嫌なことの後にはご褒美を
王宮正門手前まで歩いたユフィーラはずっと手を握ってくれていたテオルドを見上げた。
「テオ様。我慢を沢山してくれてありがとうございました」
その言葉にテオルドは歩みを止めてユフィーラを見つめる。
「フィーの方が我慢していただろう」
「いえいえ。私は慣れたものですから、大した我慢などしていません」
「慣れるものじゃない」
すぐに返してくるテオルドにユフィーラは先程の作り物ではない笑顔を向ける。
「それを言うならテオ様もですよ。慣れたものだと言わせたい放題でした。でも私のことを言われたから怒ってくれたのでしょう?」
「無意識にな。俺のことに関しては屑が何喚いても痛くも痒くもない。それにしてもフィーも怒ることがあるんだな」
そういうテオルドにユフィーラもふふっと笑いながら、私も同じですと答える。
「テオ様のことを沢山言われてカチンカチンと。花を貶されたことにカチン。住んでいる所でカチン。伝を作った相手でカチン。合計五カチンでした」
そう言うとテオルドが瞬きをぱちぱちとする。ハウザーを見ると俺もか?と自分を指差す。
「はい。私の大切なテオ様と屋敷の皆さんと先生を大して知りもしない方々から貶められたのです。私は基本平和主義ではありますが、大事な宝物のような人達と場所を攻撃されてにこにこしている訳がないでしょう?ですので私なりの戦い方で迎撃しました。勝手をしてごめんなさい」
先程の無機質な表情は消え、黒の中にも数多の種類があるとユフィーラが絶賛する漆黒の瞳は温かくて今日も今日とて美しい。その瞳が優しくユフィーラを見つめる。
「フィーは俺達の為に怒ってくれたんだな。喜怒哀楽を出してくれることが俺は嬉しい」
そう言って目元を柔らかくする。ふわんと緩くなるその表情がユフィーラはとても好きだ。無意識にこちらも笑顔になる。
「あ、そうだ。テオ様が出掛けてから皆さんと私専用の馬をお迎えしてはどうかという話になりました」
「ああ、良いんじゃないか。レノン達が妬きそうだが」
「ふふ。レノンも他の仔達も、一番は皆さんですし、私は暇つぶしに遊んでもらってます。更に癒しを与えてくれるのでとてもラッキーですね!テオ様はこれから魔術師団に戻られるのですよね?ご心配かけてしまいました…」
「俺が来たいから来ただけだ。…もう今日は終わりにするか」
「無理そうだぞ」
ハウザーの早い返しにテオルドが見ると、魔術師団団舎方面からハウザーの容貌と同じような色合いでテオルドと同じ濃紺のローブ、真っ黒なローブを纏った二人が向かってくるのを見てテオルドは溜息を吐く。
「あ!団長、いましたよ!」
「テオルド、見つけたぞー」
「…来るのが早い」
「まあ、リカルド団長様」
明るいブロンドに浅緑の瞳の美丈夫、ユフィーラ達の元に辿り着いたリカルドはテオルドの首に腕を回しながら「お前はー」と言いながらテオルドを揺らしている。テオルドも鬱陶しそうにしているが拒否はしない。そんなことができるのはテオルドを若い頃からずっと見守ってくれていたリカルドだけだろう。
「やあ、ユフィーラさん。今日はハウザーと保湿剤の納品に来ていたんだよね?こいつさ、朝からそわそわしていて、会議中にちょっと手洗いだとか言ってそのまま帰ってこないから絶対ここだと思ったんだよなぁ」
「あらまあ。会議を抜け出してきたのですか?」
「手洗いの途中で思い出しただけだ」
「じゃあ何でずっとそわそわしていたんだよー」
「ずっと手洗いに行きたかっただけだろう」
「副団長、無理がありますよ!」
明るい声でテオルドに親しげに話す黒のローブの青年にユフィーラは視線を向けた時、同時に彼がこちらを向いた。暗緑色の三つ編みに結った長い髪がローブからはみ出している。気さくさの滲み出た薄茶色の瞳をきらきらさせながらユフィーラに笑顔で話しかけてきた。
「ああ!副団長の奥様ですね。やっとお会いすることができました!初めまして!いつも副団長の元で働かせてもらっています、ネミルと申します!」
「ネミルさん、…ですね。初めまして、ユフィーラと申します」
「あの無表情無関心無感覚の副団長が婚姻するなんて、一体どんな相手の方なのだろうと皆で話していたのですが、一向に紹介もしてもらえなくて。深窓の令嬢ならぬ深窓の夫人と噂されていました!」
滑舌の良い話し方で明るくはきはきと話すネミルに未だに首に腕を回されているテオルドがげんなりとした表情になる。
「知る必要は微塵もない」
「またそんなつれないこと言わないでくださいよ!副団長が会議室抜けた穴埋めを団長が代行して僕が必死に会議録を書き留めたんですから」
「そうだぞー感謝しろよ」
リカルドがぎゅっと首に力を入れてから腕を離す。テオルドが首を擦りながら左右に動かしてまた溜息を吐き、ネミルはリカルドにやり過ぎですよと諌めている。その様子をユフィーラは微かに首を傾げながら眺める。
「早く行け。帰りが遅くなるぞ」
ハウザーが帰りたそうにテオルドを急かし、リカルドが「お前もたまには寄っていけよ」と誘うのを一刀両断している横で、テオルドがユフィーラの前に戻って来る。
「今日は早めに帰る」
「あら…できそうなのですか?」
「できるできないでなくやる」
「おい、テオルド。会議を抜け出しておいて、それは不可能だぞ」
「僕ができることも限界がありますよ!」
そんな会話を交わしながらテオルドは「なるべく早く帰る」と言い、連れ戻されていく姿に手を振りながらユフィーラはハウザーから帰るぞと声をかけられるまでじっと彼らを見ていた。
王宮の正門を潜り、改めてハウザーにも謝罪する。
「先生がせっかく紹介してくださったのに、あんな形で終わらせてしまって申し訳ありませんでした。団長様から何か苦情がきたら、適当に言っておいてください」
ハウザーは「あいつは侯爵で貴族の中でも数少ないまともな奴だ、問題ない」と一蹴された。
「あいつは身分云々に重きを置かない。貴族だろうが平民だろうが何だろうが有能な者はそれに見合った仕事を与えるべきと思う人種だ。現状の魔術師団はそれに倣っているが、近衛騎士団は王族の周辺を守ることが仕事だから貴族であるべきだと無駄にプライドが高い奴らのせいで払拭できてないな。国王が何度も議論しているが、無駄に権力を持った大貴族がなかなか厄介なんだ」
うんざりといった表情で溜息を吐きながらハウザーがぼやく。昔王族時代だった時は更に色々大変だったのだろうことは想像がついた。
「国を造るには色々大変なのですねぇ。平民で良かったです」
「お前もテオルドの伴侶だから本来は魔術爵繋がりになるぞ」
「あら…」
「忘れていたな」
「思い出しもしませんでした…」
確かにそう言われればユフィーラもそれに準ずることになるのかと気づく。
「今更ながらに平民を強調して言いたい放題してしまいました………もう言ってしまったので開き直りが一番ですね!」
「お前はそうだろうな」
ハウザーが苦笑する。正直なところそれらを踏まえても彼らに言った言葉に対しての後悔は微塵もない。けしかけたのはあちらであって、ユフィーラはそれに対して迎撃しただけであり、相手の言葉の穴を指摘しただけだ。
そして平民だからと何言っても泣き寝入りすると思っているのなら大間違いなのだ。これは過去男爵家にいた時に実際には殆どできなかったが、頭の中で何度もシミュレーションをしていた賜物である。
その後、研究所に用事があると言っていたハウザーは大した用じゃないからまた今度で良いと言うのを、何の為に来たのだとユフィーラに背中を押されたが、物の数分であっという間に戻ってきた。
「さて、このまま帰ってもいいが何か食べて帰るか」
「!」
「もう少し先に加工肉専門の店がある。ハムやベーコンやサラミとかな。勿論土産にもできる」
「!!」
「隣のパン屋のパンを買って持っていくとサンドイッチにもしてくれる」
「出撃です!」
「敵か」
「似たようなものです…!色々な加工肉…一体どれを選べば満足…いえ、きっと一度では壊滅させられない数に違いありません!」
「滅すつもりか」
「制覇です!」
「変わらんだろ」
長い足なのにゆったりと歩くハウザーの袖を引っ張りながらユフィーラは急かす。
「先生、歩幅をもっと…一歩が大きい!なのに歩速が遅い!」
「お前の二歩分だな」
「くっ…いつもの頭撫でを我慢すればきっと背も伸びて足も…」
「お子様抱っこしてやろうか?」
「……まあ。まさかそうして歩かせずに、結果私をふっくらミルクパンの如く太らせる気ですか?それでも最近旬の食材が多くて食べ過ぎているんです、歩かないと…!」
「これから加工肉を制覇する勢いの人間がいう台詞じゃないだろ」
ハウザーが頭を抑えようとするのを避け、言葉を交わしながら二人は店の方へ進んでいった。そこで皆へのお土産と自分用に購入したサラミはユフィーラにとって暫くハマる食べ物になったのであった。
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