番外編:使用人達の歓迎会
ブラインは基本人嫌いである。
ブラインは元は伯爵家の次男だったが、人と関わることを厭い植物を育てることが好きという、家の者から異質な変わり者として扱われていた。
両親や兄と姉は揃って貴族としての稔侍が異常に強く、それを当然のようにブラインにも押し付けてきた。後半からはカールの信者と成り下がり、その押し付けも酷かった。
ブラインは元々感情の起伏が乏しく、興味がないものには何一つ心動かされることがない子供で、行動も一切しない徹底ぶりだった。
唯一興味示したものが植物。
だが両親や兄姉はそれを許さず、無理矢理止めさせようとしたことで、今のブラインの頑なな態度が出来上がった一因であり、更に貴族主義の考えが余計に拍車をかけたといえよう。
加えて、深緑の少し癖のある髪に茶色い瞳のブラインは魔力量も多かった為、とても美しい容貌だった。それ故に子供だけのお茶会では令嬢達が蔓延り、令息からは妬みから嫌がらせを受け、更にブラインの人嫌いは加速していった。
伯爵が没落した時は心の底から安堵したと言った方が正しく、僅かにあったかもしれない血筋の情なんて、その時には微塵も残っていなかった。非情かもしれないが、それが事実である。
貴族でなくなり同時に魔術団も去ったが、元々土弄りをしたり苗を購入するために自分で作った魔力薬を売ったりしていたので、どうにでもなるだろうと思っていた矢先、テオルドから声をかけられたのだ。
テオルドとは何度か遠征を共にしたことがあったが、ブラインはいつも主に後方支援で動いていた。攻撃魔術が苦手な訳ではないのだが、戦いによって植物や木々が犠牲になり、燃え盛る場面に遭遇することが何より嫌だったからだった。
前線に出ない理由を聞いたテオルドは、多少なりとも魔力量と技術共に使えるはずのブラインを前線には出さず、意向を全て受け入れてくれた。
遠征が終わった後「防御と魔力補強の魔術のタイミングが見事だった」とテオルドから言われ、生まれ持っただけの顔のことや、貴族だからと下手に出るおべっかばかりの人間からとは違う、純粋な称賛にブラインは初めて人から褒められて嬉しいと思ったのだ。
態度に出すことはなかったが、テオルドから屋敷に誘われた時、元々テオルドの人嫌いに共感できることが多々あったのもあるが、すぐに了承したのはこの出来事も大きかったのだろう。
そしてその選択をした自分はとても正しかった。
ここまで居心地良くなると思わなかったほど、この屋敷での生活がとても穏やかで楽しい。
そんな風に思ったのは、この息苦しかった人生の中で初めてだった。
前魔術師団長の事件で魔術師団を辞めた使用人達は、それぞれ一癖も二癖もある人物ばかりなのに、存外楽なのだ。それはブラインにも十分その素質がにあるからだぞとガダンから笑われたが。
そしてユフィーラがこの屋敷に訪れてから更に良い方向に変わり、偏食家だったブラインは食わず嫌いが減って口数は多くなった。
そんな頃、同じ境遇のようなネミルがこの屋敷に新しい使用人としてやってきたのだ。
元魔術師団長の落とし胤で、ある意味一番の被害者であり、加害者にもなった人物。
それでも彼の根本の本質が今回の事件を肥大化させなかった一つの要因でもあったのだろう。
テオルドからは彼を呼び寄せるにあたり、使用人全員に伺いをたてた。ブライン始め誰も反対はしなかった。思うことはそれぞれあったとしても、ネミルは元魔術師団長の最大の被害者でもあるからだ。
初めてネミルがこの屋敷に来た時、ブラインは既存の使用人達同様に話せるか少し不安になった。何故かと言うと、ブラインは甚だ心外だが年齢的にも屋敷でのポジションは弟的存在となっている。しかも血縁でも末っ子だった為、兄側にまわる経験がなかった。
ネミルは始めこそ恐縮した様子で縮こまっていたが、使用人の大人な対応とユフィーラの気遣いで徐々に打ち解けてきていた。
でもブラインにはどう接していいかわからず、いつも以上に短い挨拶となってしまい、それ以上何も話すことができなかった。今までは相手側から話しかけてくることが殆どで、ブラインから動くということはなかったからだ。
ネミルは一通り使用人の仕事を教えてもらいながら、どれが一番性に合っているかを決める為、先ずはジェスから始め、ガダン、パミラ、ランドルン、アビー、ダン、ブラインと順に回っていくことになった。
そして最終日の今日がブラインの番だった。
「ブラインさん、今日一日よろしくお願いします」
「うん」
元は長い暗緑色の髪を三つ編みにしていたというネミル。
今はバッサリと切り、双子のイーゾの髪型と大差ないくらい短くしている。ここでの生活と色々な仕事をするのがとても新鮮なのか、薄茶色の瞳を輝かせながら充実した日々を送っているように見えた。
「俺はこの屋敷の庭園全般の管理をしてる。植物は季節のものや観葉植物と果物も数種類。ガダンが料理で使うハーブとかも殆ど一任されている。あそこの一画はユフィーラの薬草関係だから弄らない。あとは時折雑草を毟って、それを馬房に持っていく。植物を育てる時に使う魔術を受けた雑草は馬たちが喜ぶから」
一通り説明している間、ネミルは一言も話すことなく頷きながら熱心に聞き、植物の並ぶ庭園を見ていた。
ふとブラインは、この説明の仕方が先輩風を吹かすようで嫌な気分になった。人に教えるのは苦手かもしれない。まるで古参の偉そうな奴みたいだ。古参といっても数年しか違わないが。
憂鬱になりそうな気分で思っていると、ネミルが庭園全体を見渡しながら呟いた。
「管理する人によってここまで違うのですね」
「…違う?」
「はい」
どういうことか疑問形にして返すと、ネミルが庭園を見たまま答える。
「僕は庭師の在り方も何もわからないのですが、ここの植物達は区画ごとに綺麗に管理されていて、それでいて窮屈そうに隣り合わせていない絶妙な間隔で植えられているような気がします」
ネミルの言葉にブラインは僅かに目を見開いた。
「だからでしょうか。どの植物も何とか他より上にという咲き方でなく、伸び伸びと…穏やかに咲いている。ブラインさんの促進魔術や肥料も勿論ですが、とても…とても生き生きとしていて、眺めていると同じ感情に錯覚したような気さえします」
ネミルの感想に些か驚く。ブラインの植物に関する拘りは、恐らくその辺の適当に管理している庭師とはレベルが違うと豪語できるほどに、植物の種類や性質によって最良の状態にするように努めている。
「…植物も声を発さないだけで生きているから。状態を見れば、咲き方や育ち方でどう感じているのか何となくわかるようになる」
ブラインは自分が常に植物に対して思っていることを、つい口に出してしまった。
これを幼い伯爵時代に言った際は、すこぶる馬鹿にされ、変人扱いされたものだ。『人間と違うんだ。生きているんじゃなくて生えているだけだ』と。
同じではないか。
何故形や生育過程が違うだけで自分達より劣っていると見下すのかブラインは理解できない。
「きっとそうなんでしょう。僕にはまだ未知のことが沢山あって無知なので、生意気な口を叩くことはできませんが、ガダンさんも食材の在り方を教えてくれた時に同じようなことを言ってました」
ガダンの食材に対する考えもブラインと非常に似ている。目の前で食べ物を粗末にしようものなら、とてつもない制裁が待っていることは必須だ。ランドルンの書物然り、パミラの日常に使用する家具然り、アビーのお茶と美容然り、ダンの動物への対応然り、ジェスの主への暴言然り。
「そしてユフィーラさんからは、彼女が当初来た時に皆さんの対応がとてもこそばゆくて仕方ないのに、それ以上の嬉しさが滲んでどうにもならなくて悶えてしまうと言っていました。それがここ数日で僕も実感できているんです。ここでは当たり前のことを皆さんが一から教えてくれます。僕はそれが心の底から嬉しい」
この言葉にブラインは人伝のみだが、ネミルの過去の凄惨さを思い出す。
ユフィーラもネミルも、普通という暮らしには程遠かった二人だ。ブライン達が当たり前だと思っていたことが、二人にとってはそうではなかった。
「ブラインさん始め、ここの皆さんが僕に対して今も今後もどのような感情を持ったとしても―――」
ネミルがブラインと視線を合わす。
「ここでの生活と皆さんとの関わり、そしてこの素晴らしい庭園を観られるなら、どんな風に思われたとしても安いものだと思ってしまいます」
そう言って微笑むネミルの薄茶色の瞳はとても透き通っていて、ユフィーラが以前に見たという濁りは微塵も感じさせない。
「…それぞれだし」
「え?」
ブラインはすいっと目を逸らして、口を開く。
「皆色々あるんだから、俺はいちいちしつこく言ったりしない。皆も。そんな時間勿体ないし」
人の目を見て話すことはまだまだ苦手なブラインだが、少しばかり努力してネミルを見る。
「あんたも好きにやれば良い」
その言葉にネミルは瞠目してから安堵したように微笑み、その目が僅かに潤むのを認識したブラインは限界がきてぷいっと目を背けた。
「一通りの流れ教えるから。ついて来て」
「――――はいっ!」
教えることは不快にはならずどうにか可能なようだ。
「おーい、カウンターに置くのは酒だけにしてテーブルの方につまみや肴を置いてくれ。ごった返して仕方ない」
「良いねぇ良いねぇ。これ私が見逃した蒸留酒でしょ?持ってきたのランドルンでしょこれ」
「ええ。知り合いの伝で、たまたま数本買い溜めしていたのを譲ってもらったんです」
「俺の近くにその肴寄せておいて。いつでも食べれるように」
「おい、流れるように私の好物も持って行くな!」
「お。これは凄いな!当たり年の蒸留酒に年代物の葡萄酒、流行りの発泡葡萄酒に、果実酒、そして俺の麦酒もだな!」
「あら…これはアルコール無しの発泡果実水?」
ネミルが一通り使用人の仕事を体験した翌日の夜、カウンターには使用人達が持ち寄った酒、テーブルには持ち寄りのつまみとガダン特製の肴の数々が並べられていた。
そしてその場にユフィーラとテオルドの姿はない。
実は先日ユフィーラから使用人達だけで、歓迎会なるものを主催してはどうかという提案があったのだ。その代わり、そこで出たガダンのおつまみは一通り残しておいて欲しいと食い気味で懇願された。
使用人達がわいわい喋りながら酒の種類を見ていたところ、アビーが酒ではない飲み物を指摘する。
「それ僕が持ってきたものです。あの…お酒というものを飲んだことがなくて買ったことも…」
使用人達が一斉にネミルを見る。
「え、まじで?」
「はい」
「ただの一度もか?」
「はい」
「それはそれは…職場では?」
「誘われることはありましたが、いつもすぐに帰って研究漬けで…」
「今日初?」
「そういう、ことになりますね」
「なるほどな…これは面白いねぇ」
「?」
「じゃあ、全種類飲んでみような!」
「え」
「それで強いか弱いか、諸々知られて面白そうね!」
「…え」
ネミルの戸惑いには使用人達は見向きもせず、それぞれグラスに一杯目の酒を注ぐ。一応初体験ということで、ネミルに果実酒を少し薄めたものから勧めてあげたのは彼らの優しさである。
「それでは新しい使用人の歓迎会を始めようかねぇ…ってお前らは持ち寄った酒を飲みたいだけだろうけどな」
「それとガダンの肴もだな!」
「同意」
「ねー早く乾杯してよ。持たせて飲ませないとかどんな嫌がらせ?」
やいのやいの言いながらもガダンが再度音頭を取り皆がグラスを掲げるのを、ネミルも見様見真似で倣う。
「じゃあ、改めて…ようこそ、この屋敷へ。乾杯」
「「「「「「乾杯」」」」」」
「…乾…杯」
そこからはネミルの歓迎会という名の彼らにとってはいつもの酒場状態に早変わりだ。だがそれが逆にネミルからすると居心地が良かったらしく表情は柔らかだ。
「あー…この蒸留酒渋いわぁ。これちょっと濃いめの肴が一緒だったら最強じゃない?」
「確かに。癖が強いので味も濃いめ方が深さもより引き立ちそうですね」
「この果実酒、素材が酒に埋もれてない。美味しい」
「そうだろう、私に目の狂いはないからな」
「確かに果物好きのジェスならそこは間違いないよな。ガダンの揚げ物が美味い!」
「はは。好きに摘んでくれ。赤葡萄酒のコクと深みが効いてるなぁ、次は白にして飲み比べだな」
「ネミルはどう?お酒の拒否反応とかはない?」
「はい、大丈夫です。これは甘くてしっとりして美味しいです」
「そうだろう。お前案外わかるじゃないか」
「ジェスふんぞり返りすぎ」
皆がそれぞれ好きな酒を飲み、好きな食べ物を摘み、好きな話を好きなだけしている光景を、ネミルはきらきらした目をしながら、初めて味わう酒をちょびちょびと嗜みながら観ている。
少しぽわりと体が火照り始めるが、これは酒のせいなのか、この場の雰囲気のせいなのか、今のネミルに判断するのは難しそうだ。
「おーおー、意外に良い飲みっぷりじゃない。じゃあ次はおばさんが蒸留酒を注いであげよう」
「え、パミラさんをお姉さん以外に見えたことはないです!」
「ネミル良くわかってるじゃない。そうなの、そちらのお姉さんは最近夜酒を止めて引き締まり始めたのに、相変わらず化粧をしようとしないのよ。綺麗なお姉さんが好きですっていってあげて」
「アビーさんは元々素敵なのに、化粧で綺麗の極みまでいってしまうのですね…」
「次は薄めずにそのまま飲んでみると良い。美味さが際立つ」
「ありがとうございます。素材の良さがより濃厚に感じられますね」
「初めてなのに酒ばかり飲むと、悪酔いしたり具合が悪くなる場合もあるから何か摘めよ」
「ダンさんの食べてる蟹の揚げ物美味しそうです、僕も頂きますね」
「油物だけでなくこのピクルスも時折摂取されたほうがいいですよ。慣れないうちは胃が驚きますからね」
「なるほど…お酒の種類やそれに合う合わないもあるんですね。教えてくれて助かります」
「ん」
「え、ブラインさんのナッツをもらっていいのですか?ありがとうございます、香ばしいですね!」
少しずつ酒が入り、雰囲気に慣れたネミルが話し始める。彼らの会話の中に、ついでの流れでネミルを参加させたり、酒の場のうんちくを教えたりと、賑やかになっていく。
「んー?初めての酩酊感を体験している感じか?」
ガダンの言葉に少し目元を赤くしたネミルが照れるようにはにかむ。
「はい。僕お酒がこんなに美味しくて、その場がとても楽しいものだと今まで知らなかったことが悔やまれるくらいです。酩酊…ほわほわしていて、頭が無駄に冴えなくて、ある意味隙があるようなこの感じはとても気持ちが良くて、とても……皆さんとのさりげない会話の一つ一つが、凄く――――凄く嬉しくて、何だか叫びたい気持ちになってしまいます」
「ははっ良い意味で叫ぶなら良いんじゃないかねぇ。たまにはでかい声を出して発散もすっきりするぞ」
そんなガダンの肯定してくれる返事にネミルはふにゃんと微笑んでから、俯いて一点を見つめる。
「間に合って良かった…」
「うん?」
話すネミルの口元は僅かに震えている。
「あの時、副団…主様のことを思い出して…ユフィーラさんに手の荒れを気遣われて……無我夢中で、何とか……自分で魔石を抑えられて」
そう呟くネミルは、気持ちの良い酩酊感から使用人がネミルを見ていることには気づいてはいない。
「あそこで、―――何とか引き戻せて、自分の、底を…根っこを……濁った意識、の、中の…最後の良心を、捨てていなくて、良かった……――」
その瞳から流れるものを、嗚咽で言葉が途切れ途切れになるのを指摘する者は誰も居ない。
「そのおかげで、僕は今……イーゾが居てくれて…このお屋敷に雇われて、皆さんから、…叱咤、激励さ、れ、てこんな、にも満たされ…ています」
その言葉を最後にテーブルに突っ伏したネミルはどうやら酒がまわったようだ。
使用人達の誰もが思うだろう。
この青年はただの一度も親を目の前にして親だと呼ぶことができずに育ち、常に大勢の大人に囲まれ、いつも魔力をすり減らし、どこに行くことも…行ける術もなかった。
それはとてもユフィーラの育った環境と似ている部分が多くて。
そして彼女同様、感覚がとても聡く相手の感情を先読みするような、良いタイミングで退いたり、まだいけるところは質問してきたりする。テオルドも恐らくその部分をどこかで感じていたのだろう。
そんなネミルに対して誰が何を責められると言うのだろうか。
自分たちの過去を鑑みたとしても、彼に何の咎を背負わせられるというのだ。
彼はいつでも何でも受け入れられる覚悟をもってやってきた。
ならば。
そんなネミルには敢えて、ここで穏やかになって幸せと安心を、存分に感じて右往左往すればいい。
「あら、寝ちゃった?」
「初めての酒ですからね。それに今日まで仕事を一回りして気力も体力も使ったでしょうから」
「ならそのままそこに寝かせておこうよ。んで起きたらまた飲ませよー」
「まだまだだな。今日はこれくらいにしておいてやるか」
「んじゃ、ちょっと肴類をとっておいてあげるかな」
「ナッツの残りあげといて」
「はいよー」
そして安堵して緩んだ顔で眠るネミルの寝顔を見ながら、使用人達は酒と肴を楽しみながら談笑する。
ガダンはブランケットを彼の肩にかけてやり、狙っている蒸留酒を注ぎにグラスを片手に離れていった。
不定期更新です。