最強の守りと大貴族の減退
この日、食堂には全員が集まっていた。
その理由はこの屋敷全体の防御、防壁などテオルドや使用人達と話し合った末の最高峰の鉄壁の守りの魔術を施す日なのだ。
そして本日は使用人ではなく特殊魔術師として参加している彼らのローブ姿が披露されている。ユフィーラは大興奮で食堂に集う皆の周りをあちこちくるくると軽快に廻っていた。その姿はまるで子犬が大好きな玩具を欲しているような姿そっくりだとは、空気の読める全員が口を噤み、生温かい目で今日も見守っていた。目の前をちょろちょろと歩き回るのは一応これでも人妻なのである。
魔術師の代名詞とも言われているフード付きのローブにはグレードがあるらしく、ローブにはそれぞれ魔力や魔術を込めた特殊な糸で縫われた様々な模様や魔術文字などが施され、刺繍の数の多さや糸の材質が高いほど上となる。それを羽織ることで魔術の完成度にも大きな影響を及ぼすとのことだ。
いつもの碧緑色と同じ色合いだが、艶消しの暗めの深碧色の糸がまるで蔦のように纏っているブラインのローブ。
ダークグレーにアイボリーの糸で魔術模様が入っているパミラのローブ。
ダークチョコレート色にブロンズ色の糸で花の模様を彩っているアビーのローブ。
艶のある漆黒にくすんだ水色の魔術模様が入っているジェスのローブ。
少し濃いめのスモークブルーに藍色の糸で細かい蔦模様が散らばるダンのローブ。
艶消しの白灰色にグレーの糸で魔術模様が敷き詰められているランドルンのローブ。
深紫色のローブに赤紫の糸で魔術模様が入っているガダンのローブ。
そして本日は魔術師団の濃紺のローブではなく、艶消しの漆黒に紺色の糸で魔術模様が入っているテオルドのローブ。
皆それぞれが抜群に姿形が整っていて、屋敷で普段見せる姿とは異なる雰囲気がまた、新鮮で格好良くて、能力も秀でていて圧巻だ。改めてユフィーラはこの屋敷にいる皆が凄い人達の集まりなのだと実感する。
「じゃあ、手筈通りに」
テオルドが特殊魔術師達に声をかけ食堂を出るのをそれぞれが頷きその後に続く。ユフィーラは側で見学させてもらえることになったので一緒に付いていき、屋敷に出た皆から少しだけ離れて見守る。
それぞれが定位置に着く。
そこからは魅せられたものはユフィーラの語彙力の乏しい言葉では表現し難いものだった。
先ずテオルドが魔力を解放して全体を薄く膜を張るような魔術を施す。
次にアビーとジェスが片手を振り上げて魔力を操作しながら魔術を唱え始める。屋敷の中心から魔力の織がきらきらと輝いている。
続いてブラインとダンが指先を細かく動かしながら両手で何かを作り出すような動作を開始した。屋敷外からふわりふわりと魔力の織が湧き出てくる
更にパミラが両手を巧みに動かしながら宙に何かを描くように操作している。屋敷とその周辺に上からカーテンの様な薄い織を被せている。
順にそれらを見ていたランドルンが一つ頷いて片手を胸元に添えながら口ずさむように魔術を唱え始める。屋敷と周辺全体に淡く朧げな魔術の織で覆う。
それらを見届けたガダンが左手で細かく何かを描くように動き、その後右手を大きく薙ぎ払うように振り被った。屋敷と周辺一体に壁のような魔術の織が聳え立つ。
そしてテオルドから更に魔力が解放され、僅かに口を動かして口ずさみ、屋敷とその周辺を包むように半円を描き片手を大きく動かした。
すると特殊魔術師達が施した魔術の織を半円のように現れた白と金色のような淡く眩い煌めきが覆い包むように施され、ぎゅっと凝縮されたように魔力の織が浸透していき消えていった。
その様子をユフィーラは目と口とついでに毛穴も完全に開けたまま魅入られていた。
「完成だ。随分強固なものができたな」
テオルドもちょっと驚いたように目を丸くしながら周囲を確認する。
「あらーこれは頑丈なのができたわね。頑張った甲斐があったわ」
「久々にこれだけ魔力を放出しましたが腕が鈍ってないようで安心しました」
「こんなの朝飯前だし」
「だよなぁ。朝飯食ったから昼飯前だけどな」
「主の荘厳な魔術の織…お見事です…!」
「ふう…これだけ魔力を使ったのは久しぶり」
「だよなぁ。ちょっと血がざわついて暴れたくなってくるねぇ」
特殊魔術師の皆がそれぞれわいわいと感想を述べている間に、ユフィーラは興奮から上気した頬で皆に魔力薬を渡していった。
「テオ様!こんな見事で素晴らしい皆さんの魔術をこんな近くで見れるなんて私はなんて贅沢で果報者なのでしょう!」
最後にテオルドに魔力薬を渡したユフィーラが興奮冷めやらずに話す。
「ああ。皆の魔術が巧みで思った以上に膨大な量だったから、最後に全てを包み込むのに以前遠征で放った巨大な防壁魔術より魔力を使った。…ちょっと驚いたな」
テオルドは魔力薬を飲みながら少し呆然とした様子で話した。何でも防御、防壁、守備を始め反撃や跳ね返しなどの全てここを守る魔術が一同に凝縮されたようなあまりに完成度の高いものに仕上がったそうだ。
「テオ様と皆の大事な場所を守るために皆さんかなり気合いが入っていたのでしょう。私には凄かったくらいの感想しか言えませんが、間違いなくしっかりとここを鉄壁に守ってくれますね」
「…ああ。ここまで見事なものは今まで見たことないな。…完璧だ」
その言葉に特殊魔術師…使用人の皆がわっと喜ぶのを、思わず口に出して称賛してしまったテオルドはバツが悪そうに「皆、ご苦労だった。このまま少し休憩してから午後はいつも通りに」とだけ言ってさっと屋敷の中に入っていってしまったのを皆がにまにま照れ照れしながら見送った。
数日経ったある朝に速達でアリアナから御者経由で訪問伺いの手紙が届いた。その日は薬の精製のみの予定なので了解の返事を書いた手紙を御者に持って帰ってもらい、アリアナとモニカが午後過ぎた頃に訪れた。
なんと昨日、モニカの婚約が無事滞りなく解消されたという朗報だった。
あれからアリアナはハインド家お抱えの情報屋を駆使してアッカラン侯爵家を追い込む算段を極秘にクリラント子爵家とモニカと呼び出し、計画を立てていた。そしてそれぞれの証拠を照らし合わせ、こちらに瑕疵が決してこないように慎重に事を進めていった。
そして子爵家への横暴の数々や伯爵家への売掛けなどを権力でねじ伏せていたアッカラン侯爵家だったのだが、ハインド家の力でじわじわと周りから小さな、だが簡単には抜けない棘のような噂を流し始めさせた。案の定侯爵家は始めは適当にあしらっていたのだが、それがなかなか消えないとわかると、その火消しに動き回り始めた。
火のないところに煙は立たない、というか始めから火力最上級の相手である。ハインド家が小さなぼや程度の噂を流そうものなら一気に火力を増していくのはアッカラン侯爵の今までの行いが全てだということが要因であることは間違いない。
それを数回繰り返し疲労させたところで、まずハインド家が直接動き、一気に畳み掛けた。ハインド家当主は一代で財を成した豪傑であり、一応大貴族だという薄っぺらいプライドを慮って差し上げていただけである。要はこちらの優しい心遣いを、自分の身分の手柄だと高を括っていたアッカラン侯爵の傲慢さがこの結果になるのは必然であったわけだ。
ハインド伯爵はクリラント子爵家との素材の独占契約、侯爵の腰巾着の男爵の素材偽造の話に併せて侯爵から紹介してもらった貴族の後ろ暗い裏話を暴露し、それに侯爵がどっぷりと浸かっている証拠を差し出し、売掛けの件をとどめに刺した。
初めはぎゃーぎゃー喚いていた侯爵だったが、動かぬ証拠を次々に出されていくと顔色が変わり、その証拠全てを国に提出したら、流石に大貴族の中枢で提言する力を持っているアッカランでも打撃は回避できないことを理解し始めた。そのために出だしに小さな消えない噂を流して色々なところに火を放っておいたのだ。
更には、もしハインド家に今後何か重大な不幸事が起きた時には、ちゃんとアッカラン侯爵家に辿り着けるような算段もしっかりお教えしておいて、さてどういたしましょうか?と素敵な笑顔でお聞きしたとアリアナの父親は言い張っていたらしい。
そして子爵家との独占流通を伯爵家に変更し、子爵家の令嬢本人の領地能力が欲しいので婚約解消したら売掛けはちゃらにするといったら、目先の金額に惑わされた侯爵は即座に頷き契約をした。
子爵とモニカはそのことにかなり恐縮し、その分の売掛けを払うといったのだが、最終的に子爵家の独占流通が叶えば数年で採算は取れるらしい。それだけ伯爵家としては子爵家との素材契約は大きいのだと説明した。
そこで子爵家は代わりにずっと侯爵家に隠していた秘密の特別な布の独占契約を差し出した。それは侯爵との婚約直前に着手し始めたもので、侯爵の調査には引っかからなかったものだったのだ。それは絹という滑らかな素材を作る蚕の飼育が成功したことだった。
これは相当大きい利益だと伯爵も大喜びだったそうだ。
そして晴れてモニカはシモンと婚約を無事解消したのだと報告にきてくれたのだ。
「解消の手続きをする際にシモンが『お前が望むなら婚約を継続してやっても構わない』なんて最後まで上からいうものですから、『今後は本当の自分に戻ってやりたいことを堂々とできますので婚約解消できることがとても嬉しいです!』って満面の笑みで先に書類に記載したら物凄い顔をしていましたわ」
モニカがそれはとても素敵な笑顔で話してくれた。影のある儚げな容貌に見えていたモニカだったが、今ではとても心から微笑む可憐で美しい笑顔と立ち振舞いになっていた。
アッカラン侯爵家としては、取り敢えずは終息したように見えても噂はそう簡単には消えないものだ。
これらの事によって侯爵家も徐々に追い詰められてネミルに接触してことを起こすのは時間の問題だろうとテオルドも言っていた。
不定期更新です。