高鳴る心の動きの行方
デスパを始め、何種類かの薬草を採取したユフィーラは、数日部屋に籠もり薬を精製していた。集中し過ぎていたせいか、ふらつきが強く倦怠感が出てきた時には既に夜中になっていて、かなり長時間没頭していたようだ。残り物で軽く食事を済ませてからベッドに飛び込んですぐに睡魔に襲われた。
翌日、体調は緩和されていたので下の診療所に降りてハウザーに薬の納品をした。
「お前、また時間を忘れて精製してただろ。目元に隈ができてる」
「あらまあ。白粉で上手く隠したと思っていたのですが」
「普段殆ど化粧しないだろ。余計目立つ」
「まあ」
ハウザーは小言を言いながらも薬を精査していく。効能は信頼しているが、ユフィーラが無理をしていると分かった時はラベルの貼り違いなどをしていないかのチェックが入るのだ。
「痛み止めに化膿止め、それに解熱剤だな。ご苦労さん、これが報酬だ」
「毎度~」
小さな布袋を渡されて、中でちゃりりとお金の音が鳴る。
「そうだ。先生、前から時間がある時に、少しずつ進めていた保湿剤ができたんです。余った薬草と、それに合う花と少しの植物の油を基準にして。用途によって素材は変えていくつもりです。良かったら試してみてくださいな」
そういって、小さな丸い容器を渡した。
「ああ、向かいの食堂の女将が言っていたやつか」
「はい。月影亭の女将さんは肌全体に張りがない、肉屋の若奥さんは手の肌荒れに。全身にも使えるので、お試し品を作ったんです。評判良ければ売ろうかなと思って」
「いいんじゃないか。女ってのはいくつになっても気になるもんなんだろ」
「あらあら、男性も大事ですよ。無精髭で男前でもお肌ががさがさなら老けてみえます」
「ほっとけ」
薬を作り始め慣れた頃に、ふと薬の効果を薄めて日常で手軽に使えるものがないかと時間が空いた時に試行錯誤していた保湿剤がようやく良い出来栄えに仕上がった。勿論自分で何度か試して問題なかったので、まずはハウザーに解禁だ。
「先生に渡したのは男性でも使用できる匂いの少ない爽やかなものです。男性らしい色香のものはまだ作ってないですが、できても先生には渡さない方が世のためでしょうかねぇ」
「フェロモン製造機のようにいうな」
ハウザーは今でこそ無精髭に白衣を着崩しているが、それでも滲み出る男性の色気のようなものを感じさせる。何かの会合に出かける時は、髭を剃り長めの前髪を後ろになでつけ、ちゃんと身なりを整える。元々背が高く、しっかりとした体躯に装う正装は野生の猛獣のようで、色気があるのに上品にも見えてしまう魅力的な男性になるのだ。
その姿を見た時は始め本人と気付かず診療所へ来た患者だと思って真摯に対応したのに、大きな手でがしっと頭を持ち上げられそうになった。首から頭が引っこ抜かれると思った。
ハウザーは容器を開けて匂いを嗅ぐ。
「――ああ、清涼な香りだな。俺にぴったりだ」
「え、まさか。中和させる為にその匂いを提供したんですが」
「なんだ?」
「いえ」
ハウザーと軽いやり取りの会話というものは、ほぼ独り言の生活だった時からは考えられないことだった。この二年、様々な会話を沢山してきたからこそ、こうして人との会話の術を覚えて色々学べられるようになったのだ。
「表に出したってことはある程度自信作なんだろ?試させてもらう」
「はい。何か懸念点や要望があったら教えて下さいな」
ハウザーは適量を容器からクリームを掬い、手に馴染ませていく。
「ベタつきが残らない。良さそうだ。香りも仄かでくどくない」
「良かったです。その後の経過を見て、もし肌に合わなかったら止めてくださいね」
「わかった。そういえば、騎士団の奴らが武器の手入れや遠征で手が荒れることが多いと言っていたが、既存のものはべたついて使いづらいといっていたから、これは使えるかもしれんな」
そんな話題に変わった時、ふとユフィーラ騎士団と聞いて思い出した。
「確かにぬるついたりずっと手に残っていたりしたら使うのに躊躇しそうですね。この国の騎士団や魔術師団の方々というのは女性にとても人気があるのですか?」
そう尋ねてみると、ハウザーは器用に片眉を上げる。
「二年もここに居るのにお前の知識は変に偏っているな。周りの女達から聞いたり―――しなさそうだなお前は」
「自分の暮らしや仕事が楽しかったので、興味はそちらばかりでしたねぇ。月影亭などで、話しているのを耳にしたことはありますけど、どこのどなたかまではわからなくて」
ユフィーラは自分の生活の基盤と薬師の勉強が楽し過ぎて、正直色恋系は興味がなかったのもある。肩を竦めながら「俺もたいして詳しくないぞ」と前置きしてから話してくれた。
「騎士団の花形は近衛騎士団だろうな。王都全体を守る王都騎士団、魔術師団も前線に出るものと後方支援とで分かれるな。」
「花形の方々はとても人気がありそうですね。物語の本で読みました」
「実話じゃないだろ。まあ人気はあるだろうな。近衛騎士団は憧れ、王都騎士団は親しみといった感じだろうな」
「なるほど。騎士団でも人気の種類が分かれたりするのですね。魔術師団は…ローブ姿でフードを目深にしているイメージです」
「まあぱっと見た目はそんな感じだろうよ。でも魔術を放つ姿は見事なもんだぞ。なんだ、興味があるのか?」
からかうような表情でハウザーがにやっと口の端を上げる。
「興味、でしょうかねぇ。異性相手にそういう気持ちになるというのは、何をもってそういう感情の始まりになるのでしょうか」
「恋愛相談だと思ったらその前の根本的なところからかよ」
「残念ながら環境がそういうものを一切遮断されていましたからねぇ」
「過酷な環境をあっけらかんと話すお前は強者だな」
少なくとも自分の環境が原因の一つではあるだろうが、どこに興味を示すかは人それぞれなのかもしれないとも思う。
「まあ奴等はキャーキャー言われて喜ぶのもいれば、うんざりするのもいるしそれぞれだな。興味なければ鬱陶しいことこの上ないだろう。烏合の衆のような中から相手を見つけるのも、後々揉めて面倒そうだな」
「そうなんですねぇ」
「お前も興味なさそうだな」
「どのような感情になると、そのような気持ちなのか、なんだかよくわからなくて」
何をどう説明したら良いのかさえわからずに言葉にしてみるも、正しく伝わっているのか怪しいところだ。ハウザーは顎髭を撫でながら思案して、ユフィーラに目を合わせた。
「例えば相手に対して胸が高鳴ったり、嬉しいとか幸せが溢れる…とか?相手だけ特別で他は皆一緒。自分を見ていて欲しいとか、可愛くみせたいとか、綺麗にしていたいとか」
「あら。先生も可愛く見せたくなるんですか?」
「なんでそこだけ抜粋するんだよ」
実はとても女性の扱いに長けているのかもしれないが、無骨でずばずば物を言うハウザーを見ている限り、想像ができないのはユフィーラがまだまだひよっこなのだろうか。でも正装をした時なら想像が出来るような気がしなくもないが、紳士な言葉を奏でるハウザーは想像不可だった。
次回納品する時に、手用の保湿剤の試供品を持ってくることを約束してユフィーラは診療所を出て、買い出しの為に街を歩きながら考える。
胸が高鳴なるといえば…トリュスの森で出会った魔術師を思い出した。
(あの人を見た時―――顔?ううん、確かに顔も素敵だったけど一番惹かれたのは瞳。冷たい雰囲気で無表情なのに、魔術を展開している時の煌めいた瞳と森に話しかけた時の僅かに柔らかくて、吸い込まれるような瞳…あれは恋とかいうものに当てはまるのかしらね)
昔からの癖で、ユフィーラは無意識に感情をコントロールすることに長けていた。いつも暴言や蔑む言葉に心を乱されることなく落ち着ける術をずっと前から身につけていた。
それがあの魔術師に初めて会った時。息が切れるものとは別物の胸が優しく高鳴り温かくなる鼓動。普段の無意識の方法が何も効かなかった。あれは一体何なのだろう。
他の男性というと、一番関わっているハウザーは、たまにユフィーラの頭をぐりぐりと撫でる。そこそこ力加減があるので、首もぐねぐね動くので、もう少し加減してもらえないだろうか。
始めて手を上げてユフィーラに触れようとした時、殴られるのかと反射的に頭を庇った。それからは、暴力を振るう動作ではないと、ハウザーは根気強く試してくれて、今では拒否反応がなくなったのだ。そんなハウザーから頭を撫でられた時は、ほんのり温かい気持ちにはなるが、胸が早鐘を打つような鼓動の動きはなかった。
(残念ながらまだ私にはそんな気持ちになるのは先のことかも。残りの時間でも難しそう…)
この先長い時間があるなら心から大事だと思える人ができるかもしれないが、ある程度時間が決まってしまっているユフィーラにはちょっと壁が高そうだ。
(そういえば…ブロンドの魔術師が契約結婚とかいう話をしていたわ)
瞳の印象的な魔術師は沢山言い寄られていて辟易していると言っていた。契約結婚できればそんなこともなくなるかもと。でもそんな奇特な人は居ないと。
(それはそうよね。普通ならば婚姻は末永く相手と寄り添い生活していく為のものだから)
大事だと、大切だと思える人とずっと一緒に添い遂げられることはなんて幸せなことなのだろうか。今までの自分とこれからの自分にはないことだからこそ、焦がれる気持ちにはなる。
買い出し帰りに、月影亭に寄って食事を済ませてきた。
その時に食事にきていた女性達がしていた話を思い出す。その中の一人の女性は何でも今お付き合いしている男性が騎士のようで現在遠征中らしく、暫く会えていないらしい。
『彼とは私の一目惚れからなのよ。もう二年になるのだけど、一緒に居るだけで満たされて幸せで嬉しくて話すと胸がどきどきして苦しくなるくらい好きなのよねぇ。早く帰ってこないかなぁ』
今までもそのような会話を耳にしたことはあったが、興味が惹かれず耳を素通りしていた。ふと自分に起こったあの時の胸の高鳴りは、それと同等のものだろうかと考えるが、話していた女性と自分の状況も違う為、ユフィーラには結局良くわからず首を傾けた。
(なんだか私にはまだまだ人の心の動きというものは難しいのかな。まあ運が良ければそういうこともあるでしょう)
人に対する気持ちの向き方がわからないユフィーラには難題のようだ。