お強請りとお肌の悩み
その男性は茶色の髪に色が付いた眼鏡を掛け、ラフな格好だが素材が良さそうな品の良い服装をした男性だった。熱心に装飾品を見ているので思わずじっと見てしまっていたのを、相手も気づいたらしい。
「あ、邪魔しちゃったかな。ごめんね、真剣に見ていたのに」
そう言って微笑む瞳の色は色眼鏡によって分からないが、そこから覗く瞳は優しそうで目尻の皺がより親しみが湧くような感じだ。
「いえ、私よりも熱心に見られていたので、ついじっと見てしまいました。こちらこそ気分を害されたならすみません」
「そんな食い入るように僕は見てたのかい?実はこの耳飾りなんだけど」
そう言ってユフィーラが見ていた耳飾りの隣に並んでいた鮮やかな青色の耳飾りを指す。
「僕の奥さんの瞳の色に似ているなぁと思ったんだけど、もうちょっと濃い青なんだよねぇ」
「まあ…実は私が見ていたこの雫型の耳飾りも自分と旦那様の瞳の色が混ざったような素敵なものだなとじっと見てしまっていたのです!」
「おお!そうなんだ。お互いの瞳の色が合わさっているなんて素晴らしいよねぇ」
「はい!一目惚れのようなものなのですが、流石に今すぐ購入できるお値段では…でもお金を貯めてご褒美に買えるようにちょっと頑張ってみようと思っているんです」
その言葉に男性は首を傾げる。
「自分で?ご主人に買ってもらえばいいのに」
「え?」
「お強請りして買ってもらえばいいんじゃない?」
そう言われて初めて夫婦間にはそういうことも可能なのだと知り、ユフィーラは目から鱗な気持ちになった。ということはお互いに贈り物をし合うということもできるのではないだろうか。
「なるほど…!夫婦だとそういう方法があるのですね。ならば更に貯めて同じものを贈りたくなってきました!」
「…ん?」
「はい?」
「君がお強請りするのではなくて?」
男性は心底理解できないという表情をする。
「あら…女性から男性に贈り物はおかしなことなのでしょうか…」
「いや…そんなことは全然ないんだけど。買って贈り物としてもらいたいと思わないの?」
そう言われてユフィーラが今度は首を傾げた。
「…どうでしょうか。なかなかにお高いものなので、これを強請るのはちょっと言いづらいかもしれませんねぇ。贈り合いの方が心に優しいような。なんなら自分が内緒で買って贈りつけて驚かした方がより楽しいかもしれません」
「へぇ…」
まるで珍しい生き物を見るかのようにユフィーラを見る男性。
「根っからの平民なのでちょっと思考が違うのかもしれません。でもそれはとても大事にされていますので、幸せのお返しをするという目標を持ちながら、更に日々薬の精製に精が出そうです!それにあまりに高価なものをもらったら、ちょっと恐縮してしまいそうですしね」
そう笑顔で言うと、男性は瞬きをしてからふわっと笑う。眼鏡越しの瞳の目尻がとても魅力的な男性だと思った。
「君ならご主人が何を贈っても喜びそうだね」
「それはもう。散歩しながら拾った綺麗な落ち葉でも小躍りします!その時に私のことを思ってくれたり、買う時にはどういうものが好きなのか考えながら選んでくれるのですからそれだけで。あ、美味しいものなら上乗せで喜ぶと思います」
ふふっと口を押さえて微笑んだユフィーラに男性は声を上げて笑う。
「はははっ!そんなこと言ったらご主人は店中の物全部買ってくるかもしれないよ」
「まあ、それはいけません。少しずつの方が貰った嬉しさの回数が増えますからね」
その言葉に男性は「なるほど…勉強になったよ」と楽しそうに言った。今日のフィナンシェもそうだ。欲張って全種類買えないわけではないが、もし買ってしまったら次に何を買おうか考えながら行く楽しみがなくなってしまうではないか。
「そう言えば、さっき薬がどうとか言っていたけど君は薬師なのかい?」
「はい。まだ新参者ではありますが、馴染の診療所に薬や保湿剤などを卸させてもらっています」
「へえ!保湿剤もかい?」
「はい。肌荒れなどでも診察される方は多いのですよ。薬だけを飲んで治す方法もありますが、内側だけでなく外側のケアも同時にすれば目に見えて治る過程を感じて皆さん更に安心できますからね」
そう言いながら手に保湿剤を塗る仕草をする。
「確かにね…内側からだと治り始めるまで分からないし、外側からも保湿剤によって潤いや手が癒やされているって実感できるからね…保湿剤は手用だけなのかい?」
「手用や全身用もあります。最近はお顔に特化したものをお試しで数名様に試していただいて、皆さん肌艶が増したと喜んで下さっていました。勿論事前に自分で試して問題なかった後でお試しですよ」
そう言うと、男性の眼鏡越しの瞳が輝く。
「おお、それは良いねぇ。僕も最近年を取ってなんだか肌が弛んできたような、乾燥しやすいし張りがないような感じがしてならないんだよねぇ。奥さんの試してみてもいまいち合わないんだ。更に使ったのがバレて、凄く高かったのに!ってしこたま怒られたしなぁ」
頬から顎を擦りながらぼやく男性にユフィーラは思わず笑ってしまう。
「まあ、奥様の美容品に手を出してしまったのですねぇ。女性の美を保つものですから、今後同じものか更に良い品を『お強請り』されるのかもしれませんね」
「!…うっわ…まずい、そのことを考えてなかったなぁ」
「ふふっ…あ、ちょうど手持ちにこれが」
そう言ってユフィーラはローブの中から小さな小瓶を取り出し、それを男性に差し出した。
「お顔専用ではないのですが全身用です。匂いはシトラス系で数種類の柑橘を香りのみ抽出していますので、お肌への刺激もないです。すっきりする香りで男性でも使えますよ。ただ高価な物ではないことは確かですので、それでも良かったらどうぞ」
男性は優しそうな目を丸くして差し出された小瓶を見る。
「え。これを僕にくれるの?」
「はい。先程言ったお試し品をいつも数種類小さめの瓶に入れて持ち歩いています…あ、ちょっと待ってくださいね」
そう言って、ユフィーラは小瓶の蓋を開けて少しだけ自分の手に垂らす。指で拭って自分の頬に塗りつけた。柑橘系のさっぱりした香りがとても芳しい。
「この保湿剤はつけてもべたつかないようにさらっとしているんです。男性の方に人気のひとつですが、疑わしいなら受け取らないことをお勧めします」
ユフィーラの言葉に男性はぱちりと瞬きをしてから、香りに誘われたように小瓶を受け取り鼻を近づけた。
「…うん。女性らしい甘い香りではなくさっぱりした柑橘系だね」
そう言いながら一滴手の甲に垂らして塗り込む。
「はい。しっとりというよりもさっぱりですね。でも潤いはあるので男性の方に好まれます」
「さらりとしていてべたつかない。これは良いねぇ」
「ふふ。あとは個々に効果があれば良いのですが。こればかりは人の肌質によってまちまちです」
小瓶に蓋をしながら塗った手の甲に鼻を近づけている男性の目元がふわりと緩む。
「もしとても気に入ったらどこに買いに行けばいいのかな?どこかでお店を開いているのかい?」
「いえ、お店はやっていなくて、今は診療所に卸しているだけです。トリュスの森に近い診療所です。ここからはちょっと遠いのですが。そこの医師に声をかけてもらえれば」
「……え。そこを営んでる医師ってもしかして―――」
「おい、そこの女」
男性が驚いたように呟いた時、後方から声がかかった。
ユフィーラの周りには男性以外に居ないので自分に話しかけたのだろうと振り向くと、なんとそこにいたのは休日仕様の服装をした王国近衛騎士団副団長のシモンだった。
不定期更新です。