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一日5秒を私にください  作者: あおひ れい
一日24時間を私にください
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番外編:似たもの同士






「あ。ここに居ました」

「…!」




とある日のこと。

薬の精製が一区切りついたユフィーラが、少し遅めの昼食を摂るため食堂に降りていくと、ガダンからネミルがまだ現れていないとの話を聞き、一緒に食事をするべく捜し出すことにした。



ネミルはこの屋敷で使用人の一通りの仕事を教えてもらい、元来器用なようで、彼らの仕事の中で苦手なものはなかったようだ。ネミル自身からも、自分だけが出来そうな仕事というものはまだ見つからないとのことで、できることを模索しながらも使用人の仕事を日替わりで担うことを継続していた。



本日は午後からパミラの仕事を請け負う予定で、午前中は自分の時間であったはずだが、お昼を過ぎても食堂には現れていない。ユフィーラはこてんと首を傾げた。



(部屋には居なかった。皆と会って一通り仕事を覚えて、先日歓迎会もやってもらって、表情も柔らかくなって楽しそうだったと聞いている。それでも今こういう状態になっているということは…―――もしかしたら心が追いつかないのかも)



ユフィーラを始め、テオルドも使用人も、ネミルとユフィーラの境遇が似通っていることは理解している。だがユフィーラは元男爵家から飛び出した後、ここに来る前にハウザーとの時間があった。今こうして楽しくやれているのは、ハウザーと二人の時間が数年あったからこそ、ここに訪れた時の擽ったくなる気持ちや、照れ臭かったり嬉しかったりという心が溢れそうでも、何とか対応できたのだ。


でもネミルは違う。歓迎会の際に彼から一人で暮らし、魔術師団で働いて食事に誘われても研究しか頭になく断ったり、そもそもお酒も初めてだったそうだ。魔術師団専用の食堂などはともかく、普段の食事も恐らく殆ど一人だったのだろう。



人に慣れていないのだ。

人と関わり近づくことに。

人との接し方が表面でしかできないのだ。



使用人達からは、教えている時は真摯に取り組み、言われたことだけをやるのではなく、臨機応変に動く術を聞いてきたりと順応する能力は高いようだ。彼の能力が天性のものなのか努力のものに寄るのかは分からない。


しかし、覚えることが仕事だけではなく、人との関わりも同時進行していることで、諸々いっぱいいっぱいになってしまっているのかもしれない。



ユフィーラも、もし同じ立場ならそうなっていた可能性が高い。人との距離が測りきれず、でも嬉しいのに照れくさく恥ずかしい気持ちもあって、どう対応してどう動いていいか、そう思っているうちにどんどん次から次へと舞い込んでくるとなると、満たされすぎて息苦しくなってしまうだろう。


そしてそれを少しでも楽にするために、過去の自分の動きを模倣するかもしれない。例えば人が来ない場所で一人になって心を落ち着ける、とか。



満たされてどうしたら良いかわからない気持ちを抑える為に。



ユフィーラは傾げていた首を戻して、屋敷の内外で自分だったら行きそうな場所を考えてみる。



(馬房…はないな。庭園はブラインさんが居る確率が高いし、木々が生い茂っていないから屋敷から見えてしまう。家の中は物置の一部となっている屋根裏部屋は、来たばかりの彼が入るとは考えにくい。他の部屋もこれといって…外であとは…―――――あ)



ユフィーラは屋敷の裏側を思い出す。


屋敷の裏側に納屋のような建物がある。倉庫として使用していて木を改良し水漏れしないように外側を魔術で施され、ちょっとしたウッドハウスのようだ。


中は主にダンが使用する馬房や力仕事の道具類、ブラインの庭園関連の道具とそれぞれ区切ってあり、ガダンの外に出しておいて問題ない野菜などの食材も入っていると聞いたことがあった。


ユフィーラは中へ実際に入ったことはない。そして納屋の周辺奥は屋敷からは死角になっていて見えない。


ユフィーラは納屋方面に足を向けた。


納屋に鍵などは掛かっていないので、開けて中を覗くが誰も居ない。そして周辺をぐるりと周り裏側に進んだ時に、本当に死角となるちょうど観葉植物が生い茂る日陰の場所にネミルはしゃがんでいたのだった。



「ふふ。なんだかかくれんぼで見つけた鬼の気分です」

「あ……あの、僕…――――っ…」



ネミルがあたふたするのを見て見ぬふりをして、ユフィーラはネミルがしゃがんでいた隣に腰を下ろす。



「日陰で涼しいですねぇ」

「…はい」

「―――かくれんぼはご存知ですか?」

「はい?」



ネミルが首を傾げる。



「子供達が一度は経験するだろう遊びです」

「…かくれんぼ」

「ネミルさんを見つけた時、予想していた場所に居たのが思いの外嬉しかったですねぇ。鬼の気持ちが何となくわかりました」

「鬼…」

「はい。数人で行うもので、一人が鬼。鬼が数を数えている間、人間は見つからないように隠れる。制限時間内に見つからなかったら人間の勝ち。全員見つかったら鬼の勝ち。とてもシンプルな遊びです」

「…そうなんですね」



案の定そんな遊びがあることを知る由もなかったネミルは目を丸くしながら頷いている。かくいうユフィーラも物語で知っただけの知ったかぶりだが。



「少しばかり、息がし辛いですか?」

「っ…!」

「色々いっぱいで、すること、思うことが沢山あって」



瞠目するネミルからユフィーラは視線を外して手の届く観葉植物を撫でる。暫くすると、隣からぽつりぽつりとネミルが話しだした。



「上手く言葉に出来ないのですが…気持ちが今までみたいに制御出来ないというか。事態収拾の後、覚悟は決めていました。なのにここで働くことになって。それでも被害者である使用人の皆さんからの罵詈雑言は全て受け入れるつもりで…、なのに何も言われなくて、そればかりか…皆さんとても優しくて、気遣ってもらって」



ネミルが俯きながら土を弄りだす。



「実感する度に、どうにも照れ臭くて、それ以上に嬉しくて涙が出そうになって。心が今まで無かった感情で溢れ出そうで、どう返したら良いかわからなくなって、でも僕は相応の何かを返していけるのかという不安もでてきて…なんだか頭がぐちゃぐちゃになって、ここに逃げてきました」


ネミルは少し頬を赤くしながらも、憂慮するように眉を僅かに寄せているのを見て、ユフィーラは観葉植物を愛でながら話し始める。



「そのままあわあわしながら思ったことを直接言ってしまえばいいのです。嬉しすぎて堪りません。でも僕は皆さんに何を返せば良いのか分かりません、と」

「へ…」



思いもしない返答にネミルが呆然とする。



「だって経験がないのですから。誰もが初めては必ずあるのです。それが今なだけで年齢は関係ありません」

「え、でも…」

「試しに言ってみてください。そしたら皆さん返ってくる言葉は同じだと思いますよ『そんなもの求めていない』って」



ユフィーラはここに来た当初を思い出す。



「私なんて未だにもらいっぱなしですよ。保湿剤や薬で何とか少しでも恩返しをと思ってはいますが、皆さんからもらう言葉や気持ち、行動はいつもいつも心の器から溢れんばかりです」



ユフィーラはネミルを見て微笑む。



「それならばせめてと、思ったことや不安に感じたこと、嬉しかったことや楽しかったこと、悔しかったことを同じ言葉、気持ちや行動で返していくくらいしかできませんよ。―――どうしようもないこと以外は」



ユフィーラの場合は不治の病の件があったが、それ以外はできるだけ思うがままに行動してきた。



「彼らから言われることはもう十分もらっていると。何を?どこか?って尋ねても、そう思う部分は皆違うんだから説明しようがないって。結局明確な答えが導かれないのなら、思い切ってそれらをたっぷりと享受してしまった方が良いのです。皆との変わりのない穏やかな日々に感謝して、何気ない一日が実はとても大事なのだと実感して、一日一日をめいっぱい楽しんで生きていくしかないのですよ」



ネミルがぱちぱちと瞬きをする。



「そうしたら、何処かで、誰かの、何かを満たすことがあるかもしれませんし、もしかしたら新しい何かが生まれるかもしれません。自分らしく精一杯過ごすのが一番です」

「自分らしく毎日を過ごす…」

「はい。それを焦って探しても上手くいかないことも当然あるのですから、時間をかけて自分らしい何かを模索していくのも一興です。日々生きている証拠ですからね!」



ネミルの少し焦りのある瞳が徐々に澄んでいき、次には思案顔になる。だがそれは迷走しているわけでなく前に進むための嬉しい悩みだ。



「僕、仕事を一通り…やらせてもらいました。皆さんいつでもできると言ってくれました。…でも本来居ても居なくても良い。だってどの仕事も彼らだけで十分賄えている」



ユフィーラは頷きだけで返す。



「僕も自分だけができる皆さんの為になる仕事を見つけたいです。それだけでなく、一通り教えてもらったことで皆さんの都合が悪かったり体調不良になった時に代われる状態になりたい」



ユフィーラは目を丸くする。使用人達が来た当初、人が居なかったこともあり自分に合う仕事を個々見つけたが、ネミルが来た時には大体の使用人としての仕事は埋まっている状態だった。彼はそれ以外でできることを探しながら、いつ何時でも誰かの助けになれるように動けるようにしておきたいというのだ。



「はあ…ネミルさんは凄いのですねぇ」

「え…全然―――」

「使用人さん達が教えて問題ないねって言わせるくらい手際が良く対応力が優れていたのでしょう。私では到底不可能です」

「え、いえそんなこと―――――」

「いいえ、間違いなく無理だと断言できます!」



ユフィーラが人差し指だけをピンと上に伸ばしネミルに詳細を語り始める。



「私が馬房を担ったら、間違いなくルードやレノン始め皆を愛でたくなってしまいますし、遊び相手に認定されている私はその魅力に贖えないでしょう。雑用全般だったら良い香りのシーツに飛び込んでそのまま眠ってしまう確率が非常に高いです」



ネミルの呆けた顔にユフィーラはまだまだ語り足りない。



「メイドになったら可愛いレースのメイド服を着ながら、ずっとにやにやして鏡の前で箒を持ってポーズばかりとっていると思います。書庫に入ったら、好きな本をついつい手にとってそのままずっと熱心に熟読してしまうでしょう。庭師になったら、ひたすら雑草だけ毟ったり土の虫と戯れたりしてまともな管理ができるとは思えません」



ネミルの口元がひくひくとなる。



「家令になった暁には、テオ様の側から離れず小難しい書類をみたら間違いなく睡魔が襲います。そして厨房に入ろうものなら、ずっと味見をして食卓に料理が出ない可能性―――」

「ぷっ、ははは…!」



ネミルは耐えきれないと言った様子で笑い出した。



「まあ…冗談で言っているのではないのですよ?」

「わ、わかっています。でも何だかそうなっている姿が目に浮かんできてしまって…ふはっ」



ネミルがお腹を押さえて笑いを堪えるが、その効果は全く見られない。そんな姿も彼の一部であり、それを見せてくれているのだと思うとユフィーラは嬉しくなる。


ようやく笑いを抑えた涙目のネミルが目尻を擦りながらユフィーラを見た。



「いつも考え過ぎなんですよね、僕。先読みばかりしてしまう。そしてその先の不安を勝手に肥大化してしまう癖もある」

「今までの経験にないのですからあれこれ考えてしまうのは仕方ないのです。慎重なのは悪いことではありません」



ネミルはふわりと微笑む。



「はい。でも慎重になり過ぎて、折角のこの生活が脅かされるなんて勿体ないですから程々にします」

「それが良いと思います。デザートをしっかりいただく為に、お代わりしたい食事を程々にするのと大差ないですね!」

「ぷっ……そうですね。何事も程々が良いのかもしれません―――僕はそれができなかった…――ユフィーラさん。ありがとうございます、迎えに来てくださって。昼食時間に遅れて、どう言い訳をしようかと途方に暮れていたのです」

「あらまあ。心がいっぱいで堪らなかったのですと答えれば解決です!―――ですよね?ガダンさんアビーさん」

「…え!?」



ネミルがユフィーラの見る方向にばっと顔を向けると、そこには片眉を上げてにやつくガダンと、やれやれと困ったように微笑むアビーが立っていた。



「あ、……ぅ」



ネミルは聞かれていたかもしれない事実に、心と言葉が追いついていないようだ。



「シーフードかチキンと茸」

「「え」」

「グラタン」

「チキン茸に一票で!」



ユフィーラは先程お姉さん風を吹かせていたことなど直ぐ様遥か彼方にぺいっと追いやり、ネミルを押しのける体で元気よく挙手する。半分飛び跳ねるようにしているユフィーラを見て、ネミルの表情が柔らかくなり、「シーフード、増しでお願いします」と答えた。



その言葉に反応したのはガダン――――ではなくユフィーラだった。



「え…増し…?」

「はい。その具材を多めにお願いしますという意―――」

「チキン増し、茸増し増しで!ガダンさん!」

「ぶはは!」



ユフィーラの意地汚さ全開の、だがきらきらした瞳に耐えきれずガダンが笑い出す。



「あらーユフィーラ良い言葉を覚えたわねー」

「増し増し!これは多用性あると思われます」

「良いわねー。私もそれ使おうっと。――――ほら、ネミル。美味しいカモミールティーでも淹れてあげるから行くわよ」

「…はい!」

「カモミールティーのミルク増し増しが良いですねぇ」

「ふふ、使いすぎよ、ユフィーラは。可愛いなぁ」



アビーはユフィーラの頭をよしよしと撫でながら、ちらっとネミルを見る。それに気づいたネミルが止まると、にやっと笑いネミルの前に立った。そして徐ろに頭をさらりと撫でた。



「っ!」

「あら、とても新鮮な反応ねぇ」

「新鮮増し増しですねぇ」

「とはいえ、男の子…青年だから、たまーーになら良いのかしら?今日だけは特別ねー。よーしよし」

「わ、ちょ、っあの!」



そう言って背伸びをして撫でるアビーをネミルはあわあわと焦りながらも拒否は無い。



「一通り仕事を覚えて頑張ったわね!ご褒美にとっておきのミルクたっぷりの紅茶を淹れてあげましょう」

「…!」

「なんだなんだぁ、俺も混ざってやろうか?」



とても悪い笑顔でガダンが今度はネミルの頭をわっしわっしと撫でる…というより左右に振っている。



「わわっ…」

「どれもこれも手際良く仕事して良くやったな。自分だけの仕事を見つけるかどうかゆっくり決めろよー」

「っ!」



呆然とするネミルの顔をガダンは見ないふりで、彼の首に腕を回し引きずるように食堂へ連れて行く。「早くしろよー片付かないだろー」と言われているネミルの顔はもうそれは真っ赤だった。


その風景をアビーが優しそうな表情で見守り、ユフィーラは―――――もう一度アビーに撫でてもらう為に頭を差し出しており、彼女は苦笑しながらよしよしと再度撫でてやっていた。










その日の夜。

ネミルはテオルドの執務室に訪れていた。



「どうした。やりたい仕事が決まったか」

「はい」



ネミルは頷く。



「僕は使用人皆さんの仕事を一周り教えてもらいました。そしてそれ以外に他に何かできないかと模索していました」



ネミルの話にテオルドは頷きで返す。



「一つはそこを使用している皆さんの許可を得てからになりますが、外の納屋と屋根裏部屋を、保管魔術を使って管理したいと思っています」

「保管魔術で管理…?」



テオルドが首を傾げる。ネミルはずっと考えていた。自分だけが出来る何かを。それは自分で作り出した保管魔術。これを使用すること。



「はい。例えば納屋ですが、ダンさんは力仕事の道具や馬房関係のものを置いています。それらは勿論しっかりと手入れはされていますが、それでも劣化はしていくものです。流石に壊れたものは難しいですが、保管魔術を応用すれば劣化はある程度防げると思います」

「劣化を防ぐ…」



ネミルの保管魔術は、殆どの魔術師が使っている収納魔術とは少し異なる。

収納魔術は空間に物をしまうことが可能だが、その中でも当然時間は過ぎていく。食べ物を入れて時が経てば、そのうち腐ったりするわけだ。


だが、ネミルの保管魔術は収納魔術の絶対的空間のものとなる。つまり、入れた瞬間から時が止まるということ。食べ物なら入れた直後と同じ状態なのだ。



「なるほど…考えたな」

「屋根裏部屋の使い道もパミラさんやランドルンさん、アビーさん達が家の物の中で、すぐに使わないものや常備しなくて良い物などを置いていると聞きました。例えば、酒など時間を敢えて経たせることでという物もありますが、それ以外はそこにしまった直後の状態を保てる。それを納屋と屋根裏部屋に保管魔術を改造して備え付けたいと思いました」



それが上手くいけば、今後は劣化を防ぎ長持ちする物が増えるだろう。



「わかった。問題なく通ると思うが、明日の朝皆に話してみよう」

「はい、ありがとうございます。それと並行してですが、改造が完成した後は状態を補填しつつ、魔術を重ねがけることで問題なく保つと思います。それ以外ではせっかく使用人の皆さんから色々と教えてもらったので、日によって仕事量が多そうな方のところで働かせてもらおうかと考えています」

「わかった。でも無理はするな。日々補填する魔力が多い時は体調を重視しろ」

「はい」



そう答えるネミルの表情は晴れやかだ。



「それと、今日…僕が今の状況をどう対処していけば良いのか迷走してしまって、探しに来てくれたユフィーラさんとお話させてもらったんです。…僕は今までの環境からか皆さんの優しい対応に心がいっぱいになってどうすれば良いのか分からず、隠れてしまったところを、ユフィーラさんに見つかってしまいまして。隠れる人間の気持ちがなんとなく理解できました…」

「隠れる人間…」

「あ、いえ。かくれんぼという遊びがあるとユフィーラさんから教えてもらったんです。それと、彼女からは、もやついても慌ててしまっても動揺しても良いのだと言われました。それが生きている証拠だから、色々思い悩むことも必要だと。慎重なのは良いが、かけがえのない一日が勿体ないから程々にして楽しむべきなのだと…」



テオルドがユフィーラのことを頭に浮かべたのだろう、優しい表情になる。



「…そうか」

「はい。考えてしまうことは仕方ないのですが、やり過ぎずに程々を目指して、それでいて今までに経験できなかったことを毎日実感しながら、ここで暮らさせてもらいたい、です」



そう締め括ると、テオルドが一つ頷き少し俯き加減になる。そして再度ネミルに視線を合わせた。



「前にユフィーラの過去は聞いたな?」

「…はい。元貴族での話を…」

「そうだ。実はそれ以降も色々あった」

「色々…?」

「ああ。そのうち誰からか聞くかもしれないし、本人から話すかもしれないが、知っておいてもらった方が良い」

「はい」



ネミルはしっかりと聞く体勢になる。



「俺がお前と出会ったのは今から一年半くらい前だな」

「はい。側では半年ほどでしたが、遠征などでたまにご一緒に」

「その時の俺は少しはまともだったか…、もっと前に俺の噂は何か聞いていたか?」

「前…あ、…とても人嫌いだと」

「そうだ。鬱陶しい程に魑魅魍魎の類の人間が嫌いでな。ついでに全部が嫌いになった。そんな時にユフィーラに出逢って契約婚をした」

「はい……はい!?」



通常の口調で話すテオルドの爆弾発言にネミルは目を剥いて思わず聞き返す。



「今はれっきとした夫婦だ、問題ない」

「あ、はい。そうですよね…良かった」



あれだけ仲良くて契約の婚姻であるのなら、世間の婚姻とは一体なんなのかとネミルは迷路に入るところだった。



「ユフィーラと出逢った頃は鬱陶しい蝿に集られてうんざりしていたんだ」

「蝿…」

「見た目と地位で蔓延る女共と何かと絡んでくる男共」

「そう、ですよね」



確かに目の前にいるテオルドの美貌はとんでもない類だ。それで副団長に伸し上がる能力を持ち、魔術爵とくれば、いくらでも女性は群がり、男性は妬み嫉みの嵐だろう。シモンが良い例だ。



「たまたまトリュスの森で魔術を展開していた時の俺の目に惹かれたそうだ。ある時、彼女から一年の契約の婚姻を持ちかけられた」

「ユフィーラさんから…?」



テオルドが頷く。ネミルとしては周囲に辟易していたテオルドからだと当然思っていたからだ。



「彼女は俺が副団長ということも、爵位があることも何も知らなかった。トリュスの森で見たのが初めてだったらしい。それでも初めはその系統の人間だと思っていたが、契約婚姻の条件が俺寄り過ぎた」

「寄り過ぎ…」

「ああ。挙式や披露宴は無しで署名のみ。贈り物等一切無し。生活は共にしても夫婦としての役割は外面だけ。煩い女が来た時の対処、一緒の部屋にしない…これは俺だな」

「そんな条件…」



いくら何でもユフィーラにとって何一つ良い条件ではないことは確かだ。



「ああ、俺だけが好条件ばかりでお前にはないのかと聞いたら一つだけ提示されたな。一日…5秒だけ抱きしめてくれと言われた」

「…」



たった。

たったそれだけで。

何故。


ネミルの言いたいことがわかったのだろう。テオルドが少し眉を下げながら話す。



「この頃の俺は人として相手のことを慮る感情は塵ほどもなかった。しかも誓約魔術を向こうから申告するほどの都合の良い相手だった。共には暮らしても殆ど顔も合わさなければ楽で女避けもできるなと思っていたような人間だ」



ネミルも人伝には、テオルドが生粋の人嫌いらしいとは聞いていた。唯一まともに話すのがリカルド団長だけだったことも。だがここまでとは思わなかった。



「天使と悪魔の天秤を知っているか」



突如テオルドが不治の病と言われている一つの病の名称を出した。



「え、はい。不治の病ですよね」

「ああ」



テオルドの声が途端に抑揚が無くなる。



「確か、初期中期後期と段階があって、中期には壮絶な苦しみと激痛、そして後期には嘘のように穏やかになり眠るように死――――主様?」



テオルドの瞳に光が入らないような錯覚に見えたネミルは、つい声をかけた。テオルドはどこも見ていないような虚無の瞳。



「ユフィーラはその病に罹っていた」

「……っ」

「それを、誰にも、気づかれないように、最期まで、いつも通りに、微笑んで、過ごしていた」



テオルドが思い出すかのように、途切れ途切れに囁くように呟いた。


ネミルの全身に震えが奔る。

あの病は中期の壮絶な激痛が耐えられず精神がおかしくなってしまう程だと聞いていた。だからこそ最期の時は嘘なくらい穏やかに過ごせて、ようやく解放されるように眠りながら死に向かうのだと。


それをユフィーラは誰にも知られずにたった一人で立ち向かい、皆の前ではいつも通りにしていたというのか。



「だからこその契約婚姻。ユフィーラが罹ってからの約一年。どうせ死ぬのなら、好きなことをめいっぱいやり尽くしたいと。婚姻もその一つ。でも本当のものはできない。だから俺のような都合の良いと思っていた相手こそ彼女にとっては都合が良かった。居なくなっても―――問題ないと。全部理解していても彼女は日々謳歌していた。裏では自分で薬を作って痛みを何とかやり過ごしたり苦しんでいたりしたはずなのに」




にこにこしながら。

楽しそうに過ごしながら。




「そ、れ―――病は、どうやって…」

「俺は後期を過ぎるまで…人から言われるまで微塵たりとも、本当に何も、気づかなかった。人に心を寄せること、騒ぐ胸に気づかないふりをした結果がこのザマだ。ここまで来て、ようやくユフィーラへの想いを認めて、俺は解呪を行った。ユフィーラはそれすら知っていたのに俺にそれを願うことを一度たりともしなかった。寿命を削るからな」

「解、呪…」

「現状俺ともう一人だけ出来る魔術だ。それで何とか間に合った」



テオルドは無表情だ。でもその奥に、その時の記憶が滲み後悔に苛まれているように見えた。



「今後二度とこのようなことにならないように、己の感じた想いから目を背けずに邁進すると誓った。それは、使用人一同も同じ。ユフィーラが俺と…彼らの未来を変えた。そして、恐らくお前も変わる」



テオルドがネミルを見据えながら困ったとでもいう風な、でも優しい表情になる。



「でもユフィーラからすると、自分がではなく、皆の行動から、その結果動いたのだと言う。俺や皆が行動してくれたからこその自分の行動に過ぎないのだと。それなら俺達も同じだ」



その言葉にネミルも力強く頷く。



思うこと感じることはそれぞれある。でもユフィーラの行動でテオルドや使用人達が前を向いて動き、結果ネミルが今、こうやって皆のおかげでこの場に居られるのだ。



「はい。僕がこの場にこうして存在できているのはユフィーラさん始め、主様や使用人の皆さん…そして、片割れのイーゾのおかげです。僕は本当に何も見えてなかった」

「俺もお前のおかげで、ユフィーラ始め使用人のことを改めてもっと考えられるようになった」

「ぼ、くですか…?」



ネミルが目を丸くする。自分がしてもらったことは多々あるが、してあげた側になった事柄などない。



「不遇の環境でも最後の最後に踏みとどまったお前は、良く耐えた。良く頑張った」

「!」



ずっと欲しかった言葉。

いつかはと首を長くして一言でもと望んでいた言葉。



「今後はお前が誰かをそうして動かしていく存在の一人であってほしいと願う」

「!……はい!」



自分だけではない。誰もがたった一人で生きていけるわけではないとテオルドは言っているのだ。それはテオルド自身も身に沁みて感じていたことなのかもしれない。


過去の自分はそれでどうにかなっているからという勘違いに寄りかかっていただけに過ぎない。


それでも一人で生きるという者はいるのかもしれない。

でもその先に在る、たった一人の己の姿を見た時。

幸せだったと、そう望んでいたのだという気持ちに果たしてなるのだろうか。



ネミルの答えは否だ。


だからこそネミルはこれから前に進み、時には立ち止まって彷徨いたとしても、それをイーゾが、ユフィーラが、テオルドが、そして使用人の皆が近くに居てくれるのだ。



それは何て幸せなことなのだろう。



「じゃあ、明日その主旨を皆に話す」

「はい。お願いします。それでは失礼致します」



ネミルは一礼して執務室から出て行く。


部屋に戻るネミルの顔は未来の行く末の期待に溢れる表情だった。







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