身分差別と偏見の重ね塗り
「わはは。ハウザー、あまり自分の身長をひけらかすな。お嬢さんが困っているぞ」
騎士団舎から笑いながら現れた人物は、背が高いハウザーより更に高くがっしりとした体躯は白を基調とした近衛騎士団専用の騎士服に身を包んでいる。橙色の髪に垂れ目がちな青い瞳はにっこり笑うと目尻のしわが増え、年を重ねたそれがとても魅力的な陽気な感じの素敵な男性だ。
「ウルバーヌ」
「こうやって顔を合わすのは久々だな。何度酒の場に誘っても来ないからもう諦めたわ」
トリュセンティア国、王国近衛騎士団団長のウルバーヌ・ムルシオは快活な笑顔で話しかけてきた。
「そして隣にいるのが、私の手に潤いを齎してくれた凄腕の薬師のお嬢さん…いや、テオルドの奥様だね。改めて、初めまして。ウルバーヌ・ムルシオだ」
そう言って、胸元に手を軽くあてて華麗に一礼するウルバーヌの姿は皆が憧れる騎士団の象徴そのものである。
「初めまして。ユフィーラ・リューセンと申します。凄腕かは定かではありませんが、ムルシオ団長様の手に保湿剤が合ったようでなによりです。いつもご贔屓いただきありがとうございます」
嬉しいお世辞に、ふふと口に手を当てながらユフィーラも手を下げ改めてお辞儀をして挨拶をする。
「いやいや!私だけではなく、団員達も有り難く使わせてもらってるよ。本当だったら更に数倍の注文を追加したいくらいなんだ」
「ひとつひとつ心と魔力を込めて精製するよう努めておりますので、数をご用意できずに申し訳ありません。でもそんな風に評価していただけることは作り手として、とても励みになります」
「おい、こいつの睡眠を削らせるな」
「おっと、小煩い父親面の男が出張ってきたなぁ」
「誰が父親だ」
「先生、保湿剤をくださいな。あくまでも先程までは私がしっかり持っていた体でお願いします!」
「お前は本音を少しは隠せ」
「わははは!」
ようやくハウザーが持ち上げていた保湿剤の袋を渡されたユフィーラはまるで今まで持っていたかのように装いウルバーヌに差し出す。
「では改めまして。手用の保湿剤を二十個。うち無香料が十五個とヴァーベナの香りのものが五個になります。ラベルにそれぞれ書いております。お納めください」
「おお、本当に助かる。ユフィーラさんの作る保湿剤は無香料も良いんだが、ヴァーベナの匂いが最近ではお気に入りでね。何よりさらっとしてて、べたつかないのが有り難い」
ウルバーヌが手を滑らかにする仕草をしながら、袋を受け取った。
「ありがとうございます。団長様がそう仰ってくれたと先生から聞いていましたので、おまけで全身用の同じヴァーベナの保湿剤を入れてあります。よろしければお試しくださいな」
「本当か!実はうちの妻が私の手が綺麗になっていることに目敏く気づいてね。どこの保湿剤だと問い詰められてしまったんだ。いやあ…白状させられて、泣く泣く半分分けると約束させられていたんだよ。これをお土産にさせてもらっても良いかな?」
ハウザーからの情報ではムルシオ騎士団長はリカルド魔術師団長と共に夫人をこよなく愛しており、おしどり夫婦として有名らしい。
「まあ、夫人にも褒めていただけるなんて光栄です。とても有能な庭師さんが育てた自慢のヴァーベナから抽出したものなので鼻が高いです!」
そう言ってユフィーラはスカートのポケットから小さな小瓶を取り出した。
「これは試作品なのですが、女性のお顔専用の保湿剤なんです。屋敷の女性陣や友人からの評判も良いので良かったら試してみてくださいな。これもおまけでつけておきますね」
「これは助かる!手用も根こそぎ奪われてしまうのではないかとひやひやしていたんだ。素晴らしい香りを生み出したヴァーベナを育てた人にもお礼を言っておいてもらえると嬉しい」
「ふふ。庭師も喜ぶと思います。こちらこそ団長様始め、国と市民の為に働いて下さっている皆様のお肌が少しでも癒やされているということが何より嬉しいことなのでお釣りがきてしまいますね」
そこにハウザーが自分専用の香りの保湿剤の話を持ち出し、ウルバーヌが悔しがるなど会話が弾む。その後ウルバーヌから騎士の数名の怪我の経過が芳しくないらしく見て欲しいとの話になり、ハウザーが承諾した。ユフィーラも団舎内に入るよう誘われたが、そこは丁重に断って近くの景色を見ているからと、一旦ハウザーとは別れた。
そこから暫く周りの景色をのんびり見ていると、後ろから声がかかった。
「フィー」
この呼び方をするのは一人しか居ない。
ちょっと驚いて振り向くと濃紺のローブ姿でフードを被ったテオルドが立っていた。
「まあ。テオ様?」
「こんなところに一人で何をしてる」
ユフィーラは一連の流れを説明すると、「…まあ中に入るよりはましか」と呟きながら首を傾げるユフィーラの頬を指の背で撫でる。
「テオ様は騎士団に何かご用事が?」
「…ああ、まあ――――」
「何でこんなところに孤児上がりの魔術師団副団長様が彷徨いているんですかね」
突如騎士団入口の方から白い騎士服を着た数人の騎士が攻撃的な言葉を放ちながらこちらに近づいてきた。それを視界に入れたテオルドが小さく舌を打ちながらユフィーラの手を手繰り寄せて自分の後ろに庇う。
(…テオ様が舌打ちなんて珍しい)
テオルドは初めて会った時よりも更に感情の変化の欠片も乗せていない能面な顔だ。数人の中で中心にいる茶色の短髪に青い瞳の男性は明らかにテオルドに対して嘲笑するような嫌な笑いをしながら続けた。
「神聖な近衛騎士団団舎の前で女漁りですか?孤児上がりの魔術師団副団長様にはそんな暇があって羨ましい限りだ」
更に嫌味上乗せの言葉にユフィーラはあの男爵下女時代以来、久々にこんな卑しい言葉を耳にしたなと、それこそ茶髪の騎士が言うように神聖な場所で聞くとは思わなかった。
それが自分に対してなら余裕で流せる内容だが、明らかにテオルドに対して放たれた暴言にカチンときた。当の本人は臆する様子も憤る様子も皆無で黙ったまま彼らを見下ろしている。
「おやおや、下賤出身の副団長様は言葉を忘れてしまわれたのかな?」
とても下卑た笑いを見せながら話す茶髪の男性に対し、周りも同じように嘲笑する。それでも無反応のテオルドに飽きたのか、今度はユフィーラの方に茶髪の男性が矛先を向けてきた。
「…ああ、まさか噂の奥方様かな?平民風情の」
見下すような視線にユフィーラは僅かに首を傾げる。
「神聖な場所に下賤な男の下賤な嫁がくるとは。もしかしたらここに夫以外の男でも漁りに来たのかもしれませんね」
その時、テオルドの握られた手がピクッと動く。それをユフィーラがぎゅっと握って大丈夫だよという意志をのせてテオルドの顔を見て微笑む。それを見たテオルドが僅かに眉を下げてユフィーラを見つめた後、溜息を吐いた。
「鬱陶しい蝿だな」
呟いた辛辣なテオルドの返しに茶髪の騎士始め、周りの騎士達は敵意を剥き出しにしてきた。
「何だと!孤児風情が!」
「我ら貴族に対して口の聞き方に気をつけろ!」
「近衛騎士団にそんな態度をとってただで済むと思っているのか!」
まるでどこかの物語に出てくる悪者の偉ぶった台詞だなとユフィーラは諦観した目になる。
近衛騎士団とは王国騎士団の花形と言われていてとても人気があると聞いていたのだ。目の前で繰り広げられている滑稽な光景をみて、その実態がこれなのかと非常に残念な気持ちになった。
中心にいた茶髪の男性は侮蔑するような視線でテオルドとユフィーラに交互にみて不遜な笑みを浮かべながら、中傷を乗せた言葉は止まらない。
「相変わらず口が悪くて非常識ですね。流石孤児上がりなだけはある」
再びカチン。話す度に孤児を連呼する彼の方が敬意は勿論常識もないのは本人に言ったとしてもきっと伝わらないのだろう。テオルドは欠片も反論する素振りがない。先程手が動いたのと呟いたのは恐らくユフィーラのことを言われたからだ。
それを我慢していると勘違いして気を良くし、更に追撃してくる茶髪の騎士。段々口調も態とらしい敬語が抜け言いたい放題になってくる。
「そうそう、平民女と言えば。最近うちの団長が誰かの伝で平民の薬師から保湿剤なんてものを買って騎士達に配給していてな。いくら勧められても所詮平民が作ったものだからなぁ、碌な物ではないだろう。良い迷惑だよ、本当。効果なんて塵ほどにも無いだろうし、どんな安物を使って作っているのか恐ろしくてとてもではないが使えないから、もらっても全部捨ててるんだよ。あの香りも安っぽいし、きっと作っている素材も場所も粗末な環境なんだろうなぁ。伝というのもたいした奴じゃないことが分かるよ」
ここでユフィーラは更に三度ほどカチンときた。
香りのこと。
作っているだろう場所のこと。
伝を担ってくれたこと。
私もですよ、恐ろしくて塗れない、など他の騎士たちも話に乗ってくる。何気に神聖なる近衛騎士団長すら貶していたことすら彼らは気づいてもいないのだろう。
そしてある意味とても良いことを聞いたとも思った。
テオルドの手から微量の魔力が漏れたのをユフィーラはもう一度ぎゅぎゅっと握る。騎士団団舎の前で揉めてしまったら、彼らに後々何を言われるかわかったものではない。ユフィーラはもう一度顔を覗くように、にっこりとテオルドを見て微笑む。
そして茶髪の騎士に視線を合わせる。
「平民とはいえ、薬師とは国家試験を受けた国が認めた職業の方なのでは?もしかして平民上がりの薬師や魔術師、騎士の方はこの国では暗に認められていないのでしょうか」
そう尋ねると、茶髪の男性始め周りの騎士達もこれだから平民はとでもいう憐れんだ表情で見つめてくる。
「平民のお嬢さん…いや、奥さん。確かにこの国は他国と比べて平民が本来なれない職業に就く者が謎に多いのですよ。それが後々この国の治安を悪くさせていく未来に繋がるものだと私は日々戦々恐々としています。平民は平民の仕事だけ、地べたに這い蹲っていれば良いのですよ」
この人物は団長だけでなく法律を定めた国さえも貶めている発言だと理解していないのだろうか。それに個人的にはその言葉をそのまま打ち返して差し上げたいくらいだが、それよりもユフィーラはもう一つ確認したいことがある。
迎撃するのはもう少し後だ。
「そうなのですね。ではその保湿剤は近衛騎士団様には必要では無かったということなのでしょうか」
「そうに決まっているでしょう。平民が作ったものですよ?我々近衛騎士団は貴族ばかりの集まりです。王都周りを徘徊しかしていない王都騎士団じゃないんですから、そんな粗悪品使うわけがないでしょう。団長からの差し入れだから仕方なく受け取ってはいますが、皆もらった後に捨てている筈ですよ」
「まあ…」
テオルドがついに我慢ならないといった風に手を解こうとしたので、ユフィーラはその手をぎゅぎゅぎゅっと握って離さず、再度覗き込むように見てにっこりと微笑んだ。
ここでユフィーラの滅多に見ない表情、口元だけに笑みを浮かべ目が笑ってないことに気づいたテオルドが目を丸くした。
最後にきゅっと握った手を離して、ユフィーラは姿勢を正して彼らに向き直った。
さあ、色々言ってくれたお返しをするとしよう。
不定期更新です。
誤字報告ありがとうございます。