パリモの森と不思議な青年
「流れてくる風に水分が含まれているからか瑞々しく感じますねぇ」
森の端から遠くに見える海の様子を眺めながらユフィーラが感動を交えながら呟いた。
パリモの森でのリセッカ探索二日目である。トリュスの森同様、広大な森なので一日目は山寄りの森周辺を探したが、珍しい薬草は幾つか採取したが、残念ながらリセッカは見つからなかった。
翌日、中心部と沿岸部で悩んだが、もし中心部で見つかってしまったら初めて見る海が見られなくなるのではと危惧したユフィーラは何とか沿岸部に誘おうと奮闘した。案の定ハウザーに思惑を知られ、呆れた表情をされたが希望の沿岸部で探し始めることになった。
「探す前に海を間近で見なくてもいいのか?」
そうハウザーが尋ねてくるが、ユフィーラも今の状況を理解しているし遠目に見れるだけで十分だと微笑んで頷く。あと一つ理由があるとするなら、昨日テオルドが必ず初めての海に俺が連れて行くからとごねたことも大きい。相変わらず可愛さ爆発の最愛の旦那様である。
ハウザーはユフィーラにとって勝手に育ての親のような親近感を抱いているが、テオルドや使用人一同曰く、ハウザーは一見だらしない印象でもあれだけ色気があり、正装した時のあの変わりようで女性には絶大な人気があるのだという。
ユフィーラは診療所に突撃してくる女性は居なかったような記憶だったが、ハウザーは殊の外自分勝手な女性が嫌いで、昔そのような出来事があった時まだ診療所にそこまで腰を据えていなかった彼は診療所を暫く閉めてしまい、突撃した女性達は周りから総叩きをくらったらしい。それ以降噂が広まって誰もしなくなった話は有名とのことだ。
「あまり離れすぎるなよ。何かあったらそれに触れながら念じて呼べ」
「はい。先生もお気をつけて。座りやすい切り株で転寝は控えてくださいね」
「するか」
ユフィーラは本日探索の邪魔にならないようにミルクティー色の緩やかな髪を後ろで一本に結っている。そこにハウザーが防御魔術と連絡魔術の根本の術を組み込んだリボンを更に結んでくれたのだ。「指輪あたりの方が効力が高いんだが、あいつの反応が面倒だしな」とぼやいている間、ユフィーラはというと素敵な紺色に金の縁のリボンにご機嫌で髪をふりふりさせていた。
ハウザーは風に飛ばされて失くすなよと言いながら去って行く。二手に分かれて今日も探索を開始する。リセッカの生息に関する情報がパリモの森で見たという情報以外に無いため、ひたすら歩いて回るしか方法はない。
ユフィーラは動きやすいパンツ型ワンピースと履き慣れたブーツにローブを羽織り、まずは沿岸部側の森に沿って歩き出した。
(リセッカの生態が分からないから探し歩くしかないのよね。パリモの森で海風に影響されるとするなら沿岸部が一番生えていやすい感じはするのだけど…)
くすんだ緑色の葉と茎、橙色の小さな花…と呟きながら暫く下を見渡しながら歩き続ける。途中くすんだ葉茎はあるが白い花、橙色の花だが濃い緑色など近いものはあるが、本物らしき薬草にはお目にかかれない。
(もしこれで情報の方が間違った記憶だったのならお手上げ状態になってしまうのよね…)
なかなか発見されないことから希少価値がついているのだが、明白で確かな情報でないことに一抹の不安が過る。だが悩んでも仕方ないので調べられるだけ頑張ろうとユフィーラはぐっと握りこぶしを作って、周りを見ながら足を進めていった。
暫く歩き続け、ユフィーラは気分を変えるべく近くにあった大きな石に座って水筒を傾けて喉を潤した、その時。
微かに人の気配を感じユフィーラは辺りを見渡す。沿岸部といえども森周辺には誰もいない。ハウザーの気配はわかるので彼でもない。
ユフィーラは首を傾げながらも悪感情の気配ではなかったのでまあいいかと、足を揉んだり水分を摂ったりと休憩をとってから探索を再開する。
そこから離れたのに何故かまだその気配がずっとついてきているような気がするのだ。薬草を見ながら周辺を見渡すが、やはり誰もいない。左右にこきこき首を傾げながらもずっと下を向いて探していたので、伸びをしようと両手を上げて体を逸らしながら上を向いた。
「……まあ。私に何か御用ですか?」
上を向いた先には高く聳える木々。その木の一つに人間が一人。
灰緑の短い髪に茶色の瞳の青年。全身黒色の服で包まれ口元は布で隠していて太めの幹に腰掛けてこちらを見ていた。
その姿を見てユフィーラはそんな姿を昔どこかで見たことがあったような既視感を感じたが、思い出せない。
そう、お酒を飲んだ後のギルの存在はユフィーラの中ではなかったことになっているからだ。
相手の青年もまさか気づかれると思っていなかったのか、目を見開いている。
「え。何で気づいた」
「先程からなんとなく気配が。まさか上に居ると思いませんでした」
伸びていた両手と背筋を元に戻してから改めて上を見上げる。
「何か御用が?」
再度聞いてみると、青年は間を開けてから口を開いた。
「ここに何しに来た?」
「とある薬草を探しにです」
「薬草?」
「はい。情報がパリモの森に生息しているということしかわからず。片っ端から探しているところです」
そう答えると、青年はじっとこちらを見定めるような雰囲気に首を傾げる。
「用途は」
「とある人からの薬の依頼ですね、私薬師なのです。初めての海と海風に包まれる森の探索をもっと楽しみたいのですが、のんびりしてもいられないので」
「…」
質問に答えはするが青年から応対がないので、時間も有限だしもう良いかなとユフィーラは軽くお辞儀してから探索を開始した。遠くで「……は?」と聞こえるが、あと一刻ほどで昼食タイムになるのでそれまでしっかりと範囲を狭めておきたい。ただの散歩ではないのでユフィーラも暇ではないのだ。
くすんだ緑と橙の花~と口ずさみながら、周辺を見ていく。それらしき花を見つける度に近寄って屈んで確かめるが、花が大ぶりだったり茎や葉の色が違ったりと、残念な結果に終わっている。
「どんな薬草を探してる?」
しゃがんでいるユフィーラの後方から声がかかる。先程の青年の声だ。
「くすみのある緑色の葉と茎、それと橙色の小ぶりな花を咲かせる、ですね。開花時期がわからないので花があるかわかりません」
後ろに居る青年には振り向かずに探しながらの状態で答える。その回答に対して返ってくる言葉はない。ただの物珍しさで話しかけているならば、もう集中させて欲しいとユフィーラは立ち上がり先に歩みを進める。お昼ご飯まであと半刻ほどなのだ。
勿論薬草の探索は最優先事項だが、探索中のガダン特製のご飯休憩は何よりの楽しみなのである。
沿岸部沿いの森を歩きながら見ていくが、相変わらず見つかる気配はないのに、先程の青年の気配は有り続けている。逆にならないかなぁと失礼なことを考えていると、シュッと音がして土と葉を踏みしめる音が聞こえたので振り返る。
そこには先程の青年。木の上に居た時は分からなかったが、すっと華奢な感じはするが木に登るだけあって男性らしい筋肉はついているようだ。ハウザーよりは背は低いのかなぁと首を傾げて見ていると、その青年が「名前」と呟いた。
「え?何です?」
「名前。薬草の。俺この辺詳しいから分かるかもしれない」
それを聞いたユフィーラは一筋の光とばかりに己の瞳も輝き始めた。
「本当ですか?助かります!大まかな情報だけだったのでどこまで真実かすら分からないという状態だったので、もし見逃してしまっていたら美味しい夕食がいつも以上に美味しくいただけないですからね!」
青年は目を丸くしてから片方の口角を上げたように頬が動く。
「何?見つからないと飯が不味くなるの?」
「いえ、勿論うちの料理人の腕は最高峰なのですが、昨日見つからなかった後の少し沈んだ気持ちで食べるのと、見つかって達成した時に食べるご飯は気持ち的に違うだけです」
それでもガダンの食事は心遣いの賜物なので落ち込んだ時でも心身共に癒やしてくれるのだ。その青年はそれで?と聞いてくるのでユフィーラは答える。
「リセッカという薬草です。無効化?や打ち消す効能が期待される希少なものだそうで、くすんだ緑色の葉と茎に橙色の小さな花、全体にそんな大きくない薬草だと聞いています」
青年は僅かに首を傾げた。
「あー…それは確かに入手困難の最上級だな。滅多に見かけることがない」
「良かった。実在するのですね!」
「は?」
入手困難だと聞いた上で喜ぶユフィーラに青年は訝しげな表情になる。
「困難だって言っているのに喜ぶか?」
「いえ、それよりも実在していることに安心したんです。そもそも実在しない、若しくはこのあたりでは実在しなくなったのではここに居る意味がなくなってしまうので」
この情報だけでもとても有り難いことだ。できればもう少し聞きたいことがある。
「どの辺りに生えやすいとかの情報はご存知ですか?」
「うん。陽を浴びることを嫌うから大木の飛び出ている木の根っこの近くに生えやすい。海風を直接浴びる場所でなくて根っこ近くから湿気として摂取するから、そのあたりが探しどころ。因みに今は殆どが蕾の手前」
とんでもない優良情報にユフィーラは拳を振り上げる。
「…何やってんの」
「絶対に見つけてみせるの宣誓の拳ですね!貴重な情報をありがとうございます!」
拳を下ろしてお礼を言い頭を下げる。青年は目を丸くして首を傾げる。
「今から一人で探すの?手伝えとか言わないんだ」
「そんなこと言いません。ご好意で教えてもらった方に更に手伝えとか何様ですか、私。それに相応の報酬も払えませんしね。それに今は離れていますが、連れが居るので昼ご飯を食べながら共有させていただきます」
そう言ってユフィーラはローブから人差し指ほどの細長い小瓶を取り出して、青年に差し出した。
「何これ」
「教えていただいたお礼にもなりませんが、私が精製した魔力薬です。既存の魔力薬より多く増えることは実証済みですので良かったら使ってください」
青年は不可思議な生き物にでも遭遇したような表情をしているが、ゆっくりと手をのばしたので、手の平にころんと置いた。
「では急ぎますのでそちらも道中お気をつけて!――――あ、」
ついでだとユフィーラは離れかけた青年の元へ戻り小さな焼き菓子を取り出してそれも渡す。
「…は?」
「申し訳ないのですが、お昼ご飯のサンドイッチは連れが持っていますので、お裾分けできないのです…というのは建前で、これから木の根元付近を大探索するので私の動きのエネルギーの源をお渡しするわけにはいかず!ですがおやつ用に持ってきた料理人渾身のショートブレッドです、どうぞ!」
そう言って勢い良く差し出すユフィーラに気圧されたかのように、青年が思わず反射的に手を出したのでぽんと乗せて「それではごきげんよう!」と小走りでハウザーと待ち合わせした場所に向かおうとした時に、「山寄りでも海寄りでもなく中心部を探せ」と青年の声が聞こえ、更に素晴らしい情報を!と振り返るとそこに青年は居なく、上をみても周辺にもどこにも見当たらなかった。
不定期更新です。