理不尽詰め合わせ
「まあ…ごきげんよう」
まさかシモンにまた声を掛けられると思ってもいなかった。貴族相手のカーテシーなどできないし、できてもやるつもりは毛頭ないので、ユフィーラはとりあえず最低限の挨拶をする。
「こんな人目につく所でところで男漁りか?」
シモンから開口一番…二番に発せられた言葉で、この先の会話が間違いなく楽しめないのが確定したことにユフィーラは内心溜息を吐きたくなった。
「だんまりか?平民の分際で生意気な女だな」
王国騎士団の中で近衛を請け負うのだから、主に周りは要人が多いのだろう。しかし一騎士として、そもそも人としてこれはどうなのだろうと思わずにはいられない。王都騎士団は分からないが、近衛騎士団とはこういうものなのだろうと納得するしかないのだろうか。
「私に何か御用でしょうか」
「男漁りか?」
「それが御用ですか?」
「いや」
なら何故わざわざそこから会話を始めようとするのか。貴族との会話は難しいなと思わざるを得ない。隣の眼鏡の男性は黙ってシモンの動向を見ている。先ずはこの無関係な人を逃がしてあげたい。
「あの、もし気に入ったら後日でも診療所の方においで下さい。こちらの方は私へ何か用事があるようなので、どうぞ行ってくださいな」
ユフィーラが微笑みながら去るように促すのを眼鏡の男性は目を丸くして驚いている。
「君は…」
「おい、女」
シモンが一言足していく度に、折角お土産に買ったフィナンシェの喜びも、耳飾りを見つけた喜びも、眼鏡の男性に保湿剤を喜んでもらった嬉しさも、消え去ってしまうような憂鬱な気分になってしまう。
「何でしょうか」
「お前がこの前余計なことを言ったのを取り消せ」
「取り消せ、とは?」
「お前のせいであの後団長が激怒して大変だったんだ。仕方がないからまた保湿剤の納品を許してやる。平民が貴族に商売できることを有り難いと思え。今からでもすぐに団長に伝えに行くんだ。」
ユフィーラの頭の中は一言。
知ったことではない、だ。
「お断りします」
「は?」
シモンはまさか断られると思ってもみなかったという感じでぽかんと口を開けた。ユフィーラからしたら、何故頷くと思ったのか不思議でならない。
「何だと…?もう一度保湿剤を買ってやるって言ってるんだ」
「はい。ですからお断りしますと申し上げました」
「ふざけるな!平民が貴族に楯突くとは何様だ!」
その時、我慢ならないと言った風に眼鏡の男性が前に出ようとするのを、ユフィーラは手を出して止めて首を振る。こういう類の人間は攻撃相手に味方ができたら余計に火に油状態になりかねないし、その味方にも飛び火するものだ。
正直なところ、我慢を重ねれば、謙ってやんわりと逃れる術はあったかもしれない。
だが、ユフィーラが平民という理由で環境、即ち周りの皆を蔑んだ。そして同じ副団長という位置にいながらテオルドを二言目に孤児だ孤児だと宣い、彼の成してきた功績すら妬みに変わったのかもしれないが、全てを身分だけで差別し軽視するシモンを貴族として敬う道理はない。
自分の大事で大切な人達を貶されてやんわり流すほどユフィーラは人間ができていない。
「団長様には許可を得ています。それとも団長様から直接言うように頼まれたのですか?」
「っ…」
「そうでないのなら私の返答は同じです」
「このっ…生意気な口を叩くな!」
そう言ってシモンは思いっきりユフィーラの肩を突き飛ばしてきた。
瞬間。
昔の虐げられていた記憶が頭の中にフラッシュバックする。当然踏ん張る力なんてないユフィーラはどさりと道端に尻餅をついてしまった。
ぐっと体が強張り震えが全身に奔りそうになるのを意地でもユフィーラは抑える。
「っぅ…」
「貴族に歯向かうからだ!今すぐ騎士団に行って頭を擦り付けてお願いしてこい!」
「君っ…!」
シモンが突き飛ばされたユフィーラを見下ろして愉悦に浸る表情をする。これが近衛騎士団の副団長を担っている、国を守っている人物だというのか。眼鏡の男性がユフィーラに手を伸ばそうとするのを今度は視線と首を僅かに横に振ることで止め、強い拒否を示す。
トリュセンティア国はとても豊かで、国王も王妃も民のことを考えて色々なことを実現してきているという話をハウザーやリカルドからは聞いていた。リカルドやウルバーヌのような誰隔てない対応をする貴族も居るのだろう。だがそれは全ての貴族がというわけでは決してなく、貴族という権力に胡座をかいて理不尽に振る舞う人物もいるのだろう。
ユフィーラはこの国に来てから、そういう目に遭ったことがなかった。どれだけ自分が恵まれた環境にいたかということを再認識した。時間的に人は多くないが、ここは街の通りだ。周りに少しずつ人だかりが出来始めているのを彼は気づかないのだろうか。
「捨てられると分かっているものを売ることはしたくないのでお断りすると言っています。私は本当に必要としている方の為に作りたい」
「平民のお前ごときが作る物が大した物の訳がないだろうが!」
「ならば貴方様がわざわざ平民ごときの保湿剤を欲しがる理由もありませんよね?」
「この…!減らず口を!!」
シモンが今度は手を振り翳した。
突き飛ばされた時も今も体は強張るが咄嗟に庇う仕草は今はもう出ない。
それはハウザー始めテオルドと屋敷の皆のおかげで、心身を柔らかくできたユフィーラは暴力への恐怖を克服できたと思っている。だが久しぶりに目の前で起こる暴力に体が無意識に硬直し強張ってしまうとは、自分もまだまだだなとユフィーラは内心歯噛みする。
力では叶わないが、せめて視線と気持ち的には立ち向かいたい。
これでユフィーラが怪我をすれば、流石に彼の行動は今後少しでも問題視されるかもしれない。彼のような貴族ばかりではきっとないはずだ。でも彼のような人物が副団長という責任のある立場にあるのはどうかとユフィーラは思ってしまう。
そして孤児でも身分を与えられても、そこに拘ることなく、誰よりも邁進してきたテオルドを馬鹿にした彼を許すことは到底できない。不可能だ、有り得ない。
最近は幸せ過ぎて忘れていた。
身分だ体格だ性別で相手を軽視してくる者がいるという事を。
痛いのは慣れている。
どうせならこれで彼の立場がもっと悪くなれば良いのだ。
ユフィーラは降りてくる拳を瞬きせずに見つめる。
硬直して身体中に力が入るのがわかる。
でも歯を食いしばって逃げずに最後まで見る。
パシッと言う音が鳴る。
シモンの拳がユフィーラに当たることはなかった。
それは彼の腕を黒一色の服装の男性によって止められていたからだった。
さらりとした真っ黒な髪に宝石のようなブルーグレーの瞳。中性的な顔だが、背丈とシモンの腕を掴む腕から男性だということが察せられる。
「良い大人のしかも騎士様が何やってるの?」
「離せ…!」
線の細い青年は口元だけ僅かな笑みを浮かべながら、見た目は屈強そうなシモンの振り上げていた腕を掴んでいる。シモンはその腕を振り解こうとしているが、全く動かせないようだ。
「なんだ!貴様は!」
「声大き過ぎ。可愛い女の子に何してるの?」
「こいつが言うことを聞かないからだ!」
黒髪の青年は瞬き一つしてから首を傾げる。
「口が達者だと、手が出るの?平民だろうが貴族だろうがレディファーストは皆無?それに周りが見てるけどいいのかなー」
そこでようやくシモンは周囲に人が集まり始めていることに気づく。
「それに休息日で私服とはいえ、何人かは誰だか知られてるんじゃない?このまま続けて大丈夫?」
黒髪の青年の言葉にシモンははっとなり、再度腕を振り払った。今度は青年も力を抜いていたらしく簡単に解ける。
「ちっ…覚えておけよ。これだから下等な平民は困る」
シモンはそう吐き捨てながら舌打ちして人だかりのない方向へ去っていった。もう本当に物語に出てくる悪役の捨て台詞そのものである。
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