後日談・新緑と七色に包まれて
穏やかな陽気、少し暖かな風。庭の新緑や花々も咲き乱れる季節になった。
食卓にはブラインが庭で育てている花が飾られ、アビーが食後の紅茶を淹れてくれている。
ユフィーラはだいぶ体力が戻ってきて、そろそろ通常の生活に戻れそうだからと、明日から仕事に復活するテオルドの部屋に居座るのは申し訳ないから、自分の部屋に戻ると話したことから始まった。
テオルドはまるで出逢い当初のようにすっと表情が抜け、無機質で何も考えていないような顔つき様変わりした。それから「部屋は同じだ」とまるでその言葉しか話せないかのように繰り返すという一点張りだった。
ユフィーラがこの屋敷に来た当初、テオルドとは契約結婚だった為、案内された部屋は中央階段二階から西側の階段に近い客室の一つだった。対して屋敷の主の部屋は中央階段から東側の部屋、その隣の部屋が妻の部屋として設計されていたようだ。因みにアビー達使用人の部屋は一階だ。
今の部屋に愛着が湧いてはいたが、妻の部屋と決められた場所があるならば、そこに移動するのは全然構わなかった。だが、一向にテオルドは自分の部屋だと聞く耳持たずで粘るのはどうなのだろう。
珍しい行動にユフィーラも異を唱えてみる。
「異議あり!」
「却下だ」
「却下も異議あり!」
「却下だ」
「そ、それも異議―――」
「おーい、終わらんよそれ」
ガダンがいつものようにカウンターで肘をつき、苦笑しながら止めてくれる。
「テオ様、部屋を替えるのは構いません。隣の―――」
「俺の部屋は一番広いから一緒で良い、ずっと」
「ず、ずっと…」
「ユフィーラ、照れていないで初心に戻って」
紅茶を淹れ終わったアビーが応援してくれる。
「ずっと私が部屋に居たら疲れも取れずに眠れなくなるかもしれません」
「フィーを抱き込んで熟睡する俺を知っているだろう」
「…はわわ」
「押されてる押されてる」
ダンがデザートをお替りしながら快活に笑っている。
「窓からの薬草見る位置関係が―――」
「俺の部屋からも同じように見えるな」
「もっと理詰めで攻めて」
「守りに入った話し方だと言い包められますよ」
ブラインとランドルンから叱咤激励が入る。
「薬草の精製中良く独り言喋っているので―――」
「お前の起こす生活音は苦にならない」
「え、気にならないんですか?ひたすら一人で喋りますよ、私」
「ねえ、これお酒飲ませたほうが面白いって」
「まだ朝だろう」
パミラの言葉に素早くジェスつっこむ。
「フィーは俺の妻なのに、何故一緒の部屋は駄目なんだ?」
少し眉を下げながらテオルドが呟く。
ユフィーラとて嫌な訳ではないし、一緒に居るのは嬉しいのだが。恥ずかしがって言葉が足らなくなるより、ここは正直に思いの丈を話すべきだと、深呼吸して口を開く。
「私も…テオ様と一緒に居るのは居心地が良くて幸せです。…ただ」
ちゃんと思いを伝える為にユフィーラは大好きな漆黒の瞳と視線を交える。
「今まで大事な人がずっと傍に居た経験もなく、ましてや触れ合いなんて皆無だったので、なんというか…頭と心が、その、いっぱいいっぱいで上手く息ができなくなるんです」
テオルドは目を丸くして固まっているが、一緒に居るのが嫌だとか思われたら困るので、目を逸らさず言葉を重ねていく。
「5秒だけのハグの時はそれが唯一の触れ合いで、恥ずかしいと思っても契約だからって名目で行動できていたのですが、…今みたいにいつでもできると、それが許されるんだと思ってしまうと、こう…こう胸の高鳴りがあまりに忙しなくて―――」
「あ。テオルド様が照れてる」
アビーがこそっと呟く。
「元は私がテオ様の瞳と魔術に魅入られたことから始まって、好感度というか好きな気持ちというのは私の方が圧倒的に凌駕していて―――」
「押してる押してる」
テオルドは目を見開きながら首元に手を当て、ダンは快活を超えた息苦しそうな笑いに変わっている。
「それで、今はテオ様がこうやって、私に向きあってくれることがあまりに幸福過ぎて夢かなと思うくらい嬉しくて―――」
「極端過ぎる攻めに変わった」
「守りから一転して無自覚の攻めほど凄まじいものはないですね」
テオルドの手は口元に移り、ブラインとランドルンは戦闘方法のような会話になっている。
「そんなまだまだいっぱいな状態で、もし部屋までテオ様とずっと一緒だったら、きっと私自身満たされすぎて、これは現実ではなくて夢なのかもと境目がわからなくなってしまうので―――」
「酒無しでも致命傷直球でいったねぇ」
「主…これは回避不可能なのでは」
テオルドが目元を覆い、パミラとジェスの呟きを聞きながら言葉を締めくくる。
「せめて―――」
「わかった…もう、いいから」
「はい、旦那敗北~」
ガダンの勝負有り発言と同時に、テオルドがテーブルに伏せてしまった。その耳は赤い。
「…お前は…どうしてそう…」
「はい?」
ユフィーラは首を傾げる。つっかえつっかえだったが、テオルドに対しての思いはちゃんと言葉にしたはずだ。決して嫌なのではないのだから。
「旦那様、これぞユフィーラよー」
「慣れれば」
「どちらか一方でなく、それぞれ良い勝負をするんだよなぁ」
「ですね。一方的ではないからこそ観覧側としては本当に飽きないですね」
「主を見世物になど…!」
「瞬きせず見ていたあんたが言わないの」
「お前らは自由だなぁ俺も含めてだが」
使用人一同が和気藹々感想を述べている中、テオルドは伏せていた顔を髪を掻き上げながらゆっくりと上げる。些か不貞腐れているが、機嫌が悪くはないらしい。
「わかった。フィーの部屋は俺の隣だ。そこは譲らない」
「はい!勿論です」
「それと寝る時は俺の部屋だ」
「は―――…え?」
「寝る時くらい良いだろう」
「あわわ…せめて、一日おきくらいに…」
テオルドがじっと静謐な瞳でユフィーラを見てくる。
相変わらず美しい漆黒につい魅入られて、頷きそうになるが、騒ぎ続ける心の安寧の為にここは譲れない。負けじとユフィーラも見つめ返す。
「……わかった。俺の部屋とお前の部屋の一日おきだな」
「!…ありがとうございます!」
「違えるなよ?」
「まあ!望むところです」
ユフィーラは爆発しそうな心を防衛した勝利だと思わず握り拳を天に掲げてしまう。
その姿を見ながら、テオルドが僅かに口角が上がったうっそりとした笑みをユフィーラ以外全員がいつもの如く見ていて苦笑や失笑、呆れ顔と様々な表情をしていた。
本日からテオルドは仕事に向かった。朝食後、ユフィーラはアビーと共に今までの部屋からテオルドの隣の妻専用の部屋に移動した。前の部屋も充分広かったのだが、今度の部屋は寝室と居間、そして衣装部屋のような部屋の三つもあり、口をぽかんと開けてしまった。
ユフィーラは少し小さめとはいえ、大量に服を収納できそうな部屋に入れるほどの服は持ってないし、今のところ増やす必要もない。テオルドが幾らでも買ってくれると言ってくれるのだが、所有欲というものがまだ無い。
今まで何かを与えられたことがなかったし常に奪われる環境だったので、今後は少しずつ増やしていければと思う。
「ここを薬の精製用の部屋にしたいです」
アビーが一つ頷いた。
「良いわね。薬を作る専用の部屋があるのなら、そこで集中して精製、居間ではゆっくり過ごすって感じで良さそうよね。他の欲はそのうち芽生えるわよ」
アビーはいつもユフィーラの言葉を正確に理解して賛成してくれるのがとても有り難い。
「はい。今はまたここで暮らせる幸せを噛み締めつつ、精製をもっと学んで良い物を作りたいです。それがある程度満足したら他に興味が移るかもしれません」
素敵な服やドレス、自分を飾る装飾品も興味が無いわけではないが、今は自分の中身を磨いていきたいと思っている。
物の少ないユフィーラの引っ越しはあっという間に終わった。新しい部屋で出窓から見える薬草や景色を堪能したり、薬の精製をしながら一日を過ごした。
夕食の時間になってもテオルドはまだ戻っていない。ユフィーラを救ってくれてから十五日間の間仕事を休んでいたのできっと今日は遅いのだろう。今朝出かける時も先に寝ていろと言っていた。
それでも夜着に着替え暫く出窓から見て待っていたが、やがてうつらうつらしてきてしまい、今日は先に寝させてもらおうとベッドに潜り込んだ。
ふと誰かが頭を撫でてくれている。とても愛おしそうに優しく撫でてくれている。ユフィーラは夢現に嬉しくなり口元が緩む。額に温かい何かが触れ、背中がほんのりと温かくなって何かに覆われているように全身が包まれる。
(ああ…なんて幸せなんだろう)
心も温かく幸福に包まれる。とても安心する。今までのユフィーラには決して望めなかった場所。
ここがユフィーラの場所。
頭にもちゅっと温かいものが落とされ、ユフィーラは前に回され包まれた温かいものに手を添えてゆっくりと握った。
ここはユフィーラの新しい部屋だ。
そのはずだ。
ユフィーラは呆然として目の前でまだ目を覚まさない艷やかな藍色の髪のちょっとだけ幼さの残る寝顔の端正な人物を凝視している。
(え…私、部屋間違っ……てないよね?)
目だけで見回しても部屋は薄いグレー色でなく、淡いアイボリー色で統一された部屋だ。
(なんで…?テオ様が部屋を間違ったとか…久しぶりの仕事で疲れた…?)
何がどうしてなのかわからないユフィーラはひっきりなしに首を傾げる。整ったテオルドの顔が近すぎて、どう息をするんだっけと段々混乱してくると、その瞼が開いて、漆黒の綺麗な瞳と目が合った。
「…フィー」
「ま、まあテオ様…?昨日はかなりお疲れでしたか?間違って私の部屋で寝てしまっていますよ」
起き抜けのテオルドはまだ覚醒していないのかユフィーラを見ながらぼうっとしていた。何度か瞬きをしてから、甘い掠れた声で囁く。
「知ってる」
「え」
「ここはフィーの部屋」
「え?」
「一日おきと言ったが、一緒に寝ないとは言ってない」
「え!?」
ユフィーラは部屋が別だから寝るのも別だと勝手に解釈していたが、確かにテオルドは一緒に寝ないとも言っていなかった。
「だから今日はフィーの部屋。今夜は俺の部屋」
「そ、それでは別にした意味―――っ」
テオルドの美麗な顔が近づいてきて、ちゅっと口唇が触れ合う。
額にも。頬にも。鼻先にも。
こうなると、ユフィーラはもう対抗する術がなくなってしまう。
「あわわ…」
「…あぁ…顔赤い。目が潤んでいる」
「っ!」
「この顔を見れるのは俺だけ…」
色香を醸し出し始めたテオルドにユフィーラは戦慄きもういっぱいいっぱいだ。はわはわしながら何とか逃れようと画策していると、テオルドが更に引き寄せ髪に口を付けて囁く。
「疲れて帰ってきても…フィーを抱いて眠るとぐっすり…」
もうそんなこと言われたら断れないではないか。ユフィーラの心は毎度大騒ぎだが、テオルドが元気になるのなら、それが何より嬉しいことなのだから。
とはいえ、上手く言い包められるだけでは何だか悔しい。何か一矢を報いたい。
「く、曲者めっ」
「それを言うなら卑怯者」
余計ぎゅっと抱き締められ、足を絡められる足技まで発展したら、もう降参だ。はふはふしながら合間にあちこち口付けをされたユフィーラはぷしゅぅとなりながら「無念…」と最後に呟いた。それをじっと見ていたテオルドの蕩けた顔は残念ながら見られなかった。
テオルドの仕事がようやく少し落ち着いてきた頃、彼から今度の休みに行きたい所があると誘われた。実はユフィーラはテオルドと一緒に何処かへ出掛けたことがなかったので、両手を掲げて喜んだ。
行き先が街や買い物ではないことにアビーからケチを付けられていたが、ユフィーラはテオルドと出掛けられるということが楽しみなのでどこでも良かった。「それらは次回だ」とも言ってくれたので、また楽しみが増え軽快なステップを踏みながら去るユフィーラを使用人達は生温かい視線を向けていた。
出掛ける前日の日はかなり遅かったらしく朝早いユフィーラが起きて動いても、珍しくテオルドは起きなかった。まだ寝かせておこうと、そっと抜け出して着替えてから階下に降りた。食事を終えても降りて来ないのを、ガダンは「多分今日一日休みをもぎ取るために無理したんだろ。起こしてきてもらえるか」と頼まれて、部屋に向かう。
扉をノックするが、反応はない。開けると、ユフィーラが起きた時のままの状態でまだ眠っていた。
少し寝乱れた藍色の髪と長い睫毛で閉じられている少し幼く見える寝顔。
今日は出かけると言っていたが、まだ朝早い時間だ。少しでも休んで欲しいと思ったユフィーラはベッドに腰掛けて目元にかかる髪を流し、藍色の艷やかでさらさらな髪を梳く。
それはいつもテオルドがやってくれていることなのだが、ユフィーラがやることはなかった。…普段は背があまりにも高いので手が届かないし、寝る時はひたすらテオルドが甘やかしてそれどころではないからだ。
(これは…癖になるわ)
少し動いてまた止まったテオルドの髪を優しく後ろに流すように梳く。
(なんだろう。凄く平穏で凄く幸せを感じるの)
ユフィーラは知らずのうちに微笑みながら、手を止めずにさらさらと頭を撫で続けた。そちらに集中していたからか、いつのまにかテオルドの瞳が開いているのに気づかなかった。
「…フィー?」
「あ…起きてしまいましたか?まだ朝早い時間なのでもう少し眠れますよ。私は起きてしまったので、先に朝食をいただいてしまいました」
撫ですぎて起きてしまったかなと頭から手を離そうとすると、テオルドの手が伸びてきて、離すのを遮る。
「…凄く、満たされる」
「え?」
ぼそっと呟いた言葉に聞き返すも「何でもない」と言われ、掴んでいた手が腰に回りユフィーラは掛布の中に引っ張られた。
「ぅわっ」
ぽすんと横にされて、ユフィーラの首元に彼の顔が寄せられた。
「もっと撫でて」
掠れた声で甘えるように首元で囁くテオルド。
ユフィーラはぽふんと顔が真っ赤になり震えてあわあわしそうになるが、こんな風に彼が甘えてくれることへの歓喜が勝り、胸の鼓動を早めながらも藍色の髪に手を差し入れてさらさらと梳いていく。
人嫌いで触れられることも嫌悪するテオルドが心許してくれている様子にユフィーラは高鳴る鼓動だけではなく、ふわふわと温かく幸せが染み入るような心地に首元にある髪を梳きながら目を閉じて、暫し二度寝を堪能した。
陽が真上に昇る前に屋敷を出たユフィーラとテオルドは、レノンとルーシアに乗ってトリュスの森まで訪れていた。
中心まで進んでいくと、いつもの重苦しい感じが無くなっている。首を傾げていると、「選ばれたんだろ」とテオルドが不可思議な言葉を言った。
テオルドと初めて出逢った場所。
大きな木の窪みの近くまで進み、馬から降りる。レノンとルーシアにも中心部の影響はないようで、きっと邪な精神を持っていないからなのかなと漠然と考える。
(ああ、ここは本当に居心地が良い。最期だと思った時から…ううん、今思えばこの美しい独特な空間がとても好きなのだわ)
ユフィーラは肺にめいいっぱい吸い込むように清々しい空気を吸い込む。鬱蒼とした木々に囲まれた森の中心部は窪みのある大きな木の部分だけに光が差し込んでいる。
「フィー、おいで」
窪みに腰掛けたテオルドがユフィーラに手を伸ばす。
生い茂る木に囲まれ、濃紺のローブを羽織り、藍色の髪を靡かせてそこに少し気怠けな様子で座って片膝を立てているテオルドの姿はまるで一つの幻想的な絵画のよう。
恥ずかしがるユフィーラを確保する少し意地悪な表情ではなく、深緑に囲まれて穏やかなテオルドの様子に、普段は緊張して慌ててしまうユフィーラも素直に近づいた。
ユフィーラはテオルドに脇を持って軽々持ち上げられ、すっぽりと彼の足の間に向かい合わせに収まった。
「テオ様?」
声を掛けるが、テオルドは黙ったまま、ミルクティー色の滑らかな髪を弄っている。ユフィーラはそれ以上話しかけることなく好きなようにさせていた。
木々がそよそよと靡き静かな心地良い時間が流れる。
暫く二人はそうしていたが、ふと気づくといつかの七色の蝶が数匹ふわりふわりと飛んできた。
「あ…」
蝶は近づいてはきたが、この前のように触れられるほど側までは寄ってこない。ユフィーラは最期だと思っていた時、目を閉じる直前までに見えた美しい七色の羽の美しさを覚えていた。羽ばたく優雅さを視界に留めながら口を開いた。
「貴方達が側に居てくれたから私は穏やかに幸せを思い返す時間ができたの。ありがとう」
言葉は通じないかもしれないが、それでもユフィーラは伝えたかった。
蝶は、いいよいいよとでも言うように、ふわふわと軽快に近くを飛んでいる。
それを静かに聞いていたテオルドが髪を撫でていた手をユフィーラの頬に添えた。
「この蝶は、俺が森に生気を与える前から居た」
ユフィーラは少し思案顔のテオルドを見る。
「多少俺の影響もあるが、元々その七色を持っていた。本来まず生息されない種別で、突然変異かもしれない。そして彼等は万人には見える生き物ではない」
「まあ…そうなのですか」
テオルドが一つ頷き目を伏せる。
「恐らくだが…俺と同じようにこの森を気に入っている誰かの魔力から変異した個体。そしてフィーを…ここで見つけた時、お前の周りには数え切れない数の蝶がお前を守っているように見えた」
ユフィーラは瞠目した。確かに意識が失くなる前、飛んでいたことは覚えていたが、数匹だ。
「あの蝶は七色だが、本質は光でなく闇属性だ。本来死を司ると言われているものだが、暗闇に見える一筋の七色の光。闇魔術を反転させることで生命の証として命を繋ぐ効果を出すことができるが…相当な使い手でないと不可能な術」
ユフィーラは基本的な魔術は学んだが、応用にはまだまだだ。テオルドの説明に魔術は未知数で奥が深いのだなと思いながら頷く。
「当初はそういうつもりがなく成したことだとしても…そいつの魔術の痕跡から生まれた蝶が居なかったら。……前にも言ったが、その存在があったから、フィーを救える状況に俺が間に合った…んだと思う」
少し悔しそうな表情でテオルドは遠くを見る。
「俺もだが、そいつも…フィーの人となりを見て生き方を変えた一人だ。お前をずっと、見守っていた。癪だから名前は言わない」
ユフィーラがこの国に来てからずっと見守っていてくれて、いつも好きにやらせてくれた人は一人しか居ない。
いつも無精ひげでだらしない白衣姿だけど厳しくて温かいユフィーラの家族のような人。
目を丸くして驚くユフィーラを見ながら不貞腐れたように目を逸らすテオルドを見て、目の前の人がこんなにも感情豊かになったことが嬉しくて愛しくて仕方がない。手を伸ばしてテオルドの両頬に触れる。ぴくっと揺れたテオルドを引き寄せて額を合わす。
「私を見守ってくれて、まるで家族のような人と、私を救ってくれた、大切で、大事な人。どちらも欠けていたなら私は今、この場に存在すらしていなかったのでしょう」
テオルドが切なげな表情になるのを、ユフィーラはにこっと微笑みながら額を擦り合わせる。
「先生…は包み込むような温かさを教えてくれて恐怖を取り除いてくれました。テオ様は……私に心の動き方と愛しいという感情を芽生えさせて、叶えたいことを満たしてくれました」
ハウザーの惜しみない温かさ。
使用人達の配慮と優しさ。
そして―――――
「…あの日トリュスの森でテオ様に出逢えたことは本当に幸運で、最善で最高の運を掴み取りました」
ふふと笑いながら目が潤む。テオルドがぼやけて見える。
「心から想いが次々に溢れてくるんです―――――大好きです、―――テオしゃま」
無念
この一言しか出てこない。
ここぞという場面での噛みにユフィーラは、ぽぽんっと顔を赤くする。
テオルドは額を合わせたまま、くすっと笑う。目を伏せながらとても幸せで仕方ないという顔で。
「ああ…満たされる。感情が動くことはこんなにも満たされるのか」
ユフィーラの潤んだ目から零れ落ちそうな雫をテオルドが口をあて吸い取ってくれる。
「フィー。俺の…俺だけの唯一」
そう言って顔を寄せて口付けを交わす。
何度も何度も。
周りの木々や植物、小さな花々が風に揺られ微かな音色をたてる。
風に揺れて僅かな陽の光が二人を照らす。
数匹の七色の蝶がふわふわとまるで祝福するかのように二人の周りを緩やかに舞っていた。
これにて終了とさせていただきます。
初めて、そして何度も訪れ読んでくださった皆様。
本当にありがとうございました。
回収しきれていない伏線とそこから拡がる話、
個人的にお気に入り人物を濃く交えた話を
書く機会があれば、また読んでもらえると嬉しいです。