牧場にて
数日雨が続いてからの晴天の朝。朝露が数多の森林に纏い、草木が緩い風に揺られ陽の光にきらきらと輝いている。
ユフィーラは木の柵に囲まれた広大な草原を陽の光に負けないくらいにきらきらした瞳で眺めていた。
「こんな広い場所で日々過ごしていたらストレスなんて皆無に違いありません!」
「ああ。草も豊富にあるし、その草も管理者の魔術によって効能が高いんだ。馬の育成には最高の場所なのは確かだな」
少し伸びた薄い水色の髪を掻き分けて、額に手を翳し遠くを見据えるダンが今日も爽やか全開な笑顔で答える。
今日は先日話題になったユフィーラ専用の馬を求めて、ダンと共にジョニーの後ろに乗せてもらい、屋敷から一刻半かけてアルケ牧場という所に来ている。
この牧場の馬は王宮の騎士や魔術師など御用達の馬専門育成の牧場で、レノン始め使用人達の馬もこの牧場出身だ。
「ダンが連れて来るにしては可愛い子過ぎないか?驚いて大事な馬の餌をぶちまけそうになったぞ。腰を痛めたらどうしてくれる」
そう言ってわざとらしく腰を押さえているのは、ここのオーナー兼飼育責任者でもあるピッタだ。真っ白な白髪の長めの髪を後ろで結い、真っ白な髭を蓄えた好々爺で、ダン曰くその辺の若者よりも元気で人間よりも馬を優先するのは当たり前で常識だという馬にとっては最強な味方のオーナーであるらしい。
「そんな柔な腰なんかしていないだろう。下手したら若い俺よりも元気じゃないか。それとユフィーラはテオルドの奥さんだよ」
「テオルドのか!…あやつもついに人間になりおったか」
「元々何だと思っていたんだ。まあわからなくもないけどなぁ」
「表情が動かない生きている彫像だな」
「まあ。それはそれでさぞかし美しかったのでしょうねぇ」
今の柔らかくなった表情は勿論、冷淡と言われる動かない表情もきっと素敵なのだろう。ユフィーラにとって要はテオルドならば何でも良いのだ。
「おお、あの鉄仮面をそのように言うとはなぁ」
「ユフィーラは主であれば良いんだもんな」
「そうですね!テオ様であればどんなでも」
「おお。面白いな」
まるでどこかの仙人のようにふぉっふぉっと笑うピッタ。
「私は薬師ではありますが、騎士でも魔術師でもないのです。軍馬として活躍する立派な馬をお迎えしても良いのでしょうか」
ピッタは眉毛を上げながらにこっと微笑む。
「別にそんなんはお偉い奴等が勝手に決めたことだ。他は知らんがわしは馬との親和性を最優先させているからな。どんな高貴な人物でも横柄な奴には売らんよ」
そう言いながらピッタは口元に指を入れて、口笛を吹いた。
すると、遠くの方から数頭の馬が次から次へとこちらに向かって走ってくる。鹿毛から栗毛、黒鹿毛など十頭近い馬たちが駆け寄ってきた。
「わあ……!」
屋敷の厩舎内でも見慣れてはいるが、広大な草原を颯爽と駆けてくる軍馬といわれる大きな馬たちの姿はまた違う意味で圧巻であった。
馬たちは口笛を吹いたピッタの側にまるで侍るように首を伸ばして甘えている。
「ふふっ勇ましい姿なのにピッタさんに対しては皆甘えん坊さんなんですねぇ」
「そういうつもりはないんだがなぁ。ついついあれこれ世話を焼いているうちにこんなになっちまうんだよ」
「ピッタ爺は常に馬最優先で物事を考えているから、馬たちにもわかるんだろうな」
ピッタが用意した果物を馬たちは美味しそうにしゃくしゃく咀嚼している。
「あんたもあげてみるかい?馬は人の心を見透かすと言うが、うちの馬は特に相手を選ぶんだ。嫌だと相手の近くにも寄ろうともしない。だがダンから屋敷の馬全員があんたに慣れているって聞いてるから大丈夫だろう」
「奴等は皆ユフィーラ大好きなんだよなぁ」
「きっと遊びたい時に小さくて丁度良いサイズなのでしょうか?私の方こそ皆に良くしてもらっています。囲まれた幸せな時間が尊くて」
「ほお、そこまでか。…ほら早速だ」
そう言っている間に一頭の栗毛の馬がユフィーラに近づいてきた。
「まあ、なんて長いまつ毛と優しい瞳をしているのでしょう。初めまして。ユフィーラよ。今日はあなた達に会いたくて楽しみにしていたの。よろしくね」
綺麗に澄んだ瞳に目を合わせてユフィーラは栗毛の馬に話しかける。すると栗毛の馬は首を伸ばして首元近くをふんふんと嗅いでいる。
「あら…もしかして今朝食べたりんごのコンポートの匂いがばれてしまったのかしら」
「ははは!かもしれないな。ユフィーラはお替りしていたからな」
「お腹いっぱいだったのに、あのデザートは我慢が利きませんでした…シナモンとレーズンの絶妙な組み合わせがまた…」
「こいつらもりんごは好物だからなぁ。ほら、あげてみろ」
「良いのですか?では挑戦してみますね」
ユフィーラはダンが持ってくれている籠からりんごを取り出して栗毛の馬の口元近くに持っていこうとすると、馬は首を伸ばしてぱくりと咥えしゃくしゃくと小気味いい音が聞こえてきた。
「やるねぇ。そいつは少し気難しい部がある仔なんだ。警戒なく食べるなんざ珍しい」
「やっぱりかぁ、ユフィーラ流石だな。レノンを傾倒させるだけある」
「なんと。レノンもか。あやつはわしでも苦労させられた。まるでテオルドみたいだった」
「ふふ、だからテオ様とレノンは共鳴したのかもしれないですね。…美味しい?ふふ、あなたの瞳がきらきらしていて美味しいってことがわかるわね」
そう言いながらゆっくりとやさしく撫でる。すると、ぐっと体重をかけてきてくるのが堪らなく愛らしい。
「でた。ユフィーラの馬キラー」
ピッタの側にいた馬もユフィーラの近くに寄ってきて、ユフィーラはそれぞれにりんごを差し出す。どの馬も警戒する素振りもなく手ずから食べてくれた。
「おお…うちの飼育員に欲しいくらいだ」
「ピッタ爺、それはお断り」
「惜しいなぁ…」
ユフィーラは果物をあげながら一頭ずつ撫でて周っていく。ぶるるっと鼻を鳴らしてくれたり、優しく甘噛みしてくれたりユフィーラは屋敷の馬たち同様に囲まれていった。
「うちでもああやって囲まれると小さいからユフィーラが見えなくなるんだよ」
「本当だな。まるで馬だけが集っているようだ」
「私の髪は藁ではないのよ…ふふ、擽ったい…ここにいますよー」
「これならどの馬でも大丈夫だろう……あいつ以外はなぁ」
ユフィーラは馬たちの間から存在を主張しようと隙間から手を挙げようとすると、ふと広大な草原の少し遠くにある木々の近くに一頭の馬が佇んでいることに気づいた。
(あら…あの仔だけこっちに来ていない?)
目の前にいる馬たちも立派な体躯の軍馬だが、その馬も立派な体躯で青毛の馬だ。その馬はじっとこちらを見ている。漆黒のように見える毛並みでとても人気が出そうな素敵な仔に見える。
「ピッタさん、あの奥にいる仔はまだここには慣れていないのでしょうか?輝くような青毛の素敵な仔ですね」
「いやー…あいつはな、一度もらわれていったんだが…返されてきたんだよ」
「…とても気難しい仔だったんですか?」
ピッタは首を横に振る。その表情は少し痛ましそうだ。
「元は人懐こい仔だった。元飼い主があいつが仔馬の時に一目惚れをしてな。真っ黒な一色の馬を所望していたんだよ。あれだけ見事な毛並みだろう?もらわれた時あいつは真っ黒だった。…だが、成長するにつれて額から鼻周りにかけて斑のように白い毛が生えてきた途端、こんなの要らないと突き返されたんだ。半年くらい前のことだ」
「まあ……」
「それだけならまだ良かっ…いや良くないんだがな。馬は人の機微に鋭い。自分の主が明らかに自分を厭っているっていうのが感覚でわかるんだ」
ユフィーラはじっとこちらを見ている青毛の馬を見る。確かに額から鼻にかけて斑のような白い毛が不規則に生えている。でもそれはユフィーラからしたら可愛い美点にしかならない。
「しかも元飼い主はその白い毛の部分を剃ったら黒いのが生えてくるかもしれないと、刃物で無理矢理剃毛しようとしたんだ。それで眉間あたりに傷が残っている。それからあいつは人を寄せ付けなくなった。元オーナーの俺でさえ、もう手ずから餌は食べなくなった。それほどだ」
「…!」
「なんだそいつ。生き物を飼う資格も微塵もない輩だな。アクセサリーじゃないんだぞ」
「当然だ。うちは未来永劫出禁にしてやったさ」
ダンも憤りを隠せないようで眉間の皺を深くしている。ピッタさえ受け入れられないのは心身共に相当傷ついたのだろう。
(…自分の心を守るために沢山の壁を作って、どう出たらいいのかすらわからなくなった仔…)
自分と重なる部分を感じ、ユフィーラはぐっと胸が苦しくなる。じっとこちらを見つめるその瞳をよく見ると、とても警戒していて鋭い。警戒の中に怯えも垣間見える気がして、それを必死に隠し自分自身を守っているのだろう。
(あの仔の眉間の傷を見てみたいわ)
ユフィーラが側に行った所で何もできないかもしれないが、駄目元でやることは自由だ。あまりに警戒されるなら、彼が心を疲労させる前に去れば良い。
不定期更新です。