〆はガダン作のデザートで
しゃくりとすぐ近くでりんごを食べる音が聞こえた。
ついに籠のりんごを食べたのかなとゆっくりと瞼を開いて首を向けると、ユフィーラが食べたりんごの芯を食べたようで、芯が無くなっていた。
「あら。私もあまりに美味しくて殆ど芯しか残っていなかったでしょ?それでもりんごの風味と香りはするものね。籠にはまだ沢山あるわ」
そう言って寝そべった状態でりんごを取り出し、ころりとりんごを置くとすぐにそれを食べてくれた馬を見てユフィーラは蕩けるよう表情になる。
「ここのりんごは甘みと酸味の対比が抜群ね。…そしてあなたはとても素直なのね。今は少し怯えているだけ。ピッタさんが言っていたのよ、とても人懐こい仔なんだって」
馬がゆるりと近寄ってきて足元や服を嗅いでいるのをユフィーラは動かさずに好きにさせる。
「今は少しだけ慎重になっているだけなのよね。慎重なのは大事なことよ。好きなだけ満足するまでやったら良いと思うわ」
ユフィーラを判断しているだろう青毛の馬の邪魔をしないように、手だけを伸ばして籠からりんごを取り出す。手に持って口元まで持っていってみようと思う前に手の中からりんごが消えた。ユフィーラは瞬き一つしてから見つめると、しゃくしゃく口を可愛く動かしながら綺麗な瞳と合う。
更にとろとろな表情になったユフィーラはもう一つ取ろうと手を動かそうとすると、その手にふさりと毛並みに触れた。
「まあ……なんて艷やかで触り心地が良い毛並みなの」
青毛の馬の口元が手に添えられたので優しく、驚かないようにさらりと撫でてみる。馬は顔を上げずにそのまま更に押し付けてきたので、もう一度さらさらと撫でる。
「あなたが慎重で触らせていなかったのなら、あまり毛並みを整えてもらってない…?それなのにこれだけ美しいのなら、きっとブラシをかけたらもっと輝くに違いないわね」
ふふっと微笑みながら少しずつ撫でる範囲を拡げていく。馬は顔を背けることなく更に体重をかけてきた。だがずっと首を下げていたら疲れるのではと思ったユフィーラはゆっくりと上半身だけを起こすが、馬は逃げずに今度は上半身に鼻を押し付けてきたので今度は両手でゆっくりと範囲を拡げながら撫で回していく。
ぶるっと鼻を鳴らす音が聞こえてユフィーラは目を見開く。
「甘えるのも愛らしくて素敵だなんて…!ああ、連れて帰りたい…」
ぼやきながら馬が押し付けてくるところを丁寧に撫でていく。徐々に立膝になり、最終的に立ち上がって撫でても馬は逃げなかった。その間もずっと撫で続けたユフィーラが眉間の傷をそっと撫でる。
「この傷も愛しく感じる。より勇ましさが増してとても格好良いわねぇ」
もう既に親馬鹿ならぬ馬馬鹿な状態になっていた。何が何でも迎えるために通い続けて、凛々しくも繊細で優しく人懐こい馬を家族にしたいとユフィーラは悶える。前の飼い主が厭っていた白い毛並みも存分に撫で、首元も抱きつくように撫で回す。
「どうしましょう…帰りたくなくなってしまうわ…」
そんなことを思っていると、青毛の馬がふいに頭を上げて、遠くを見つめる。その方向にユフィーラも目を向けると、ダンとピッタが呆然とした表情でこちらを見ていた。
「あら……もうそんなに時間が経っていたのかしら。あっという間だったわ」
そう言いながら手を振る。その手に押し付けてくる馬の顔を是非喜んで!の思いでわしわしと撫でる。とはいえ、いつまでもこうしている訳にもいかない。
「そろそろ行かなくては。あなたも一緒に帰る?今日はここでお別れにする?勿論私は時間を作って毎日でも会いに行く覚悟があるわ」
さらりと撫でてから歩き始めて、手を伸ばすと馬はついてくる。少しずつ撫でては進みを続けながら、ダン達がいる方へようやく着いた。馬は逃げずにユフィーラにくっついている。
「こりゃたまげた。あんた一体何をしたんだ…」
「何を…強いて言うならひたすらこの牧場で出しているりんごの酸味と甘みのバランスの良さと、彼の素晴らしさを語っていたくらいでしょうか…」
「ふはっ。ユフィーラは相変わらず神がかったことをするなぁ」
「わしでも日によって触れさせてくれる日とそうでない日があるんだがなぁ…本当にあんたの心根がそいつには心地よかったのかもしれないなぁ」
ピッタは驚きながらも青毛の馬の変わりように嬉しさを隠せないでいるところを見てユフィーラは本当に馬のことを誰よりも想ってくれているのだろうと感じた。
ダンが近づくと青毛の馬はぴくっと動き蹄を一度鳴らしたので、ダンはぴたっと止まる。
「大丈夫よ。何の問題もないわ。ダンさんはね、馬が大好きだしとても動物に好かれる性質なのよ。この前なんかね、年に一度だけ決まった季節に訪れる渡り鳥に鳥専用の特製パン屑をあげていたらダンさんにだけ大量に集まってね。まるで止まり木のようになって大変だったのよ…ふふふ」
「ああ……あれは流石にびっくりしたなぁ。動けないし周り見えないし大変だった…」
あの時のダンの絶望的な表情を思い出すと笑いが止まらなくなってしまう。
「だから、あなたが怯える必要がない相手なの。もしあなたがうちに来てくれたら毎日良い匂いのする藁やもみ殻を用意してくれて、体の調子を整えてくれて尚且つ美味しい食事を用意してくれる。あなたの毛並みを更に見事に輝かせてくれるのよ」
伝わるように馬の耳元を撫でながらゆっくりと伝える。馬が顔を上げてダンを見据える。ダンはにこりと笑って様子を見ながら一歩進む。もう一歩。馬は動かない。もう一歩。
「お。お前は勇敢だな。何れお前のお眼鏡に叶って世話をさせてくれるよう俺も日々精進だな」
そう言って爽やかに笑う。ユフィーラも微笑みながら更に撫でくりまわす。
「賢いのね、流石よ。ダンさんのことがもう分かったのね、本当に良い仔」
馬は先ほどよりも多く鼻を鳴らしながらユフィーラに甘えるように顔全体を押し付けるのを全力で応える。
「これは思ったより早くこいつも受け入れてくれるかもしれんな。ああ…本当に良かったよ。あんたのおかげだ」
ピッタが心底安心したような、それでいて幸せそうな顔をする。
「ピッタさんがこの仔が小さい時から寄り添って育てて下さったからこそ、今の行動に表れるのだと思います。良かったわね、素晴らしい人に育てられて」
「そこまで言ってもらえると流石に照れちまうな…さて、なんやかんやでかなり時間が経ってしまったな。そろそろ帰らねばならんだろ?」
「ああ。ユフィーラ、これから通って頑張ってみるか?」
「はい!勿論です。もうこの仔以外は考えられないくらいです」
「わはは!そこまで言ってもらえると嬉しいもんだなぁ。俺は何時でもここに居るから何時でも来てくれ。もし急用で居ない場合も通れるように飼育員には言っておく」
「ありがとうございます。助かります」
ダンが口笛を吹くと青毛の馬が居た草原とは違う向かい側にあるもう一つの草原から軽快な足取りで白と栗毛の毛並みの大きな軍馬が走ってきた。
「ジョニーも久々に広い草原を自由に駆けて嬉しそうですねぇ」
「だな。道じゃなく好きに動けることは久しぶりだったからな。さあ、行くか」
ダンがそう言って傍にきたジョニーをひと撫でしてから身軽にふわりと飛び乗った。ユフィーラは撫で続けている青毛の馬を名残惜しげに最後に撫で回して耳元で囁く。
「じゃあ今日は帰るわね。また明日。あなたの好きなりんごかうちの馬達が好きな葡萄でもお土産にもってくるからね」
そう言ってすっと手を離してダンの乗っているジョニーの元へ歩こうとした時だ。
後ろにくいっと引っ張られ、薄いグレーのローブが上に張った。振り向くと青毛の馬が服を咥えている。
「まあ、どうしたの?明日も来る約束は必ず守るわ」
そう青毛の馬の瞳を見ながら声をかけるが離してくれない。どうしたのかなと首を傾げていると、ピッタが側に来た。
「お前、ついて行きたいのか?この子と共に、行くか?」
ピッタの言葉にユフィーラは驚く。そして青毛の馬を見るとじっとピッタを見つめている。暫く見つめ合った後、ピッタは近くにいた飼育員に乗馬一式の道具を持って来いと伝える。
「ピッタさん…?」
ピッタはじっと青毛の馬を見てから、ユフィーラに視線を合わせにかっと笑う。
「こういう時は即行動が大事な時があるんだ。あんた自分で馬は乗れるね?」
「は、はい。ダンさんが鍛えてくれました」
「そうかい。ダン、こいつの寝床等の準備は?」
「ああ。いつでも迎えられるように準備はできている」
「じゃあ決まりだな。おい、しっかりこの子に寄り添って信頼を積み重ねろよ。お前がここに戻ってきたのはきっとこの子と一緒になるためだった」
そう言ってピッタは青毛の馬をそれは優しく撫でた。そしてそれに応えるように澄んだ綺麗な瞳がピッタを見つめる。
「ははっ。たった数刻で面構えが変わったなぁ!流石優秀な奴だよ、お前は」
そう言って飼育員から渡された鞍類を流れるように装着していく。ユフィーラから見ても出会った時のような警戒心をピッタにも見せていないのに驚く。
「凄い…流石最優先事項は圧倒的馬に軍配が上がるだけありますねぇ、ピッタさん!」
「いやいや、あんたがこいつのがちがちの砦を解してくれたからこそ、こうやって受け入れてくれただけだ、さあいつでもいけるぞ」
最後にぱんっと激励するかのように青毛の馬の背中を叩く。
「そういや名前は決まっているか?何時でも良いが、やっぱり名前で呼んでやると、こいつもそれが自分を示すことだと喜ぶからな」
そう言われてユフィーラは瞬きをする。
「名前…そうか…私名付け親になれるんですね…!感無量!」
「そりゃ、ユフィーラ専用の愛馬になるんだ。とびっきりの名前をつけてやらなくちゃな」
「決まりました!」
「え」
「早」
二人同時にぽかんとしている。実は男の仔だと知った時にまるで天啓のように閃いた名前があったのだ。でも自分がつけられるという認識がなかったので、思いつかなかった。ユフィーラは青毛の馬の傍に行き、すぐに甘えて頭を擦り付けてくるこの愛らしい馬を撫でながら、伝える。
「ルード。あなたの名前はルード、よ。これからよろしくね」
ルードは頭を上げてユフィーラを見つめる。「ルード」とユフィーラが名前を伝えながら撫でるとぶるるっとまるで『了解』とでも言ってくれているように。そしてユフィーラに向けて体を横に向けた。
「おう、流石俺の育てた優秀な奴…ルードだな。これは乗って良いという合図だ」
「まあ、優秀過ぎて私には勿体ない…なんてことは一切なく、遠慮皆無で寄り添いますけど!」
「ははは!良いね、ユフィーラ。じゃあ早速乗ってみようか」
「はい!」
ユフィーラは鐙に足を引っ掛けて、乗り上げる。
とすんと乗ったルードの背は逞しく靭やかで乗り心地はとても良い。
「ルード、乗せ具合は問題ないかしら?」
背を擦りながら尋ねるとルードは少し後ろを見るようにして鼻を鳴らす。
「問題なさそうだ。少し歩いてみてくれ」
ピッタが言い、ユフィーラは手綱を操作してルードと草原を少しだけ走る。
「私はまだまだ乗馬新参者なのに、とても乗り心地が良いわ。ルード、流石だわ。優秀なのね」
そう言いながら背中を撫で、ダン達が待つ場所に戻る。
「じゃあ気をつけて帰んな。また遊びに来い。…ルードを頼んだぞ」
ピッタは優しい顔でルードを撫でながら、ユフィーラに伝える。
「はい。これでもかと日々愛でて過ごします!」
「わはは!ルード、良かったなぁ」
そしてユフィーラはダンと共に帰路に着く。ルードの乗り心地は終始穏やかで、とても乗りやすかった。明日からは暫くルードが新しい場所に慣れるまでユフィーラも進んで世話をさせてもらおうと意気込んだ。
そして帰宅後にユフィーラが夕食の準備をしているガダンの元へ駆け込んだことは言うまでもない。
その日の夕食時にりんごシャーベットに舌鼓を打ちながら、我が愛馬の自慢大会が開催されたのだった。
不定期更新です。




