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一日5秒を私にください  作者: あおひ れい
一日5秒を私にください
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番外編・ハウザーとユフィーラの邂逅

ハウザーとユフィーラの出逢い編でハウザー視点です。

長くなったので分けます。




「あの、お休みのところすみません」


小さい、だがはっきりと聞こえた声色にハウザーは目を開ける。

少し前から気配には気づいていたが、殺気がなかったのでそのまま放っておいた。


声の聞こえた方に視線だけ向ける。

そこには小柄な背丈の細っこい娘がいた。少女のように見えるが何故か妙に大人びた紺色の瞳が印象的だ。


「なんだ」

「お尋ねしたいことがありまして。ここはどこの森でしょうか?昨夜に夜逃げしたのですが、森に入って迷ってしまいました」


こんな小さな娘が一人で夜逃げ?


「ここはトリュスの森。娼館あたりからでも逃げてきたか」

「しょうかん?」

「知らんのか。人売りから逃げてきたのか?」


その娘は首を傾げて少し考えてから答える。


「ある意味そうかもしれません。私国籍の無い人間なんですが、血だけ繋がってる貴族の父親に売られそうになったので逃げてきました」

「国籍がない?父親がいるのにか」


訳アリの人間か。面倒だな。適当に答えてとんずらするか。


「はい。父親は男爵で、そこでずっと働いてました。母親は私が生まれてすぐに亡くなったそうです」


ん?どういうことだ。爵位持ちの親の元で働く?売られる?


「外の子供か?」

「外の?」

「男爵が家の外で勝手に拵えた子供」

「いえ、母親とは政略結婚だったそうです」


なんだそれは。


「お前トリュセンティア国民か?」


我が国なら大問題だな。


「いえ。イグラス国です」


冷戦状態の国か…余計に面倒だな。


娘の格好はとてもではないが男爵の娘…認知されていない子らしいが、平民が着るようなワンピースでかなり着古している。後ろで一つに束ねている薄茶色の髪の毛並みも悪い。体型など平民以下で細過ぎだ。


なのに、なんでそんなに瞳が生き生きしているのか。


「ここの森はイグラス国隣のトリュセンティア国領土で合ってますか?そこの国で薬師になるにはどうすればいいのでしょうか」

「トリュセンティア国で?」

「はい。あ…でもイグラス国民…と言っても国籍が無いので、平民には……平民になれない者は薬師も、無理で、しょうか」


先程の活気のあった瞳に影が入り、娘は少し下を向いてから再び顔を上げた。


「なら、国籍がない孤児が働ける場所はありますか?」


なんだこの娘の表情は。

何故微笑んでいる。


「お前歳はいくつだ」

「もうすぐ16歳になると思います。成人迎えたらすぐに売ると言っていたので」


16歳にしては小柄だ。そして歳に見合わない諦観した瞳と、物わかりが良過ぎる態度。


「何故薬師になりたい?」

「捨てられていた魔術と薬草の本から学んだだけですが、自分で精製した薬を売って生計を立てられればと。昨夜初めて屋敷から出て、魔術も今朝初めて使ってみましたが、初心のものが何とか使えた程度です」


何も教えられず何もできずに16年間ずっと働いていたということか。


もし母親が男爵と政略結婚したというのが、事実だとして。

男児でなくても嫡子ならば国籍を取らないなんて有り得ない。兄妹が沢山居るのか。


面倒だとは思ったが、このまま放っておいたら寝覚めが悪そうなので、ハウザーは彼女の話を始めから聞くことにする。諦めることに少しも抗わない瞳、それが当然だと思っている表情が気になって仕方がなかったのもあった。そして悲観的な言葉も悲しい辛い表情もこの娘からは出てこない。



娘の名前はユフィーラ。

イグラス国のウォーレン男爵で生まれた。母親が儚くなると、男爵はすぐに後妻とその娘を迎えたそうだ。後妻の娘が父親と血が繋がっていたので、政略前からの関係ということだろう。辛うじて付けられた乳母と共に納屋に追いやられ、一人で自分のことができるようになると、すぐに乳母は辞めされられた。その後は16歳まで下女として働き続けてきたという。


話を聞いている間、捨てられた本を読んでたとはいえ、ユフィーラの知識には偏りがあり、普通ならば知っている常識をわからないかと思えば、大人顔負けの対応の速さで言葉を返す術もある。ハウザーの言動に少しでも疑心が混ざると、すぐに察してくる機微が垣間見えた。


人に対してどう言えば、どう対応すれば攻撃されないか。されたとしても最小限に収められる方法を熟知し、穏やかな口調と表情、負の感情を出すことがないのは過去の経験からの無意識の処世術だろう。


ハウザーがきつい口調や攻撃的になれば、難なく対応する癖に、僅かな気遣いの言葉をかければ、困惑したかのように言葉が鈍くなる。どれだけ善悪の善を受けていなかったかは明白だった。


「国籍を取るには、国のある程度地位のある方の紹介みたいなものがないと、孤児扱いになってしまうのですね」

「そうだな。この国は奴隷制度を禁止しているが、国籍無しや孤児はどうしても下に見られる現状だ」

「まあ…そうなのですねぇ」


眉を少し下げながら片手で頬を押さえるユフィーラの姿をハウザーは観察する。


(俺に紹介を頼んできたら前向きにと答えて様子を見るか。こいつの話が本当なのかも調べて…)


思案しているハウザーにユフィーラが目を合わせる。


「あなたはトリュセンティア国の方ですよね?」

「――そうだが」

「もう一つお聞きしたいことが。ここまで歩いて来れたのですが、いよいよ方向が分からなくなってしまいました。トリュセンティア国方面を教えてもらえますか?もしイグラス国に戻ってしまったら徒労に終わってしまいますから」


ふふと笑いながら話すユフィーラが紹介を頼んでこないことに、ハウザーは内心驚きながらも顔には出さずに手を動かして方向を示す。


「向こうだ。俺の紹介で国籍を取ろうとは思わないのか」

「国籍が欲しいのは勿論ありますが、それに見合うものを出せないくらい何もない人間なんです。孤児から始めたとしても今までよりは前向きに生きていけます」


下女歴も長いですしねと言いながら、ユフィーラは薄汚れた布で包んだ袋を持ってハウザーに向き直る。


「身元もわからない怪しい者なのに真摯に対応していただき感謝します。ありがとうございました」


ハウザーに深くお辞儀をしたユフィーラはへらっと笑ってハウザーが指した方向へ歩き出した。


「おい」


その後姿を見ながらハウザーは心の底に何か蟠るのを感じる。

元々人に関心を持たない性質なのだが、見た目と中身がアンバランスなユフィーラがどうしてか気になって、気づいたら声をかけていた。


「はい?」

「お前、何で俺に声をかけた?どこの誰かもわからない、しかも図体の大きい男だぞ。危機管理はなかったのか」


それを聞いたユフィーラは考えるように首を傾げる。


「なんとなく…でしょうか」

「は?」

「ここに辿り着くまで数名と遭遇しましたが、全部隠れました。勘のようなものなので説明もできないのですが」


ユフィーラが逆に首を傾げるのをハウザーは見つめる。


(人の見極め…今までの境遇で得たか)


「金はあるのか?」

「お金、とは丸くて平べったい硬いものですよね?持ったことがありません…」


硬貨も知らんのか。ハウザーは溜息を吐いてユフィーラいる方向に歩き、そのまま追い越した。


「この辺はたまに訪れる。その時お前がその辺で野垂れ死んでたら寝覚めが悪いからな。とりあえずうちに来い。トリュセンティア国で診療所をやっている」


ユフィーラはそんなことを言ってくれると思っていなかったのか、目を丸くする。


ハウザーは実の所、元々王族だ。

王位継承権は放棄しているが、父親がトリュセンティア国王の兄であり、生粋の研究気質の人間で、国王の器には実に不適格な人物だった。


本人も重々承知していて、昔から国を継ぐのは弟、自分は国が円滑に動けるように様々な環境を研究する方が合っていると豪語し、それに見合う成果も出していた。


国土の地形や周りの海の質、作物の育て方など多岐に渡り、何がどう一番適しているかを常に研究していて、今現在も王宮研究室に籠もっている。


その性質はハウザーにもしっかりと引き継がれていた。姉御気質の母親のおかげで多少は緩和されている部分はあるが、医学に関してだけは止まらなくなる傾向になるのはどうみても父親譲りだ。


基本あまり人に興味を示さないハウザーだが、ユフィーラの穏やかな反面刹那的な部分がどうにも気にかかっていた。



「診療所…具合の悪い方を診てくれる場所…あなたは医師なのですか?」

「ハウザー」

「え?」

「名前」

「ハウザー…さん?先生?」

「ハウザーで良い。お前の言う通り一応医師だ」

「いえ流石にそれは年上ですし医師の方なので…うーん、では先生でいかがでしょうか」

「名前そのものが消えたが」


ぽつぽつと会話をしながらユフィーラは素直に付いてきた。目を輝かせながら。


診療所に到着して空いている部屋を取り敢えず貸すことにした。話の齟齬がないかユフィーラの話を再度始めから話させた。話の内容に食い違いはなく、もしこれが本当ならば相当な扱いを受けてきただろうことは想像に難くない。


その夜は向かいにある食事処の料理を持ち帰り食べさせたら、美味しい、温かいと目を潤ませながら食べ、新しい湯でしかもシャワーを浴びたのが初めてでとても気持ち良いと喜んでいた。



夜中にハウザーは診療所奥に隣接してる自室で一人寛ぎながら口を開いた。


「ギル。喜べ、仕事をやる。」

「お。久々に本職活動?」


後方から声が返ってくる。そこには真っ黒な髪にブルーグレイの瞳、黒一色に包まれた男が立っていた。


「ユフィーラ。生まれはイグラス国のウォーレン男爵。元乳母も探せ。以上だ」

「あの子の出自と事実確認ってところ?」

「ああ。お前の気配に気づいていたな」

「僕の?」

「上に何か居るのか、くらいか」

「まさかー」


診療室で話している時、ギルが上に潜んでいることはハウザーも気づいていたが、ふとユフィーラが上をきょろきょろ眺めながら首を傾げているのには些か驚いた。


ギルはハウザーが王族だった頃の王族専門の影だった男だ。何故か俺が市井に降りてからも勝手に付いてきている。隠密の腕や攻守共に優れているので重宝はしているが、たまにじゃれてきて鬱陶しい時もある。


「あの子育てるの?」

「もう16歳だ、そんな訳あるか。ただ知識が偏っているからある程度常識教えてから好きにさせる。その前に一応調べておく」

「主が大丈夫だと感じているなら問題ないと思うけど」

「そうかもしれんが、驕りは禁物だ。10日以内に報告しろ」

「イグラスなら七日でいけるっしょ」


そう言ってギルの気配が消えた。



翌朝起きると、既にユフィーラは起きていて部屋の片付けをしていた。どうやら一晩だけ泊めてもらえたという認識でいたらしく、出て行く準備をしていた。その時に小さな瓶を差し出された。昨日小さな空の瓶がないか聞かれたので、診療所にあった薬専用の空の瓶を渡したのだが、その中には薄黄色の液体が入っていた。


泊めてもらったお礼らしく、昨夜持っていた薬草で本で覚えていたものの中から精製したらしい。鑑定魔術で見てみると、荒削りな部分はあるがちゃんと効能がある状態だ。勉学を積めばまともな薬師になれるかもしれない。


その時だ。薄汚れたワンピースの腕部分、擦り切れた布の隙間から細かい無数の傷が見えた。それを指摘すると、躾として鞭などで暴力を振るわれたとへらっと笑う。他にもあるのかとつい腕を掴もうと手を上げた瞬間、反射的に物凄い早さで頭を守るように抱えたので、ハウザーは固まってしまった。


「ごめんなさい。ちょっと条件反射で、つい…」


そう言ってまたへらっと笑う顔は虚ろだ。


ハウザーは眉を寄せる。


「手を動かすぞ。良く見てろ。叩かない。殴らない」


そう言ってゆっくりと手を上げてユフィーラに向けて伸ばす。彼女はその手の行く先を瞬きもせずに見ている。そして頭に近づくと明らかに体が強張った。それでもゆっくりと頭の上に乗せて優しく撫でるとぽかんとした表情になる。


ハウザーは撫でながら諭す。


「暫くここに居て良い。そして何度も頭を撫でるから慣れろ。服も買ってやるから替えろ。お前の薬の質は悪くないがまだ未熟だから、もっと学べ。そしたらうちで買い取ってやれるからな。金の使い方も覚えろ。掛かる金は出世払いにしておいてやる」


そう言うと、ユフィーラの目が見開いた。口元を押さえても口がにまにまが漏れ出ていて、「はい!ありがとうございます。頑張ります!」と答えた顔は虚ろではない年相応の笑顔だった。



周りに柵や権力、媚びへつらう輩の多い中でユフィーラの存在は稀有だった。

ハウザーの正体を教えていないのもあるが、白衣で無精髭でも整っている顔立ちや医師という立場で、寄ってくる女どもと違い、忖度なく接してくる。


なのに、常に一歩引いた態度も一向に変えることはない。こちらに寄り掛かって媚びる言動や行動は皆無で、いつ何時何を言われたとしてもすぐに出ていけるくらいの感覚で彼女はハウザーと向き合おうとするのは潔いが、なんとなく壁を作り信用されていないようなもどかしい気持ちもあった。



「屑な奴等だったよ」


とある夜、ハウザーが結んでいた髪を解しながら寝ようかと思っている時、後方からギルの声が聞こえたので、保冷庫から飲み物を出して渡す。


「報告しろ」


ギルは渡された飲み物を飲み干してから話し出す。


「イグラス国の西端にあるそんな大きくない領地で重税に苦しんでいる民達。領主はマイク・ウォーレン男爵。大した才能も領地を経営する力もなく、殆どを家令に任せっきり。そんな家令は横領仕放題。後妻のカレン・ウォーレンは顔だけの元平民で身持ちの悪い女。そしてこれも顔だけは良いマイクにはベタ惚れ。茶会やドレスに散財して男爵はこれ以上重税を課せないからあの子を売ろうとしたのは確実」

「後妻の子供はウォーレンのか?」

「微妙。政略結婚が決まって婚約時にカレンはあちこちで火遊びしていたから。娘は母親に似ているけど、父親の色は受け継いでいない。娘のマーリンもことある毎にあの子を貶して見下して躾だと言ってやりたい放題。ここからはあの子の元乳母からの話。あの子の母親は元子爵令嬢で男爵を好きなわけではなくあくまでも政略。出産後程なくして亡くなったあと、子供を自分のことを自分でできるようになるまで面倒見させて、その後すぐに乳母は解雇。粘ったが、目の前で子供を折檻されて泣く泣く出て行ったらしい。その前からも後妻や使用人からの嫌がらせや蔑みや侮る言葉は乳母も一緒に味わっていたらしいよ」


ハウザーはユフィーラの少女らしくない表情を思い出す。


「現在、男爵は大混乱。奴隷に売るはずだった娘が突如として居なくなったが、金もないから追えないし捕まえられない。それに国籍を作らなかったことで、名前を挙げて探すことすら不可能。馬鹿だよね。奴隷にする予定だった相手から前金をもらっていたらしくて、その金はもう後妻の豪遊で半分以上なくなった。相手は甚くご立腹で後妻の娘を寄越せと言っているらしいよ」

「その相手は貴族か?」

「うん。しかも表向きは誠実を絵に描いたような良心的な伯爵様。男爵が暴露したら大事だけど、そんな下手は打ってなさそうだしね。その男爵の表と裏から噂を聞いてみたらさ、表はあの子はとても我儘で皆から嫌われていたとか、後妻の娘を甚振っていたとか。使用人総出でね。そりゃ言えないよね?自分らも一緒に参加していたんだから。んで、ここ最近後妻を怒らせて辞めさせられた使用人の一人に金を渡したら、散々な内容を話してくれたよ。話は全く逆であの子に朝から晩まで働かせて、後妻やその娘からは虐待と罵り、使用人からは捌け口先から始まって仕事を押し付けられるわ、家令からはたまに性的嫌がらせもあったとか」


敏感に機微を察するユフィーラを作ったのは奴等か。まだ16歳だ。


「潰すの?放っておいても潰れると思うけど」


ユフィーラが来てまだ一週間足らずだ。それなのに何故こんなにも気にかける。


「イグラス国と水面下では微妙か」

「あーそうだねぇ。でも遠からずやり合うと思うよ。ほら、向こうの国王は魔術師なんざ金と権力でどうにでもなる軟弱な奴等だと思っているからね。糞な元団長のせいで」

「だな…」


あれは本当に国の汚点な人物だった。


「伯爵と男爵の動向を探れ。イグラス国との争いに乗じて両方潰すか。在っても害にしかならんだろうよ」

「あの伯爵の裏は凄いよ。慈善事業で孤児院の訪問や多額の寄付をしている癖に裏では孤児を好色家共に売っているからね」


一を頼んで十で返ってくるギルの能力は流石というところだ。


「何時でも潰せるように用意しておけ」


そう言って手を振る。


(ユフィーラのこともあるが、こういう輩が蔓延っている状態は好かん。それに自国でなく敵国だからな。どうにでもなる)



その後、ユフィーラは時折り診療所の片付けを手伝いながら、水を得た魚のようにどんどん知識を取り入れていった。元来頭の回転も早く、ハウザーを困らせることも一切なく、早く借りているお金を返して恩返しする、と日々楽しんで生活を謳歌していた。


相変わらず俺の癖の強い口調や態度に傷ついたり怒ることもない。彼女曰く悪意もなく真っ当で真っ直ぐな可愛い部類の言葉だと言われた時は思わず笑ってしまったほどで、一緒に居て居心地が良かった異性は初めてだった。


ハウザーはことある毎にユフィーラの頭に触れた。

始めは反射的に強張ることがあったが、時が経つにつれ、段々と軟化するようになり、最近では手を伸ばしてもにこにこしながら頭を突き出すくらいまでになった。


「頭を撫でられるのって何だか心が擽ったくて温かくなりますねぇ」


口に手を当てながら嬉しそうに、ふふと喜ぶユフィーラを見ていると、人と関わるのも存外悪くないと思うようになった。


ハウザーは32歳でユフィーラは17歳になった。

ギルからはその歳とその顔で遅すぎる初恋ですか?と聞かれたが、己の感情と向き合ってみると、どうやら恋情ではなく親愛の方のようで、どちらかというと目が離せない妹分の感じだろうと思う。



勉強を積み薬師の国家試験が受けられるくらいまでになった時、ハウザーの伝で国籍を取得した。後見人欄に名前を書いたことは内緒にしておいた。萎縮されても何だし、元々好きにやらせるつもりだから、保険のようなものだった。



「これで私も全うな平民です!これで働いて先生に恩返しできます!」


薬師の試験に受かり大喜びして握り拳を翳すユフィーラに、もう少し自分の為に生きろと思ったが、今はそれが彼女の生きる糧の一つならば好きにさせようと、わしわしと頭を撫でてやった。


薬師としての第一歩を踏み出したユフィーラは、必要な魔術だけを取得して、森に採取しに行ったり薬の精製に精を出していた。





暫くして、ついにイグラス国との水面下の争いが浮上を始めた頃、ハウザーはギルを使って男爵と伯爵共に沈ませた。


トリュセンティア国との開戦で混乱している中、男爵は更に多くの重税を強いていた。それを悪徳執事が常時横領していたことを始め、名ばかりな領主の杜撰な領地管理と横暴な重税、贅沢を止められない後妻と娘。それのおこぼれに預かろうとする無能な使用人の現状が、どこからか民達に伝わり暴動が起きた。その頃には護衛を雇う資金もなく、一家は屋敷から引き摺り出され、男爵と後妻、執事が総叩きに遭う中、娘が行方不明になった。


使用人達は一目散に逃げ出したが、何故か男爵家で働いていたことが知られており、周囲の目は冷たく働き口も見つからず途方に暮れた。


後妻の娘は被虐趣味の伯爵に拐われていた。甚振られ、ぼろぼろになっているところに、誰かの密告により騎士団が突入して誠実さを売りにしていた伯爵の裏の顔がイグラス国に知れ渡った。


そしてそれを騒ぐ余裕もなく、トリュセンティア国との戦争が始まった。


イグラス国は騎士団を中心としていて力が全てという国だ。数少ない魔術師の立場は低い。そんな騎士団だが愚かな貴族が無駄に勢力を持っていた為、本当に才能のある平民騎士などは権力に潰されてしまい、大した力量もない。なのに何故か傲慢で無駄に好戦的なのだ。


トリュセンティア国王は穏和で優しそうな見た目の優男に見えるが、その実、老獪で非常に冷淡、狡猾な部分を持っている。イグラス国は愚かにも表向きの顔で判断し攻撃を仕掛けたのだ。


トリュスの森が半分近く焦土化させたイグラス国に対し、魔術師団の副団長テオルド・リューセンが相手国からほぼ攻撃を受けさせずに壊滅手前まで追い込んだ。ギル曰くハウザーよりも上回る魔力量の持ち主らしい。流石叔父、リカルドの秘蔵っ子というところか。


何はともあれ、ようやく小賢しい隣国が大人しくなり愚王も代替わりした。

ハウザーは、その日の夜ユフィーラを連れて月影亭に行き、その後診療所奥で美味い酒が手に入ったと適当な理由を告げて、祝杯を上げた。イグラス国は一応ユフィーラの母国だから、祝いとは言わないでおいた。


「お前、酒は飲んだことはあるのか?」

「お酒は初めてですねぇ」

「そうか。良かったな初酒が美味いもので」


出したのは当たり年の葡萄酒と果実酒だ。ハウザーは辛口が好きなので果実酒はユフィーラ用だ。


ユフィーラは注いでやった果実酒のグラスを傾けて匂いを嗅ぐ。


「これは、果実…りんごですか?」

「ああ。甘くてお前には飲みやすいだろ。こっちは葡萄酒だが、辛口だ」

「ふふ。もし飲めそうだったら一口くださいな」

「ああ」


かちんとグラスを慣らして芳しい香りと共に口に含む。何度か飲んだが、時が経つにつれてこの葡萄酒は深みが増してきている。


ユフィーラを見ると、一口だけ飲んでからふわっと微笑みまた口を付けた。成人の16歳から飲めたのだが、まともな食事すらしていなかったので、まずは食べることの楽しみを知って欲しかった。


「美味しいです。お酒は苦手ではないようです」

「初めてなら少しにしておけ」

「そうします」


そう言いながらまた一口飲んだ。


薬の話などをしながら、ユフィーラが葡萄酒を一口だけ飲んでみたいと言うので、少しだけグラスに注ぐ。匂いを嗅いだ後グラスを傾け「ん。甘みよりも芳しくてきりっとします」と言いながら少量の残りを飲み干した。


「果実酒の方が良いか」

「そうですねぇ。初心者の私には甘めの方が合ってるみたいです」


ふふと笑いながらつまみ用に出したピクルスをぽりぽりと食べている。

葡萄酒が半分近く減った頃、空いた食器を片付けていたユフィーラがハウザーに近寄る。


「どうした?」

「先生は普段お前は甘えないと言うので、甘えてみようかと思いまして!」

「なんだ?欲しいもので、も…―――」


言い終わらないうちにユフィーラがハウザーの膝の上によじ登る。


「……どうした」


ユフィーラは膝の上にちょこんと横向きに腰掛けてハウザーを仰ぎ見る。口調も顔の色も表情も通常、目も酒特有のとろんとした状態でなく正常だ。


「先生のおかげで怖くなくなったので頭を撫でて欲しいです。」


頭を指さしながらそう願う。


「…」

「無理でしょうか…」

「いや、構わないが…」


そう言って手を上げる。ユフィーラはその手を見ながら目を輝かせる。

ぽんと頭に軽く置いて撫でてやる。


「ふふ。温かいですねぇ」


ユフィーラが喜びながら手で口を覆う。


(まさか、これは酔っているのか?)


お行儀よく座っているが、座っている場所は椅子ではなくハウザーの膝の上である。

かといって、ハウザーを背凭れ代わりにするわけでもなく、あくまで椅子扱いのようだ。


「酔っているのか?」

「大丈夫だと思いますよ。ぼーっとするわけでもなくふらふらもしません」


酔っ払いの大丈夫の言葉ほど信用してはならないのは常である。

その後当たり障りのない今日の出来事の話や、薬の話をしたが、支離滅裂な言動はない。


だが。


「…おい。何で俺をじっと見てるんだ」

「先生の落ち着いた深みのある緩やかな金髪と、底にひっそりと輝くような濃い緑の瞳はとてもお顔立ちに合っていて、高貴な感じがしますね。そう言えば国王様も同じ色合いだったような…本で読みました」

「…」

「ざっくばらんで容赦のない口調、普段ちょっとだらしなさそうに見えても、いざ正装するととても素敵で、仕草がとても洗練されているのは先生の元来の素質なのでしょうか」

「…は?」


これは――――確実に酔っているのか。普段なんとなく思っていても敢えて言わない心の底の心情が漏れてきているような…


「それと、時折りここにいらっしゃる何方かも今夜はこの素晴らしいお酒を嗜みたいかもしれませんねぇ」

「…!」


やはり気づいていたのか。


「どんな奴だ?」

「姿かたちまではわかりませんがたまにいるなぁと」


ユフィーラはにこにこしながらハウザーの瞳を見つめている。堂々と膝の上から。


「どうしてわかった」

「ふふ。納屋に居た時に来るんですよ。仕事を押し付けに来る人、鞭を打つ人、手や足を出す人、痩せ細った体を触ろうとする人」

「!」

「耳を澄ませて感覚を研いで、いつのまにか察知できるようになりました。特に最後の人はとても苦痛だったので、開いた扉の裏に隠れていつもどきどきしてました」


そう言いながら、テーブルの上にある自分のグラスを取って残っていた果実酒を飲む。


「――――そういう輩には天罰が落ちるもんだ」


奴等は二度とまともな生活を送れないだろうよ。…生きていればだがな。


「あらまあ。私も罰を受けないように日々精進しなければですね!」


テーブルに置いてあった果実水を注ぎながら、ユフィーラは未だにハウザーの膝から降りない。


「自分の椅子に座らないのか」

「そこに座りたい人が居るかなぁと。近くに来ているようなので」


ユフィーラが上をみてから奥の扉の方に目を移す。


「―――――ギル」


そう声を掛けると、ギィっとその扉が開いた。ブルーグレーの瞳以外は黒尽くめで口元も黒い布で隠した男が入ってきた。


「本当に気づいてたんだ」

「仕方ないから一杯だけ飲んで良いぞ」

「こんばんは。巡回お疲れ様です」


ぺこりとハウザーの膝の上から挨拶するユフィーラに、ギルは主くらいしか気づかないのにねと、くすっと笑う。


「良い酒なんて久しぶりかも」


そう言いながら口元の布を引き下げたその顔は白い肌に恐ろしく整った中性的な容貌だった。


「まあ。先生とまるで対のような…」

「「は?」」

「お二方共整ったお顔なのですが正反対の位置にいるなぁと」

「ああ、がさつな無精髭だからね」

「おい」

「先生は野性的ということですよ」

「すごく盛った言い方だと辛うじてそれかもね」

「おい」


ギルは棚からグラスと取り出し、ユフィーラが座っていた所に座って葡萄酒を注いだ。


「あー仕事後の一杯は美味しいなー」

「いつ仕事した」

「現在進行中でしょ」

「それ飲んだら帰れ」

「あ、このピクルス美味しいですよ。それとチーズペッパークラッカー食べると止まらなくなります」

「へぇ、食べてみる」

「お前らな…」


ハウザーは呆れた声を出したが、やはりユフィーラは酔っているようだ。外見も口調も変わらないから気づき辛いが、この行動は通常では遠慮してまずやらないことだからだ。


「ギル、その辺の安物みたいに飲むな」

「味わってるよ。喉が乾いただけで」

「水飲め」

「見事な飲みっぷりですね!」

「でしょ?もっと飲んじゃう」

「お前らな」


ハウザーはギルを煽るユフィーラの頭をぐりぐりと撫でるが、ユフィーラは嫌がるどころか、ふにゃっと笑いながら喜ぶのでお手上げだ。


「お嬢ちゃんは主のこと良く見てるんだねぇ。隠れていた僕のことは何かわかるかい?」


からかうような口調で尋ねるギルにユフィーラは首を傾げる。


「実際お会いしたばかりですから何も。ただ…先生をとても好ましく思っているのだろうなと」

「「え」」


またもや言葉が被った二人にユフィーラはくすっと笑う。


「先生を見る目がとても嬉しそうに見えます」

「は?」

「…へー」

「二人共仲睦まじいのでしょうねぇ」

「僕そっちの趣味はないよ」

「ふざけるな、俺もだ」

「あらまあ」



なんとも言えない雰囲気になったところでユフィーラが体を折り蟀谷をこつんとテーブルに置く。


「おい。眠いなら―――」

「え…寝てるんだけど」


ユフィーラの目は閉じ、ハウザーの声掛けにも一切反応しなくなっていた。


「酔っぱらいに見えないのに酔っ払っていたんだね。これ外に出たら危なそう」

「外飲みは禁止だな」


ハウザーは溜息を吐いてユフィーラを抱き上げて上の階に連れて行った。



翌日、ユフィーラはあれだけ普通に話していたのに、途中からの記憶が全くなかった。且つギルの存在もなかったことになっていて、天井裏でギルは呆然としていた。




不定期で番外編・後日談を投稿します

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