでした。そもそもテオ様しか考えられないのにどうして他に目移りする余裕があるというのでしょう」



ユフィーラからしたら当然のことを言ったまでだが、テオルドにとってはこの上なく最上級の言葉だ。



「それ以前に私はテオ様にしか胸がときめいたことがないのですよ?その方が旦那様になったというのにどうして他に目がいくのか…物語を読んでも残念ながら私には理解が難しいようです…」



まるで自分は出来損ないだとでもいうようにしょげるユフィーラを見るテオルドの蕩けた表情は、誰もが見たことの無いものだろう。テオルドはユフィーラの頬を包んで自分に向けさせる。



「それは俺も同じ。女にどうにか気持ちを向けたことは一度もなかったからな。フィーが初めてだ。そしてフィーで終わりでもある」



そう言って軽い口付けを何度も繰り返す。


ユフィーラは閉じた瞳を潤ませながらゆっくり開けたと思ったら急に寝台に立ち上がり、すとんとテオルドに跨った。これも酔っ払いのユフィーラだからこその行動である。テオルドが目を丸くするのを、ふふんとしたり顔で笑みながら今度はユフィーラがテオルドの頬を包む。



「それこそ望むところです。私ほどテオ様を想っている者がいないことを今後の全てを賭けてお見せしましょう!」



そう言って、テオルドの顔を引き寄せて口付けをする。


何度も何度も。


普段のユフィーラからは有り得ない行動にテオルドは驚愕の表情をしながらも、ユフィーラ以外に誰にも見せない甘ったるい表情で自らも参加し始めた。


これを明日には覚えていないのが本当に残念だと思いながら。







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