件の騎士の婚約者
「今日は最高のスフレパンケーキをご馳走するわ」
「スフレ…まさか以前お話してくれたふわっともこもこの…」
「そう。それよ」
「感無量!」
ユフィーラは握り拳を掲げた…が、馬車内なので控えめだ。
この日ユフィーラはアリアナとの月に一度のお茶会の日である。初めこそ恐縮していたが、毎度ハインド伯爵家の馬車で送迎付きという贅沢な日を今では心から満喫してアリアナとの時間を過ごしている。
「前にアリアナさんから聞いてから一度で良いから食べてみたくて…!もう口の中がたくたくしてます」
目を輝かせながら話すユフィーラに、アリアナは微笑む。
「ユフィの食べてみたい時の瞳はとてもわかりやすいもの。次は絶対にこれだと踏んでいたの」
ショコラ色の巻き髪をサイドに編み込み、青い瞳を柔らかくしたアリアナが本日向かう予定のパンケーキ専門店の話をしてくれる。
アリアナとは月に一度、会話の中で話題になったお店でお茶会をする間柄になっていた。それ以外にも月に数回手紙のやり取りもしているユフィーラにとって初めての友人なのだ。
「そのお心遣いにお腹だけでなく胸もいっぱいになりますね!そして今日も馬車でお迎えしてくれてありがとうございます」
「相変わらずその敬語は治らないのねぇ」
アリアナからいつもの言葉が飛び出てユフィーラは苦笑する。
「こればかりはもうどうしようもないというか。テオ様達も同様なので諦めてくださいな」
小さい頃から強要されていた敬語は、今ではもう違和感すら全くなく、逆に敬語ではない方がかえって気を遣ってしまうことにテオルド始め使用人達も理解してくれている。実際外ではそれが役に立つことではあるしユフィーラの通常仕様であるので慣れてもらうしかない。唯一そのまま話すのはルード始め馬たちや動物くらいのものだろう。
「一番話しやすいならそれで良いのよ。そういえば――――」
アリアナも深堀りすることはなく、話題を変えて次の話に華が咲く。初対面こそ敵対される状態ではあったが、今では年相応の会話を楽しむくらいに打ち解けたアリアナと良い関係を築けていることにユフィーラはとても嬉しく思っている。
「そう言えばこの前この通りの少し先の―――――あら…」
この前素敵な耳飾りを見つけたことを話そうとした時、ふと馬車の小窓から遭遇したくない人物が目に入った。その人物は令嬢と共にその装飾店の隣に並んでいるドレスのブティックから出てきたところで令嬢に向かって一方的に何か話しているシモンだった。
「ユフィ、どうかした?」
「いえ、ちょっと先日遭遇してしまった方が居まして…」
そう言うと、アリアナが小窓から外を覗き顔を顰めた。
「あれはアッカラン侯爵子息ね」
大貴族の一つだと言うことは聞いていたが、シモンの家名を初めてここで知ることになった。あれから彼のことを誰にも何も聞かなかったのは、本当に関わりたくないという本心からそうしていたのかもしれないとユフィーラは遠い目になる。
「アリアナさん…、恐らく一緒に居るご令嬢は婚約者の方ではないでしょうか」
「ええ。確か子爵家のモニカ・クリラント嬢ね。貴女あの子息と会ったことがあるのね。彼は貴族至上の人間なの。良く無事だったわね」
「ああ…もう遅いというか…」
そこでユフィーラは大まかにシモンとの出来事を掻い摘んで話した。当たり障りないように説明したつもりなのだが内容が内容だけにアリアナの眉が釣り上がる。
シモンは何やら令嬢に詰めるような物言いをしているらしく令嬢はずっと下を向いて俯いている。そのうちシモンが侯爵家の馬車に乗り込み、令嬢を共に乗せずに去っていってしまった。
「本当にあの男の身分差別は相変わらずなのね。貴族全てがそういう考えだと思われたら堪ったものではないわよ。それに婚約者をあんな風に粗雑に扱うなんてそれこそ貴族の風上にも置けないし、それ以前に人として失格だわ」
シモンの偏見主義は有名らしい。アリアナが明らかに嫌悪するような表情から、あの令嬢が今後アッカラン侯爵家に嫁いだら周りとの社交も大変なんだろうなぁと他人事ながらも思わざるを得ない。
クリラント嬢は下を向いたまま両手をぎゅっと握って俯いたままだ。人通りのあるあの場から離してあげたいが、そもそも平民…出身のユフィーラが行くことで逆に相手に不快な思いをさせてしまったらと拱いていると、アリアナと目が合った。
「ユフィが考えてることは何となく理解できたわね。手を差し伸べたいけど貴族でない自分が…みたいな感ところかしら?」
「ご名答!……ですね。同じ平民ならばここから飛び出して、友人に扮してあの場から引き離したいのが本音です」
「彼女とは数回だけ夜会で会って少しだけ話したことがあるわ。とても聡明な方であの男に相応しくないのは確かね」
既に子息呼びからかけ離れた雑な言い方にアリアナもこの現状は許し難い行為なのだろう。
「勿論このままにしないわ。…ユフィ、パンケーキは三人で如何?」
「……はい!是非とも喜んで!」
ユフィーラの元気な返しにアリアナはぷっと噴き出したかと思うと、直後に令嬢の顔になり御者にブティック前に着けるように行くように命じている。
馬車が店の前で停まってもクリラント嬢は下を向いたままだ。御者が扉を開けアリアナが馬車から少しだけ顔を出す。
「クリラント子爵令嬢、乗って下さる?」
「――――え?」
クリラント嬢はまさか自分に話しかけるとは思っても見なかった顔で目を丸くしながらアリアナを見上げている。
「詳しい話は中で。ちょっと寄り道するけど御自宅までお送りするから。さあ、早く」
「あ……は、はい」
ようやく思考が動いてきたようで、流石に一人で帰る手段がないことに気づいたのだろう。クリラント嬢は御者に手を引いてもらい馬車の中に乗り込んだが、中に居たのはアリアナの他にユフィーラもいたので、驚いたようだ。
「あ、あの…私―――」
「クリラント嬢ご無沙汰しておりましたわ。こちらは私の親友でユフィーラ。ユフィーラ・トリューセンよ」
「え…――――トリューセン…?」
クリラント令嬢は目を見開いてユフィーラを見る…が、ユフィーラは彼女を気にかけていた筈なのに全くもってクリラント嬢を見ていなかった。何故ならアリアナの口から『親友』と発言されたからである。それに気づいたアリアナは目を逸らしながら照れたような声を出した。
「ユフィ……何故じっと見ているの」
「し、親、親友…」
「何よ、いけないの?」
「心の底から喜んで!」
思わず立ち上がりそうになるがここが馬車だと気づき、更にすぐ近くにお初の令嬢がいることにもようやく気づ…かずに引き続きアリアナを輝く目で見つめ続けていた。
その様子にアリアナは思わずぷはっと令嬢らしからぬ笑い方をしてしまい、ユフィーラの隣に座ったクリラント令嬢もくすくすと口を押さえながら笑っているところで、本当に、ようやく、ユフィーラは現状に戻ってきたのだった。
「あ…何だか興奮してしまい、申し訳ありません」
口に手を添えながら笑うクリラント嬢は真っ直ぐなホワイトブロンドを緩く編み込んで後ろに流して結ってあり、先程まで悲壮に暮れていた茶色い瞳はとても柔らかく緩んでいて笑顔がとても綺麗な人だと思った。
「いえ…こちらこそ初対面で笑うなんて無作法を失礼致しました。とても可愛らしくて…貴女はもしかしてテオルド・トリューセン魔術副団長様の奥様ですか?」
「はい。クリラント子爵令嬢様、初めまして。アリアナ様からご紹介に預かりましたユフィーラと申します」
「こちらこそお恥ずかしい場面をお見せしてしまいました。クリラント子爵家が長女、モニカと申します」
ユフィーラと違って馬車の中でも先ほどとは異なる貴族令嬢の微笑を湛え優雅にお辞儀をするモニカを見て、シモンには勿体ないと思ってしまうのは仕方のないことだろう。だが、勿体ないものは勿体ないのが本心である。
「ハインド伯爵令嬢、ご無沙汰しております。此の度のお心遣いに感謝致します」
そう言って今度は深く頭を下げた。
「気になさらないで。そのお礼としてではないけれど、これから少し一緒に付き合って下さる?」
「え、はい。それは構わないのですが、お二方の時間を…」
「私も大賛成なので良かったら一緒に行っていただけると嬉しいです」
ユフィーラがそう伝えると、モニカは瞬きをしてからにこりと貴族用ではない心からの笑みを見せてくれた。
「ありがとうございます。是非ご一緒にさせてください」
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