ネミルの真意
リカルドの執務室に入り、奥の仮眠室で横になるかと聞かれたユフィーラは首を横に振る。テオルドは仮眠室に備え付けられている大きめの一人掛けソファにユフィーラを抱いたまま腰掛けた。
抱きしめられながら頬や髪を撫でられているうちに、ようやく少しずつ頭が回り始める。顔を上げ、ユフィーラも手を伸ばしてテオルドの頭、顔、腕、肩と順に触れながら怪我をしていないか改めて目と手で確かめる。
「大丈夫だ。どこも今は問題ない」
「…一番負傷したのは右手でしたか?」
テオルドが右手をユフィーラに見せた。指が長くて節々の関節がしっかりしている大きな手。いつものユフィーラに優しく触れてくれる大好きな手だ。
「持っていたからな、魔石を」
「魔石…」
どのような魔石なのかは自ずと予想がつく。
「…テオ様、私少し前にネミルさんに会ったんです」
「ネミルに?」
ユフィーラは頷く。
「今朝も予定をお話した通り、研究所で用事を済ませてから戻る時に三方向に分かれる道の分岐点でネミルさんが魔術団方面から歩いてきました。その時の様子が少し、気になりました」
「…どんな風に?」
ユフィーラは大体の会話の内容と保湿剤を渡したことも伝えた。話し終えると、テオルドが深い溜息を吐いてからユフィーラを優しく、そして強くぎゅっと抱きしめてきた。
「テオ様?」
「フィー。お前は俺の恩人だ」
「はい?」
急に恩人と言ってくるテオルドに、ユフィーラは首を傾げながら手を伸ばし頬に触れる。テオルドは淡く微笑んで軽く啄むように口づけをしてくる。
「お前のネミルへの言葉がなかったら、もしかしたら俺は重傷では済まなかったかもしれない」
「!」
息を呑んだユフィーラにテオルドが落ち着けともう一度口唇を長めに落とす。
「リカルドが来たら話す。今は少しの間こうして実感させてくれ。俺の唯一」
唯一。
そう、唯一なのだ。
ユフィーラにとっても。
誰にも代えられない唯一の。
倒れているテオルドの姿を見た時の心の衝撃は忘れられない。
過去の比なんかにならない程に全身から迸った絶望感。
テオルドが前後に揺するように軽く揺れながらユフィーラの頭や背中を撫でてくれ、額に口付けが何度も落ちてくる。
そのうちにユフィーラもいつのまにか無意識に気張っていたらしい体から力が抜け、今度は震えが出て止まらなくなった。
「あ、わわ…急に安心したら震、ぇ…が」
「ああ、怖かったよな」
背中を擦って軽くとんとんとリズム良く叩かれて。
ようやく。
ようやく心の底から安堵が広がる。
すると目頭からぶわっと瞬時に熱がせり上がり、ユフィーラは慌ててテオルドの肩に顔を埋めた。
それでもしゃくり上げる声は抑えられず止まらない。テオルドは何も言わずに抱きしめ続けて、ユフィーラの震えが治まるまでずっと撫でてくれていた。
それから一刻が過ぎ、リカルドの執務室にはリカルドとハウザー、テオルドとユフィーラが居た。
「魔術団全体に箝口令は敷いた。ハウザーが周辺の操作を担ってくれて国王にも通達してもらった」
リカルドの言葉にハウザーが頷く。
「国王には俺の父親経由から、そして同時にアッカラン侯爵の今後の動向に細心の注意をしろと伝えてある」
テオルドは頷いて「助かる」と返す。
「魔術団総出で現場周辺とその周りの状況を調べている。それと事件前後に敷地内にいた外部者の確認と、その中でおかしな動きをした者がいたかどうかもだ。…それとネミルだが現在意識はまだ戻ってない。治療は継続中だ。お前の回復魔術が遅かったら命が失われた可能性は極めて高かった」
「わかった。俺の状況を説明していく」
一つ頷いたテオルドが、今回の事件の経緯を話し始めた。
「午後の会議が始まる半刻前にネミルが会議後の予定について話しかけてきた。そのすぐ直後に数名の魔術師が庭に不可解な光があると報告しにきた」
テオルドは淡々と話していく。
「建物の入口付近横に拡がる庭の土の一部が微かに鈍く光っていると。確認してから会議に向かうと伝えると、何故かネミルが今行くのかと尋ねてきた。仕掛けてきたのだろうと予測はついていたし、頷くと彼は少し動揺した様子で会議の準備をしておくと言い、その場を去っていった。」
そこで一度話を止める。その時のテオルドの心情はいかばかりだっただろう。
「庭に行くと、少し奥の生い茂った場所の一部に不気味な淡い光と同時に魔術の織が発現し始めていた。それがカールの屋敷から押収した物と同様の魔石が埋められているだろうと予想して魔術で掘ると、気味の悪い赤色の魔石は既に暴走の気配をみせていた」
親指と人差し指の先を合わせて輪っかを作り「このくらいだ」とテオルドが魔石の大きさを教えた。
「あの時点で魔石の暴走の速度が思った以上に速かったことを考慮し、この周辺で開けた場所、魔術団入口の広場に転移した。空中四方に散らして力を分散させる方法も考えたが、予想以上に膨大な魔力を放ち始めていた魔石が、どこまで拡散して暴走するか見当がつかなかった。それこそ王宮や街、それ以上に及ぶ可能性もあった」
そしてテオルドは少し目を伏せる。
「…最小の被害で収めるには防壁魔術で覆い俺が一人で対応するしかなかった。俺が何とか衝撃を保てるほどの最小限の範囲の防壁魔術を展開し、手の中の魔石の暴走を食い止める魔術を組み始めた…が、あのまま一人で対応したら、恐らく重傷では済まなかったかもしれない」
「!」
リカルドが息を呑む。ユフィーラは視線をテオルドから逸らさず見つめる。
叫んで済むなら絶叫したいくらいだ。
自分を、命を大事にして欲しいと。
でも言えないのだ。
副団長という立場と…そうでなかったとしても、自分の能力を存分に熟知していてその場で収められる唯一の可能性が自分しかいないならば、恐らくテオルドは行動するのだろう。
「魔石の暴走の勢いと蓄積されていた魔力量が想像以上に凄くてな。これは握った右手か、腕までか、最悪右半身持っていかれる可能性も覚悟したな」
もしかしたらの言葉にユフィーラは思わず両手をぐぐっと握る。すると隣にいたテオルドの手が伸びてユフィーラの手を包み、ゆっくりと拳を開かせる。手の平にはくっきりと爪の跡。
「その時、俺の防壁魔術をぶち破った奴がいた。ネミルだった」
ネミルはテオルドに駆け寄り、黒ずみ始めていた右手から魔石を奪ったそうだ。『再度防壁魔術を!僕が責任を持って食い止めますので何とか防壁魔術を鉄壁状態でお願いします!』と叫んでテオルドから離れていった。
「そして離れ際にこう言った。『今まで申し訳ありませんでした、ありがとうございました』と。今まで見たことがない…清々しい笑顔だった」
ユフィーラは思い出す。あの時ユフィーラ達から去って行くネミルの表情もどこかスッキリとしていたように見えたのだ。
「多分、いや間違いなくあの時のフィーの言葉が、ネミルがこの行動を起こすきっかけになったんだと思う」
あの時に道の分岐点付近で会ったということは、ネミルは混乱に乗じて魔術団から逃亡する予定だったのだろうとテオルドは言う。
「ネミルは片手で持った魔石を胸元にあてて自分の魔力を最大限に放出して暴走した魔石を鎮めようと魔術を展開した。それでも魔石の膨大な魔力に圧され始めたネミルは体を蹲らせて魔石を体ごと閉じ込めようとした。その直後、衝撃波が防壁魔術の中を蹂躙して俺は一瞬気を失った」
そしてユフィーラがその後にあの場に辿り着いたのだろう。
ネミルはきっとテオルドを死なせたくない、そして隠していた魔石の後始末をつけようとしたのだろう。テオルドがネミルに対して何かしら感情があったのだろうと同様にネミルにもテオルドに何かしらの思いが芽生え始めていたからこその行動にしか思えなかった。
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