寝台会議
もうそろそろ就寝時間に差し掛かり寝る準備をしていたユフィーラは、寝台で泥のように眠るテオルドを見る。今日はリカルドから定時に帰って明日は強制休息日だと命令されたらしく、帰宅後流れるように食事と入浴を済ませてからすぐに寝台で寝入ってしまっていた。
連日遅くまで魔術塔に籠もっているが、どんなに遅くても必ず帰ってきてユフィーラの隣で眠る。そこまで多忙ならいっそ泊まった方がと思ったりもするのだが、テオルド曰くユフィーラを抱えながら眠るのが一番心身共に休まると言われてしまえば、好きなだけ湯たんぽでも抱き枕としてでも活用していただきたいところだ。
そっとテオルドの眠る寝台に乗り上げて掛布を捲ると気配に気づいたのか無意識なのか、テオルドは腕を伸ばしユフィーラを捕獲して抱き枕よろしく手足を絡め取り込んだ。いつもならぽぽんと赤く照れるところなのだが、目を覚ますこともなく継続的な寝息が聞こえてくる様子にユフィーラは温かい胸元に顔を埋めた。回した手で背中を優しく擦ったりぽんぽんしたりしながら、ユフィーラも微睡みに身を任せた。
翌朝、意識が浮上して瞼を開くと目の前にテオルドの姿がなかった。
(……あれ、今日はお休み、だって…――――あ)
少しずつ意識がはっきりしてくると、背中側が暖かいことに気づく。そしてユフィーラの腰にはテオルドの腕がしっかり回っていた。その腕を擦りながら抱き心地で向きでも変えたのかなと首を傾げていると頭上から声がかかった。
「フィーが自分で向きを変えたんだぞ」
「あら、起きていたのですね」
テオルドが思い出したかのように含み笑いをする。
「どれだけ俺の胸元に顔を埋め込んでいたんだか息苦しくなったみたいでぷはっと上を向いて魚のようにぱくぱく呼吸していたぞ」
「…!」
「その後何か食べる夢を見ていたのかもぐもぐ口を動かしていた」
「もっ…」
「それから体勢が飽きたのかくるっと向きを変えて逃げようとしたから後ろから捕獲した」
「に、逃げ…」
「頑張って逃げようとして、んーんーと唸りながら藻掻いていたな」
「くっ…」
無意識なのか寝惚けていたとはいえ、朝一番のまったり状態で聞かされるには恥ずかし過ぎる会話内容。ユフィーラは両手で顔を覆う。すると、耳元で囁くようにテオルドが言う。
「フィーを抱き込んで眠って体の疲れがとれた。それとフィーの可愛く動く姿を見て心の疲れがとれた」
テオルドが頭部に口唇を落とす。ユフィーラはさっと顔から両手を離してテオルドに向き直る。
「テオ様の安穏の為なら恥など毟った雑草と共にレノン達にくれてやります!今後も意識無意識問わず満足するものをご覧に入れましょう!」
そう言いながら草をぺいっと捨てる仕草をすると、テオルドの彩る漆黒の瞳が蕩け今度は額に口唇が落ちてくる。
「ああ。傍にいてくれれば何でも良い」
そう言って優しく抱きしめてきた。本当にこの時間は至福以外の何ものでもない。それから暫く寝台でのんびりしながら使用人達の最近の様子をユフィーラ視線で伝えていると、ふとテオルドが呟いた。
「あいつらは、今の現状に落ち着いてはいるが満足できてはいないだろうと…たまに気になる時がある」
それはきっとここ最近なのではなく、前から思っていたのだろう。ユフィーラは首を傾げる。
「皆さんの誰かが辞めるようなお話でも…?」
「いや、今は特にない。フィーも知っている通り、あいつらは元々魔術師団に居た者たちだ。それぞれ理由があって去っていったが、全員かなり優秀だったんだ」
ユフィーラは一つ頷く。彼らの人となりと使用人としての動き、それに臨機応変に使用している魔術をみれば一般人のユフィーラですらわかるくらい優秀なのは理解できる。
「だからこそ本来魔術師として前線や表舞台で活躍するくらいの腕前ばかりの彼らをここに閉じ込める形になっていないかと時折考えたりする。最近の俺の状況からわかると思うが、魔術師団で色々あってな」
ユフィーラは頷くだけに留め、促す。
「リカルドと色々試行錯誤はしてはいるが難航している状態だ。ハウザーから何か聞いているか?」
「はい。薬の依頼が入るかもしれないと。ただ確定ではないからテオ様から概要は聞くようにと言われてます」
テオルドはユフィーラのミルクティー色の髪を弄りながら一つ頷く。
「優秀な魔術師は多いが、何事にも臨機応変に柔軟に対応できる者は案外少ない。あいつらは全員それぞれ特化している部分もある魔術師としても人としても逸材だと俺は思っている。それをここに留めておくことが彼らの為になっているのか…勿論何時でもどこに行くのも彼らの望みなら止めずに送り出すつもりだ」
淡々と話すテオルドの表情は無表情だ。だが、ちょっと寂しそうな無表情に見える。そう見えるのはユフィーラだけかもしれないが、あながち間違いでもないと思っている。
人嫌いのテオルドがここの屋敷を賜った時に今のメンバーを誘った理由は明確だと皆理解しているだろう。それを受け入れたのだから皆の気持ちも同じであるのではないのだろうか。
「今でこそ私はテオ様の妻としてこの場に居ますが、その前の約一年間は…こういう言い方は良くないかもしれませんが、第三者として少し遠くから観ていました」
そう言うとテオルドの顔が僅かに傷ついた表情になる。でもあの時は残りの時間が限られていて、思えば思うほど苦しくなることが痛いほど理解でき、気持ちを遮断するしかなかったことはどうか許して欲しい。ユフィーラはテオルドの頬をゆっくりと撫でる。
「屋敷にいる皆さん誰一人、この屋敷を、使用人という職業を、この生活を疎んでいる人など居ません。何故ならお顔を合わす度に全員が伸び伸びとしているからです。これでも私は人の表情や機微に多少聡いので、間違いありません!」
優しくぽんと頬を叩く。
「勿論魔術師としてだけ考えるならば皆さん思うことがあるのかもしれませんし、私にはそこの内情は分かりません。ですが逆に考えてみてください」
「逆?」
「はい。何某かの理由で魔術師を辞められた皆さんをテオ様がここへ呼んだ。辞めたから呼ばれた。もしかしたら組織でなくても魔術師として動き始めたらここに居られなくなるのだと思っているかもしれませんよ?」
テオルドは目を見開く。そんなこと考えてもいなかった表情だ。
「魔術は好きだが、この屋敷が居心地が良くて出たくない。テオ様と共に生きていきたい。ならばそれも実現できるように取り計らって差し上げては如何でしょう。テオ様はここの主なんですから、何でも上手いこと提案もできるのです」
両手でテオルドの頬をむにむにと弄る。頬が歪んでも端正なのがほんの少し癪に障る。
「取り計らう…か」
「はい。例えば今回のことをリカルド団長に許可をとって皆に聞いてもらう、案を募ったり意見を聞いたり。勿論中には思い出したくない方もいるかもしれませんが」
「ああ、リカルドにはもう許可はとってある。ちょっとした案でもあればと。ただ辞めたあいつらに聞くのは道理としてどうかとも考えていた。勿論それすら聞きたくない場合は無理強いするつもりもない」
「魔術師そのものがもう嫌だと思っているなら、多分ここには来なかったような気がします。魔術師団に関わる人がすぐ近くにいることになるんですから。それにそれぞれ辞めた理由があっても、その組織を担っているテオ様の助けにはなりたいと思うことはあるのではないでしょうか」
テオルドが思案するように目を俯かせる。ユフィーラは魔術に関しては素人もいいところだが、対人の感情の動きを察知するのだけは嬉しくない過去の産物で多少なりともわかるつもりだ。ならば僅かでもテオルドの行動するきっかけになってくれればと思う。
使用人…元敏腕魔術師の皆がテオルドを想わない訳がないのだ。ユフィーラがここを出て行く時だって、いつも通りの態度だったのにあんなに嬉しい手紙を贈ってくれたのだから。
あの時の手紙は今ではユフィーラの宝物だ。
そしてユフィーラはふと考える。
そんな彼らがどうして辞めることになったのだろう。正直なところ知りたい気持ちがない訳ではない。でもそれは彼らが自ら言ってくれることはあっても、ユフィーラから尋ねるべきことではない。
ユフィーラは彼らに聞かれれば過去のことを話はするが、不遇の扱いや虐げられたことを自ら率先して話そうとは思わない。楽しい話でもないし、どちらかというと憂鬱になる内容ばかりだからだ。
彼らもきっとそうなのだと思うから。
「そうだな。食事後にでも聞いてみるか。あいつらは俺よりも博識で経験も豊富だし何より信用できる」
「ふふ。それが一番だと思います。皆も喜ぶでしょうね」
「喜ぶのか?」
「はい。屋敷の主と認めた人から頼られるのは嬉しい筈ですからね。テオ様はその辺りしなさそうですし」
「……したことなかったな、そういえば」
テオルドはリカルドに対しては色々言えるのかもしれないが、元は人間嫌いで人と関わることを極力避けてきたと言っていた。その中で信用できるとまで言わせた屋敷の使用人一同にユフィーラは勝手に胸を張りたくなる。
「ではそろそろ起きますか?少し遅い朝食となりますが」
「いや、もう少しフィーと寝台でゆっくりしたい」
「え…寝台…で?」
「ん?何を想像したんだ」
「いぃいぃぃぃぃぃえぇぇ、何でもにゃいです!わ、私ちょっと、あ、そうだ、用事を思いつくかも知れません!」
「変な予言だな」
ユフィーラはしゃかしゃかと寝台を這い出ようとしたが、案の定長い手と素早いテオルドの動きによって再捕獲されて寝台に引きずり込まれた。寝台の掛布の下から「ぅぐぁぁぁ…む、無ね…」とユフィーラの断末魔ばりのか細い声が部屋に虚しく響いた。
不定期更新です。