同界隈の二人
「森渡りさんから物騒な単語が出てきました…」
「その呼び方を止めろ」
「うーん、木登りさん?」
「ふざけんな。…イーゾ。そう呼べ」
個人的に森渡りを気に入っていたユフィーラは些か心の中で落胆した。
「イーゾさん」
「イーゾで良い」
「敬語が標準語なのでごめんなさい」
「ルードは呼び捨てだろ」
「え…馬になりたいのですか?」
「もう良い」
物騒な言葉の後の会話としては気の抜ける応酬にイーゾは肩を落とす。
「ユフィーラと申します。何はともあれ、消息不明だという噂を聞いていたのでお元気そうで何よりです」
「何も知らないんだな、俺のこと」
「?はい。森渡りということ以外は―――」
「いい加減森渡りから離れろ」
ユフィーラはイーゾが何故ここに現れて敢えて名前まで晒したのかを考える。彼はユフィーラの動向を探り、その周辺も調べていたはずだ。彼が本気でネミルを殺すつもりならば恐らくユフィーラ達は逆に邪魔な存在になるし、わざわざ存在を知らせる必要性はない。
だがもしイーゾがネミルを殺すことを躊躇しているのだとするなら。双子の片割れの存在を消すということが憎悪などではなく、解放したい、救いたいという思いならば。
ユフィーラはネミルの本質を全て知るわけではないが、洗脳されている疑いはある。イーゾは殺人人形という恐ろしい教育を施され、そこにいた同業の誰よりも強くなって脱出できるまでになった時に片割れのネミルも共に連れて行こうとしたとする。だが洗脳によって叶わず、暴走し続ける片割れの唯一の苦渋の選択方法。でもそれを心の底からはやりたくない。
「ネミルさんを殺すことでなく、止めてほしいと思っているのでしょうか」
「……お前何なの」
「あれ、ごめんなさい。名乗ったと思ったのですが、私はユフ――」
「知ってるから。何お前、何か調子狂うなぁ…!――――――っ!!」
刹那のことである。
イーゾがその場から物凄い速さで後方に飛び退いたその場所に、数本の細長いナイフ。
イーゾを見ると屈んだ状態で構えながら手の甲に鋭利な刃のついた武器をいつの間にか携えていた。
そしてユフィーラの目の前にはいつの間にか漆黒一色のギルが背を向けて立っていた。
「まあ。いつまで潜伏されているのかと思っていました。ここで暴れると森がご立腹するかもしれませんよ」
のんびりとした口調でいうユフィーラにイーゾはおかしな生き物でも見るような表情をしたが、ユフィーラの知り合いだと気づいたらしい。
「ハウザーから近々ここに来るって聞いていたからね。最近物騒なことも続いているしお嬢ちゃんを見に来てあげたの。それにナイフ投げただけで自然を傷つけたわけじゃないしー」
「でも草が切れてしまいました。自然を侮ると痛い目にあいますよ。所詮人間様ごときは自然には勝てませんからねぇ」
目の前に現れるまで物音ひとつさせなかったギルと同じ界隈であろうイーゾを含め、どうやればあの動きを会得できるのだろうと若干羨ましくなったが、人には身分相応という言葉があるのだとささっと羨望を彼方に追いやり、ナイフが刺さった周辺に促進魔術をかけた。
「ありがと。元気にしてくれたんだ」
「こちらこそ見守り対応ありがとうございます」
「もう少し様子見ようと思ったんだけど話進まなそうなんだもん。日が沈んじゃうよ」
「そうですねぇ、イーゾさんが何かと言葉尻を突っ込んでくるものですから」
「そうなる要因が言うか」
「ほらね。これじゃあ明日になっちゃう」
そう言ってギルはイーゾが居た場所に刺さったナイフを回収した。
「ルードも凄い気配ばかりの中で静かにしていてくれてたのね。良い子良い子」
「はいはい。んでパリモの森で会った人物ってことだよね」
「はい。森渡りだけが理由ではないようで」
「そこからいい加減離れろ」
「あんたもいちいち突っ込むから終わらないんだって」
ナイフを仕舞ったギルがイーゾに向き合う。
「イーゾって言うんだ。巷では誰にも媚びずに依頼も気に入らなければどんな相手でもお断り。誰もその姿形を知らない正体不明の暗殺者、かな?」
ギルの言葉に構えていた体勢を戻し武器はそのままでイーゾがギルを見て目を細める。
「……王国の懐刀か」
「それは過去。あんたの存在は僕の界隈では有名だけどお嬢ちゃんは知らないし、そんな物騒な人間そもそも知らせてないからね」
「元王族の影筆頭の人間が言う言葉じゃないな」
「まあ、お二方とも有名人だったのですね。私の界隈で言うと、有名菓子店の王道上位制覇と裏メニューの支配者という名の戦い的な」
「お前なんなの本当」
「お嬢ちゃんは食べ物での例えが上手いねぇ」
天井からいつもユフィーラとハウザーの会話を聞いていたギルとしては耐性がついているが、イーゾには不可思議でならないのだろう。ギルが再度話を戻してくれる。
「あんたがネミルの双子の片割れだったんだね」
「…」
「目的は?この子に何の用?」
「関係ないだろ」
「あるの。僕このお嬢ちゃんを見守れって言われてるから」
「先生も過保護さんですねぇ」
二人共口元に布を巻いている姿は職業柄顔を見せないようにしているのだろう。そろそろ改めてちゃんと話をしようとユフィーラはイーゾと向き合う。何故なら今夜の夕食は大好物のグラタンなのだ。出来上がり直後の熱々を必ず食べたい。
「イーゾさんは、どこまでご存知でどうしたいのでしょうか。私の周りに何かしら危害が及ぶ可能性があるならば、何も聞かず何も言わずにこのままお暇したいのです。因みにハウザー氏をご存知なら、その命でこちらの方がいるので、彼も関わりはあります」
敵対していなくても諸々最終段階に入っているテオルドの足を引っ張りたくない。ユフィーラとしても下手なことはできないのだ。
イーゾが少し考えるように視線を落としてからギルを見る。
「俺を道具として狙っているってことはないな?」
「うん?僕?全く興味ないけど。あんたを狙うそこら辺の強欲集団と一緒にしないでよ」
何やらその界隈の内情は色々あるらしい。ユフィーラが首を傾げていると、ギルが説明してくれた。
「イーゾがネミルと双子だってことは初耳だけど、この人はその界隈では有名でさ。単独で行動していて一切素性がわからない。探ろうとすると二度と日の目を見ることはなくなるって噂まで。それでも何とか自分のお抱えにして好き放題やりたい者は後を絶たないんだよ。何せ失敗が一度もないって言われている猛者だから。でも気に入らない依頼は誰が相手でも受けない変わり者」
イーゾはかなり優秀な暗殺者らしい。カールの屋敷から抜け出せたのなら相当な手腕の持ち主なのだろう。
「イーゾさん。ネミルさんを止めるには命を奪うしかないのですか?」
「多分な。何度か話したが、あいつの考えは全く変わらなかった。あの思考はもう止められないだろうよ」
そう言いながら話すイーゾの表情は無だ。
唯一の片割れを、もう一人の片割れがとどめを刺すのだ。
ユフィーラは刹那的だが、濁りの見えない茶色い瞳を見る。
「瞳を見られたことはありますか?」
「は?」
「彼の瞳がどろっと濁るような歪むような様を見たことは?」
ユフィーラの突拍子もない話にイーゾは眉を顰める。
「目?目の中ということか」
「はい。実際そうなっているかは不明なのですが…」
「良く分からん。少なくとも俺は見たことない」
ユフィーラの過去の環境が、表情や瞳を通してそう見えるようになっただけなのかもしれない。だがそれを説明しても理解してもらえることは普通難しい。
「イーゾさんがお話して下さるなら、こちらも旦那様の許可を経て話せる内容は話します。信用できなかったり言いたくないならここでさよならしましょう。でも貴方がやることを我々が止めることはしませんし、勿論その逆も然りです」
「…」
「私がネミルさんに会ったのは二度だけですが、彼の表情に思うことがありました。でもそれが全てではないですし、また貴方の話を聞けば違う見方もできるかもしれません。それは貴方も似たようなものかと。どうされますか?今まで私達の動きをどこからか見てきたのでしょう?」
イーゾがユフィーラを見据える。
「信用するしないはそこで判断してください。ただ一つだけお伝えするならば、ネミルさんは完全に洗脳されていないと思っています」
その言葉にイーゾは瞠目する。
「そんなわけない。あいつと話した時の全てが物語っていた。片割れだからわかる」
「私の旦那様が言っていました。近い存在だからこそ時には見えないものがあると。そうに違いないという思い込みが視野を狭めることもあります。それでも無理ならお話はここまでにしましょう。……あと一刻ほどで屋敷に帰らなければ熱々のグラタンが冷めてしまいますからね!」
ちょっとまともな良いことを話した言葉が最後のユフィーラの欲望の一言で台無しとなる。
イーゾは「…は?」と呆けた表情、ギルは「ぷっ」と噴き出す声が漏れた。
「グラタン…?」
「はい。今夜の夕食の最強の一品です!何が何でも出来立ての熱々をいただきたいのです。それに乗り遅れる訳にはいきませんからね。ささ、決めてくださいな」
まるでイーゾの決断よりグラタンが上位になっているような…実際そうなのだが、ユフィーラはそわそわし始めた。
「ハウザーが良く言っているけどお嬢ちゃんはぶれないねぇ」
「伝わらない時は何を言っても難しいですし、それならお互い最善を尽くしましょうではさようならが一番です」
ユフィーラがこれからやることは変わらないし、イーゾも曲げられないことはあるだろう。それが交わらず平行線のままなら、それはもう仕方のないことだ。
「何なのお前…」
「ユフィーラという名前があるのですが、もうお会いすることもないならそれで良いです」
「こいつはお嬢ちゃんって言ってるだろ」
「そういえば…これでも妻でなんですけどねぇ。でも若返った気分になるのでそれで良いです!」
「実際お嬢ちゃん若いよね?」
「何だか照れますね!」
「意味分からん」
先程の物々しい話は一体どこに行ったのか。ルードは人間の話には飽きたらしく、ユフィーラがかけた促進魔術あたりの草を食べていた。これに関しては弱肉強食ということでそのまま放置とする。
イーゾの目元はいつの間にか憂いが晴れたように僅かに柔らかくなっていた。
「俺とネミルは一卵性双生児で生まれた」
そう言ってイーゾは話を切り出した。
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